第八十九話:『才媛』たちの戦争~検証㉟~
皆様、大変遅くなりまして申し訳ございません。ご無沙汰しております。
昨日は秋分の日でした。これから徐々に涼しくなって、過ごしやすくなれば良いですね。。。。
この度は評価ポイントおよびブックマーク、誠にありがとうございました。とても励みになります。
これからも拙作をお楽しみ頂ければ嬉しいです。
※※ 89 ※※
「あらァ、おかえり愚息。ハツジョーしてるかいッ」
「平良ッ! お前には灼ちゃんを幸せにする責任があるッ」
夕飯時というにはやや早い、午後五時過ぎ。
リビングの扉を開けると、そこは宴会場だった。食卓の上には、食材棚から持ち出されたものであろう、各種チーズと生ハムが山盛りに盛られた大皿とワインの空瓶が数本。灼が注文したワインは二本だったはずなのだが、それ以上の数がそこにあった。
「ああッ! まさかサンジョヴェーゼのワイン、全部飲んじゃった!?」
灼は疑念半分、剣呑半分で形相を一変させた。しかし、母親は飄々恬淡とした物言いで、
「灼ちゃんが買ったワインはキッチンテーブルの上にあるわ。せっかく配達してもらうのに、二本だけっていうのはねェ……。で、お父さんが今日と明日の二日間、非番だから『イタリアワイン飲み比べ12本セット』買っちゃったわ。あははは」
ここ一番のごきげんな笑い声を上げた。普段、頑迷な親父もタガを思い切り外して、ワイングラスを突き出し、
「酒屋のオヤジが、灼ちゃんのワインに対する知識を高く評価してたぞ。しかし、二人ともまだ十代だから未成年者飲酒禁止法に違反してはいかん。飲むなら二十歳になって……あれ? 2022年に民法改正施行され成年者は満十八歳で――」
その透けて見える赤い水面を傾けて一気に飲み干す。
「――おッ! この赤ワインは美味いな、母さん」
気分良く酔って、頭と舌が回らない現役警察官は、フニャフニャと締まりなく笑った。ちなみに民法改正施行後は『二十歳未満ノ者ノ飲酒ノ禁止ニ関スル法律』と改名され、満二十歳未満の者の飲酒が禁止されていることを俺は知っている。
心中、嘆息しつつも、俺はチーズを一切れ、生ハムと一緒に掻っ攫う。灼も呆れながら両親の陽気な宴会を咎めず、暖簾を潜ってキッチンの奥へ入っていった。
「この牛すね肉と鶏の肝臓は?」
灼はキッチンテーブルに買い物袋を下ろし、放置された食材を見つける。片付けと準備の双方を手際よくこなしながら、カウンター越しに母親に尋ねた。
「ああ、それはワインのつまみにってお父さんが買ってきたのだけど……全く料理しない人が、滅多に寄らないスーパーの精肉コーナーで選んできたものだから……。あたしにどーしろって言うのよ」
「安くて美味しそうだったんだ。ほら、ワインに合いそうじゃないか」
母親のやんちゃな不平不満に、父親が眉根だけを険しく抗議した。灼は腰に手を当て、困ったままの笑顔を見せる。
「……お義父さんがせっかく買って来たんだし。これでワインに合う料理を作るわ」
おいおい、と俺は驚き、突然の路線変更を訝しむ。案の定、灼が妙な顔で振り向き、
「もちろん、ハヤシライスも作るわ。四人分には足りないと思うしね。まあ、無理に今晩食べなくても、味は明日のほうが馴染むと思うし……いいかしら?」
苦しい笑みで同意を求めてきた。俺としては否定に類する意見は持ち合わせておらず、なんとなく頷く。
「……俺は別にいいぞ」
「ありがとッ、平良」
目の前の小柄な少女が両手を広げて跳ねた。高校の制服を身に着けていても、幼さを隠し切れない容姿がパッと明るくなり、右手は腰に、左手は人差し指を立て、可愛さ満点の笑みで片目を瞑る。
「これから作る料理は、日本では――まあ……知る人ぞ知るトスカーナ地方の郷土料理よ。ゼッタイ美味しんだから安心なさいッ」
「っお、お前が作るものだからな……。美味いことは知ってるぞ」
俺の不器用で芸のない、しかし最大級の褒め言葉に、灼は満面の笑みを浮かべた。
灼は買ってきた食材を一旦冷蔵庫へ収めると、キッチンテーブルの上に両親の要望に沿った料理を作るべく、食材や容器を並べて調理に取りかかった。
