第五十三話:結局『ダレトク』だったんだ?~検証⑭~
いつも拙作を読んで頂き、大変嬉しく思います。
四月も終わり、急に気温が上がり始めましたが、お身体を崩さないよう、お自愛ください。
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ぐつぐつと煮立った赤ワインの芳醇なダシ汁が出来ると、灼は缶詰のホールトマトを足していく。さらに熱が加わったところで、あさり、ホタテ、イカを丁寧に並べ、白身魚、エビといった具合に、隙間を埋めるように満遍なく敷き詰めていった。ローリエの葉を添えながら、
「オリーブの実は、少し指で潰して入れると、風味が増すわ。後は蓋をして待つだけね」
と、任務を完遂した指揮官のような顔で、両手を腰に当てる。そんな彼女の行為に愛らしさを覚え、俺は微笑んだ。
「『部室整理令』や『歴史検証』で会長や富樫に振り回されてきたけど、もうすぐ期末試験だ。こっちの準備もしたいので、今日は晩飯食べたら、部屋に戻るよ」
灼は大いに残念がるが、俺に隔意が無いことも分かっているので、無理に勧めなかった。
「……そうね。あんた、パンにする? お米?」
その灼が、キッチン越しに別の案件を持ち掛けてくる。
「せっかくだから、パンにするかな」
俺は軽く答えて、二人分まとめて盛った生野菜サラダの大皿をテーブルの上に置く。そして取り分け皿に、俺の黒い箸、灼の赤い箸を並べる。最後にスプーンとフォークを用意して完了だ。
「ありがとう」
言いつつ、灼がキッチンから鍋を持って出てきた。鍋敷きに鍋を置き、蓋を取ると、きざんだ生パセリに黒コショウ、エキストラバージン・オリーブオイルを少量ほど降り掛ける。心和まさせ、お腹が鳴る贅沢な香りが広がった。俺は自分の箸の前に座り、灼も『カッチュコ』を取り分けて着席した。二人の待ち侘びた弾む声が重なる。
「いただきます」
初めて見る、食す料理だが、確かにイメージはイタリア料理である。灼は海鮮スープといったが、見た目は煮込みに近い。俺はフォークでエビを差し、口に運んだ。
「!」
言葉に出来ない旨さが身体中に染み渡っていく。大袈裟過ぎる俺の反応に、灼はテーブルに頬杖を着いて、充実の笑みを浮かべる。
「美味しい?」
幸せを一杯、胸に詰めて訊く灼に、俺は無言で何度も大きく頷いた。
食後の満腹感、という安らぎを堪能している俺は、ポフンッとソファーに身を沈めた。
「パパがお土産でセイロンの茶葉を買ってきたの。英国 フォートナム&メイソンのブロークン・オレンジペコよ」
灼の横で湯沸かしポットがピィーと、沸騰したことを報せた。慌てて熱湯を少しだけ耐熱ポットに注いで温める。湯気でガラスが曇ったところでお湯を捨て、スプーンで適量の茶葉を入れた。
「あたしもだけど、あんたって紅茶をよく飲むじゃない? 気に入ると思うわ」
「俺の場合は、コーヒーが飲めないだけだ。ちなみに『お抹茶』も割と好きだぞ」
俺はお茶碗を持って、茶筅を回す真似をすると、
「お正月でお着物を着た時、お茶を立ててあげるわ」
妙に勝ち誇ったような顔で自慢する灼。再び耐熱ポットにお湯が注がれ、高価な茶葉が見事にジャンピングする様子を眺めながら、俺は話題を変える。
「……源護の子、扶一党は茨城県筑西市赤浜付近、野本で待ち伏せて奇襲するが、将門に逆撃される。そして、そのままの勢いで源扶、源隆、源繁三兄弟全て討ち取られ、護の本拠地である真壁も焼き払われた。その時、国香も焼死したとされる」
