第八十二話:『時代』は交う~検証㉙~
ご無沙汰しております。
いよいよ夏らしくなってきましたね。
しかし、今年も夏祭りは実施されないようです。。。。とても残念です。
※※ 82 ※※
冬の夕暮れは早い。校門から緩やかに下る坂道から県道に交わり大橋へと至ると、橋の街灯、橋台から延びる桁とメインケーブルに沿って、クリスマスのイルミネーションが色とりどりの光を振りまいていた。俺と灼は橋下を潜り、冷たくなった空気の下、白い吐息を漏らしつつ湖畔の遊歩道を二人並んで歩いていた。
二人だけの 試行錯誤、お互い考えが定まらず妥協を探す――そして、歴史について語るとき、手賀沼の景色に感慨を覚えながら、時には座り、あるいは立ち止まって語り合うのが暗黙の了解となっていた。
「永万元年<1165>後白河院の第一皇子・二条天皇が崩御されると、桓武平氏高棟流――『平家』である建春門院平滋子が生んだ第七皇子・憲仁親王が高倉天皇として即位する、という話までだったな」
切り出した俺の言葉に、灼が同意の気配を示して頷く。
「うん。もはや美福門院も二条天皇もいなくなって、かつての栄光も完全に翳った『二代の后』多子の庇護下にあった第三皇子・以仁王は帝位に昇れなかった……ってところだわ」
灼が笑って俺を見た。そのまま何気なく続ける。
「建春門院平 滋子は、もともと上西門院統子内親王の女房として仕えていた。やがて、その美貌が後白河院の目に留まり、寵愛を受け入内するが、当時の 滋子は身分の低いために女御にはなれなかった。
永万元年<1165>二条帝が崩御し、僅か1歳の六条天皇が即位すると、『二代の后』多子の叔母である徳大寺育子が『母后』を公称することとなる。
もともと六条天皇の生母は諸説あるが、徳大寺家の家司であった伊岐氏の女であったとされてる。つまり身分が低いので主家が養母となったわけだ」
灼が慨歎を含めて、
「ふーん。頼朝の母・由良御前も上西門院の女房だったし、平 滋子と同僚だったのね。それにしても赤ん坊の天皇を立てるだなんて傾国の予感しかしないわ。そんなに元美福門院派は切羽詰まってたの?」
局勢の不分明さに疑問を呈した。
「この頃、俄かに平家一門の政治活動が活発になってた。政務は育子の養父の子、摂政・近衛基実が仕切ってたが、病死すると事態は一変する。
仁安元年<1166>平家一門の念願であった憲仁親王の立太子が実現すると、仁安三年<1168>清盛と滋子は、後白河院を通じて僅か3歳の六条天皇を譲位させ、6歳の憲仁親王が践祚して高倉天皇となった。滋子も皇太后となり、ここから平家一門の繁栄が始まる」
導き出した無情な成り行きに、灼は深く溜息を吐いた。
「鳥羽院の治世では、待賢門院と美福門院が対立し、身分の低い美福門院が栄華を勝ち取った。その後は幼帝を立て合って美福門院派閥の『二代の后』が没落し、再び身分の低い平 滋子が国母となって平家が栄華を極める。平家が滅びた後は――『盛者必衰』とはよく言ったものよね」
俺も寂しさを自分の身に感じて、思わず返す。
「まあ……政治闘争は今も昔も変わらないな。民主主義はこのサイクルを能動的にしたものだ。しかし――」
「この時局を乗り切ろうとするプリティ・ウーマンがいる――それが、小侍従ね」
確かに歴史は変化の繰り返しだ。しかし時代の変化は後世から見た判断であり、当事者にとって大した変化ではないのかもしれない。だが確実に小さな発見が積もり重なり未来を生み出していく。灼は変化という言葉を意識することで、新たな事実を拾い上げていた。
「ああ。これは俺の私見だ。小侍従は『二代の后』のもとを離れ、治承三年<1179>に出家するまで『平家』高倉天皇のもとへ出仕してる。恐らくマブダチの建礼門院右京大夫に平 滋子へ渡りを付けてもらったのだと思う」
「小侍従は裏切った……わけではないのよね。謀の大好きな女だもん。でもそう簡単に転職出来ちゃうもんなの?」
灼の確認に、俺は少し考えて先に進む。
