第五話 『悪夢の夜』
灰色のパーカーを目深にかぶり、ポケットに両手を突っこんでいる。身長は目測で、中肉中背の自分と同じくらい。肩が張っているせいか横に大きく見えた。男は店内を見回す素振りをしたかと思うと、ミラーから消えてしまう。
「幸夜?」
さっきまで肩を怒らしていた風花が怪訝な顔でおれの顔を覗きこんできた。
「どうしたの? さっきから……んんっ」
「しっ、静かに」
おれは強引に風花の口元を手で押さえ、しゃがむように促した。彼女も混乱しつつも異変を察してくれたようで、素直に従ってくれた。その直後だった。
『ま、待て、落ち着くんだ。早まるんじゃないっ』
レジにいた男性スタッフのものだろう、焦燥めいた声が店内に響いた。
明らかに雰囲気が緊迫をはらみ、それを察した風花が目を見開いておれに小声で話しかけてくる。
「幸夜、これってもしかして」
「うん、たぶん」
頷くと、彼女は神妙な顔つきで俯いた。それから何をするかと思えば、くるりと振り返って移動をし始める。
「風花!」
声を抑えて制止を試みるも聞く耳持たず、彼女は陳列棚の影に隠れるようにして移動していく。おれもその後を恐る恐る着いていく形になった。やがて、入り口側のレジが通路越しに見える位置にまでやってくる。
おれと風花はゆっくりと棚の横から顔を出す。途端にぎょっとした。
最初に目についたのは、ナイフだった。
刃渡り20センチ程度の短いものだったけれど、凶器は凶器。もちろん手にしているのは灰色パーカーの男だった。イライラしているのかナイフの持つ手をせわしなく動かし、その度にナイフが蛍光灯の光を不気味に反射する。
『余計なことをしたら刺すっけな。動けば殺す。足元の警報装置も踏んでもダメだ。俺には全部お見通しだぞ!』
男の低く掠れた声、少し訛りのある口調だった。
おれと風花は棚の影に首を引っこめて顔を見合わせる。
「コレ、どう見ても強盗だよね、幸夜?」
「それもコンビニのアルバイト経験がある強盗だよ。防犯対策を熟知してる」
声の質的に二十代後半といったところだろう。大方人生に絶望してヤケになったのかもしれない。とんだとばっちりを受けたものだ。
「それで、どうするんだい?」
「どうするって、警察に電話するしかないでしょ。……ってあ! そういえば携帯持ってくるの忘れてた。風花は?」
すると彼女は首を振った。
「散歩するだけだもの、携帯なんて持ってくるわけないじゃないか」
一体何のための携帯だよ、とでも言いたげにおれはため息をつく。そして諦めるように首を振った。
「だったら見守るしかないよ。きっとアイツの狙いはレジのお金だ。お金さえ大人しく渡せば被害は出さずに済むし、数日後には逮捕されてるでしょ」
しかし、風花はまた首を振った。
「それで済めばいいのだけれどね。たぶんあの店員さん、抵抗する気だよ。隙を見て撃退しようと考えてるのが見え見えだもの」
「どうしてそれが」
「そんなの、目を見ればわかるものさ。だから助ける準備をしとかなきゃ」
信じられない、とばかりにおれは首を振る。
「助けるって、どうやって? おれたちに何ができるっていうんだよ。それに、もしかしたらあの店員が抵抗しないかもしれないじゃないか。去り際に鉢合わせでもしたら殺されるかもしれない。残ったほうがいい。おれは残る」
「幸夜……」
風花は最初驚きに目を見開き、次に切なげな表情に。どこか泣きそうな彼女を見て、おれは胸が締めつけられる思いだった。けれどそれも一瞬で、次の瞬間には風花はいつもの調子で爽やかな笑みを浮かべている。
「わかった。じゃあ幸夜はここにいて。ボクは行く」
「そんな風花、どうして……!」
とっさにおれは彼女の腕を掴む。しかし、その手は風花に優しく引きはがされてしまう。
