ハルを愛する人 (6)
朝からしとしとと雨が降っていた。ああ、もう梅雨の時期になるのか。雨が降ると色々面倒なんだよな。シュウが家の中で騒ぐし。でも、ハルに助けてもらった時のことを思い出すから、雨自体はそこまで嫌いじゃない。目を閉じると、今でもハルの背中を思い出す。思わず笑みがこぼれそうになる。
そのハルは、今隣の教室で絶賛居残りテスト中だ。宿題忘れとか、よりによって一番厳しい古文の先生相手によくやらかしたものだ。流石のヒナもそこまではやってない。そこに痺れたり憧れたりは、ちょっと無い。
誰もいない教室の中は、しんと静まりかえっていて物寂しい。さっきまでの喧騒が懐かしい。一人になると、急に広く感じられるから不思議だ。雨だから運動部の声もあまり聞こえてこないし、まるで水の底に沈んでしまったみたい。潜水艦一年二組。バラストブロー。
今日に限って、ハルのことを待っててくれる男子の友人がいない。で、これは彼女であるヒナの出番でしょう、ということになった。確かにこんな天気の日に一人で帰るとか、つまんないよね。はいはい、居残りの愚痴も聞きますよ。ハルと一緒にいられるなら、なんだって楽しいし。
「ヒナちゃん、大丈夫?元気ない?」
別れ際、チサトがヒナのことをじっと見てそう言ってきた。ああ、チサトは良く人を見ているな。中学の頃、人の顔色ばかり窺っていて疲れたって話だったけど、その習慣が残っているのか。ありがとう、チサト。お礼にぎゅーってしてあげる。うわあ、ふかふかだよこの子。なにこれ、超気持ちいい。
元気が無いというか、ちょっとね。嫌な予感がしていた。こういう時の予感は、ありがたくないことに良く当たる。銀の鍵の力なのか何なのかはよく判らない。でも、胸騒ぎは確実にする。
あの蛇を送りつけてきた相手は、多分諦めてない。
あれから一週間は経っている。ヒナの周りは大分静かになった。まあ、幼馴染カップル如きにいつまでも騒いでいられるほど、みんなも暇ではないということだ。他人より、自分のことの方が大事。勉強に、部活に、友情に、恋に。考えることはいくらでもある。
変な風に言われることも、割とすぐに収まってきた。ハルが強気に出てくれたことがうまく作用してくれたみたい。ハル、カッコいい。文句なしに自慢の彼氏。ヒナは嬉しい。
教室や廊下でも普通にハルと話が出来るようになったし、なんというか、やっと普通の生活になってきた。朝の登校の時ぐらいしかハルとまともに会話出来ないのって、やっぱりちょっとつまんなかった。可能なら一日中一緒にいたいくらいなのに。ううん、それだとやっぱりちょっと重いかなぁ。
そうやって徐々に周囲の空気が落ち着いていく中で、刺すような鋭い意思が感じ取れてきた。敵意だ。かなり強い敵意がヒナとハルに向けられている。間違いなく、あの蛇を送りつけて来たヤツだ。
向こうもバカじゃない。下手に新しい呪いを送りつけても、またヒナに捻り潰されて呪詛返しを喰らうのがオチだと判っている。だから慎重に次の機会を伺っているのだろう。ただ、ヒナが持つ銀の鍵については知る術がない。これについて知ってくれれば、もう変なちょっかいを出そうなんて考えもしないはずだ。
諦めてくれるのが一番楽だし、お互いのためなんだけどなぁ。ヒナにしてみれば、無駄な争いはしたくなかった。姿を見せず、直接手を下さずに傷付けあったって、それじゃ現実には何の解決にもならない。出来ることなら顔を突き合わせて、真正面から言葉をぶつけ合うべきなんだろうけど、それが出来ないからこういう事になっているわけで。
はあ、もう本当に面倒くさい。
ただ、今回はハルにまでその対象が広がってしまった。ヒナが嫌われたり、攻撃されたりというのなら別にどうということはない。それは今までも数えきれないほどあったことだし、降りかかる火の粉は払い落としてきた。でも、ハルに危害を加えようとしたことだけは絶対に許せない。
諦めてくれないなら。叩き潰すしかない。
ハルを巻き込もうとするなら、容赦するつもりは一切無い。ハルはヒナの一番大事。大切な居場所。誰にも渡さない。傷付けさせない。絶対に。
教室の電灯が、ちかちか、と瞬いた。
ああ、来たか。なんというか、分かり易いね。こういうのは助かる。
でも、大体こういうパターンって、使ってる方がうまくコントロール出来てないんだよね。だって相手に気付かれちゃったら意味が無いじゃん。そっと背後から近付いて、急所に必殺の武器をブスリ。その方が断然スマートだ。ドンパチ戦争してるんじゃないんだからさ。
ヒナは教卓に立った。じゃあ、授業を始めましょうか。教科は何が良いですかね。呪術ですかね。先生はナシュトさんです。ナシュトさんはスゴイ神様で、世の中の呪術や魔術にとっても精通していらっしゃいます。
