第六十二話:騒ぎ出す『源氏』~検証⑰~
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「よしッ、新庄……先輩。大根の皮を剥いたらイチョウ切りでお願い。あと金時人参は輪切りで良いわ。エビとホタテは冷凍庫にあるので解凍をお願い」
灼は、熟練した包丁捌きの様を見ながら、次から次へと指示を出した。
「あいよ」
と新庄は軽く答えて、
「あんたから今さら新庄『先輩』って呼ばれるのはシックリこないわ。とはいえ、後輩から苗字で呼び捨ても示しが付かないから、『めぐみ』先輩って呼んで」
大いに呆れて言う新庄は彼女のことが嫌いではない。むしろ気になる存在で先輩・後輩の垣根など関係なかったが、過度に馴れ馴れしくなる反発から名前に敬称を付けさせた。しかしながらタメ口は黙認している。
「それはそうと、双月。安い小魚をたくさん買ってたけど、どうするの?」
言いつつ新庄は、手早く金時人参もきれいに切り終えて大皿に。そしてザルに放ったままの小魚数匹を見た。灼は土鍋に水を加え、煮立たせながら出刃包丁を出す。
「もちろん、捌いて鍋に入れるわ。これは『マトウダイ』と言って、太平洋側より日本海側でよく食す高級魚だわ。淡白な身は締まって美味しいし、フレンチでは『サンピエールのムニエル』が定番よ。特にお刺身と肝醤油が最高ね。でも関東では人気がないので、小さいのは時々安く出回るわ。あんた、仕込み出来る?」
「い、いや。あたし……流石に魚は捌けない」
新庄は両手を上げ、顔を横に振った。僅かに眉が困った様子を示す。
「そう。じゃあ、あたしがやるから土鍋の火加減を見てもらっていい?」
素っ気なく答える灼は、ザルの小魚を水道水で流し始める。土鍋の前に立ち、煮立つまで新庄は興味深げに灼の手元を眺めた。視線に気付いた灼はにこやかに言う。
「まず、魚は捌く前に水で流すわ。これでぬめりを取るの」
流し終えた灼は、出刃包丁を出す。そしてまな板の上にキッチンペーパーを敷き、身の表面を削り出した。
「タイは硬いので鱗取りを使うけど、『マトウダイ』は鱗は細かく絨毛状、骨も柔らかいので出刃包丁で十分だわ。やってみる?」
「うん」
新庄は灼から出刃包丁を受け取り、魚を持った。
「魚の鱗は尾っぽのほうから取っていくの。あと、包丁の柄から指は出さないで。マトウタイのヒレは鋭くて毒があるから刺さると腫れてとても痛いわよ」
指摘された新庄は指先に意識を集中して鱗を削り取る。
「そうそう、上手いじゃん。次は頭を落とし、腹わたを取って、適宜な大きさに切るだけよ。切り身は振り塩をして置いておく。あと肝は良い味が出るので別に取っておいて」
素直に聞く新庄の手捌きに満足した灼は、ふと顔を上げるとカウンター越しに、自分の目の前で、全く知らないうちに俺と会長が『歴史検証』の話をしているのに気が付いた。
灼は自分でも自覚できるくらいムスッとした顔で問い詰める。
「平良ッ! あんた、あたし抜きで勝手に進めないでよ」
「いや別に、会長と今後の生徒会について話してただけで……『鎮守府将軍』の話は、会長が『生徒会長』の信任投票と重ね合わせて話したことだ」
「そうなんだ」
溢れそうなものを隠し、顔を強張らせて無理矢理に素っ気なく答える灼。俺が慌てて誤魔化す横で、会長は灼の頬が僅かに膨らみ赤くなっていることに気が付いた。感情が昂っている証拠も理由も推察した上で柔らかく微笑む。
「谷君の言う通りよ。それに『歴史検証』の出題者である私が、あなたの場所を奪うわけないわ。それよりも土鍋が煮立ってるけど大丈夫かしら」
「ご心配なく」
灼は語気強く短い返事をした。話をしながらの片手間でも、誤ることなく微妙な火加減に落とす。
