第八十五話:『挙兵』の日
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長く緩やかな坂道の頂上に県立東葛山高校の正門がある。
門を抜けた正面には、山々の半腹を削り取って均したグラウンドが広がり、対面に置く校舎の裏手から、数人ずつ組になった男子が、長さの異なる鉄パイプ、ベニヤ板やビニールシート等をグラウンド隅に建てられた仮設テントへと運んでいた。
作業に当たっているのは、もはや授業はなく終業式まで時間と暇を持て余している三年生のようだ。女子は、まとめられた資材を仕分け、ビニールシートを広げて、大きさに合わせて並べている。少し離れた場所で小さな女子生徒――山科会長が指示を出し、隣に俺たちの部長と四字熟語が立っていた。
俺と灼は玄関ロビーに向かう前に、明るく軽く声をかけに行く。
「部長、今度は何を始めるんだ?」
振り向いた部長が笑って返す。
「お、平良に双月か。決まってるだろ、戦場作りだよ」
継ぐように、
「力戦奮闘。本校始まって以来の生徒会長選挙。そのための壇場を組む」
四字熟語が平淡な声で付け加えた。
言われて視線を移すと、確かに何かのステージを組み上げるための資材が積まれている。俺はなんとなく事態が大袈裟になっていくのではという危惧を抱きながら、
「文化祭の時のようにやり過ぎたら、次期生徒会に恨まれるぞ」
多少の脅しも込めて苦く笑った。しかし部長は機嫌よく、朗らかに声を上げる。
「この場合、恨まれるどころか感謝されるはずだろ。大いに盛り上がる先例を作ってくれてありがとうってな」
「そんな先例、迷惑なだけだわ」
灼はムスッとした顔で言い、見た目の幼さとは異なる押しの強い迫力で会長を鋭く睨む。
「あんたが、また何か企んで二人を嗾けたの?」
「クックック。歴代の生徒会長は信任で決まってたから、選挙運動は未経験なのよ。全く企みようがないわ。だから、あなた達の――実績ある『歴史研究部』の部長に企画と運営をお願いしたのだけど……いけなかったかしら」
気圧されず、余裕の声で返す山梨会長は、不思議そうな顔で首を傾げた。その可愛らしい仕草は、『妖狐』と呼ばれる少女を知る者にとって疑念が増すばかりである。
灼がさらに何かを言いかけた時、授業が始まる予鈴のチャイムが鳴った。
「さあ、一年と二年は短縮授業が始まるぞ。行った、行った」
会長と灼の間に入り込んだ部長が追い払うように手を振る。諦めの溜息を吐いて踵を返す俺は、膨れっ面の灼の手を引き、玄関ロビーへ向かう。
「ちょ、ちょっと平良ァ! あたし、まだ言いたいことがッ」
「どうせ、また後で会うんだ。その時でいいだろ?」
文句を言いつつ、灼は俺に付いてくる。その背中に会長は満面の笑みで見送っていた。
短縮授業といっても学習課程を進行させるものではなく、前日まで行われた期末試験の答案返却だ。いわば冬休み前の最終関門、審判の時である。
受け取った答案の評価次第で、ある生徒は地獄の淵を覗いたように愕然とし、またある生徒は発車間際の電車に飛び乗ったような安堵の笑みを漏らしていた。
初日は簡単な採点の感想と解答合わせで終業し、終礼も略式で済ませた担任教師はさっさと教室を出て行く。正規時間前の放課後は遊び盛りな高校生にとって最高のひと時であり、先程の悲鳴と安堵が飛び交っていた教室と一変して、ご機嫌の生徒たちが堰切るように次々と去っていった。
細かい点数はともかくとして、概ね元から積み上げてきた学力に見合った成果に満足した俺は文具類をカバンに収め、教室を後にする。
出た先、
「あ、やっと来たわね」
廊下の窓際に凭れていた灼は、軽く跳ねて年相応以下の幼さで笑う。俺は軽く灼の頭を撫で、『歴史研究部』へと足を向けた。灼も歩を合わせて並んで、
「飯塚先輩も結衣先輩も駆り出されたらしいわよ」
「そっか。動ける三年は『赤紙召集』なんだな」
俺は窓の外に目をやる。校舎の前面に広がるグラウンド、ステージを組み上げるための資材が次々と運び込まれ、三年生たちがジャッキや支持架台を揃えて設営の準備をしていた。遠めに見ても大変そうな雰囲気に内心頭が下がる。
思う内に渡り廊下を抜けて、校舎と校舎の隙間にある裏庭に出た。手入れは申し訳程度で、枯葉が側溝を埋めている。俺と灼は白けた芝の上に舞う枯葉を踏みしだき、校内で一番老朽化が激しい部室棟へと向かった。
