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歴めろ。  作者: 武田 信頼
第二章:学校動乱編
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第四十話:『式子内親王』と『定家』と

皆様、いつも拙作をお読み頂き、誠にありがとうございます。


この度、私事ながら、やっとWindows7から10にアップグレードいたしました。


まだ操作に慣れないので、恐る恐るの更新です。






           ※※ 40 ※※




 長い邂逅かいこうに思えた時間は実際十分程度であり、山科会長本人の言う通り、たいして長くない話で終わった。

 展示会場から再び最下層まで下った俺と灼は『アリスガーデン』内に設営された売店でソフトクリームを買い、それを舐めつつ、大きな噴水脇のベンチに腰かける。

 初春を思わせる爽やかな温度に設定されたアトリウムモール店内で、冷たいスイーツは火照った身体を癒してくれる。そして糖分が、緊張と思索の極みにあった脳に染み渡っていくのが何よりの休息であった。

 ぼうっと眺める世界に、小高い芝生の丘と、緩やかな傾斜で続くハイキングコースが映る。その遊歩道を見ながら、


 「どうだ? 機嫌は直ったか?」


 晴れ模様の空とは裏腹に、灼の表情は荒れ模様である。小さな口をへの字に曲げて食べていた灼は、渋々膨れっ面を上げた。


 「別に。最初から怒ってなんかないし、機嫌悪くないし……」

 「いや、悪いだろ? しかも何かに怒ってる」


 俺の訳知り顔に、灼はカチンときた。猛烈な怒りが沸々と湧いてくる。設楽原したらがはらの戦を検証した時にいだいた、お互いの重苦しいすれ違いではない。無神経に話しかけてくる、無意識な思い遣りに、灼は一方的な怒りを感じていた。


 ……何も知らないくせに。


 むっとなって声を荒げる、灼。


 「今日、会長と会う約束してたの?」


 ……何も教えてくれなかったくせに。


 灼はムカムカな気持ちを俺にぶつけてきた。虚を突かれて、言葉に詰まる。


 「え? えーと……」

 「はっきりしなさいよッ」


 言いながら、顔をしかめる灼。俺は、不自然に反対側へ顔を背けた。


 「ま、まあ……陰険会長とは、お前のおかげで一件落着したし。後半の歴史検証、また一緒に頑張ろうぜ」


 速やかに会話を打ち切ろうとする俺の意図を感じ、灼の激昂は激しくなる。表面上は平静を装い、しかし実は、その行為自体が、あからさまに全くなんでもないことはないと教えていることに自覚はない。


 「誤魔化さないでッ! あんた、さっきUSBメモリー渡してたじゃん。あたしを誘っていながら、あいつも誘ってたってことよね?」


 更なる突貫攻撃で、完全に退路を失う。


 「ち、違うッ……ああ、あれは前日に会長から進捗状況を連絡するように言われて、でも、会う場所は展示会場じゃなくて、たまたま偶然で、だから言っただろ? 『なんで、ここにいるのか』って」


 むやみに手を振り回し、意味のないジェスチャーを繰り返す、俺のうろたえる様子を見て、灼はこらえ切れずに吹き出した。


 「ぷッ、ふふふ……何それ。でも、結局は会う約束してたんじゃん」

 「あ、あ……えっと、ごめん」


 たった一言の、簡単な謝意なのに、灼の奥底に何かがストンと落ちた。会長と平良が会話をしていた時に感じた気持ちも、今までのイライラも、全て吹き飛んでしまったかのように、灼は澄んだ表情で優しく俺を睨む。


 「このソフトクリームで許したげるわ。まあ、会長と話が出来て結果オーライだし、先の展望も見えてきたし」


 俺は嘆息して肩を落とす。安堵の笑みで緩んでいるような気がして、不自然に顔を背けた。

 その視線の先に、柔らかな陽光の中、大学生風のカップルがはしゃぎながら、ハイキングコースを歩いている。やがて、ぽつりと俺は言った。


 「……会長、自分の『百人一首部』を廃部にする気だな」

 「そうね。多分『古代考古学研究部』も無くなるわね……先輩たちには悪いけど」


 灼は驚くことなく、受け入れている。俺と同じように、見るともなく至福の時を謳歌するカップルを眺めていた。

 当てられて、頬を仄かに染めた灼は、たまれない気持ちで立ち上がり、最後に残ったワッフルコーンの一欠片ひとかけらを口に放り込んだ。


 「行きましょ、平良」


 振り向いて、少し癖のついた栗色のツインテールが風に流れて、弾んだ嬉しさを見せて。日差しを背にして、小さな手を伸ばしてくる。

 そんな仕草が可愛いと、そんな強い気持ちを繋ぎ留めたいと思えるほど自然に、俺は灼の手を取り、立ち上がった。




 

 

