第六話 『死のエンドロール』
スクリーンにエンドロールが流れ始める。
強盗にナイフで刺されるおれ、という図を背景に、軽妙で楽しげな音楽を鳴らしながら。
よくよく見れば監督や出演者が記名されてあり、ネネやおれ、風花の名前まであった。遊び心のつもりだろうけれど、音楽といいクレジットといい、死神とはいえこれは悪趣味が過ぎると思った。黒歴史を延々と見せられたほうがよっぽどマシだろう。
「ふふん、どうです? なかなか面白い演出でしょう」
当の本人は無邪気な笑みさえ浮かべておれの顔を覗きこんでくる。サイドテールが悪戯っぽく跳ねた。
「…………」
恐ろしいことに、その顔に悪意は微塵も感じられなかった。
おれは答えず、頭を座席に預けて深く息を吐いた。どう整理していいかがわからない。まさか自分の最期をこの目で見るはめになるとは思わなかった。
これが本当に起こったことなのか、それともネネが作り出した虚構の出来事でしかないのか。後者だと切に信じたい気持ちはあるけれど、とてもそうは思えなかった。おれと風花のやりとりも、強盗も、ナイフで刺されたことも、こうして走馬燈として見せられたことで記憶の蓋が外れたみたいにぼんやりと思い出しつつあるのだから。
「混乱されているようですね、玉坂さん」
まぁ無理もないですけど、とネネは穏やかな口調で言う。
「殺されるのも初体験でしょうし、ましてや玉坂さんは記憶が飛んでしまっています。実際に起きたことなのか、ネネが作ったフィクションなのかも区別がつかないんですよね。あ、それとも何か思い出してきました?」
おれは首を振った。
記憶は徐々に戻りつつはあったけれど、何か、肝心な部分が思い出せていない気がする。思い出さなきゃいけないような、思い出してはいけないような――そんな、漠然と不安をかき立てられる記憶が。
「そうですか。でも、すぐに思い出せると思いますよ。それよりポップコーンでもお一ついかがです?」
慰めのつもりだろうか、ネネは両手に抱えたLサイズのカップを差しだしてくる。
あまり食べる気分ではなかったけれど、せっかくなので貰うことにした。カップの中からポップコーンを一掴み、手元に持ってくるとバターの香りが鼻腔をくすぐり、胃を刺激した。一粒食べてみるとふわりと甘く、さくっとした感触。バターの味が口いっぽいに広がってやみつきになりそうだった。
「美味しい」
ぽつりとこぼすと、ネネがニンマリと笑った。
「うふふ、でしょう? それは夢見る乙女の味ですからね」
乙女? と聞き返すと彼女は頷いた。
「ええ。どうしても叶えたい夢があってネネと契約した女の子の魂ですよ、ソレ」
「ッ」
驚きのあまり飲みこんでしまった。さぁ、っと血の気が引く。
「ちょっと待って。これってただのポップコーンじゃ」
けれどネネは聞く耳持たず、ポップコーンをガサゴソと漁って一粒取り出すと、スクリーンの光にかざすようにそれをかかげた。
「例えばこれなんか面白いですよ。受験生として頑張って頑張って勉強して大学に合格したはいいですけど、その直後に交通事故に遭っちゃいましたからね。だからネネと契約して、受験をしないで遊びつくす人生をこの子は選らんだんですよ。このポップコーンはいわば汗と涙の結晶、美味しくないはずがありません」
そう言ってひょいと口に放りこみ、ネネは両手で顔をはさんでうっとりとする。
「んんー、ちょっぴりしょっぱくて青春の味がします」
「…………」
あまりの衝撃に、おれは絶句するしかなかった。
ふと、スクリーンに目をやるとクレジットはまだ流れたままになっていた。
おれは腹にナイフを突き立てたまま後ろに倒れていて、強盗はその場でしゃがみこんで呆然としている。我に返り、人を刺したことに今頃ショックを受けているのだろうか。後悔するくらいなら刺す前によく考えてからにして欲しかった、と怒りと呆れが沸々と湧き出してくる。
とそこで、異変があった。
ふらふらと、強盗の男の後ろから歩いてくる影が現れた。
長い黒髪を揺らしながら、ボロボロの傘をひきずるようにして歩く、一人の少女が。見間違いようもなくそれは、おれのよく知る女の子だった。
「風花……?」
彼女は背を向けてうずくまる男のすぐ後ろで立ち止まると、ゆっくりと、手にしたボロボロの傘を振り上げる。刀に似せた傘の柄を両手で堅く握りしめて、まるで切腹をする際に立ち会う介錯人みたいな格好だな、と間の抜けた感想が思い浮かぶ。
要するに、おれは受け入れられなかったのだ。無意識に現実から目を背けていた。
