第七十話:集まった『13人』~検証㉒~
いつも拙作を読んで頂きありがとうございます。
二月も終わろうとしてます。。。。
今年は花見を楽しむことが出来るのでしょうか。
関東四県の緊急事態宣言は来週検討するようですが、慎重な判断をお願いしたいですね。
皆様もご自愛くださいませ。
※※ 70 ※※
俺は乱れたベッドを整え、床に散らばっていた歴史書をまとめて端へ寄せる。
「何を今さら。わざとらしく片づけなくても良いわよ」
ドアの前でミルクティーのカップを二つ持った灼が、呆れ顔で立っていた。ようやく雑誌をベッドの下へ押し込むと二人分が座れる場所が出来た。
「今度、あんたの部屋を掃除してあげようか」
積み上げられた歴史書の中からカエルのクッションを発掘すると床に敷き、その上にポフンッと座る。その際、本が雪崩れてしまったがお構いなしだ。
「せっかく整理したのに……。俺にとってはこの方が便利なんだ」
散らばった本を集め、ぶつぶつ文句を言いつつも微妙によそよそしい俺の態度から、灼は伏目がちにベッドの下を睨む。
「変な本とか、隠してたり……してないわよね?」
「な、なな……何を言ってるんだッ! そんなものあるわけないだろ」
俺は慌てて積み直し、精一杯の声で、しかし勢いは尻窄みで反抗する。
「ふ~ん……。まあ、いいわ」
半信半疑の目つきで、灼は積まれた本から『吾妻鏡』を拾い上げた。
「あんた、以前に『吾妻鏡』は北条家を正当化するため、鎌倉時代に成立した歴史書って言ったわよね。それって清和源氏嫡流を絶やしてまで政権を奪った平氏だから?」
俺は落ち着きと冷静な判断を取り戻すために、ティーカップを傾けた。
「世間では確かにその説は有力だな。しかし俺の私見は異なる」
「と、いうと?」
灼もミルクティーの美味しさを楽しむだけでなく、笑顔で俺が継ぐ言葉を待つ。
「『吾妻鏡』は幕府が朝廷の裏工作によって成立したのではなく、平将門以来、平氏の宿願だった『北条家』によって――つまり、武士の力によって朝廷から勝ち取った政権であるという証を記すべき書物だからだ」
灼は思わず絶句した。しかし、声だけは穏やかに追及を続ける。
「……『源氏』や『平氏』といった立場はあまり重要ではないということね。じゃあ具体的には承久三年<1221>に起きた『承久の乱』を正当化するってこと?」
「まあ、ピンポイントで『承久の乱』に絞ってはないが……歴史上のターニングポイントには違いないな。
ともあれ、編纂された記述内容は治承四年<1180>以仁王の令旨が伊豆の北条館に届くところから始まり、文永三年<1266>六代将軍・宗尊親王が京都に到着して将軍を辞官するところで終わる。つまり、幕府の黎明期から得宗体制が盤石になるまで、ということだ」
俺は、灼の表情に残る落胆を察し、斬鬼の念で補足した。
「確かに『平家物語』や『源平盛衰記』に記述されてる内容は『吾妻鏡』にもあるし、同じ平氏同士――『平清盛』一門と何故戦ったのかという疑問も残る。異なる視点の部分は源頼朝のところで詳しく説明する。
先ずは――『大江家』が清和源氏に近寄って、ライバルの『菅原家』を圧迫しつつ、鎌倉幕府の中枢まで入り込んだ、という話はしたな?」
「うん。大江広元の話だったわ」
灼の言葉に、俺は強く頷き、
「実は、もともと『中原広元』という名で、後に『大江家』の養子となり改姓する。そして『中原家』と『菅原家』は仲が良い」
と、困った風に笑った。もはや観念した顔で灼は大きく嘆息する。
「……やっぱり、『菅原家』が絡んでくるのね」
「まあ、そこが出発点だからな」
俺は頭を掻いて苦笑し、そして何気なく『歴史検証』の概略で返した。
「今後の内容は朝廷側である『菅原家』の暗躍と誤算、それから『平氏』の台頭と武士による荘園支配だ。――いよいよ終盤だな」
俺と灼の前にはミルクティーのカップが二つ。そこに俺は一枚の紙を床に置いた。