「今から肝臓の下処理するから、あんたは水洗いお願いできる?」
「分かった」
俺はいつものように手を石鹸で洗い、大きく頷く。灼は一口大に切って、断面に残る血の塊を取り除いた肝臓を容器に入れ、
「二・三回くらい水を変えて、よく揉み洗いしてちょうだい。その後は流水で臭み抜きするわ」
言って、手渡された俺は栓を捻り、この時期には冷た過ぎる水道水を流す。
「さっき、郷土料理とか言ってたけど……何を作るつもりなんだ?」
その視線の示す先、灼が人参、ニンニク、玉ねぎを微塵切りにして、セロリを取り出していた。
「『アンティパスト・トスカーノ』――トスカーナ流前菜ってとこかしら。チーズや生ハムや『クロスティーニ』の盛り合わせだけど、今回はカットしてトーストしたフランスパンに鶏レバーペーストを添えた『クロスティーニ』と牛すね肉の赤ワインと黒コショウ煮込み『ペポーゾ』、赤ワインで煮込んだパスタを作るわ」
「……赤ワイン尽くしだな。まあ、分からんでもないが」
俺は次々とコルクを開けられた赤ワインが散乱するテーブルの上を見る。空になった瓶もあるが、中身が残っている瓶もある。両親の無茶な飲みっぷりに呆れつつも、少々投げやりに言った。
「どうして、イタリア料理って赤ワインで煮込む料理が多いか分かる?」
「呑兵衛だからか」
俺の答えに、灼がちらりと両親を見て、単純でない笑いを浮かべる。
「まあ、イタリア人はお酒好きが多いのよ。本当の意味でののんべえは、開けたワインの飲み残しを嫌うフランス人ね。もっともあたしの勝手な解釈だけど。
ともかくお酒好きが多いので飲み残しも多く出るわ。でも開けたワインは時間が経つと酸味が強くなって飲めなくなる。それを煮込み用に使ってたということみたいね」
灼は流水に晒していた肝臓を取り出して、塩一つまみとハヤシライス用にと買ってきた『サンジョヴェーゼ』のワインを注いだ。
「おいおい、飲み残しを入れるんじゃないのか?」
俺の問いに、なにをか深く笑って返す。
「本来は、ね。でも、お義父さんとお義母さんがせっかく楽しんでるんだもの。取り上げたら可哀そうだわ」
どこからどこまで話を聞いていたのか、カウンターの向こう側から母親が声を上げる。
「そうだぞ、愚息ッ。灼ちゃんがウチに来てくれて本当に良かったわ。ねえ、お父さん」
視線を合わせて、神妙に頷いて付け加える。
「ああ。平良には勿体ないくらいの嫁だ。俺たちもこうして美味しい料理にあり付けるというものだ」
そんな受け答えに慣れっこな灼はニコニコと笑い、
「二人とも有り合わせ料理でゴメンね。平良、あんたはフライパンを温めてから、刻んだ野菜を炒めてもらえるかしら。あたしは肝臓をミンチにするわ」
「お、おう……」
俺は少し複雑な表情で答えた。俺としては指摘したい箇所が満載なのだが、話を蒸し返すと母親が喜ぶだけなので、黙々とフライパンにオリーブ油を引き、中火で炒める。三分間ほど炒めたところで、灼が肝臓ミンチを入れ、塩コショウを振り火を弱めにする。
「日本料理には使わないけど、ヨーロッパ諸国でよく使われる食材で『ケイパー』を入れるわ。強い酸味があるけど、肉や魚料理に入れると味に深みが増して香りも良いのよ」
俺からすると、食材の存在意義について理解できぬまま、見た目が枝豆のような単なる緑色の小粒を小さじ山盛り一杯ほど加えられ、より困難になったフライパン操作に辟易した。
「そのまま水分が飛ぶまで炒めてちょうだい。あたしはトーストの準備をするわ」
指示を出しながらの片手間で、灼はスライスしたフランスパンをオーブンに収め、牛すね肉を一口大に揃えてカットしていく。その熟練の様を横目で見つつ、俺は気を紛らすために口火を切った。
「後白河院は小侍従の策で何とか京都へ戻ってくることが出来たが、未だ幽閉の身だ。ともあれ治承四年<1180>五月十四日、後白河院は藤原季能邸に入る」
