第三十九話:『山科花桜梨』と『定家』と
今年、最初の更新となります。
皆様には大変ご無沙汰いたしておりました。申し訳ありません。
遅々として進まない拙作ですが、これからも楽しんで頂ければ嬉しいです。。。。
※※ 39 ※※
上部に張られたアクリルパネルの大天蓋から、階下へと太陽光が控えめに集まる場所……かなりオープンな薄暗い展示スペースの端、壁を取り払ってテラスのように開放的な構造である店舗『カフェ・アルコ』がある。
俺と灼は、カウンターでロイヤルミルクティーを受け取り席を探す。店内はそれなりに広い。四人掛けテーブルが十組程度に、二人掛けが二十組余り。それでもまだスペースはある。適度に人の少ない場所へと足を運んだ時、灼が「あ……」っと、言葉にならない吐息のような声を上げた。ほぼ同時に俺も思わず声を漏らす。
「げっ!? や、山科花桜梨」
文庫本に視線を落としていた小柄の少女が顔を上げた。ともすれば灼よりも幼く見える端正な顔立ち。美少女と言っても遜色ないが、何処か人を寄せ付けない冷淡さを感じる。
「クックックッ……。谷君、相変わらず先輩に対する礼儀がなってないわね。まあ、いいわ。お坐りなさいな」
四人掛けテーブルに座っている山科花桜梨。生徒会長にして今現在、『部室整理令』に従わない生徒に対し、厳酷苛暴な処断を実行している責任者でもある。
対面側の椅子に促し、
「……ここに来たということは、定家によって編纂された『百人一首』の意味を……谷君に渡した『二首』の歌について何か勘付いたのかしら? 今なら質問を受けてあげる。内容によってはヒントもあげる」
「だ、誰が、あんたにッ」灼の怒声に、「いいだろう。ちょうど聞きたいことがあった」と、俺の冷えた声が重なる。
が、心中は手が震えるほど緊張し、余裕がまるでない。挑発とも取れる会長の笑みを、疑心暗鬼を生じさせる誘いを、精一杯の強がりで平然と受けた。
俺が腰を下ろすと、灼も相当に目の前の無愛想な少女の存在を嫌悪しつつ座る。
「で、なんであんたは、ここにいる?」
俺の愚直な質問に、会長は完璧に作られた満面の笑みを浮かべた。
「あら? 私は百人一首部の部長でもあるのよ。当然だと思うけど?」
「開催期間は、まだ一週間以上あるのに敢えて今日?」
猜疑心一杯で、能面のように固まった顔のまま、灼は前髪に隠れた細い眉を僅かに動かした。
「単なる偶然よ」
会長の涼やかな回答に、鼻を鳴らす灼。このままでは話が進みそうもないので、俺はミルクティーを一啜りして本題に入る。
「あんたは、俺たちを発掘研修に行かせた。そして今度は和歌を暗号のように仄めかして俺たちに配った。さらに俺たちに富樫と結衣先輩に与えた歌を基に歴史検証をしろと言う。俺なりに色々考えてきたが、どうしても解けないことがあった」
「過去形で語るという事は解けたということね。で、なにが分かったの?」
と、鷹揚に構え、問いかける会長に、灼の眉がギリギリと音を立てるように大きく釣りあがる。
無法に思える会長の態度と、これまでの経緯と、この場に縛られている不条理と。灼は自らの境遇に耐えかねて、再び叱声を放った。
「あんた……まさか平良に喋らせて、難癖つける気じゃないでしょうね?」
「そんなことはしないわ。まあ、疑問点や相違点があれば指摘くらいはするけど。それより双月さん……」
堂々と受け答えしている会長の柔らかな声が、急に恐ろしいほどに冷えていく。
「あなたたちの貴重な時間を奪ってしまって謝るわ。長い話にはならないし、もう少し付き合って頂戴。それとも……」
鋭い視線で真意を見抜かれ、灼は絶句したまま、会長の言葉の意味を探る。やがて降参の溜息を密かに吐いた。
「……わかったわ」
隣で大人しくミルクティーを啜る灼に、僅かばかり安堵しつつ俺は、
