第二話 『サイドキック』
スクリーンの中で、瀬賀が顔を青くして天須神社から逃げ出していた。
お面の少年も猫の鍵尻尾のような傘を拾ってその後を追い、残された風花だけがその場で立ち尽くしていた。記憶が薄れておぼろげであるものの、たしかにおれの記憶であるらしい。自分が体験した過去を映画館で見るというのは不思議な感じだった。
「でもよりにもよって、こんな場面を見せられるなんてね」
ため息をつく。
ポップコーンを手の平で作るという常人離れした技を見せつけられたものの、今だに死神云々の話は頭から信じられなかった。困惑してか思った事は、自分の過去をどうせ見るならもう少し輝かしい映像を見たかった、というものだった。火事で燃えさかる民家から子供を救い出したシーンだとか、可愛い女の子に告白されるシーンだとか、荒ぶる強盗たちをたった一人で制圧してしまうシーンだとか。まぁそんな過去はないけれど。
ふと、隣に座るネネの返事がないことに気づく。一つ皮肉を言えば二つ三つ返してきそうなものなのに。さりげなく視線を向けると、彼女はポップコーンを人形のように腕に抱いて、食いいるようにスクリーンを見つめていた。
「……?」
光に反射して青白く照らされるその横顔は、なんというか、どこか寂しげな感じがして。
同時に何かを懐かしむような、口元に薄く笑みを浮かべているようにも見えた。
「ネネ?」
声をかけると彼女はハッと我に返る。えへへ、と照れたように笑った。
「なかなか過激なアクションシーンだったので魅入っちゃいました。……えっと、なんか仰いました?」
なんでもないよ、とおれは首を振る。なんだか皮肉を言い直すのも憚られた。
「ところでこれはおれの過去なんだろうけれど、厳密におれの視点じゃないのはどうして?」
尋ねると、彼女は穏やかに微笑んだ。
「単純にネネの好みです。モキュメンタリーみたいに視点をそのままカメラに使うこともありますけど、基本はオーソドックスな映画風にして見るのが一番面白いんですよ」
「人の人生を娯楽みたいに」
「死神ですからね。ネネたち死神にとって、他人の人生ほど面白い娯楽はありませんよ。悪趣味な方だと他人の黒歴史ばかり上映して隣の本人を悶えさせる、という楽しみ方をしている人もいますよ。玉坂さんもソッチがお好みと仰るならつき合いますけど」
「それはNGの方向で」
ゾッとする話だった。
おれはしかし、もっと根本的な疑問を思い浮かんだ。
もしもこれが夢じゃなければと過程して、ネネが本当に死神だったと過程して、なぜ死神はこういう形で走馬燈を見せるのだろうか?
そんな素朴な疑問だった。あるいは世界の秘密ともいうべきか。
世界の秘密。そんな大仰な言葉が思い浮かぶ辺り、根っからおれが信じてはいないのはまるわかりなんだけれど。しかし気にならないと言えばそれは嘘になる。
「なぁ、ネネ」
「玉坂さんは」
踏みこむ直前、彼女は言葉を遮るようにおれの名前を口にした。
大きな茶色の瞳がまっすぐにおれに向けられ、嫌に落ち着いた様子だった。思わず呑まれ、喉下まで出かかった言葉を飲みこんでしまう。
そしてネネは言った。
「玉坂さんは、スーパーマンになれたら何をしたいですか?」
藪から棒に、彼女はそう言った。一瞬思考が停止しかけるほど面食らってしまう。
「なんで?」
「いえ、男の人なら誰しも一度は夢想するものだと思いまして。スーパーマンの能力はスゴイですからね。目から熱光線も出せますし、力持ちです。足も速いし空だって飛べます」
びゆん、とネネは右手で空を飛ぶジェスチャーをする。
おれは答えに窮した。単なる思いつきで聞いているのか、それとも別に意図があるのか。彼女の掴みにくい笑みを見ていると、疑心暗鬼になってくる。
「そういえば透視能力もありましたっけね。映画じゃヒロインのスカートを透視してましたし。あは、クールな玉坂さんも実はご多分に漏れずそんな願望があったりするんでしょうか」
と悪戯っぽい笑み。一瞬小突きたい衝動に狩られたが、相手が生意気な女の子とはいえそれは憚られた。もしかしたらおれは、彼女が死神かもしれないと心のどこかで信じているのかもしれない。くだらないことで逆鱗に触れて恐ろしい目に遭わされたらたまったものじゃないと、ふとそう思ってしまったからだ。
「ふふふ、玉坂さんは誰のスカートを透視したいんでしょうかねー」
「…………」
と思ったけれど、さすがにお灸をすえる必要はあるのかもしれない。
次の瞬間、ネネは頓狂な声を上げた。