教室の中央から、大きな何かがせりあがってくる。机や椅子をすり抜けて、ぐぐっと持ち上がった鎌首。ああ、芸が無いな。また蛇だ。ただ、今度はビックリするくらいのジャンボサイズ。ヒナなんか一口でぺろりと食べられちゃいそう。
向こうさんも今度は容赦なく来た感じか。命を奪うつもりと言っても過言ではない。これは、間違いなくおまじないの範疇を越えている。
「これ、一匹だよね?ハルの方は大丈夫?」
ナシュト先生、回答よろしくお願いします。
「一匹だな。恐らく一匹だけで術師のキャパシティを越えている。制御出来ているかも怪しい」
はい、ありがとうございました。助かりました。
「前回は紙だったが、これは本物の蛇だ。命を贄としている分強力になっている」
なんとまあ。その域まで達してますか。可哀想な蛇さん。
そこまでして、一体ヒナとハルの何が気に食わないのか。ヒナにはさっぱり解らない。自分の命を懸けてまで排除したいものですかね。だったらこそこそしてないで、堂々と出てきたらどうですか。そんなにハルが欲しいなら、真正面から戦いましょうよ。負けるつもりなんて全然無いけど、その方が相手としてまだ評価出来る。
敵意、というよりはもう殺意だ。圧倒的な負の感情が乗せられて、蛇はここまで膨れ上がった。他人に対する悪意。ここまで溜めこんで、本人の精神状態がどんななのか逆に心配になってくる。
人の心は、善だけで出来ているわけじゃない。銀の鍵を手に入れた当初、中学生のヒナは人の悪意のあまりの多さに恐怖した。むしろ、人は悪意で出来ていると、そう思えるほどだった。
誰かの足を引っ張る、誰かを陥れる、困らせる、痛めつける、言いなりにする。酷いものになれば、犯す、殺す、拷問する。学校の中に蔓延する黒い妄想と負の感情の嵐に、ヒナは毎日教室の中で震えていた。隣に座っているクラスメイトの笑顔の裏には、いつもよこしまで、ふしだらな考えがあった。触れるどころか、声をかけられることも汚らわしい。
男子の頭の中には精液が詰まってる。女子の仲良しは見かけだけ。先生だって、みんなのことを面倒だとしか思っていない。
学校の外でも、状況は変わらなかった。人混みになんて絶対に入れない。隣を歩く人も、すれ違う人も、多かれ少なかれそこには悪意があり、身勝手な妄想があった。
銀の鍵を使って、ヒナは独りでそれに立ち向かおうと考えたこともあった。世界は善意で構成されているべきだ。何もかもが汚い、醜い世界になんていたくなかった。ハルと一緒にいる世界。ヒナがハルと生きていく世界。そこには夢と希望が満ち溢れていてほしかった。
しかし、それすらも自分のエゴ、自分勝手な妄想であると知ってから、ヒナはようやく世界をあるがままに受け入れられるようになった。人の考えは確かに醜い、汚い。そして身勝手だ。でも、それだけじゃない。人の中には、ちゃんと誰かを思いやる気持ちだって存在している。それを教えてくれたのは、ハルだ。
一度だけ、ヒナはハルの心の中を見てしまったことがある。何もかもが信じられなくなった時に、ヒナはハルのことすらも疑った。ヒナのことを、ハルはどう思っているのか。ハルのことを慕ってくる、幼馴染の女の子。身勝手な妄想の対象としては申し分ない。もうどうなってもいい。ハルは、ヒナのことをどんな妄想で汚しているの?そんな捨て鉢な気分で、ヒナはハルの心を覗き込んだ。
ハルの中で、ハルはヒナと手を繋いでいた。
手を繋いで、並んで立って青空を見上げていた。あの河川敷、ヒナがハルに助けられたあの場所で。ハルはヒナの手を握って、笑っていた。ヒナも、笑っていた。二人で空を見上げて、笑っていた。それが、ハルの望むヒナ。ハルの望む優しい未来。
ヒナは後悔した。壊れてしまったみたいに泣いた。そして、もう二度とハルの中を見ないと誓った。少しでもハルのことを疑った自分が馬鹿みたいだった。もう絶対に、銀の鍵の力をハルには使わない。神様の力なんて必要ない。ヒナは、自分の力だけで、ハルに好かれたい、ハルのことを好きでいたい。
ハルはいつでも、ヒナのことを照らしてくれる光。
ハルは、ヒナの居場所。ヒナは、ハルのことが好き。だから、ハルを傷付けようとする者は許せないし、誰かに譲るつもりなんて全く無い。
こんな悪意なんかに負けない。
そこに悪意が存在することは否定しない。でも、ヒナとハルの邪魔をするなら容赦はしない。絶対に負けない。ヒナは、ハルのことが好きなんだ。この気持ちだけは、絶対に誰にも負けてないって、そう言いきれる。
ヒナは、ハルのことが好き。大事なことだから何度でも言う。ヒナは、ハルのことが好き。
あなたがハルのことを欲しいって言うなら、真正面から来て言ってみなさいよ。
相手してあげる。絶対に負けない自信もある。勝てないって思うからこういうことするんでしょ?
