第九十九話:『頼朝』の業報~検証㊷~
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小田原駅西口の北条早雲公像前で待ち合わせをしていた俺たち高校生組は、予定よりやや遅れてやってきた茂木センセたち大学生組のマイクロバスに乗り込んだ。
出発前に佐々原先生は茂木センセと挨拶を交わし、何度もお辞儀をした後、窓越しに俺たちへ手を振ってくる。灼や尾崎は手を振り返し、有元花散里と諏訪野君はペコリと会釈で返す。他の者たちも同じように軽い会釈で返した。
合流して三十分ほど経過して、ようやく発車したマイクロバスは団体バス乗降場から大きくロータリーを回って多くのバスやタクシーが停まる停留場を縫うように進んでゆく。
冬休みだから人はさほど多くはないだろうと高を括っていた俺だったが、実際はバスやタクシーの乗客は人員整理のロープが渡されるほどの人だかりで、加えて通勤客の往来で坩堝と化していた。
俺たちの乗るバスは何とか県道73号に入ると、全員が落ち着きの一息を吐く。程なく茂木センセが挨拶をして、大学生組の紅一点、おっとり姉さんの中村さんが今回の旅程を説明した。運転手は中型免許・限定解除を持っている並木さんと市川さん。聞けば発掘現場に行く際、機材を多く積載できる中型車両が便利なので取得したらしい。運転は交替制で今は並木さんだ。
そして簡単な自己紹介の後は各々が車内で満喫する時間が流れる。暖かい暖房でくつろぐ山科会長と四字熟語。市川さんと中村さんに大学生活について、あれこれ訊いている部長と飯塚先輩。尾崎と新城めぐみ、有元花散里は今からお土産について騒がしく揉めている。
音と人いきれに混じって、
「平良君。小田原城、見えへんの?」
俺が振り向いた先、ストレートの黒髪を優雅に背に払いながら、見事なスタイルを大胆に見せつけるように座席ごと背後から覆いかぶさってきた。サラサラと肩から流れてくる髪とともに焚き染めた『藤袴』が鼻腔を擽る。
「い、今……左に見えてるのが、小田原城址公園だ」
一気に距離を詰められて、つい声も詰まった。しかし、そんな俺の戸惑いを気にもせず、さらに結衣さんは顔を近付ける。
「えぇぇーッ! こんなん、ただの土塁やん。天守閣は見えへんの?」
「て……てて、天守閣はもっと公園の方なのでここからは見えな――」
灼が急に俺の襟首を引っ張って、言葉が強引に途切れた。ピシッ、と灼の額に青筋が浮く。
「現存する小田原城の縄張りは江戸初期、大久保氏によって築城された総石垣の城だわ。土塁を見て北条氏の小田原城が見たいのならば、一人で八幡山にある古城跡まで行くべきね」
堂々と豪勢なプロポーションを見せつけるように、
「へぇー。さすがは灼ちゃんや。ほんまにおおきに。今度、二人で八幡山古城跡を見に、また小田原来ようなァ。平良君も大っきいの好きでっしゃろ」
結衣さんは口に手を当てて、平安時代の姫のように優雅に笑った。ついでに俺の背後から包み込むように抱きつき、わざとらしく大きな胸を押し当てる。見せつけられて、灼の手を掛けていたシートの肘置きがミシッ、と不吉な音を立てた。自分のものと見比べそうになるのを辛うじて堪え、挑戦的な低い声で言う。
「ふ……、ふふんッ! 天下の名城って言われてるけど、あたしには無駄に大きく太っただけで得意になってるようにしか見えないわね。結局、豊臣秀吉の石垣山一夜城を恐れて開城したし、平良は小ぶりでも見栄えが良いのが好きなのよ」
「太っ……!? ま、まあ……灼ちゃんのようなお子様には、大きさにロマンを求める殿方の気持ちは分からへんよねェ」
