第六十三話:『朝廷』と『武士』と外れた世界~検証⑱~
皆様、大変ご無沙汰致しております。
世間ではコロナの影響で健康も含め、経済活動にも未だに支障をきたしています。
どうぞ、苦しい状況下ですがご自愛くださいませ。
私も少し私生活が落ち着きを見せて来ましたので、少しずつですが更新を重ねていきたいと思います。
今後とも拙作をお楽しみ頂ければ嬉しいです。
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「『貞信公抄』天慶二<939>年二月十二日条で忠平自らが将門自身に下問したという話はした。さらに『貞信公抄』には、天慶二年<939>三月二十五日付で、謀反の実否を問う手紙が……『御教書』というが、将門のもとに届いたのは三月二十八日とある」
俺は厳かに言うつもりはないが、工夫のない率直すぎる一言に、灼も会長も言葉を見つけられないでいた。経基の告訴について一様に思うところがあったからだ。
その苦渋の沈黙を保ったまま、俺は僅かに得た時間を使い、そうして考えを整理してから、
「源経基と朝廷との関係だが……」
おもむろに口を開くと、灼が言葉を切った。
「源護と平氏の内乱から、坂東全体の内乱。忠平は直接将門に下問したわけね。ところが将門よりも先に経基から『内乱の元凶は将門にあり』って訴えが出てくる。再び忠平が事の真相を確かめるため、手紙を出すわけだけど……平安末期に京から坂東まで三日で届けるだなんて相当なもんよ。幾ら源氏とはいえ、官位の低い者の告訴を簡単に取り上げるものなの?」
と、そういう言う灼の小さな頭に優しく手のひらを被せた。
「経基の告訴を実際に太政官へ持ち込んだのは左大臣である『藤原仲平』だが、渡りを付けたのは『源兼忠』だ。ちなみに経基は清和天皇の第六皇子、貞純親王の子であるが、兼忠は第三皇子、貞元親王の子で、さらに氏爵によって従五位下に叙されてる」
「氏爵って?」
灼は少し照れくさそうに俺の手を払いながら軽く返す。大きな栗色の瞳を眇めて睨む灼に、俺は「はは」っと笑い、頭を掻きながら答えた。
「宮中で毎年正月に行われる叙位に際し、皇玄孫までの諸王の中と、藤原氏や源氏、橘氏……四氏の氏長者の推挙により叙位されることだ。まあ、氏が複数の家に分立していく中で、氏爵の制度はそれらの家を繋ぎ止め、氏長者の下に結集させる役割もあったが、何より家中で氏爵された者の影響力は絶大だ」
「だから経基は兼忠を頼ったのね」
反対側から少し前屈みで会長が覗き込んできた。俺は大きく頷く。
「源氏と言えば、現代では源頼朝と『清和源氏』が代表格だが、もともと源氏の中では格下だったんだ。本来源氏の長者は代々嵯峨源氏が継承するもので、安和の変<969>で失脚したが、一時期藤原氏よりも権勢を誇った醍醐源氏・源高明の時でさえ、官位の低い嵯峨源氏の源等が氏長者だった。で、ここで思い出してほしい」
灼は見当違いでないことを、顔色に示し言う。
「将門を陥れた源護は、嵯峨源氏の武蔵権介・源宛と同族で、嵯峨源氏は藤原時平とグルだったわ。……と、いうことは経基の坂東下りも政治的な意図があった? むしろ黒幕がいた?」
思考するときの、いつも癖。
小さな朱唇に細い人差し指を添え、灼はまさか、と思う。しかしハッキリと明言できる程度の自信があった。
「菅原道真の左遷もそうだったように、今度は将門の謀反を巡って、実は時平と忠平の政争は続いてたということねッ」
と、断固たる一言を堂々と気合いを入れて言った。しかし、俺は苦笑を交えて訂正を加える。
「すでに時平は延喜九年<909>、39歳で死去してる。次第に時平の後裔は没落していくが、忠平にはもう一人厄介な兄がいた」
「それが、太政官に告訴を持ち込んだという藤原仲平ってわけね」
灼の鋭い声を聞いて、会長が突如、憂鬱の凝った声を漏らす。
「藤原仲平には恋仲の『伊勢』という女性がいたわ。百人一首にもある歌……。
『難波潟短き葦の節の間も逢はでこの世を過ぐしてよとや』
『新古今集』恋・一に収めれた歌で『題しらず』とあるけど、家集の『伊勢集』には『秋の頃うたてなる人の物言ひけるに』と詞書があるわ。
二人は若い頃から愛し合っていたが、仲平は権門の流れで伊勢は一介の受領国司の娘。仲平は徐々に出世していくと大臣の姫と結婚してしまった。心変わりをしたつれない恋人への返歌よ。意味は『難波潟に茂ってる芦の短い節と節の間のような短い時間でさえもお会いしたいのに、それでも貴方は私に逢いに来てくれない。こんな寂しい時間を過していけとおっしゃるのでしょうか』ということだけど、後に三十六歌仙に名を残す女流歌人になるわ」
灼は、今度こそ確信した声を吐き、
「なるほど。『逢はで』ね。これで決まったわ。以前に平良が言った定家の『ひっくり返る』話……当然、この歌も意味が変わる」