ふざけんな。
「悪いけど、こういうのもう、慣れっこなんだよね」
銀の鍵の力はチート級だ。今まで、ヒナは全部の力を出し切ったことすらない。それに、いざとなれば我が身かわいさにナシュトも動くことになる。神様に頼るのはシャクだけど、相手が反則してくるのならこっちだって反則でお相手する。
蛇一匹の命。申し訳ないが軽いものだ。そこに乗った悪意も全て、ヒナのハルへの想いには届かない。神様なんて必要ないと言い切れるほどの想い。その心の力が、そう簡単に折れるはずがない。
蛇は大きく口を開けて、悶絶し、二つに割れた舌先をヒナの方に向けて。
そのまま、姿を消した。あっけないものだった。
第二体育倉庫。こんな場所があったんだ。体育館の裏、入り口からして目立たない。今は確かバレー部が活動中のはずだけど、その物音もあまり聞こえてこない。便利だ、ちょっと覚えておこう。
重い大きな引き戸に手をかけると、ごろごろという音がして開いた。中に人がいるんだから、鍵なんかかかってるわけがない。電灯のスイッチも入ってる。ホコリとカビの臭い。あんまり長居したい場所ではないかな。まあ、倉庫だし。
大きな台車に、パイプ椅子がぎっしりと積まれている。なるほど、入学式の時に座った椅子はここに収納されていたんだ。でもここから体育館の中まで運ぶのは結構大変じゃないかなぁ。誰がやるんだろう。あ、在校生か。ええー、来年辺りやらされることになるのかなぁ。
とりあえず脱線はその位にしておいて、パイプ椅子の森の中を進んでいく。この倉庫、結構広い。電灯も少ないし、薄暗くて不気味だ。用がなければこんなところ間違っても来たくはない。
一番奥、コンクリートの床と壁が垂直に交わる場所。そこに、彼女はいた。
リボンの色からして一年生か、ぐったりと座り込んで、力なくヒナのことを見上げている。丸い眼鏡に、お下げに結った髪。どんなブスかと思ったら、地味子だけど別に可愛くないってことは無い。事情を知らなければ、大丈夫?、なんて声をかけそうになってしまいそう。でも、残念ながらそういう状況じゃないのよね。
彼女の右手には、しっかりと蛇の亡骸が握られている。
ああ、間違いなくこの娘だ。無茶なことをする。喧嘩をする時は相手の力量をよく測らないとダメだ。最初に身喰らう蛇の呪いをアッサリと破られた時点で、この娘は手を引くべきだったんだ。
まだるっこしいな。時間の無駄だ。ヒナは銀の鍵の力を使った。一年一組、生方タエさん。初めましてだね。体育の授業は一緒になったことがあるけど、面識はほぼゼロ。喋ったことも無いかな。
何か心の中がドロドロとしている。さっきの蛇の影響がまだ残っているのか。ああ、やっぱりヒナとハルが一緒にいるのが気に食わないんだ。それはごめんなさいね。
あなたに何を思われようが、ヒナはハルと別れるつもりなんて全然無いから。
「ハルのこと、好きなの?」
それでもこの子、タエがハルのことをとても好きだと言うのなら、話ぐらいは聞いてあげたい。ハルのことが大好きな人同士として、ハルの彼女として、その想いは受け止めてあげたい。負けるつもりはないけど、ハルへの想いが本物なら、それを認めてあげることはやぶさかではない。人を好きになること、それ自体は自由なことだ。
タエはぼんやりと焦点の合わない目でヒナのことを見ていたが。
ヒナの問いかけを聞いて、身体をひくひくと震わせ始めた。口角が上がり、目から涙がこぼれる。しゃっくりみたいな声が漏れる。なんだ?なんだこれ、ちょっと待って、なにかおかしい。
「何言ってんのアンタ?ハル?ああ、あの冴えない男子?馬鹿じゃないの?あんな不細工、なんで私が?」
タエは笑っていた。嘲笑だ。この娘は歪んでいる。もっと奥、そこに何か潜んでいる。表面だけなぞっていたから見落としていた。こんなヤツ相手に加減なんかいらなかったんだ。
タエはハルの事なんか、何とも思ってない。いや、そもそもハルに対して全然興味を持っていない。え?じゃあヒナ?ヒナのことが好きとか?