風花が傘を振り下ろす。うずくまっていた男は前のめりに倒れ、驚いたように振り返る。そこへ風花が畳みかける。叩く、叩く、叩く。男が手を前に突きだして防ごうとすると、今度は傘のきっさきを使って突きを繰り出した。突く、突く、突く。腕を肩を鳩尾を狙ってとことん痛めつける。吹き荒れる怒りに任せ、黒髪を激しく揺らしながら。
しかしそれは、長くは続かなかった。
繰り出された突きを男が素手で掴む。傘はそのままもぎ取られ、へし折られ、男の後ろに放り投げられる。武器を失った風花は頭に血が登っているせいか無謀にも男に掴みかかった。が、力の差は歴然。すぐに攻守は逆転し、彼女は後ろに倒れ、男が馬乗りになる。男の背中が影になってよく見えないものの、風花は両手を使って必死に抵抗しているみたいだった。足をジタバタとさせる。
そこへ、男の拳が振り下ろされた。
一撃目で彼女は怯み、二撃目でまた強く抵抗した。しかし三発、四発、と打たれるうちに彼女がみるみる弱っていくのがよくわかった。やがて抵抗を一切しなくなっても、男は殴り続けた。エンドロールが流れる中で、軽妙で楽しげな音楽が奏でる中で、男は夢中で殴り続けた。赤くなった拳が振り下ろされると同時に、風花の足がびくんびくんと跳ね上がる。
気づけばおれは、手に持っていたポップコーンを落としていた。
ぽろぽろと白い粒は床にこぼれ、ネネが悲鳴に近い声を上げる。
「ああっ、なんてもったいないことを!」
席から飛び降りて彼女はポップコーンをかき集める。「三秒ルールです、三秒ルール」と何やら呟きながら、ポップコーンにふぅふぅと息を吹きかけてはカップに戻していく。
全部を回収したと見ると、カップを抱きかかえてすねるようにネネは口を尖らせた。
「まったく玉坂さんは。食べものを粗末に扱っちゃダメなんですよ、もう」
「なぁ、ネネ」
「なんですか? 泣いてわびたってもうあなたには食べさせませんよ」
おれはゆるゆると首を振った。
「そうじゃない。契約のことについて聞きたいことがあるんだ」
力なく声を振りしぼると、ネネは目の色を変えた。
「えへへ、それを先に言って下さいよぅ。えっと、契約についてどこまで説明しましたっけ? ご不明な点や気になることはあります? あ、ポップコーンをお一つどうぞ」
手の平を返したような営業スマイル。心の内で舌なめずりしているのが見え見えだった。彼女の挙動はあまりにも不自然で、危険な綱渡りをしようとしているのは自分でもわかっている。だけどそれは、今はどうでもよかった。
おれは差しだされたポップコーンを断り、単刀直入に質問する。
「契約をしたら、風花を助けることはできるの?」
「ええ、ええ、できますともできますとも。玉坂さんを過去に戻して小西風花さんを助けることは可能です」
「過去に、戻す……?」
まるでSFみたいな話だった。ネネがこくこくと頷く。
「そうですそうです。願いを叶えるといっても万能ではありませんからね。基本的に死神がしてあげられるのは、過去改変くらいです。ま、注意点はいくつかありますけど」
彼女はそう言ってぴんと指を一本立てた。
「まず一つ目は、さっきも言いましたが契約をすれば地獄行きです」
「死神に魂をポップコーンにされて?」
「あれは冗談ですよ。死神の間でよく使われている一種のジョークです」
「……そうだったんだ」
とんだブラックユーモアだ。
彼女は二本目の指を立てる。
「二つ目は、契約をしても上手くいくとは限らないことです」
「どういうこと?」
「あちらの現実に戻った時、このシアターで話した記憶はさっぱり忘れてしまっているからです。でないと、死神の情報がダダ漏れですからね。完全に忘れるわけじゃないですが、覚えていたとしても夢でも見たんだと考えるのが普通でしょう」
「だったら!」
おれは思わず叫んだ。
「だったら、どうやって風花を助けるっていうんだ。ここでの記憶がなくなれば契約をしても無意味じゃないか」
「そう焦らないで下さい。その点はきっと大丈夫ですから」
「大丈夫って。じゃあ何が問題なんだよ」
苛立ちを隠せずおれは彼女を睨みつける。なのに、ネネは微笑みすら浮かべていた。
「それは玉坂さんの頑張り次第です。それよりも」
と彼女は一度区切り、おれの目を覗きこんでくる。じぃ、と。まるですべてを見透かそうとするように。
「玉坂さん。あなたの願いは、彼女の命を助けるだけで本当にいいんですか?」
「まるでそれ以外にも願いがあるみたいな言い方だね」
「違いますか?」
ネネは小首を傾げる。お見通しですよ、とでも言いたげにクスクスと笑った。
おれはもう一度、スクリーンを見る。そこには男の姿はすでになかった。我に返って逃走したのだろう。いるのはぴくりとも動かず横たわっている風花だけだ。
彼女は、おれがついた一つの嘘を信じ続けたまま、死んでしまっていた。