灼は、紅茶をカップに注ぎながら言う。
「『将門記』では、承平天慶の乱のきっかけになったという最初の合戦よね。源護親子も『鉄』を狙ってたということかしら」
「俺もそう思う。『将門記』には、国香がたまたま護の屋敷に居合わせて殺されたかのように書かれてるが、実際は連携してたんじゃないかと思う。また、後に引用された『扶桑略記』の合戦状、南北朝時代に書かれた『皇代暦』の将門合戦状、『吾妻鑑』の平将門合戦状では、平真樹と源護の土地争いに将門が真樹に加担したからだと記されてる」
俺は、カップを手に取り、鼻腔を擽る芳しい香りを楽しみながら、一口啜った。
「平真樹は平姓を名乗ってるが、出自は不明だ。常陸国新治郡の国人で、真壁・新治・筑波の広い範囲に領地を保有してたらしい。かつて新治郡の中心地とされる、桜川市西茨城郡岩瀬町の『金谷遺跡』から官営工房と思われる製鉄跡が発掘されてる」
「つまり、平真樹と源護は『褐鉄鉱』の採掘権を巡って争ってたと考えられるわけね。でも、なぜ将門は平真樹に加担するの?」
俺はカップを置き、にやりと意地悪な笑みを浮かべた。
「それについては、後で詳しく話す。『菅原家』が関わるからな」
灼は大きな嘆息を一つ。
「わかったわ、まずは平氏の内乱ね。とにかく悪巧みの片棒を担いだ国香が殺されたと知ると、京で左馬允の位にあった、国香の子である貞盛が坂東に下向する。でも将門とは話し合いを設けてるわ」
「そうだな。この頃になると国郡という行政単位は解体され、田堵・負名の台頭や郡の細分化に伴い、境界線が曖昧になってる。国香の領地も常陸国真壁郡東石田を本拠地としていて、源護と平真樹と入り乱れてたわけで、貞盛もその当たりの事情は熟知してたんだと思う」
灼が俺のカップに紅茶を注いだ。
「国香と源護に対して将門と平真樹という構図が出来て、貞盛が仲裁しようとする。だが、漁夫の利を得ようと事態をややこしくする人間が現れた」
「へえ、誰よ」
笑って言い、答えを待っている、という仕草で紅茶に口をつける灼。
「高望王の次男、良兼だ。本拠の武射郡には、肥沃な土地と太平洋の豊富な海産物があるが、武器の生産に必要な『鉄』はない。そこで良兼は弟の良正を焚き付け、混乱に乗じ手中に収めようとする」
紅茶を啜る俺は、カップ越しに灼を見る。その瞳に詰問の色がないことを確かめると、さらに話を続けた。
「良正が良兼の言葉をどこまで信じたのかは分からない。ただ『将門記』には『……彼ノ常陸前掾源護ノ因縁ナリ』と記されており、外縁の源氏の為に兵を集めてる。しかし将門によって新治郡川曲村にて返り討ちにされた」
聞いた灼は、少し失笑気味に言う。
「単に将門に武力介入の口実を与えただけだったのね。とんだ計算違いだわ。確かこの後も良兼・良正・貞盛連合軍は将門に敗れるのよね」
「ああ……。万事休すの良兼と源護は、外聞も憚ることなく朝廷に泣きつく。しかし、これが単なる平氏の私闘で終わるはずだったのが、国家を揺るがす大乱へと拡大する元凶となる」
灼は飲み終えたカップを置いて、両手を伸ばし、ソファーに深く腰かけ直す。
「結局、『鉄』を奪い合って平氏同士で共倒れ。最後まで頑張った将門も朝廷の追討軍によって討ち取られ……。いったい『ダレトク』だったのかしらね」
灼の空しい言葉だけが寂しく響いた。
多方面に問題を抱えたまま、緊急事態宣言が延長となりました。
しかし、命には変えられません。
とにかく頑張っていきましょう。