いや、そうでもない。なんだこれ。じゃあただのやっかみ?そんな理由でここまで噛みついて来たの?それじゃあまるで狂犬だよ。通り魔に遭ったみたいなもの?
違う。タエの中には誰かがいる。眩しい光がある。タエの夢、望み、理想。
男子生徒。
・・・えーっと、誰これ?
どっかで見たことあるんだよな。全然知らないわけじゃない気がする。ネクタイの色からして先輩だな。名前は、支倉?いや知らない。聞いたことがない。
多分タエのフィルターがかかってるからだと思うんだけど、なんていうか爽やかイケメン?カッコいい?んじゃない?でもハルじゃないし。ふーん、ぐらい。
え?こいつが何?なんなの?
「支倉先輩は、アンタの事が好きだって言ってた」
ホワッツ?パードゥン?
ごめん、本気で意味が判らない。何言ってんのこの子?
ああ、話すのつらいね。ごめん、もう勝手に読ませてもらうわ。なんか口で説明してもらってもラチがあかなそう。なんていうか、歪みすぎてスパゲッティ。フォークとスプーン持ってきて。
この支倉とかいう人は、タエの中学の先輩だった。タエは支倉先輩のことをとってもカッコいいって、ずっと好きだった。はあそうなんだ。そりゃ結構。
支倉先輩を追いかけて、タエはこの高校にやって来た。涙ぐましい努力だと思うよ。頑張ってるね。ここまではヒナにも理解出来る。好きな人のそばにいたいと思う気持ちは、ヒナも同じ。ハルがいるからヒナはこの学校にいる。
支倉先輩に会うために、タエはこの高校に入った。解る。支倉先輩には、新一年生の中に気になる子がいた。それはタエではない別な女の子だった。ありゃ、それは何と言うか、ご愁傷さま。
その気になる子とは、ヒナだった。
うっわ、マジですか。
それは何と言うか、ごめんなさい。でも、ヒナに悪気は無い。ヒナは別に誰彼構わずモテたいなんて思ってないし、変なモーションだってかけたつもりはない。ハルが好きになってくれればそれで良い。その先輩のことは、まあ見てくれは悪く無いかもしれないけど、ヒナ的にはアウトオブ眼中だ。
あれ?でもちょっと待って。
ヒナはハルと付き合ってる。そのことはタエも知ってる。それで良いよね?そこでハルとの仲を邪魔するまでしなくてもいいんじゃない?支倉先輩は今フリーなんだから、ヒナの事なんて忘れちゃって、タエがアタックしちゃえばいいじゃん。何が問題なの?
「支倉先輩はね、すごく素敵なんだよ」
強い感情が伝わってくる。タエは、支倉先輩のことをすごく好きなんだ。うん、その気持ちに偽りはないみたい。
「支倉先輩に好かれるとか、それだけで喜ぶべきなんだよ。先輩に好かれたんだったら、先輩と付き合うべきなんだよ。あんな素敵な先輩と付き合わないなんて、おかしいよ。理屈に合わないよ」
支倉先輩は、タエにとっては眩しすぎる光、手が届かないくらい遠い人。そうなんだ。理由はわからないけど、タエには支倉先輩の隣に立つ自信がない。正面からぶつかっていく勇気が無い。違う世界に住んでる人。だから、支倉先輩が好きなった人が、先輩と親しくなって、その人と幸せになってくれればそれで良いって考えてる。
「それなのに何なのアンタ?幼馴染?お手軽な相手とくっついちゃってさ。何それ?超つまんないんだけど」
面白くなかったんだね。タエにとって支倉先輩はとても素敵な人なのに、ヒナはその存在を意識すらしていない。それどころか、タエにとっては何の価値もない幼馴染のハルと付き合い始めちゃった。タエの素敵な先輩は、歯牙にもかけられずに負けちゃった。
「私は先輩が好きなの。先輩に幸せになって欲しいの。先輩が好きになった人、先輩にはその人と結ばれて、幸せになって欲しいんだよ」
・・・ねえ、タエ。
好きな人がいて、同じ高校に入るまで追いかけて。
幸せになって欲しいとまで言って。
どうして、その人の隣に立つことを、早々に諦めてしまうの?
