第三十一話『無双』な道真~検証③~
拙作を読んで頂き、誠にありがとうございます。
全く物語が展開しないばかりか、うんちくばかりで申し訳ないです。。。
恐縮ですが、しばし続きますので、申し訳ありません。
※※ 31 ※※
「ここからは、完全に『菅原家』の闇だが……」
俺の神妙な顔と言葉の重みに、灼は僅かに微笑み、そして固まる。
「清公の代から、妬みや嫌がらせはあったが、父の是善の時代はさほど横槍を入れられていない。十一歳にして嵯峨天皇に侍し、詩を賦したというほどの神童にも関わらずだ。
その理由は色々あるが、一番は国司を歴任し続け、地方官僚として徹底したということだ。反面、息子の道真は最終的に右大臣にまで昇ってしまう。
『政事要略』巻二十二に、こんな文がある。
奉菅右相府書 菅右相府に奉る書
清行、頓首謹言。 清行、頓首謹みて言す。
交浅語深者妄也、 交はり浅くして語深きは妄なり、
居今語来者誕也。 今に居て来を語るは誕なり。
妄誕之責、誠所甘心。 妄誕の責め、誠に甘心する所なり。
伏冀、 伏して冀はくは、
尊閤、特降寛容。 尊閤、特に寛容を降したまへ。
某、昔者遊学之次、 某、昔者 遊学の次に、
偸習術数。 偸かに術数を習へり。
天道革命之運、 天道革命の運、
君臣剋賊之期、 君臣剋賊の期、
緯候之家、創論於前、 緯候の家、論を前に創め、
開元之経、詳説於下。 開元の経、説を下に詳らかにす。
推其年紀、猶如指掌。 其の年紀を推すに、猶 掌を指すが如し。
斯乃、 斯乃ち、
尊閤所照、愚儒何言。 尊閤の照らす所にして、愚儒何をか言はん。
但、 但、
離朱之明、不能視睫上之塵、離朱の明も、睫の上の塵を視ること能はず、
仲尼之智、不能知篋中之物。仲尼の智も、篋の中の物を知ること能はず。
聊以管穴、伏添たく龠。 聊か管穴を以て、伏してたく龠に添へん。
伏見、 伏して見ふるに、
明年辛酉、運当変革、 明年辛酉、運変革に当り、
二月建卯、将動干戈。 二月建卯、干戈を動かさんとす。
遭凶衝禍、雖未知誰是、 凶に遭ひ禍に衝くこと、誰か是なるを知らずと雖ども、
引弩射市、亦当中薄命。 弩を引き市に射る、亦薄命に中るべし。
天数幽微、縦難推察、 天数の幽微 、縦ひ推察し難くとも、
人間云為、誠足知亮。 人間の云為 、誠に知亮するに足る。
伏惟、 伏して惟みるに、
尊閤、 尊閤、
挺自翰林、超昇槐位。 翰林より挺でて、超えて槐位に昇る。
朝之寵栄、道之光花、 朝の寵栄、道の光花、
吉備公外、無復与美。 吉備公の外、復美を与にするひと無し。
伏冀、 伏して冀はくは、
知其止足、察其栄分、 其止足を知り、其の栄分を察し、
擅風情於煙霞、 風情を煙霞 に擅にし、
蔵山智於丘壑。 山智を丘壑に蔵さんことを。
後生仰視、不亦美乎。 後生の仰ぎ視ること、亦た美ならずや。
努力努力、勿忽鄙言。 努力努力、鄙言を忽にする勿れ。
某、頓首謹言。 某、頓首謹みて言す。
昌泰三年十月十一日 昌泰三年十月十一日
文章博士三善朝臣清行 文章博士三善朝臣清行
謹謹上 菅右相府殿下政所 謹み謹みて 菅右相府殿下の政所に上る
右大臣菅原道真様に申しあげる書
私こと、三善清行が謹んで申し上げます。
私と右大臣様がこの様に文を交わすことは非礼であり、
ましてや現時点で先のことを語るのは根拠のないことです。
妄言の謗りとお叱りを甘んじてお受けします。
しかし、どうか、右大臣様の寛大な心でお読みくださいませ。
私が文章生であった頃に、占いを学びました。
天の意で御代が改まる時期。
天下に騒乱が起き、且つ収まる時期。
それらを推察することが出来き、そのことは『開元経』の記すところです。
もちろん、右大臣様も御承知の事で、私のような学者風情が申すまでもありません。