「季能って……確か平重盛の没後に知行国の越前を後白河院が没収し、新たに越前守に任命した人よね。それで清盛の逆鱗に触れ、治承三年の政変が起きたのだったわ。でも、そんな人に後白河院を預けても大丈夫なの?」
灼は言いながら牛すね肉を鍋に入れ、その上から黒コショウの粒を手際良く振りかけてから、再び『サンジョヴェーゼ』のワインで浸した。
「通説では、な。ここからは俺が尊敬する歴史学者の網野善彦先生の説を借りて私見を言う。そもそも知行国は平安中期から始まった院宮分国制に由来する。
以前に『歴史研究部』の部室で生徒会メンバーと集まって、俺たちの今後の方針を語った時、荘園整理令について部長が説明してたのを覚えてるか?」
そういえば、と思い出した灼は思案気に小首を傾げ、人差し指を唇に添える。思考に耽る時の、いつもの癖だ。
「整理令で、違法の寄進地系荘園や国免荘の増加を抑制しようとしたけど、国衙領は次第に不法荘園に侵食されていったという話よね」
俺は大きく頷く。
「ああ。荘園整理令を何度も発布しても不法荘園が増加の一途を辿る一方で、国衙領の減少を止めることが出来ない。次第に国庫はおろか下級貴族の給料も皇族の生活基盤も保てなくなる。
そこで親王任国とは別に、期限付きで皇族たちに特定の国の国司任命権を与え、受領が徴収した租税などの収入の一部を俸禄の代わりとした。これが院宮分国制だ。
久安二年<1146>に越前国は美福門院に知行国<分限国>として与えられた。永暦元年<1160>崩御後は『二代の后』である多子が相続したのではと考える」
「同じ年、美福門院派である二条天皇の強い要請により多子は再び入内するわ。条件として越前国の知行国主を相続するのね。まあ、『二代の后』と言われる由縁だけど……確か小侍従が仕えてた皇后だわ」
その率直過ぎる意見に俺はにんまりと笑う。
「そうだ。この時点で小侍従が画策してたかどうかは分からない。ただ学問の家・菅原家は累代式部大輔の職を受け、地方行政のエキスパートだ。この後、永万元年<1165>に二条天皇が二十三歳の若さで崩御してしまい、多子も出家するのだが、仁安二年<1167>清盛が太政大臣を叙任すると、重盛が丹後・越前の知行国主となる。
とにかく、この時点で小侍従が動きを見せていないのは院宮分国制に年限が定められていることを熟知した上で文句は言わなかったのだろう」
灼は、俺が振るフライパンの中身を小匙で掬って味見する。
「うん、もういいかな。肝臓をペースト状にして熱を冷ますわ。――で、院宮分国制は皇族の為に設けた制度でしょ。どうして『平家』に知行国が与えられるの?」
俺は肝臓ペーストを皿に移しながら言う。
「寄進地系荘園が増加する一方で、律令の封戸など給与制度が機能しなくなり、上級貴族にも知行制度を認めるようになった。それが寺社にも広がり、例えば東大寺の大仏殿再建費用として朝廷は周防国を知行国として認めてる。
つまり、収入が入ってこなくなった朝廷は荘園を公的に認めると同時に、朝廷に収める租税から分配することを止め、直接必要な経費を租税から差し引くことを認めたんだ。以降、荘園整理令は為されなくなる」
灼は水の張った鍋をコンロに掛けると、いったん調理の手を止めて、
「『平家物語』にもあるわ。近衛河原の御所に戻って来た多子と小侍従は袿や御衣を売りながら生活してたぐらい貧乏になるのよね。完全に捨てられたってわけね」
軽い声の端に困惑を匂わせた。俺は頷き、続ける。
「荘園や国衙領が入り乱れて国司では管理し切れなくなり税収が減る。有力貴族に知行の権利を与え、その家司が受領として赴任することで体面を保つ荘園公領制へと変遷していく。そうなると年期は関係なく永続的に支配するようになった。皇族を優遇した院宮分国制は完全に崩れたわけだな。
しかし、重盛・基盛は保元・平治の乱以来、美福門院派で立身出世した恩を忘れてはいない。反して清盛は美福門院が崩御し勢力に陰りが見えると、待賢門院の子・上西門院に仕え、後白河院の寵愛を受ける平滋子に乗り換えた。