会長の微妙な顔の変化を見て取った灼は、大きな栗色の瞳を細めて言う。
「会長も平良の『歴史検証』を読んでるから分かるよね。定家が百人一首の中で、菅原道真に敵対した人をどう表現してきたのかを」
煽るような灼の言葉に、会長は沈思した。確かに歴史には興味があるが政治的、あるいは利己主義的な考えで短歌の神髄を変えてしまうことは甘受出来ない。少し苛立って返した。
「私は元『百人一首』部長だわ。そもそも短歌は歴史検証には無縁なのよ。今回が特別なの」
「そもそも……何? 『歴史検証』はあんたがあたしたちに無理矢理に押し付けたことよ。今になってチャラにしようってのッ。もし、あんたがその気なら……」
急に灼から友好的な成分が消え、大きな瞳に殺気が宿った。灼の強烈と言うに相応しい存在が、それを怖めず臆せず、会長の底知れぬ放胆と交差するとき、新庄はうどんの入った器を分け入るように置いた。
「はいッ! そこまで。谷、しっかり二人の面倒を見てよね」
「お……、おう」
やや、力ない微笑で答えた俺の背中を、新庄が思いっきり叩いた。
「物事には色んな見方がある。テニスの試合だって、後から『あーすれば』とか『こーしとけば』なんか沢山出てくる。短歌はよく分かんないけど、歴史だって同じなんでしょ?」
しかし、その芝居っ気のある仕草に俺は軽く励まされた。灼には試合の仕返しのように、会長にはからかうように見せかけて。
ちなみに新庄は、俺と灼が会長と交わした『歴史検証』の契約については全く知らない。お互いが生徒会の延長線上で何かを勝手に争っている、それだけの意味だと思っている。
「ま、まあ……今や同じ生徒会なんだし。最初は見返してやるって気概を込めてたけど、結構愉しんでやってるぜ。もちろん灼も一緒だしな」
「あ、ああ……あんたがそう言うなら別にいいけど」
顔を赤くして必死の形相でそっぽを向く灼。俺は苦笑をして訊くでもなく訊く。
「会長もそう思うだろ?」
「そうね。当初の考えより大幅にズレたけど、今さら貴方たちをどうこうするつもりはないわ」
事ここに至って初めて、谷平良に同調し、双月灼を批難し、しかしそこにはどんな気持ちも持ち合わせていなかったことに気が付いた。
『部室整理令』に非協力的な姿勢を示す部には課題を与えた。『歴史研究部』には飯塚や富樫の件もあり、ややハードルの高い課題を投げたつもりだったが、いつの間にか私は彼らと一緒にいる。共に挑むようになってから、協力を惜しんだことは一度もなかった。だから本当に今さらながら、疑われたことが心外だった。そして今さらながら……自分の変化に気が付いた。
表は軽く奥は重く。会長は溜息を吐く。
「双月さん。もう一度言うけど『歴史検証』を貴女たちに渡した時と事情が大きく変化したわ。だから私は貴女たちに危害は加えない。さっきの短歌については純粋に歌論を述べただけよ。争うつもりはないから許してちょうだい」
赤銅色のセミロングが深々と頭を下げる。灼が答える前に、
「谷君の『歴史検証』は貴重だわ。『歴史研究部』の成果にもなると思うし、改めて私も手伝って良いかしら?」
灼の大きな瞳から殺気は消えたが、幼い顔に渋い色を見せた。
今までの会長の言動から連想される理屈や危険とは違い、今回の提案は『歴史研究部』にとっても平良にとっても必要であると思われた。しかし、そういう以外のところ、
……やだな。
また新しい女子が平良の傍にくる……感情として、そう思わずにはいられなかった。それでも提案として価値があるのなら、頷かざるを得ない。
「平良……?」
あるいは俺が拒絶するのではという期待を視線に込めて促した。
「いいんじゃないか?」
「……そ、そうね」
俺の明快な頷きに、灼は渋々、同意する。すぐ傍で話を聞いていた新庄も、
「あたしも何が出来るかわかんないけど、谷に協力するわッ」
明るい団欒の中、灼は一人、諦念を覚えた。
●灼のうんちく
平良も言ってたけど藤原仲平に渡りを付けた『源兼忠』は『源経基』と同じ清和源氏。しかし、父親は第三皇子の『貞元親王』で母親が『藤原基経』の娘なのね。そして、藤原仲平の父親も藤原基経だから繋がりは強かったはずよ。
『貞信公記抄』天慶二年(九三九)六月七日条、
忠平は源経基の訴えに対し、事件の究明に当たるための『問密告使』を派遣することを決定してるわ。しかし、このとき長官に任命されたのが右衛門権佐源俊だったのよ。
でも源俊は嵯峨源氏。私見では将門が恐ろしかったのか度々東国への出発を延期してるわ。結局、忠平の怒りを買って官位を剥奪されてる。もちろん経基も誣告罪に問われてる。
後世のあたしたちは結果、将門は反乱を起こすことを知ってるけど、源俊と経基は罪を免じられるわ。。。。あたし的にはホントに将門が自分の意思で反乱したのか疑問なのよね。
ともあれ、今後平良が説明してくれるはずだわ。