しかし、中国黄帝時代、視力にすぐれ、百歩離れた所からでも毛の先まで見ることができたと伝えられる離朱でさえも、自分のまつ毛の塵は見えません。
孔子の知恵を持ってしても、見えない箱の中身までは窺い知れないでしょう。
私の狭い了見ですが意見を具申させて頂きます。
来年は辛酉の年で、天運は変革の年に当たります。
二月は卯の月、卯は東。必ずその方角から戦が起きます。
誰がその凶事を受けるのかは存じませんが、誰かが必ずその不幸を引き当てるものです。
天の声は、およそ人知では計り知れません。
ですが、世の動きから予想することが出来ます。
私が愚考いたしましたところ、
右大臣様は、学界から大臣の位まで昇られました。
天子様の御寵愛とご栄達。そして学問の世界でも栄光を示されました。
そのような方は吉備真備公の他には類を見ません。
ですが、敢えて申し上げます。
より高い地位を望まず、ご栄達からその身を退くことを申し上げます。
私のような卑しい身分の讒言を、決して無下になさらぬことを願います。
ここに謹んで申し上げます。
昌泰三年十月十一日
文章博士三善朝臣清行
謹み謹んで 右大臣菅原道真様に申し上げます。
……要は、貴方の身が危ないので、ご用心ください、という手紙だ。道真は、出世しても大学寮の博士たちからも人望があったという証拠だな。まあ、翌年に左遷されて、大宰府に流されてしまうが」
「……何かすごい人だね、道真は。でも、藤原家には適わなかったんだね」
「道真は、ある程度、自分の立場を受け入れてたのかも知れないと思う。知的集団としての『菅原家』の限界を感じて、戦闘集団として『菅原家』を地方に見出す。しかし、単に流出するのではなく、それなりの血筋に受け継いでもらいたい。しかし、それも不当な大宰府左遷は道真の予測の範囲なのか、それとも不測の事態だったのか……。この史観の相違で、今後の展開が大きく変わる」
俺は灼の納得し難い表情を、確認しながらも、先を紡ぐしかない。
俺は今は語るだけだ、評価がどうあろうとも。
「今度は『大鏡』からの引用だが、
この大臣、子どもあまたおはせしに、女君たちは婿取り、男君たちは皆、ほどほどにつけて位どもおはせしを、それも皆方方に流され給ひてかなしきに、幼くおはしける男君・女君たち慕ひ泣きておはしければ、
『小さきはあへなむ』
と、朝廷も許させ給ひしぞかし。帝の御掟、きはめてあやにくにおはしませば、この御子どもを、同じ方につかはさざりけり。方方にいとかなしく思し召して、御前の梅の花を御覧じて、
東風吹かばにほひおこせよ梅の花あるじなしとて春な忘れそ
また、亭子の帝に聞こえさせ給ふ、
流れゆくわれはみづくとなりはてぬ君しがらみとなりてとどめよ」
灼は少し驚き、だが小首を傾げ、
「ちょっと待って。その歌は北野天満宮の楼門に掲げられてる歌よね?」
「そうだ。『大鏡』には、道真が左遷に追い込まれた経緯、さらに宇多法皇から無実の罪を晴らしてもらおうと訪ねるが、会ってもらえずに詠った歌だと言われてる。しかし、逆に『扶桑略記』には、宇多法皇が道真の不当な左遷について抗議しようと内裏に昇ろうとしたが、醍醐天皇は会ってくれなかったと記されている。この相反が、さっきの大宰府左遷に対する道真の予測同様、大きく史観を左右すると考える」
灼は動揺を隠さずに言う。
「『大鏡』は藤原家の歴史書でしょ。その割に随分と道真に好意的に感じるわ。と、いうより悲劇の英雄よね。きっと祟りがよほど怖かったのかもしれないけど。対して『扶桑略記』は変な言い方だけど、政治色が濃厚に感じる。あたしは後者を支持するわ。
と、いうのは決して道真は、三善清行の文にもあるように様々な人に信頼された、藤原時平に負けない政治家だと思うから」
