第七十二話:『成り上がる』武士~検証㉔~
いつも拙作を読んで頂き、誠にありがとうございます。
世間では緊急事態宣言の解除についてリバウンドが懸念されているようですが、
皆様もお身体には十分に気をつけてくださいませ。
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見るともなしに見た窓の外は、当然のように黒色。視界を巡らし時間を確かめると、もうすぐ日にちを跨ぐようだった。
「灼。そろそろ寝るか? まあ、明日は休日だけど……」
数秒、僅かな時間を置いて、
「いいわ。このままだと中途半端だし、続けましょう」
灼が俺に笑いかけた。その満面の笑顔に今さら意識することではないが、先程のこともあり、思わず俺の身体が強張る。
「そ……そ、そうか。じゃあ続けるか」
灼も深く追及せずに頷いた。
「先ほどは『源氏』側から話したが、今度は『平氏』側だ。
平将門を討った平貞盛は国司を歴任し、鎮守府将軍を経て永祚元年<989>に死去すると、子の維衡と孫の正度は伊勢国内で同族の平致頼と領地の奪い合いを始める」
今度は意地悪く笑う灼。その笑顔を辟易とした色に変え、
「ここでも同族争いが始まるのね。確か前にあんたが藤原行成の日記『権記』に記されてるって言ったわ。以後、維衡の流れが『伊勢平氏』の祖になるわけね」
と先を見抜いて質問をした。
「そうだ。伊勢国司と共に維衡と致頼の両名に出頭命令の宣旨が下りると、すぐさま維衡は非を認めて怠状――つまり反省文を提出するが、致頼は渋った。結果、維衡は赦されて致頼は流罪となる」
俺はミルクティーを啜って続ける。
「まあ、お前の言う通り維衡が『伊勢平氏』の祖となるわけだが……清盛の祖父・平正盛の代で大きく変わる」
灼は少し考え、自分の知っていることを、できる形にして示した。
「平正盛って、白河院に荘園を寄進して、院の直属軍である北面武士になるのよね」
「正盛は朝廷ではなく、独裁者の白河院に近づくことで勢力を拡大しようとする。そして同じ方法で院に近づく『源氏』がいた。源義家の嫡子、義忠だ」
「ちょ、ちょっとッ。義忠って暗殺されたって言ってなかった? まさか平氏が犯人の黒幕!?」
ごく自然に驚く灼に俺は向き直った。
「むしろ逆だな。正盛と義忠は検非違使の同僚で仲が良かった。特に義忠は『源平融和』の方針を取り、年配の正盛を立てて、娘を妻に娶ってる。さらには忠盛の烏帽子親にもなり『忠』の字を与えた。だが――」
灼は絶望を嘆息に変え、
「ここでまた同族の『源氏』が足を引っ張るのね」
言ってから、俺と向き合った。
「坂東平氏だけでなく伊勢平氏も取り込んでいく義忠の権勢に、叔父の新羅三郎と呼ばれた源義光を筆頭とする『源氏』一門の中で不満が広がる。
そして義忠の暗殺をきっかけに、不信と疑惑の中で『源氏』同士の争いが続き、後に源為義が平定したものの、家人同士の争いが坂東まで波及するという話はさっきしたと思う」
苦笑に満ちた灼は、ふと俺の表現に違和感を覚えた。
「あたし、勝手に『源氏』はどーしようもない集団だと思ってたけど、義家の弟である新羅三郎と呼ばれた源義光は特に武田家や小笠原家・南部家・佐竹家といった名門を生むくらい有能な武士だったわ。これってつまり――」
「ああ。俺の私見ではあるが、正盛と同世代を生きた菅原在良の策だと思う」
灼は諦めに似た表情を露わにする。
「頼義・義家の代で乗っ取られた坂東平氏を取り戻すために、伊勢平氏を使って『源氏』を内部分裂させたってことかしら。まさか義忠の暗殺も……」
俺は首を振って、灼の言葉を切る。
「源義光は有能な武士ではあったが義家の没後、『尊卑分脈』に同族争いの一連は義光が黒幕だったと記述してるように、独占欲と権力志向の強さが目立ってくる。ただ『源氏』の結束を長引かせ、坂東の小火を大火事まで持っていったのは菅原在良だろう。
実際、源頼義・義家父子に臣従したが、坂東平氏の中に不満の燻りはあったようだ。千葉常胤は『相馬御厨』という寄進系荘園の件で、源義朝に対し『御恩』に報いる価値はないと明言してるほどだ。そして不満の燻りが燃え上がるのは頼朝の死後だと俺は考える」
灼はゆっくり首を回して、強張った肩をほぐした。両手を後ろに置き、ささやかな胸を反らして天井を仰ぎ、おれに視線だけを送る。
「まあ……頼朝自身や『源氏』の威光で、坂東平氏を付き従えてたわけではないことはわかってたけど。やっぱり土地問題?」
向けられた視線に俺は同意の色を見せた。
「長元九年<1036>相模守として再び坂東へ下向した源頼義は、長元元年<1028>忠常の乱によって無法地帯になってた坂東を、これを機に圧状――つまり無条件で領地を差し出して臣従する契約書――みたいなものを国人たちに出させる。