「これって源頼朝の死後に発足した合議制のメンバー……13人よね?」
「ああ。ちなみにそれぞれの出自を見てみろ」
灼がそれを覗き込む。
大江広元……もとは中原広元。
三善康信……醍醐天皇の時代に三善清行が菅原道真に諫言の手紙を送る。
中原親能……実父は藤原北家御子左流参議・藤原光能。弟に大江広元。
二階堂行政……別当・大江広元の下にいた召人。
梶原景時……桓武平氏・平良文<将門に味方した叔父>流。
足立遠元……足立郡司であった武蔵武芝の子孫。菅原家は武芝の外孫。足立遠元の娘が藤原光能に嫁ぐ。
安達盛長……藤原氏魚名流。出家して蓮西と名乗る。魚名流は秀郷流藤原氏の祖。
八田知家……下野宇都宮家で中原氏の流れを汲む。
比企能員……藤原北家秀郷流。
北条時政……桓武平氏高望流の平直方の子孫。
北条義時……鎌倉幕府の第2代執権。
三浦義澄……桓武平氏良文流。
和田義盛……桓武平氏・三浦家の庶流。
「どうだ? これだけでも鎌倉幕府の内情を垣間見れるだろ」
「まあ……ね。それにしても極端に言えば……事務方は『菅原家』の所縁で、武士は『桓武平氏』なのね。ずいぶんハッキリしてるわ」
戸惑う灼に、俺はミルクティーを啜って追い打ちをかける。
「藤原北家魚名流は藤原魚名を祖とし、父親は藤原北家の祖となる藤原房前だ。祖父は藤原不比等だな。
当初、藤原北家で唯一の公卿だった藤原魚名は左大臣まで登るが、突如、太宰府へ左遷されてから魚名流は落ちぶれていく。代わりに兄の藤原真楯の孫である藤原冬嗣の流れが将来の藤原氏を作り上げてくことになる」
「その魚名流と『菅原家』が関係を持つのね?」
灼は戸惑いを突き抜けて、もはや嫌味半ばで笑った。
「延喜十三年<913>魚名流の藤原在衡は22歳で文章生となる。安和二年<969>安和の変後、78歳にして右大臣へと昇った。
私見だが、恐らく及第するために『菅家廊下』で勉強してたのだろう。その方が晩年に催した『尚歯会』――今でいう学会みたいな有識者会合の説明が付く。七名の出席者ほぼ全員が『菅家廊下』出身者だ。ちなみに――」
灼はウンザリ顔で言葉の先を継ぐ。
「その七名に『中原家』が入ってた、ってことでしょ」
「まあ、そうだな」
思わず俺は苦笑が漏れた。つられて小さく笑う灼は突如、別の色味に疑念を混ぜて幼い顔を曇らせる。
「鎌倉幕府によって全国の荘園に『地頭』と『守護』を設置するという施策は、本来は大江広元の考えでも『中原家』の考えでもない可能性があるってことかしら?」
俺はよろしい、とばかりに大きく頷き、灼の小さな頭を撫でた。
「そうだ。かつて菅原道真が高望王に国司としての職分をレクチャーしたように、累代『式部大輔』を勤めてきた『菅原家』は地方行政のエキスパートだ。次はその辺りから源頼朝の話も含めて話していく」
「む……それ、なんかエラソーで嫌」
灼は応えて、少し頬を膨らませた。
●灼のうんちく
鎌倉幕府の13人。。。。
この人たちの出自や関係性について、実ははっきりとは分かっておらず諸説あります。
例えば三善康信は漢族系三善氏の流れを汲み、紀伝道を世襲した百済系三善氏とは別流で醍醐天皇の時代の三善清行とは繋がりがないとも言われてますが、三善氏の血縁関係には不明な点が多くあるようです。
関係性と言えば。。。。
安和二年<969>に起きた安和の変の10日前。
藤原在衡は自ら所有する粟田山荘に学者や文人を招きました。
招待客は『菅原文時』『橘好古』『高階良臣』『菅原雅規』『中原有象』『橘雅文』だったようです。
『橘好古』の祖父『橘広相』は道真の父・是善のもと『菅家廊下』で学び、道真の同僚でもあります。また広相が起草した藤原基経を関白に任じる詔勅に「阿衡に任ず」との文字が問題となった『阿衡事件』を解決したのは道真でした。菅原文時も雅規も道真の長男・高視の子供です。
この7人はよほど深い絆があったのでしょうね。。。。