ヒナにはそれがわからない。
「支倉先輩のこと、好き?」
ヒナは静かにそう訊いた。タエは敵意のこもった眼でヒナのことを睨み付けた。
「好きだよ。先輩のこと、私は好きなんだよ」
そうだよね。わかるよ。タエの心がズキズキと痛むの、感じる。
「好きなんだ。好きなんだよ。先輩、好きなんです」
タエの目から、大粒の涙が溢れ出す。うん、タエは支倉先輩のこと、とても好きなんだ。
「先輩、私、好きなんです。先輩のこと、好きなんです」
正直になろう。タエが先輩の幸せを願う気持ちが嘘だなんて言わないけど。でも、タエだってもっと幸せになって良い。幸せになろうとして良い。タエが先輩を幸せにするって、そう考えたって良い。
泣くほど好きなんでしょう?じゃあヒナと一緒。ヒナもハルのこと大好きなんだ。泣いちゃうくらい。
幼馴染なのは確かなんだけど、でもお手軽とか、楽とか、そんなことは無い。ヒナだって沢山努力して、沢山苦労した。好きな人に好かれるために、いっぱい頑張った。
タエも頑張ろう。何がタエを躊躇させているのかはわからないけど、答えはきっとあるよ。
支倉先輩は、芸能人とかじゃない。ちゃんとタエの手が届くところにいる人だ。タエが何で自分の手を伸ばさないのか、何故こんなに歪んでしまっているのか、その理由はとにかくとして。これだけ強い想いを乗せられたんだ。タエがそのつもりなら、きっと支倉先輩の隣に立つことは出来る。ヒナはそう思う。
だから、こんなことはもうやめよう。こうやって陰湿なことして、裏からこそこそ攻撃して、そんなことしてたら、支倉先輩に顔向け出来ないでしょう?正面から先輩の顔が見れないでしょう?
ヒナだってそう。銀の鍵。この力でハルの心を読んで、いいように誘導して、ヒナにとって心地よい関係を作ることは簡単に出来る。でも、そんなことをしたら、ヒナは絶対にハルと顔を合わせることが出来ない。そんなズルでハルとくっついても、何にもいいことなんてない。
タエが何故一歩を踏み出すことが出来ないのか。その原因を読むことはしない。タエの答えは、タエ自身で見つけるべきだ。そこにはひょっとしたら、ヒナには想像もつかない何かがあるのかもしれない。でも。
こんなに好きなら、きっと届くよ。突き抜ける想いがあれば、呪いなんて、神様なんて、必要ない。
タエの後ろに、大きな黒い影が浮かんだ。蛇の形をした影。命を犠牲にした呪いの、強い呪詛返し。
もしタエがヒナにとってどうしようもない相手だったなら、このまま放っておくつもりだった。ヒナとハルに危害を加えて来るような相手がどうなろうが、基本的には知ったことではない。
でも、実際に顔を突き合わせて話をしてみれば、ちゃんと理解することが出来る。ほらね、やっぱりこうやって直接やり取りする方が楽なんだって。お互いにスッキリ解決でしょう?
蛇さんごめんね。これでおしまいだから。
呪詛返しを銀の鍵で無効にする。その時になって、ヒナはようやく支倉先輩が誰なのかを思い出した。視聴覚教室で、ヒナの荷物を持とうかと声をかけてきた先輩だ。
あれがあったから、ハルはヒナに告白してくれたとも言える。そう考えたらちょっとした恩人だ。似非の臭いはしたけれど、確かにカッコよかった?かな?うん。
ありがとう、支倉先輩。
ヒナはあなたの期待に応えることは出来ません。その代わり、あなたのことをとても好きな子がいます。どうか、振り向いてあげてください。
お願いします。ごめんなさい。