そして彼女は言った。
「人にはね、幸夜。立ち向かわなきゃいけない瞬間っていうのがあると思うんだ。どんなに恐ろしくても、どんなに苦しくてもね」
それに、と風花は続ける。
「きっとこれは、ボクにとってチャンスでもあるんだ。この機会を逃したくない」
「……何を、言ってるの?」
風花は何も答えなかった。彼女は棚の側面からまた顔を出し、レジの様子を窺う。そこでおれはハッとした。棚に掴まっている風花の右手が、小刻みに震えていた。
「風花、チャンスってまさか――」
問い詰めようとした束の間、それは振り返った彼女の人差し指によって遮られた。
指先を口元に、それから穏やかに微笑んでみせる風花。
「ボクをよく見ててよ、幸夜。大丈夫、きっと上手くいくから」
上手くいく、と彼女は繰り返す。まるで自分自身に言い聞かせるように。
その言葉を聞いた瞬間、おれは息を呑んだ。映画館の椅子に座ってスクリーンを見ているだけのはずが、怖いくらい生々しく感じてしまう。気づけば握る両手から汗が滲んでいた。
待ってよ、風花。ダメだ。何を考えているんだ。
「待ってよ風花。何を考えてるんだ!」
椅子に座るおれとスクリーンの中のおれがシンクロする。
直後に風花は振り返り、さらに奥へと進む。おれは必死に手を伸ばした。
「風花、待っ――」
しかし声は届かず、伸ばされた手も、虚しく空を切るだけだった。
彼女は棚の影から影へと軽やかに移動し、正面にあった書籍コーナーを右に曲がると姿が見えなくなった。後を追おうとしても通路を横切れば見つかる可能性もある。仮に彼女に追いつけたとして今さら何ができるというのだろう――きっと、この時のおれはそう思っていたに違いない。そんな気持ちが手にとるようにわかるのが腹立たしかった。
棚の影から見守り続けるおれの姿はなんとも情けない姿で、椅子の肘掛けを掴んだ手に力が入った。
「早くしろ。全部だっけな、レジのあり金全部出せ」
強盗の男は苛立たしげにナイフの柄で机を叩き、店員を急かしていた。
すでに入り口の一つ目のレジを後に、奥にある二つ目のレジに取りかかるところだった。店員は札束や小銭を次々カウンターに出していき、それを男がコンビニのレジ袋に入れていく。ナイフを右手に、左手で現金を袋に。威嚇こそしているものの男は現金に気をとられている様子だった。
そして、それを店員は見逃さなかった。
万札をカウンターの上に置き、それを強盗の左手が掴んだ瞬間を狙った。意識が札束に向かったのを機に、右手のナイフに店員が飛びかかった。
「うおッ、てめ、何すんだや!」
カウンター越しにナイフの奪い合いが始まる。虚を突かれた強盗が前のめりにバランスを崩しそうになるも、踏ん張って持ち返す。その拍子に頭を覆っていた灰色のフードが落ちた。
短く刈りあげた金色の頭髪、青筋の立った浅黒い肌が露わになる。唇は厚く、眉は太く、目は血走り、眼光は異様なほどギラギラとしていた。
「ひっ」
店員はその風貌に悲鳴を上げる。その瞬間、ここぞとばかりに強盗はナイフを店員からもぎとった。そして再び刃先を突きつける。
「おかしなことするなっつってんだろがや。しゃあつけっろ!」
男はくるりとナイフの刃先を下にして持ちかえたと思えば、躊躇いもなく振り下ろした。カウンターに置かれた店員の手の甲を狙って。
けれどその直後、変化があった。
「がッ!?」
男の顔が歪む。痛みに顔をしかめるという意味ではなくて、外部からの働きによって物理的に顔が歪んだ。具体的には、男の真横から薙ぎ払われた黒い傘によって。
それを手にするのは、もちろん風花だった。入り口に置いてあった『刀傘』を武器に強盗と対峙する。
彼女は両手で刀の鍔のような傘の柄を握り、レジの向こうで怯える店員に叫んだ。
