第六十話:さらなる向こうへ
皆様、大変ご無沙汰致しました。
八月も、もう少しで中旬に差し掛かり、毎日が猛暑の連続です。
熱中症対策で十分に水分を補給してくださいませ。。。。
私も暑さのあまり、琥珀色の麦汁が進みまくってます。。。ってこれは水分補給にはなりませんね。
どうぞ拙作をお楽しみくださいませ。
※※ 60 ※※
陽も傾き、過ぎ行く風の中。
校舎裏を新庄は当て所もなく歩いていた。
テニスの試合はかなり際どい点差で新庄達が勝ちを得た。あれだけ自信満々だった灼が、悔恨の念に駆られ無念がると思いきや、
「あんたの勝ちだわ。約束通り好きにしてちょうだい」
清々しいほどにあっさり身を引いた。一年の誰かからラケットとボールを借りてコートから消えていく灼の後ろ姿を見ながら、新庄は勝利の喜びよりも、怒りとも悲しみともつかない気持ちがどこか引っかかって、チクチクと痛みのようなものを感じた。
……勝利の虚しさ。いや違う、双月も会長も真剣だった。
新庄ははっきりと不機嫌だった。それは痛みなんかではない、自分が勝手に敵対し嫌悪をむき出しにして勝負にこだわっていた……試合が終わった後だから分かる猛烈な自己嫌悪。
そう思わせる何かが灼の見事な引き際から感じ取れた。そして、それは多分自分にとって、とても嫌なこと。
新庄は当て所もなく、明らかに灼を探していた。探してどうする、その正体を灼に会って問い質すのか、何も思いつかないが、しかし灼を探していた。
やがて校舎裏の芝、日当たりが悪く数日前の雨で未だに湿っている場所を進むと、壁に向かってボールを打ち続ける灼の姿があった。他の生徒は見かけない。新庄は焦燥感と陰鬱な気持ちを胸に、ゆっくりと歩いていく。二人の距離が数歩を置いたとき、
「何か用? ラケットとボールは、明日きちんと返す約束をしてるわ」
灼は、校舎の壁に描かれた小さな円に目線をしっかり見据えて、正確にボールを繰り出しながら問う。
その問いには答えず、僅か数十センチの輪の中心を射抜き続けるボールを新庄は無言で見つめる。
「双月。あんたって何でもできるのね」
「何でもできないわ」
重い口を開け、淡々とした口調の新庄に、灼はきっぱりと言った。言葉の意味とは反対に灼の顔には秘める強い意志があり、気後れのようなものは微塵もない。彼女からは試合前と変わらない気圧される存在感を感じ、灼に初めて興味をもった瞬間を思い出す。
「越智からあんたの小学校時代の話を聞いたわ。テニス、独自で練習してたのね」
と、同時に越智が語った不躾な放談も甦り、不快な思いを隠して続ける。
「あんた……。何でそんなに色々頑張るの?」
灼が壁打ちを止め、大きな栗色の瞳にしっかりと意思の光を宿らせて、真っ直ぐに新庄を見た。決意で硬く勇めた表情の灼は、挑むように告げた。
「平良がいるから。平良の傍にいて一緒に歩いていきたいから」
惚気も色情も感じない、意思と覚悟に圧し潰されるような、とんでもない力が、その言葉にはあった。それが間違いなく自分を脅かす力なんだと、今こそ理解した。
……何がどうということわけではない。あたしは双月の強い意志と覚悟からくる自信に嫉妬してただけなんだわ。
新庄は深い溜息で灼を認めた。畏怖や嫌悪、劣等感以外の感情を覚え、自分でも意外なほど素直な気持ちで微笑んだ。
「あたし、生徒会や会長にトガるのは止めにするわ。双月とならテニスと生徒会、両方とも頑張れそうだから。改めて宜しくお願いできる?」
新庄が言い、手を差し伸べる。
「うん。こちらこそ」
灼は声に出して答えて、その手を取った。静かに強固な思いで新庄は頷く。
「あんたのストローク、強烈だった。あたしのライバルだわ」
「次は負けない」
灼は、自分の気持ちを視線に込めて、見つめ返した。
揚げ物やグリルの匂いとマニュアル通りの接客挨拶、音も声も交錯する、とある街中のファーストフード店。
そんな繁忙な中で、うまく空きテーブルを見つけた俺はトレイを置いた。後ろに続く少女、新庄も俺の向かいにトレイを置いて座った。
「谷……と話をするのは初めて、かな」
まだレジ前の行列に並んでいる灼を待つことなく、ストローでアイスコーヒーを啜る。
「まあ、同級生だけど同じクラスになったことないし……初対面に近いかな」
曖昧な問いに曖昧な答えで返す俺に、新庄は柔らかな微苦笑を見せた。
「二年七組、新庄めぐみ。テニス部の次期部長よ。現在、生徒会の雑務を仰せつかってるわ」
「俺は……」
「知ってる。二年三組、谷平良。『歴史学研究部』で次期生徒会長。現在、双月灼と熱烈恋愛中」
「俺と灼が恋愛!? な、なな何故にそうなるッ」
その不意な回答に、俺は完全に狼狽えて言葉を継ぐ。新庄は逆に俺の持つ無自覚な言葉の意味がよく分かっていた。分かって声がやや重くなる。
「絶賛『ラノベ・ハーレム主人公』の谷君。あたしはテニスに命を懸けるスポーツ馬鹿よ。谷はどこまで気付いてるのか知らないけど、双月とボールを交わして、あいつの覚悟を感じた。だからここにいる。双月が全てを捧げても良いと思う男に興味があるから」
一旦、声を切って核心を突く。
「谷。あんたには双月を受け止める覚悟はあるの?」
気圧された俺は言葉を失った。新庄の真っ直ぐな瞳には親切心や好奇心ではない、女子と女子の間に生まれた義侠心のような強い使命感。
互いに無言で見合うこと数秒、
「二人とも深刻な顔で何してるのよ?」
ようやくレジの行列から解放された灼が、人ごみでふらふらになってトレイを手にやって来た。彼女の目の前にいる二人の空気を敏感に察し、少々不機嫌な態度で俺の隣に座る。尋ねつつ、見つつ、
「平良ッ! あんたバーガーを二つも買ったのッ」
「わ、悪いかよ? 校庭でお前を待ってる間、お腹が空いたんだよ」
灼がむっと少し頬を膨らませて、困り果てた表情を作った。
「今日の晩御飯、ハンバーグだったのに……」
「俺は問題ないぞ」
その傍らで野次馬視線の新庄がキラリと瞳を輝かせた。
「……あんた達、毎日そんな夫婦ごっこみたいなことしてるの? カレシがいない女子高生には目に毒だわ」
俺は大いに乾いた笑顔で返し、灼は慌てて手を振る。
「ま、毎日じゃないわ。たまによ、ね? 平良」
「……あ、ああ。そうだな、たまにかな?」
その様を、やはり瞳をキラリと輝かせて新庄は平良と灼を眺める。
「ふうん……そうなんだ」
答えて、頬杖をついて、新庄は適当に頷いた。
次回は、ようやく『歴』が少しばかり復活いたします。