「お子……!? ただブクブクとしてるたけで見た目が悪いこと、気付いてる?」
「……!」
「……!!」
いつしか俺を挟んで、互いの間に青白い稲妻が飛び交っていた。いつもなら飯塚先輩が程よいタイミングで結衣さんの脳天に鋭い手刀を振り下ろすのだが。
「禽困覆車。鳥と車……どっちがどっち?」
四字熟語が声以上に感情に乏しい顔立ちで首を傾げた。他人事だと笑う部長の、
「小よく大を制す、と言うが――」
言った言葉を受けて、飯塚先輩が達観した笑みを浮かべる。
「大は小を兼ねる――ともいかないものだな、この場合」
穏やかではない俺は、睨み合う灼と結衣さんを刺激しないように小声で言う。
「先輩方……。一体何を言ってる?」
座席でくつろぐ山科会長が、ゆっくりと俺を見て、
「もちろんお城の話よ。大城には大城の、小城には小城なりの良さがあるわ。でも谷君は――クックック。どちらが好みなのかしらね」
左手に見える城址公園をゆっくり見る間もなくトンネルを抜け、車は右折して県道73号から国道1号線に入った。そして箱根口で『小田原箱根道路』へと進む。
「いよいよ『頼朝』ゆかりの地、伊豆に行くのだな」
嘆息交じりの感想を自分に向けた。ひと悶着あった騒動もようやく落ち着きを取り戻し、車内もゆったりをした空気と時間が流れ始める。隣に座っている灼は、自分が当事者だったことをすでに忘れて大きく頷き、
「あんたの『歴史検証』――。以仁王と源頼政による陽動作戦で、京都から平家の軍勢を引き離すと同時に意識を逸らせ、その間に八条院蔵人たちが暲子内親王の令旨を持って八条院領の国人たちに渡すべく全国に散った。その一つが源頼朝の許にも届くわけね」
期待を込めて満面の笑みで言った。俺は笑い返して言葉の先を続ける。
「うん。だが源義仲らのような八条院領の国人と異なり、今までの経緯から頼朝は特殊な立場にいる。当然令旨も届くが、逆にこの令旨は頼朝の動きを鈍くさせた。この判断は陸奥守・鎮守府将軍の藤原範季に育てられた頼朝の弟・範頼も同様だった」
「どういうこと?」
灼の問いを俺は考えながら、別の答えを口にする。
「……たとえ話になるが、中平六年<189>、中国の後漢王朝で霊帝が崩御すると、洛陽では権力集団の十常寺と大将軍何進との間で内乱状態になった。
そこで何進は董卓や呂布の義父・丁原ら全国の有力軍閥に洛陽へ集結するように命令する。それが結局、王朝の滅亡に拍車を掛けて群雄割拠の時代を呼び寄せることになった。
つまり、殿上人だった頼朝や公家の範頼が他の国人に比べて極端に動きが鈍かったのは、動乱の火に油を注ぐ結果になりはしないかと警戒してたということだ。
実際に、令旨を受けた木曽の源義仲、甲斐源氏の一条忠頼、安田義定らが軍勢を率いて次々と京都を目指して進軍するが、兵糧問題から洛内で略奪が横行し、騒動が大きくなって最終的に義仲らは朝廷に嫌われることになる。まあ、頼朝・範頼には先が見えてたということだな」
「なるほど。そこは定説通りなのね」
唸るように言う灼に、俺は苦笑で返す。
「俺は別に『歴史検証』で異説ばかりを求めてるわけではないぞ。俺なりに筋が通った検証なら定説も当然取り上げるさ。
義仲の進軍や京都での騒動は後で詳しく語るとして、まずは今まで『歴史検証』してきた源頼朝の情報整理だな」
灼は肩を竦めることで、同意を返した。
「保元の乱によって、政争が軍事力によって左右されると知った地下人の武士は成り上がる術を知る。しかし殿上人の頼朝は違った感想を持ったのだろう、平治の乱に参加した頼朝は消極的だった。そして伊豆に流されるが、これから頼朝を語るにあたって絶対に忘れてはいけないことがある」
