第三話:葛藤
※※ 3 ※※
……俺にとって、コイツは一体?
幼馴染……、まあ、そうだ。それは間違いない。
歴史観の相違。うむ、これは絶対だ。
腐れ縁。以上。……他に何がある? でも、しかし……。
近すぎる存在が、少し困惑させる。
部長の野郎が余計なことを言ったせいで、コイツのことを妙に意識してしまうんだ。
「ところで、さっき部長、何て言ってたの?」
灼は軽やかな足取りで、俺のそばによる。
「ん? お前のこと可愛いってさ。けっこうモテるんだってな?」
灼、突然赤くなる。
「たまーに男子から手紙を貰うけど……って、全部断ってるんだからね!!」
「俺は何も言っとらん」
灼は乳色の頬を膨らませ、上目遣いで俺を睨んでくる。が、すぐに視線を逸らした。
しばらく沈黙して歩く二人。
「もしも、ね?」
灼に視線を促す俺。しかし、灼は視線を逸らしたままだ。
「もしもよ? あたしが誰かと付き合ったらどうする?」
「まあ、お前とも腐れ縁だしな、何だか遠くへいった感じで寂しいかな?」
何気なく言う。まあ、幼馴染としてだが。
が、灼は急に満面の笑みに変わった。足取りも声も弾む。
「そーよね、あんたとは小3以来だもんねェ~」
俺の正面で、くるくる回りだし、今度は優しく睨む。栗色の瞳がいたずらっ子のように輝いていた。
思わず、立ち止まる俺。
昔は近すぎることが当たり前だった。
今は、その距離がわからない……。
やはり、ここは。
「なあ、俺たち、歴史のことになるといつも口論してるよな? いい加減そろそろ……」
「ああッ! そういえば昨日、邪馬台国特集やってたけど見た?」
灼が、俺の言葉を遮る。
「ん? あ、ああ……」
タイミングを失った俺は、頭を掻きながら不精に同意した。
「どうだった?」
「……」
「ふーん、あんた的にはあんなので良かったんだ?」
俺の無言にあからさまに挑発する灼。つい反抗してしまった。
「色々ダメだったけど、特に金印の読み方がダメだったな」
「漢の委の奴の国王って所謂三段細切れ読法ね。伊都国王って読む人もいるけど……」
おれは大きく頷く。
「後漢書は当時の中国の読みで地名をあてたものだ。当然、当時のまま音読すべきだろ?」
灼がこくこくと首肯する。
「そうすると、漢のヰヌ国王となる」
「い、いぬゥ!? 犬の国なの?」
困惑した灼が、予想斜め上な発言をしたもんだから、ジト目でたしなめる。
「間違ってもドッグじゃないぞ? 当時は委は『ヰ』、奴は『ナ』ではなく『ヌ』と読んでた。そして現代日本にもその地名は存在する」
「へえ、どこなの?」
あれ? いつものように口論にならない? 俺は奇妙な違和感を覚えた。
「お前、珍しく俺の話を聴いてるよな?」
俺の詰問に、灼はわずかに頬を赤らめた。
「あ……あたしだって、知らないことには興味あるもんッ! 少なくとも昨日の特集よりは面白い……かも」
灼の声が急激に小さくなる。
「ちょ、ちょっと嬉しいこともあったし……」
「え? 何か言ったか?」
「なんでもないよッ! それよりもさっきの続きは?」
灼の合いの手で、違和感が消えた。結局、俺もこういった話をするのは好きなのだ。
「俺が信奉する学者の意見だが、福岡県糸島郡にある井原遺跡周辺じゃないかと言われてる。この場合、原は地形を表す接尾語だから地名は井。つまり『ヰ』ということだな。他にも博多の東側には奴山ってのがあるし、西には伊都神社がある。ちなみに卑弥呼は『ヒミカ』と読む。つまり日甕、太陽の神ってことだ。築後風土記に出てくる甕依姫と同一人物ではないかと言われるが……」
「ちょっと、待ったァ!!」
「な、なんだよ? 急に」
灼の機嫌がそこはかとなく悪い。
「今の話を聞いてると、まるで邪馬台国が伊都国周辺にあったみたいに聞こえるけど?」
「文献学上、九州説は有力だな」
俺は確固して言う。
「ありえないィ!!」
対して、灼の歴史観が沸点に達した。
「お前なァ……じゃあ畿内説が……ってやめた」
俺は感化されかけたけど、一瞬で鎮火した。
大きく嘆息して、改めて灼を見る。
「俺たち、いいかげんそろそろ、こういった喧嘩やめないか? 正直疲れる……」
突然、灼の表情が悲壮にくれた。
思いもよらなかった俺の気持ちを受け止めかねているかのように、しきりに首を横に振る。
「な、な、なによォ!! あんた、さっき寂しいとか言っておきながら、ホントはあたしのことウザったいって思ってたのね!!」
十数年間、今まで見たことがないほど、錯乱する灼を見て、俺は狼狽する。
あれ? 何か変なこと言った?
「ウザいとか……、そんなこと思ってない。ただ、俺は歴史に関する話を……もう少し」
「平良のバカァー!!」
走り去ろうする灼に手を伸ばす俺。
それを撥ねのけて、灼は俺の横をすり抜ける。
大きく広がった栗色の瞳から大粒の涙があふれているのを見てしまった。
ひとり残る俺。
「なんで、こうなったんだ?」
灼の涙が、俺の胸を突き刺して痛い。
途方に暮れた俺は灼を追いかけることもできず、ただ佇んでいた。