「早く逃げるんだ! ここはボクが!」
一喝すると店員は弾かれたようにカウンターから脱出し、入り口のドアを開けて転がり走っていった。これでとりあえずは人命は救助されて、あの店員もすぐに警察に連絡してくれるだろう。
しかし、それでことが終わるはずもなかった。
顔を左手で押さえ、痛みに悶えていた男がふらりと態勢を立て直す。
「て、めぇ……。女のクセにふざけたことを」
血走った目で風花を見下ろす形で睨みつける。けれど彼女は涼しげな顔で手に持つ傘を掲げてみせた。
「キミは知ってるかい? バットウーマンがこの刀傘につけた名前を」
「あ?」
「この傘に、彼女は『子守唄』って名前をつけてたんだってさ。悪人どもを眠らせるための傘。ふふ、ぴったりだろう?」
ひゅん、と風花は刀傘を振るってみせる。
その言葉も仕草も、すべてが芝居がかっていた。自分が力じゃ男に敵わないとわかっているから、こうして自分に有利な雰囲気を作り出していく。彼女の計算のうちだった。
けれどそれも、男に理性が働いていれば、という前提の話。激情して頭に血が登っている人間になんてそもそも話なんて通じない。説得も交渉もはったりもまるで意味を持たなかった。
「黙れやてめぇ、ぶっ殺すぞッ」
問答無用に男はナイフをめちゃくちゃに振り回す。
風花はそれを傘で防ぐも、みるみるうちに傘はズタズタに引き裂かれていった。ナイロンの布が破れ、内側の骨が折れ、芯が右に左に歪にひしゃげていく。
「うッ」
デタラメに飛び交うナイフが、受け損ねた風花の右手の甲を浅く切った。彼女は弾みで刀傘を手放してしまう。男は息を荒げて醜い笑みを口元に広げた。
「ハハ、おめぇが眠ってろや」
渇いた笑い。男の振り上げた腕の影が風花の顔を覆い、ナイフが一気に振り下ろされる。一直線、吸いこまれるように彼女の眉間めがけて鈍く輝く刃先が走った。真っ赤な血が飛散する。
そう思った、直後だった。
男のこめかみに、缶ジュースが炸裂した。ブラックコーヒーの小さな缶ではあるものの、みっちりと中身の詰まったものを投げれば充分な凶器だった。男がよろめく。
「幸夜!」
風花が叫んだ。そう、缶コーヒーを投げたのは店の奥にいたおれだった。足元に置いてある買い物カゴにはショーケースから引っ張ってきただろう小さな缶が大量に入っている。野球部に所属しているわけじゃないけれど、コントロールにはそこそこ自信があっての戦法だった。
「痛え、痛えなちくしょう! んなモン投げやがってぇえええ!」
逆上し、男は肩を怒らせナイフを手におれの方へと向かってくる。
対するおれは次々と籠から缶を取りだしては投げていく。が、焦りからか、さっきとは一転してことごとく狙いを外してしまっていた。おれは後ろにいる風花に叫ぶ。
「何してるんだ、早く逃げろ! 早く、外に出て警察に――」
そこで、言葉は不自然に途切れた。
――トン、と。
おれの身体に、男の身体がぶつかっていた。あの一瞬で密着するほど距離をつめられていたことに驚いてか、おれは目を見開いた。声を失い、時が止まり、嫌な沈黙がその場を支配する。足元には赤い雫がぽたぽたと垂れていた。
そしておれの脇腹に、ナイフが突き刺さっているのが見えた。
今日はレンタルショップで旧作になっていた洋画の『ゴジラ』を見てました。
ゴジラは原子力をパワーの源にしていて、普段は地球の中心にある核からエネルギーを供給している、という説明が面白いと思いました(これってもともとの設定なんでしょうかね)。
次回策でキングギドラが出ます! とか言ったらちょっと映画館で見てみたいかもです。
ちなみに、本編で出てきた『しゃあつけっろ』は新潟弁で、『叩きつけるぞ!』という意味です。よく友達の母親がその子をしかる時に使ってました(笑)