灼が眉根を寄せて問う。
「それは何よ?」
「頼朝は十二歳で皇后権少進となり、後に従五位下・右兵衛佐に叙されてる殿上人だ。二条天皇の蔵人も勤めてる。それを踏まえた上で『征夷大将軍』について後で語るつもりだが、とにかく頼朝は『公家』であるということを忘れないでくれ」
「公家? 武家ではなくて?」
まさかの言葉に灼が戸惑いを込めた。俺は不用意だった自分の発言を省みつつ、
「諸説あるが、頼朝によって武家政権が確立すると、国人が勝手に朝廷から官位をもらうことを禁止した。つまり武士の序列を明確にするためだが、南北朝時代から戦国時代に入ると国人たちは権威付けに官位を自称するようになる。いわゆる『武家官位』と呼ばれる、本来の律令制とは異なった『家格』や『呼び名』に近い形で用いられるようになった。
江戸時代になると『武家官位』は員外官として朝廷の官位から完全に切り離し、『禁中並公家諸法度』として制度化する。この制度によって正式に公家と武家の身分が明確に分離した。当然に将軍の任官も例外ではない。
つまるところ、『武家官位』が成立するまでは、朝廷から官位を叙されることは大変に栄誉であって、無位無官の国人にとって官位を持ってる人は貴人だ。ましてや頼朝は五位以上の殿上人なので、伊豆の国人からしてみれば神に近いくらいに貴い。そういう意味で頼朝は『公家』ということになる」
補足説明を苦笑交じりに入れると、灼が文字通り一息吐いて受け取る。
「……なるほど、ね」
素直に頷いた灼に、俺は他愛もなく笑みを漏らす。
「治承四年<1180>の以仁王・源頼政父子の戦死によって伊豆国の知行国主は平時忠となる。念願の伊豆を手に入れたわけだが、本人は検非違使別当の職にあり、都の治安維持という名の反平家分子の鎮圧に忙しい。さらに以仁王や頼政軍の残党狩りに暇がないだろう。
都を離れられない時忠に代わり、部下の検非違使判官・山木兼隆が目代として伊豆へ下って来た」
「山木兼隆というと、『源平盛衰記』にある政子の嫁取りね」
灼はペットボトルを開けて、冷たいお茶を口に含む。そして、そのまま。
「ん」
乳色の頬を水風船のようにして、俺にペットボトルを差し出した。俺はそれを無言で受け取り、ごくりと飲む。
灼は、嬉しさの陰にある、小さな切ない気持ちが滲み出ていくのを感じた。
●灼のうんちく
皆様、大変ご無沙汰しております。遅々として進まない更新ですが、これからもお付き合い頂けたら嬉しいです。
さて、時忠の代理としてやって来た山木兼隆。父親の平信兼は保元・平治の乱では清盛の尖兵として戦った猛者でした。
年齢は不詳ですが、妙齢の政子よりかなり年上だったと想像できます。『源平盛衰記』では、
「……彼<頼朝>が娘に偸かに嫁してけり。北条四郎<時政>、京より下りける道にて、この事を聞きて大いに驚き、同道し下りける前検非違使兼隆をぞ聟に取るべき由契約したりけり……」
これは無理矢理結婚させられそうになる政子が、夜闇に紛れて屋敷を抜け出し、頼朝の許へ逃げてくるという有名な逸話ですが、気になるのは冒頭部分です。
北条時政は当初、目代の兼隆を婿にすることで平家に擦り寄り、伊豆の利権を獲得しようとしたことがよく分かります。しかも道すがら、頼朝と政子の関係を知り一瞬驚きますが、無かったかのように振舞い、挙句には婿の約束を取り付けて兼隆を寛大に饗応してます。公には出来ない癒着を考えていたのでしょうね。
喰えない親父だわね。。。。次回は『歴』が大いに含まれます。お楽しみにお待ちください。