その後『桓武平氏高棟流』平時子に婿入りし、宗盛が産まれる――という話は前にした。この時から清盛✕重盛・基盛という、父子対決の溝がすでにあったのだが、重盛の越前国司の任命権を清盛が取り上げ、平教盛の嫡男・通盛を受領国司に任命したことで更に深くなる」
灼は怪訝な面持ちで訊く。
「えー……っと、どういうこと?」
俺は明るく請け負い、答える。
「つまり、広義的に『平家』と呼ばれる集団には、大まかに保元・平治の乱以前より美福門院派で恩義を忘れない重盛・基盛・頼盛・教盛らの少数派と、滋子の影響下で栄華を誇る清盛を中心として平家政権の栄達しか知らない若い子弟に分かれる。通盛はその典型で『清盛チルドレン』と呼ぶべきだろう。
本来、重盛は受領国司に後白河院とのバランスも考えて藤原季能を任命する予定だった。しかし清盛が強引に通盛を越前守にする。治承三年<1179>重盛が薨去すると中立立場だった維盛は越前知行国主の相続に難色を示す。後白河院はこの機会を利用して、年期を理由に越前知行権を朝廷に返還させた。通説では後白河院の召上げに清盛は憤怒したとあるが、むしろ維盛の弱腰に激怒してたと考える」
「確かに維盛・資盛兄弟は、一時は重盛の嫡子として世間で持て囃された貴公子だもんね。それが父親が亡くなり、高棟流の時子が産んだ宗盛が棟梁となる。この頃から二人の立場が増々危うくなってくのよね」
呑気に言う灼は、沸騰を確認した後に塩を一つまみ入れ、鍋の中にパスタを立てる。手が離れると鍋の縁を滑るように麺が広がった。茹でる湯気の香りが俺の鼻腔をくすぐり、否応なしに増していく食欲を胃袋で感じながら、
「ああ、そうだ。しかし『内助の功』と言うべきか――基盛の娘は藤原季能の妻であり、維盛の正室、建春門院新大納言は、父は清盛に粛清された藤原成親だが、母は藤原俊成の娘・後白河院京極局だ。
前の検証でも言った丹後局と同様、鳥羽で幽閉されてた後白河院の傍に唯一近侍が許されてる。そして資盛の側室は小侍従のマブダチである建礼門院右京大夫。お互いが連携し合ってたと考える。
『百錬抄』では藤原俊盛邸とされ、『玉葉』には子の藤原季能邸と記述されてるが、俺の私見では季能が婿として入った基盛の屋敷――応保二年<1165>に基盛は亡くなっているので基盛の娘が住む――に後白河院が入ったのではと考える。これならば、清盛も文句は言えない」
灼は急に笑って付け加える。
「小侍従を始め、頼朝の元へ派遣した亀の前に坊門姫、殷富門院大輔、建礼門院右京大夫、建春門院新大納言に後白河院京極局。それに丹後局……八条院・暲子内親王。これからも女性達が表舞台に出てくるのでしょ。
平安後期の動乱時代は、見事な甲冑を纏った武者の栄枯盛衰が前面に語られるけど、それと同じくらい女性の合戦絵巻でもあったのね」
灼と同じ思いを感じ、俺は偽りのない実感を口にする。
「源平合戦の激動は『才媛』たちの戦争でもあったんだろうな」
●灼のうんちく
皆様、大変ご無沙汰しております。ご元気でしたでしょうか?
今回は本編で作った『ペポーゾ』について。。。。
この料理の正式名称は『ペポーゾ・アル・インプルネティーナ』。13世紀のフィレンツェで現在世界遺産に指定されてる『サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂』を建築する際に使用する煉瓦を、土質の良いインプルネティーナ地方で焼いてたの。その火を利用して安く手に入る牛すね肉と飲み残した赤ワインで煮込んだのが始まりと言われてるわ。ちなみに建築には140年ほど費やしたというから、一大国家プロジェクトだったのね。
当時、まだトマトを食べる習慣がないことから赤ワインだけ。その後、寒さを凌ぐうえでも、味にパンチを効かせる意味でも黒コショウを粒のまま大量に入れることになるわ。結構ドライな味なのでお酒好きにはたまらないと思うわ。まさに職人さんの為にある『ガッツリ系スタミナ料理』なのね。
次回は歴『メガ』? めろ『メガ』? 皆様はどちらがお好みなのでしょうか?
お楽しみにお待ちくださいませ。