「藤原定家は作歌上の技巧としての『本歌取』が最も得意だったと言われてる。本歌取とは、過去の有名な歌の語句を取って、別の意味を成す新しい歌を作り出すことだが、『百人一首』は異なる意味の和歌を折り重ねることで、後鳥羽院に向けたメッセージを紡ぎあげてる。
これに気づいたとき、ずっと違和感があったんだ。だが『もう一つの歌』で、あんたから貰った『二首』の意味に辿り着いた」
会長は驚きを隠さず、大きな瞳をさらに丸くする。次の言葉を期待するように、肩から流れた赤銅色の髪を掻き上げた。
俺は灼を見て言う。
「最初に見た『二首』を覚えてるか?」
「当たり前じゃないッ!」
灼は眉根を強張らせ、さらに続ける。
「『いでてなば主人なき宿と成ぬとも軒端の梅よ春を忘るな』
『東風吹かば匂いおこせよ梅の花あるじ無しとて春な忘れそ』
しかも、あんた『拾遺和歌集』には、
『東風吹かば匂いおこせよ梅の花あるじ無しとて春を忘るな』
って、わざわざ言ってたわよ。
でも、これって……『本歌取』というより『文字鎖』という技法に近い気がするけど」
会長が突然笑い出した。「クックックッ」と相変わらず不気味な声だが、笑みを深めて灼を見つめ直す。
「道真に畏敬の念を持つ定家と師弟関係にある実朝が敢えて詠んだと? それだけだと及第点には遠く及ばないわ」
「確かに、それだけだとな」
真剣かつ真面目に頷く俺に、頬を膨らませ睨む灼。大きな栗色の瞳には「なんで、こいつの肩持つのよッ」という冷ややかな言及を感じた。
俺は僅かに怯みの色を見せ、戸惑いながら声を出さずに抗議する。しかし理由や原因はどうあれ、世の男性がする、女性関連の言い訳はなかなか相手の心には届かないものである。
大いに不機嫌になった灼は、俺から視線を外し、そっぽを向いた。
場の剣呑な雰囲気を和らげるため、俺は不穏な空気を漂わせる灼にフォローを入れる形で会話を続けた。
「だが……まあ、灼の意見が間違ってるというわけでない。少しだけ足りない部分があるかも……っていうことで」
「だから何?」
ぴしゃりと言葉で打つ灼。取りつく島もない、俺は頭を掻きながら苦笑する。会長は押し黙って灼を見ていた。
気づいて灼は、その凝視と言うより観察に近い視線が煩わしく、見透かされているような脅威に、心中穏やかでいられなかった。
同時に、少々八つ当たりに近い態度しか取れない自分に対し、不甲斐なさと自己嫌悪を自覚した。
……今のあたしは、きっと嫌な子。分かってるけど、やっぱり無理……。
勝気な勢いが、急に寂しげな表情で沈んでいく様を見かねて、俺は灼の小さな頭を撫でる。表情の端に、一瞬嬉しさを覗かせ、そしてすぐ、俯いてそれを隠す。
「クックックッ。で、少しだけ足りないものって何かしら?」
強い言葉で説明を促す会長に、俺は頷いた。
「あんたが、どういうつもりで、この『二首』を結衣先輩と飯塚先輩に渡したのかということだ」
「え……っと。どういう? あれって結衣先輩と富樫じゃ?」
再び「クックックッ」と、笑みの底が深くなる会長。灼だけが意味が分からず、怪訝な表情で二人を交互に見た。
俺は啜ったミルクティーを静かに置き、努めて真面目な顔を灼に向ける。
「俺たちが最初に会った時から今まで、会長は一度も『誰』に『何の歌』を渡したのか全く言っていない。ただ結衣先輩と飯塚先輩と富樫に渡したと言っただけだ。それを俺たちは、少ない状況証拠から勝手に富樫が落としたものだと推測したに過ぎない」
「あっ……」
確たる答えに、灼は見落としていたピースを見つけた。そのピースをはめ込んだ途端、今まで気がつかなかった事実が浮かび上がる。
「さっき、四字熟語が言ってた歌、
『玉の緒よ絶えなば絶えねながらへば忍ぶることの弱りもぞする』
まさか、この歌の本当の持ち主が富樫……」