「双月。土鍋に蓋はしないの?」
目下、調理に全力を尽くしている新庄が訊く。
「うん。蓋をすると、いりこの臭みがこもるので、このまま5分くらい弱火で煮立たせないようにダシを取るわ。この後はいりこを取り出し、昆布だし、塩、酒、醤油で味を調える」
灼は大皿に乗った具材を見て何度も頷いた。
「最後に具材を煮込んで完成ね」
新庄は聞きながら捌いていた、残りの魚を皿に移しつつ言う。
「じゃあ、後はあたしがやるから、双月は休んでなよ」
「いいの?」
遠慮がちに訊く灼に、新庄は悪戯っぽく深く笑った。
「出来たよ。土鍋持って行くけど良いかな?」
新庄がキッチンからカウンター越しに声をかけてきた。会長は食器を並べるのを手伝い、俺が準備したカセットコンロも万端だ。
新庄が慎重に土鍋を置き、蓋を開ける。お腹を鳴かせ、食欲がそそられる匂いが食卓に広がった。
「へえ、これが『源平鍋』かぁ。お、ナルトが入ってる」
「いっぱい食べてね、平良」
灼は手にした取り皿に粧い、満面の笑顔で渡す。その姿を会長と新庄が真剣かつ興味津々な風に野次る。
「あたしたちって、やっぱりお邪魔だったようですね」
「そうね。カレシのいない私たちの前で見せつけてくれるわ」
「なッ!? こ……ここ、こんなの、普通だわ」
苦くも嬉しげに。灼はどことなく弾んだ声で戸惑いを零しながら、二人の取り皿を盛って少々乱暴気味に食卓の上に置いた。思わず、にやけた新庄と目を合い、俺は急き立てられるように茶碗の米を掻き込んだ。
「美味いッ! 流石は灼が炊いたご飯だ」
なんだか分かるような分からないような褒め方に、灼は素直に照れて単純でない笑みを浮かべた。
「はいはい、惚気はそこまでね。ちなみに、あたしも手伝ったんだからね」
二人の様子に見かねた新庄は投げやりに言い、傍ら灼の分も適量に盛る。
「さて、頂きましょうか」
会長が合図と共に呆れつつも笑って俺を見る。自分が既に食べ始めていた事実を知り、困った半分笑い半分で箸を置いた。
「いただきますッ」
すっかり馴染んでしまった女子三人と、ちょっと情けない俺の声が重なった。
楽しく騒ぎながら分けて食べること数分。女子の話題から離れて俺は一人、食欲の男になっていた。
「平良、そろそろ〆のうどんを用意しようか?」
団欒が一区切り付いたタイミングで灼が訊く。それほど求めていたわけではないが、灼の気遣いに「ああ、じゃあ頼む」と答えた。
立ち上がる灼を新庄が先輩の貫禄と余裕で、
「まあまあ、ここはあたしがやるよ。お二人は水いらずで」
と気になる笑みを浮かべながら、キッチンへと消えた。仲間外れにされた会長は少し複雑な表情で不平を鳴らす。
「私もいるのだけど……って、まあいいわ。ところで谷君に双月さん、あなたたちは『源氏』についてはどう考えてるのかしら」
会長の問いに、俺は高橋先輩と藤川先輩の評価を思い出す。
「将門にとって『源氏』は厄介な存在だったと思う。こいつは私見だが、荘園を時の権力者に寄進して、それを傘に着て私腹を肥やそうとする時代だ。藤原時平がバックにいる源護一派、それに繋がる坂東平氏、それらをようやく片づけたかと思うと、今度は『経基王』が出張ってくる」
「『経基王』って源経基よね。清和源氏の祖だったはずだわ」
灼の問いに俺は大きく頷く。
「そうだ。しかしお坊ちゃまの源経基は臣籍降下して間もなく、武蔵介として赴任するわけだが、いきなりやんちゃをしでかす。
『将門記』には
『以去承平八年春二月中 承平八年<天慶元年938>春二月中を以て
武藏權守興世王・介源經基 武藏権守・興世王、介の源經基、
與足立郡司判官代武藏武芝 足立郡司判官代武藏武芝
共各爭不治之由。 と共に各々不治の由を爭ふ。