「え、玉坂さん。どうしてネネのスカートをじっと見てるんですか?」
◆
小西風花は、そもそもスカートをはきたがらない女の子だった。
中学・高校に入ってもほとんどジャージ姿、スカートをはいたとしてもジャージの長ズボンとセットという徹底ぶりだった。足を出していた記憶があまりない。
王子めいた気取った口調、毅然とした振る舞い、着る物も男子がするような服装ばかりだった。さっきの映像を見て思い出したけれど、そういえば小学生の時は赤じゃなくて黒のランドセルを背負っていたっけ。
そんな変わり者だけにクラスから浮く存在になってしまいがちではあるものの、持ち前の明るさと爽やかな口調もあいまって、案外他の生徒たちからは親しまれていた。
ふと視線を前に向けると、前方のスクリーンにはまた見覚えのある風景が映っていた。
渇いた土がまだらにこびりついたアスファルト。
道幅が広く、全体的に白っぽく汚れているのは農作業をするトラクターが何度も往復するからだろう。そこかしこに水の張った水田が広がっていて、遠くにはゴミ処理場の煙突が見える。高校の頃の通学路だった。
「幸夜、何をそんなにのんびりしてるんだ。遅刻しちゃうじゃないか!」
自転車を立ち漕ぎする風花は首だけ振り返って叫ぶ。いつものジャージ姿で、高校に入ってから一段と伸びた黒髪が腰の辺りでさらりと揺れた。
その後ろで、のろりのろりと気だるげにペダルを漕ぐ男子。少し茶ばんだ髪は寝癖だらけ、白いYシャツはシワだらけ。眠たげな顔はいかにもだらしない有様だった。
というかおれだった。
「大丈夫だって。このペースでも間に合うよ」
「そう言っていつもギリギリじゃないか。土壇場で階段を走らされるこっちの身になって欲しいものだね」
むす、としながらも風花はため息をつき、ついには諦めておれの隣に並ぶにおさまった。
そうこうしているうちに桜並木が見えてきた。大きな広場をぐるりと囲むように等間隔に桜が咲いている。水を張った水田を見て気づくべきだったけれど、どうも季節は春のようだった。
柵越しに覗く広場のゴーカート場やアスレチックを眺めながら、風花は口を開く。
「そういえばここでも小さい頃、よく遊んでたよね。ほらあの青い城、覚えてるかい?」
懐かしむように彼女は目を細める。おれが一向にペースを速める気もない事を察して開き直った様子だった。
「ああ、アレね」
青い城、とはいうものの、実際には水色に近い城の形をした遊具だ。
二階建てで上には何本も滑り台がついている。小さい頃はおれが上の階を使い、風花が下の階を使って遊んでいた。家からハンモックやら漫画やらお菓子やらを持ち寄ってきて、遊ぶというより生活をしていたといったほうが近いのかもしれない。おれは二階でハンモックに揺られながら昼寝をし、風花は一階で読書を嗜む。内部には一階と二階を繋ぐ梯子の穴があって、用があればそこから垂らした糸電話でやりとりをしていた。
「あの城を守るんだ、とかいって誰かさんがきかなかったからね」
「あれ、ボクそんなこと言ったっけ?」
「風花だろ。『城に落書きが絶えなくて困ってる』って係のおじさんに言われて、それで君が監視役を買って出たでしょ。無理やりつき合わされたおれの身にもなって欲しかったよ」
あっ、と思い出したように風花は声を上げる。そしてバツの悪そうに頭を掻いた。
「あはは、すっかり忘れていたよ。ごめんごめん、でもいい想い出になっただろう?」
「青春の一ページにはほど遠いけどね」
昔から彼女はそうだった。ヒーロー気質というか、困っている人がいれば助けずにはいられない、悪さをする人がいれば立ち向かわずにはいられない。無鉄砲に事に首を突っこむ彼女に何度巻きこまれただろうか。おれが事なかれ主義になったのは、たぶんもしかしなくても彼女のせいだった。一緒にいる事で彼女におれの積極性を吸い取られたんじゃないかと疑ったほどだ。
長い黒髪をマントのように風になびかせながら、唐突に風花は言った。
「ボクはね、あの頃ずっと、ロビンになりたかったんだ」
今もだけどね、と彼女は笑う。おれは眉をひそめた。
「ロビンって、もしかして『バットマン』に出てくる?」
「そ。クールなバットマンの隣で戦うあのロビンだよ」
バットマンとは対称的に派手な衣装に身を包み、ゴッサムシティを悪の手から共に守るサイドキック――相棒役のキャラクターだ。
風花は横目でおれを一瞥し、そして前に向き直って呟いた。
「ボクにとってはヒーローの、誰かさんの隣で戦いたかったんだ」