「『菅原家』のブランドは相変わらずトップクラスだ。絶対に手に入れたい逸材だろう。ましてや、清盛は保元・平治の乱で小侍従の実力をよく知ってるはずだ。しかし、それ以上に警戒されるだろう。そこで小侍従は中枢に潜り込むための策を練った」
「へえ……どんな?」
灼は関心の色を見せて、思うままに訊く。俺は頷き、
「歌を軽く千首ほど作ってしまうくらい、早詠みで多作家『千首大輔』の異名を持つ殷富門院大輔にも協力を仰いだ。
この女性は小侍従と同じで『女房三十六歌仙』に選ばれた才女だ」
軽やかに言うと、灼は思い出したように手鼓を打つ。
「鴨長明が『無名抄』で『近く女歌よみの上手』として二人の女性を挙げてたって……小侍従ともう一人の方ねッ」
喜びを声で示す灼を、俺はクスリと笑う。
「その通りだ。鴨長明の師である俊恵が主催する『歌林苑』――当時最大の歌詠みサロンで寂蓮・西行・源頼政や藤原定家等がいるメンバーの一人だ。
殷富門院大輔は、若い頃から晩年まで後白河院の第一皇女である殷富門院・亮子内親王に出仕していて、亮子内親王には同母弟妹に以仁王や式子内親王がいる。
旗色は元美福門院派とはっきりしてるけど、とにかく社交界では活動的で、永暦元年<1160>の太皇太后宮――『二代の后』多子――大進清輔歌合を始め、陣営、派閥関係なく多くの歌合に参加してる。当然のことだが、身分の高い殿上人たちと面識がある。
もうひとつ重要なのは、殷富門院大輔の母は菅原在良の娘であり、小侍従は従姉にあたる」
灼はやっぱりという思いで感想を吐く。
「それだけ、強いコネがあれば、高倉天皇の女房に抜擢されるわ。ここで得た情報が古巣の『二代の后』を通じて徳大寺家へ、そして三善康信を通じて伊豆の源頼朝のもとへ情報が送られてたわけね」
「そういうことだ」
はっきりと言う灼に、俺はあっさりと認めた。だが全てを肯定したわけではない、そんな気配を灼は感じ取って、
「『曽我物語』の記載では仁安二年<1167>頃というから、ちょうど京では小侍従が転職の準備をしてた時ぐらいかしら……源頼朝は最愛の長男『千鶴丸』を伊東祐親に殺されて、惆悵として北条時政邸に逃げるのよね。これって小侍従にとって予想外の出来事に違いないわ。だから『亀の前』を派遣するのよね」
頼朝が失った温かさ、抱く心が変化していく寂しさと寒さの落差を痛感する。
「寒……」
思わず灼は漏らして、マフラーに首を埋める。何気なく灼が俺に寄り添う。
「雪でも降るのかな……まだまだ寒くなりそうだ。早く帰って温まろう」
俺は顔を真っ赤にして僅かな躊躇、顔を逸らすついでに、ぎこちなく灼の肩を抱いた。
「うん」
指先が触れるか、触れまいか。それでも灼は、寒さの中にある温かさを感じて微笑んだ。
●山科会長のうんちく
皆様、こんにちは。
私もついに引退して一安心です。後は谷君と双月さんにお任せしましょう。。。。
今回は殷富門院大輔。小侍従同様、二人は『菅原家』出身で、当時の知識階層の上位に位置するわ。しかも、二人とも当世『女房三十六歌仙』にランキングされているのですものね。『菅原家』ブランド健在ね。
当然ながら二人はとても仲が良いです。以前、谷君が言ってたけれど、歴史上同族争いが絶えない中、『菅原家』はとても仲良しで、結束力が固いです。やはり学問の家柄だからでしょうか。
『殷富門院大輔集』によると、
『……九月十三夜、人々具して小侍従のもとへ行きたるに、おはしまさずといふに、またそこへ訪ねゆきて……』
小侍従と約束もつけずに、殿上人をぞろぞろ連れて突然訪ねて来たり、小侍従に夜通しの耐久(?)連歌を持ち掛けたりと、とにかくアクティブな女性だったらしいわね。
小侍従からすれば、元気あり余る妹分ってところかしらね。
晩年は歌枕や史跡、お寺巡り等、とにかく留まることがなかったようだわ。
現在でもいるわ……のべつ幕無し、海外旅行や温泉に出かけて、家にいないおばあちゃん。。。。
次回も『歴』と『めろ。』続きます。ご期待ください。。。。。