「ああ、多分な。二人の喧嘩沙汰で残された『裏切者』発言と実朝の歌。事実関係がはっきりしないまま、俺たちは会長から在原業平の歌を渡された。その後、生徒会室で聞いた話……つまり会長が言った富樫の野郎が勘違いした痴話喧嘩、そして俺たちはそれを鵜呑みにした」
灼は人差し指を、そっと薄桃色の唇に添える。こいつが思考を巡らす時の癖だ。
「会長はこうも言ったわ。『……『歌』の手紙を与えたら、ラブレターと勘違いしたみたい。論外ね』って。今思えば実朝の歌に色恋の趣なんか、これっぽっちもないもの」
当を得た表情をする灼に、会長は不敵な笑みを送る。
「富樫君が式子内親王の歌を持ってたという根拠はあるのかしら?」
「根拠というほど確かなものではないけど、推測は出来るわ」
なにより強い気持ちで声を出す灼。答えを得て、優しさを得て、いつもと変わらない凛とした灼がいた。
「以前、富樫が言ってた。『自転車ツーリング愛好会』の会長で、活動拠点がほしくて部員不足の『百人一首部』に仮入部したんだって」
大きな瞳に力を宿し、灼は会長を正面から見据えた。
「あんた、富樫に警告したかったんでしょ? 『部室整理令』で、このままながらえてしまうくらいなら廃部にするわよって。でも、それにしたって何故この『歌』?」
しかし答えを聞く前に、構わず灼は続ける。
「気位の高いところなんか、あんたらしいけど……普通に勘違いするわ。しかも、あんたの性格から考えると、わざと意味深に渡したんでしょうよ、二人に。まあ、富樫はバカだし『裏切り者』って騒ぎたくもなるわ」
同情と苦笑の色を同時に見せ、肩を竦める灼。同じ推測に至る俺も緊張の抜けた顔で、会長にUSBメモリーを手渡した。
「クックックッ。私にとって最後の高校生活。未だにカレシも作れない哀れな女子だと思って頂戴」
受け取って、まるで宝石を眺めるように翳す。
「今日、二人とお話出来てとても愉しかった。有益な時間だったわ。でも……」
会長が、冷たい瞳で優しく俺を睨む。
「この中は、高階さんと飯塚に渡した『歌』の歴史検証なのね?」
俺は頭を掻いて苦笑し、何気ない口調で答えを返した。
「そうだ。しかし、あんたとの『歴史遊戯』は結衣先輩と富樫の『歌』での歴史検証だ。その後も続けるさ」
会長は冷め切ったコーヒーの残りを飲み干し、立ち上がる。俺と灼、双方を交互に見て、
「今日の会話もなく、ただ単に『二首』の歴史検証だったら、確実に退学だったわよ。続きを期待してるわ」
会長の静かに挑むような声に、灼は思わず息を呑む。席を離れる会長の背中に俺は叫んだ。
「会長ッ! あんた……実績のない『古代考古学部』を発掘研修に参加させて、しかも道真と実朝……自分の居場所に戻れぬ悲哀の歌で、二人に部室がなくなることを警告し、『梅』から俺たち後輩を連想させた。そこまでしておきながら……」
小柄な体躯なのに、態度は尊大な山科花桜梨。俺の声に一旦歩を留める。
「クックックッ……。必要だからする。それだけよ」
赤銅色の髪を揺らしながら、会長は姿を消した。
●山科会長のうんちく
ようやく、ここまで来たという感じかしらね。
藤原定家によって編纂された『小倉百人一首』。実は1951年、昭和26年に国文学者である有吉保先生によってもう一つの定家編纂による百人一首……『百人秀歌』が発見されました。
この二冊は内容が酷似していますが、『百人秀歌』には後鳥羽院、順徳院の歌がなく、代わりに『小倉百人一首』にはない歌、三首が収められています。
よもすがら契りしことを忘れずば恋ひむ涙の色ぞゆかしき 一条院皇后宮<枕草子に出てくる中宮定子様です>
春日野の下もえわたる草の上につれなく見ゆる春のあは雪 権中納言国信<定家の親友である源顕兼、古事談の作者の四代前です>
紀の国の由良のみさきに拾ふてふたまさかにだに逢ひみてしがな 権中納言長方<父俊成の甥で、定家の従兄です>
まあ、政治的配慮による修正版ではないかという説がありますが、他にも色々と諸説があるそうです。