如聞、國司者無道為宗、 聞く如くば、国司は無道を宗とし、
郡司者正理為力。 郡司は正理をちからとす。
其由、何者、縱郡司武芝、 其の由、如何となれば、縦へば郡司武芝
年來、恪僅公務、有譽無謗。年来、公務に恪勤にして誉ありて謗りなし。
苟武芝、治郡之名、 苟しくも武芝の郡を治むるの名
頗聽國内。 頗る国内に聴こゆ。
撫育之方、普在民家。 撫育の方は普く民家にあり。』
とある。
つまり先例を破り、武蔵権守・興世王と共に未納税・延滯税を強引に取り立てたため、忠勤で実直な足立郡司の武藏武芝との間に争いが起きた」
「清和源氏の坊ちゃんは、菅原道真からレクチャーを受けた高望王とは違うということね」
灼はその事実に奇妙な落胆を感じた。俺も呆れ顔で続ける。
「『源氏』のほうがよっぽど不良だな。そんな武芝に将門は救いの手を差し伸べるわけだ、翌年天慶二年<939>将門の仲裁によって武蔵権守・興世王、武蔵武芝との間に話し合いが設けられたのだが、源経基のおバカによって破局する。
『将門記』には、
將門且興世王與武芝 将門また興世王と武芝と
令和此事之間、 此事を和せしむるの間に
各傾數坏迭披榮花。 各々數坏を傾け、栄花を披く。
而間、武芝之後陣等、 而る間に、武芝の後陣等、
無故而圍彼經基之營所。 故なくして、かの経基が営所を囲む。
介經基、未練兵道。 介の経基、未だ兵の道に練れず。
驚愕分散云。 驚き騒ぎて分散すと云ふこと、
忽聞於府下。 忽ち府下に聞こゆ。
于時、將門鎮濫惡之本意、 時に、将門、濫悪を鎮めむするの本意は
既以相違。 既に以て相ひ違えぬ。
興世王留於國衙、 興世王は国衙に留まり、
將門等歸於本郷。 将門らは本郷に帰えりぬ。
せっかく将門が一席を設けて、お互いに和解し合ったところで、未熟者の源経基が勝手に武芝の陣へ攻め込み滅茶苦茶にしたって話だ。しかも、この話はもっと拗れる」
灼は神妙な顔で俺の話を聞いている。会長も不快そうだ。
「『貞信公記抄』天慶二年二月十二日条だ。貞信公は藤原忠平だな。その条には『…… 可問召將門使事。』とあり、将門に事の顛末を忠平自らが下問してる。だが、同じく天慶二年三月三日条、『源經基告言武藏事。』つまり、武蔵介の任期も全うせずに逃げ帰り、その罪を将門の『謀反』として太政官に告訴したということだ」
灼はついに憤慨して言う。
「経基って性根が腐ってるわ。そもそも将門だって、武蔵は『坂東』じゃないじゃん。ほっとけばいいのにッ」
俺は嘆息を込めて言う。
「武蔵武芝は現在、埼玉県さいたま市大宮区高鼻町にある氷川神社の社務司でもあった。武芝は将門の敗死によって氷川神社の祭祀権を失うが、その娘と武蔵介・菅原正好との子が氷川神社の社務司を継ぐこととなる。これは確証もない私見だが、菅原正好もまた『回収係』だったと思う」
灼も果たして、辛さと悲しみを混ぜて、しかし断固して言う。
「将門も『菅原家』が関わるのであれば、断れないよね」
それもまた、奇異のようだがあり得ない検証ではない、歴史の深さだと思った。
●灼のうんちく
『更級日記』にある、たけしば。
「今は武蔵の国となりぬ。ことにをかしき所も見えず。……葦・荻のみ高く生ひて馬に乗りて弓もたる末見えぬまで高く生い茂りて、中を分け行くに、たけしばという寺あり……」
さすが、『夜の寝覚』や『浜松中納言物語』の作者だわね。牛車の窓から見える武者の姿を、さらりと描写するところはとても良いわ。
この後、『孝標女』は「どういうとこなの?」と訊くわ。答えた人があたし的には『お父さん』である孝標だと面白んだけど、所謂武芝伝説が『更級日記』には詳細に書かれてる。
『孝標女』も菅原家と所縁があるということで、鮮明に覚えていたのかしらね。