「申し訳ないが、選挙準備は先輩たちに任せよう。俺は演説文を考えなければならないが……」
言葉の意味を感じた灼が不敵に微笑んで、
「あんたの応援演説はあたしに任せてちょうだい。最高のものにするわ」
軽く言い置き、俺の腕に自分の腕を絡ませた。無邪気な笑顔に引け目を感じた俺は、再び灼の頭に手を添える。
「お前には、いつも……すまん」
灼は首を横に振り、
「あたしは、あんたと一緒にいたいの。それだけ……」
はにかんで僅かに俯むくや、乱暴に俺の手を引く。
「と、いうわけで、あんたは応援してくれる皆のために頑張らないとねッ」
強く冷たい冬の風の受け、灼は押し出しの強さだけでなく、幼さを隠しきれない笑顔で振り向いた。
『歴史研究部』と表札が掲げられた扉のノブを回そうとした灼は、不自然な動きで俺と顔を見合わせた。部屋の中からくぐもった声が響いている。覚悟を決めて、大きな栗色の瞳に闘気を込めて、
「誰ッ!」
勢いよく扉を開けた灼の誰何に、三人の少女がTシャツを広げたまま、それぞれ罪のない笑みを浮かべて、こちらを見た。
「あ、谷と双月。遅かったじゃん」
新庄の無邪気な言い様に、俺は灼に視線を向けて思わず笑ってしまった。
「『賊』ではなかったようだな」
笑われて、灼の力に満ちた闘気が萎んでいく。その様子に、残り二人の少女――尾崎と有元花散里がこっそり小さく噴き出した。
「な、なによォ! 勝手に鍵が開いてるし……もしかしたら高橋や藤川の嫌がらせとか思うじゃんッ」
むくれた灼に何ということもなく、尾崎が笑って答える。
「選挙運動に使う幟やTシャツが届いたんで、ブチョーさんに鍵を借りたんスよ。そ、れ、よ、りもォーッ」
浮かれてはしゃぐ尾崎は、スレンダーな体躯にモトクロスウェアを纏った上から薄桃色のTシャツを胸にかざす。
「こっちが平良君陣営の色っス。さっきから先輩たちと可愛いって言ってたッス」
その声に、明るい笑いが周囲に沸き、灼もつられて、まんざらでもない手つきでTシャツを広げていた。俺は半ば呆れて部室内を見渡す。色は薄い水色と桃色の二色だ。俺が桃色ならば、もう一方は富樫ということだろう。サイズの異なるTシャツがテーブルの上に重ねられ、幟は数本壁に掛けてあった。
「富樫側には『八曜紋』がプリントされてるところから、加賀の守護大名・冨樫氏から取ったのかな……。まあ、部長のやりそうなことだ。しかし、俺の方はなんで顔文字の泣き顔みたいなマークなんだ?」
当然の疑問に、少女三人は興味なさげに首を傾げた。暫しと言うには短い時間だが、「あッ」と有元が声を上げる。
「そう言えば、四字熟語さんがこれを持ってきた時、歴史上有名な谷家の家紋がないから、イニシャルにしたって言ってたわ。でも、まあ……『TT』って笑えてカワイイと思うよ」
「そうッスよ。戦国大名のよく分からない家紋より、平良君のイニシャルの方が断然良いッス。庶民バンザイッスよ」
俺の渋い顔に、笑いが更に弾けた。そんな愛嬌を、
「た、たた……谷家は丹波国・山家藩一万六千石の大名よッ! 明治になって子爵となった由緒正しい家なんだからッ」
灼が気恥ずかしさを抑えて、強い迫力で否定する。この場にいる全員の視線を集めて、灼は可憐で幼い容貌をますます赤らめた。
「カレシを庇うだなんて、健気な双月ちゃんだけど……そうなの?」
訊いてくる有元に、
「……まあ、分家らしいけどな」
俺は頭を掻いて苦笑した。甲斐のない俺を見て、新庄が肩を竦める。
「らしいって、『自分のルーツ』も歴史じゃないの? ともあれ、あんたの応援であたしたちが着るのよ。あんなのだったら、絶対に嫌だし」
あんなの、という富樫チームの家紋入りTシャツを指差し、自分が手にした桃色Tシャツをスポーツバッグに突っ込んだ。
「そ、そうかな……。俺的には――」
――カッコイイと思うけどな――という言葉を口の中で弄る俺を無視して、
「あたし、そろそろ部活だから行くわ。谷も双月に恥かかせないように堂々と『出陣』してよね」
去り行こうとする気配に、尾崎と有元も反応する。
「あたしもサーキットに用事があったッス」
「このTシャツ、うちの部員にも配るんで、もらってくわ。じゃあ、双月ちゃん頑張ってね」
最後に退室していく有元が、何に対してなのか意地悪く笑って見せた。
今回は若干『めろ。』要素のみで申し訳ございません。
次回の『歴』は、いよいよ……です。どうぞお楽しみ下さいませ。。。。