灼の無念に似た表情を窺いつつ、ほとんど口を付けていないカップを床に置き、俺は答える。
「俺もそう思う。北野天満宮に掲げられてる歌は、俺が知る限り『大鏡』と『北野天神絵巻』の他は聞かない。もしかしたら、あるのかも知れないが、俺はこの歌は道真の歌とは思ってない。……まあ、その理由は後で説明するが、とにかく道真は左遷はある程度、予測の範疇にあったと考える」
「と、言うには?」
灼の問いに、
「『政事要略』によれば、道真は『員外帥』として左遷される。よく、一般的に『権帥』と言われてるが、正式的には『政事要略』が正しいと思う。
員外帥とは、簡単に言うと、地方官の太宰員でもない官吏で、もはや罪人同様だったということだ。さらに官符によって、官吏の赴任ではないので、道中の馬や食は与えるなと通達された。これは大宰府までの各国庁に寝泊まり出来ないということだ。
そして、道真は二人の子供と、一人の家人を従えて九州へと向かうが、『菅家後集』の叙意一百韻によれば、常に刺客に襲われ、執拗な嫌がらせをうけていたことが綴られている」
「道真は、大宰府への道中でも命を狙われてたということね」
俺は、灼の言葉に大きく首肯する。
「とにかく斬って斬って、斬りまくって、九州までは恐らく、道真『無双』だっただろうな。二人の子供も相当な手練れだったと思う。そんでもって大宰府に着いてからも、刺客に襲われ続けてたらしい」
俺はミルクティーを少し啜る。せっかく灼が淹れ直してくれたのに、すっかり冷めてしまっていた。
おもむろに、ドアの向こうからノックが響き、「上がりましたぇ。お二人ともお風呂頂きなはれ」と声が響く。
「まあ、続きは後で、な」
俺の言葉に、灼は神妙に頷いた。
●飯塚のうんちく
今回、全く出番ないよな。。。。とほほです。
本編に出てきた歌である、
『世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし』
を詠った在原業平と菅原道真はマブダチで、しょっちゅう色町に繰り出していたそうです。
道真は、公的な場面や公卿の宴等では、酒を飲んでも全く乱れないことで有名ですが、相手によってはかなり酒癖が悪かったそうですよ。
色町で酔って詠った漢詩が残ってます。
紈質何爲不勝衣 紈なす質の何爲むとてぞ衣に勝へざる
謾言春色滿腰圍 謾りて言へらく春の色の腰の圍りに満てりと
残粧自嬾開珠匣 残粧自ずからに珠匣を開くにすら嬾し
寸歩還愁出粉闈 寸歩還りて粉闈を出でむことをだに愁ふ
嬌眼曾波風欲亂 嬌びたる眼は波を曾ねて風亂れむとす
舞身廻雪霽猶飛 舞へる身は雪を廻らして霽れてもなほし飛べり
花間日暮笙歌斷 花の間に日暮れて笙の歌断えぬ
遙望微雲洞裏歸 遙かに微かなる雲を望みて洞の裏に帰る
舞姫の白絹のような肌は、衣の重さが堪えがたいように乱れて見える。
そして、春の色のように桃白い肌を晒して「私の腰のまわりに<あなたの愛が>満ちているのです」と、見えすいたうそを言う。
情事の後の舞姫は、化粧もくずれかけ、小物を蔵う珠の手筥を手で開けることすら煩い、私も僅かな距離の宿舎に門を出て帰ってゆくのは悲しい気分です。
未練の色を見せる瞳は、風のように乱れて、次々に立つ波のように潤み、
しなやかな、その身体は、晴れても尚舞い落ちる雪のように輝かしく美しい。
花の間に日は落ち、笙の音も絶え<華やかな時間は終わり、管弦の音も聞こえなくなり>
舞姫たちは早朝、遙かな山にかかる薄雲を望み見つつ、奥深い宿へと帰る。
かなりの意訳です。。。。
申し訳ありません。
ですが、在原業平は『少女マンガ』的な世界の歌が得意なように、
菅原道真も『官能小説』的な漢詩が残っているのです。。。。
二人の、好きな女性のタイプが見えてきそうなエピソードですよね。