 アトリウムモールの屋外に出ると、広大な駐車場に付随するバス停留所の片隅かたすみに芝生の丘がある。その緑地エリア、今は冬場で山吹色の芝生に、俺と灼は腰を落としてバスを待っていた。 


 「平良、あんたは式子内親王と定家の『忍る』恋について、肯定派? それとも否定派?」


 灼は穏やかな、しかし真剣に問いを投げてくる。俺は頭を掻いて苦笑した。


 「どちらも決め手に欠いていて、何とも言えないが……。私見で言えば肯定派かな」

 「あら? 平良って案外、ロマンチスト?」


 挑発的に揶揄やゆする灼を、俺は鼻高々と反駁はんばくする。


 「不確かな空想や、現実離れした仮説に傾倒したつもりはない。あらゆる文献から可能性を導いたまでだ」

 「いや、そういう意味じゃなくて……」


 言いかけて、灼は興醒きょうざめた。決して洩らせぬ恋、かれ合う幽艶ゆうえんな世界で想いを募らせる二人……を期待した自分が馬鹿だったと反省する。

 灼は自嘲し溜息を一ついた。


 「肯定する理由は何?」

 「まずは定家の日記『明月記』だろう。定家を知る一番の文献資料だ。権威や名声を好む定家が、文句や愚痴を多く綴ってる中で、式子内親王に関しては憧憬しょうけいの念が強い。

 定家は初参内の印象をこう記してる。

 

 『……三条前斎院<式子内親王邸>へ参ル。今日初参、おおせニ依ッテナリ。薫物たきもの馨香けいこう芬馥ふんふくタリ』

 

 あらゆる物語にあるように、公家が香の匂いや、豊かな髪を賛美する時、おおむね恋の始まりだ。定家が薫物を絶賛してる所からも可能性は高いと思う」

 「何て言うか、高嶺の花ね」


 灼が戸惑いつつも、こぼれ出るように言った。自分が紡いだ言葉で、ふと年上の先輩が頭によぎる。

 艶やかな黒髪がサラサラと肩から流れ落ちる時。

 しっとりとした白磁のような肌に、たちこめる『藤袴』の香。

 潤み揺蕩たゆとう大きな瑠璃の瞳。

 見るもの全てを惑わすあでやかな超絶美少女。


 「確か、定家が二十歳ごろ。式子内親王が三十歳前後だったわよね」


 灼は、陰鬱な思いに浸りながら、それでも確かめたい衝動に駆られた。


 「あんたも、年上のひとに憧れる?」


 言って、強烈な自己嫌悪に襲われた。先程、イライラは澱みと共に流されたはずなのに、心にチクチクと痛みが残っている。


 ……あたしは、ずるい。


 灼は、凛とした強い意志の中に、気後れを感じつつも、真っ直ぐに俺を見つめる。

 しかし、俺にはその決意に対する答えを持ち合わせてなかった。照れ隠しに頬を掻きながら、


 「い、いや……まあ、どうだろう? 大人だなァって思ったことはあるが、憧れってもんじゃないな。年齢では推し量れないものもあるし。ただ……」

 「ただ?」

 「年下のお前は、大したもんだと思ってるよ」 


 大きな栗色の瞳から目を逸らし、俺は困惑した表情を見せた。そして、ようやく姿を現したバスを大袈裟過ぎるほどに指を差し「乗り遅れないように急ごうぜ」と、灼の手を引く。


 この瞬間、この小さな幸せを、灼は噛み締めたのだった。

●灼のうんちく


式子内親王と藤原定家の秘めたる恋については、様々な伝承が残されています。

謡曲『定家』では早くに世を去った式子内親王<謡曲ではしょくし、と謡われてますが、実際はしきし、とどっちかは分かっていません>に恋い慕う定家の心が蔦となって這いまとい、立ち寄った僧が苦しみから解き放とうと経を上げるのですが、僧にお礼の舞を舞った後、自ら蔦の繁る墓へと帰っていくという話です。

 何というか、『愛』が重たいですね。。。


 『渓雲問答けいうんもんどう』によると、定家と式子内親王の密事を諫めようと父・俊成は定家のもとに訪れるが、有名な例の『玉の緒よ……』の歌を見つけてしまい、二人の情熱が本物であることを悟り、何も言わずに帰ったとのことです。


 平良は恋仲肯定派でしたが、否定派の有名なところでは、江戸時代初期の京都の医者・歴史家である黒川道祐の随筆『遠碧軒記』には、

 『……定家と式子内親王の密通といえども、式子内親王も定家卿と同時の人なるにより、両筆のものは東門跡などにもあれども内親王は定家卿の若きとき老婆なり。すれば定家の謡はそらごとなり』


 ……まあ、嘘と言い切るのも、思い切った論法ですが、『老婆』は言い過ぎかなと思います。


 と、いうように定家と式子内親王の恋愛関係について賛否は、まだまだ色々な方の説があるようです。

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