しかし、この後に起きる『前九年・後三年の役』で活躍した坂東平氏に頼義・義家は私財を投げて多くの恩賞を与えた。坂東平氏にとって『源氏』はギブ・アンド・テイクの相手だったということだ。だがこの圧状が後で問題になる」
「……あんたがさっき言った千葉常胤と源義朝の件ね。つまり、義朝が強引に坂東を平定したけど、やり口が悪辣だったので朝廷に認められなかったというのは、この圧状をヤクザのように振りかざしたってわけね」
即答を受けた俺は、感嘆だけではない喜びで笑う。
「流石だな。しかし何度も言うがあくまで俺の私見だ。一方の伊勢平氏は、この時期『荘園整理』が全く行われなかったので爆発的に増えた鳥羽院の荘官として管理を任されるようになる。
また、直属軍武士として正盛から忠盛の代となり、院の『肥前国神埼荘』を預かると、院宣と称して大宰府の臨検を排除し『日宋貿易』で巨利を得る。
やがて飛躍的に勢力が伸びていく伊勢平氏は清盛の代へと移るわけだが――灼。ちなみに『平氏』と『平家』の違いは何だと思う」
「え? え、え……と。単なる呼び方の違い? でも、あんたがわざわざ言うんだから理由があるのね」
灼は思案気に首を傾げた。ふと考えて、訊いてくる。
「『平家物語』や『平家の落人』とか言うくらいだから、清盛一門が『平家』でそれ以外は『平氏』という感じかしら」
普段から一緒に『歴史検証』を進めているだけに、その見識は鋭い。心中、灼に賞賛を送りながら満足のいく声音で答える。
「そうだな。通説ではそうなってる。平時忠の有名な言葉で『平家にあらずんば人にあらず』とあるが、平家物語では『……平大納言時忠卿の宣たまひけるは「此一門にあらざらむ人は皆人非人なるべし」……』と微妙に異なる。
しかし、この差異に伊勢平氏を『平家』として権門まで出世させた理由が隠されてる」
俺の言葉に、灼は自然と頷いていた。
「平清盛の出自は色々な説があるが、白河院の寵愛を受けてる祇園女御が後見役だったということが大きく影響してると思う。とにかく清盛の出世は当時の公卿も驚かせるくらい異常だったようだ」
「清盛の実父は白河法皇であるという落胤説もあるくらいだわ。色んな意味で注目されてたのね」
なんとなく納得している風な声で灼が解説を入れた。そのことに密かな満足を得た俺はミルクティーを啜る。
「ここからが俺の私見だ。確かに注目度抜群の清盛はそれでも武士の出だ。正室も下級貴族である高階基章の娘を娶り、嫡男の重盛・次男の基盛が生まれる。兄弟の仲は良く保元・平治の乱では父・清盛を助けて奮闘した。
しかし時期と死因は不明だが、高階基章の娘と死別した清盛は後妻の平時子を迎えたことで大きな変化が起きる」
灼は怪訝な顔を作った。
「死因不明? 後添い? どういうこと?」
俺は灼の質問には答えず、その先を口にする。
「平時子は、さっき言った平大納言時忠の姉で桓武平氏高棟王流・平時信の娘だ。高棟王は葛原親王の長男で臣籍降下後は『公卿平氏』と呼ばれる。式子内親王の話で『日記の家』とも称されるほど代々の日記が残ってると言ったと思う。
つまり、清盛は葛原親王の第三王子・高望王流の傍流平氏から、嫡流の『平家』 に婿入りすることで公卿への出世コースに乗ったということだ」
いまいち釈然としない顔で、しかし単刀直入に訊いてきた。
「平時忠が言った有名なセリフ……『平家』と『此一門』の意味がよく分かったわ。清盛は出世のために妻を選んだ可能性があるということね」
灼の抱く疑念と怒りに対し深い追究を避け、ただ史実の検証に留めておく。
「時子は宗盛、知盛、そして徳子と生むと、先妻の長男・重盛、次男・基盛との対立が芽生える。
基盛は早世し、重盛も徐々に平家一門から孤立していき病没する」
ついでに浮かんだ不愉快な気持ちを、灼は残ったミルクティーと一緒に呷った。
●平良のうんちく
平正盛と菅原在良の間に、何らかの軍事面のサポートがあったのではと俺は考えます。
前九年・後三年の役で活躍した剛勇の武士『悪対馬守』と呼ばれた源義親が反乱を起こした時、当初父の義家に討伐の命が下りますが、死去してしまい子の義忠に義親討伐の命が下ります。しかし躊躇したため、舅の正盛が代わりに討伐に向かいます。
しかし武勇については無名の正盛が、天仁元年<1108>剛勇の士の義親を討ち、あっけなく乱を鎮圧してしまいます。誰もがその事実を信じず、その後も義親を名乗る人物が後を絶たなかったそうです。
『中右記』天仁元年<1108>一月二十九条:今日但馬守正盛、身に源義親の首を携えて入洛す。……
正盛が義親の首を下げて帰京したので都中が大騒ぎになったそうです。白河法皇も朗報に喜んで異例の論功行賞をしたということです。
実際、どのような戦だったのか全く不明ですが、討伐の背景に菅原在良の作戦が当たり、勇名を馳せた義親は武功の少ない正盛に討たれたのではと思います。
あくまでも私見なので信憑性は乏しいですが。。。。
いずれにしろ、伊勢平氏はその事件により勢力を拡大していくのでした。