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死神シアター  作者: とよきち
ハッピーナイト・リターンズ
2/14

第一話 『ヒーロー』

 黒いランドセルが激しく揺れていた。

 ガチャガチャと上下に、それを背負う一人の少女が走るのに合わせて。

「はぁ、はぁ……!」

 息づかいは不規則で荒く、白い顎には玉の汗が光っている。肩で切り揃えられたストレートの黒髪は乱れに乱れ、額に貼りついた前髪も気にせずアスファルトを蹴り上げる。

 右も左も水を張った水田が一面広がり、その真ん中に伸びる一本道を彼女は走っていた。どうにも見覚えがあるのは、自分が六年間通っていた小学校の通学路だからだった。

 風花だ、と僕は思った。幼なじみの小西風花(こにしふうか)だ。

 今とは違い身長が低い上に髪も短いけれど、灰色のパーカーに黒のズボンというボーイッシュな格好もよく覚えている。彼女だ。間違いない。ランドセルを背負っているということは、これは小学校の時の映像だろう。

 田んぼの水面は晴天の青と、道を走る風花とを映し出す。それに加え、彼女の後ろから追いかけてくるもう一つの影も。

 風花は首だけ振り返り、まだ追ってきている姿を認めると苦しそうに顔を歪めた。もともと彼女は身体が弱く、運動ができる体質じゃない。尋常じゃない汗の量と蒼白した顔がすでに限界であることを示していた。それでも風花は最後の力を振りしぼるように、あるいは神様にすがりつくように、一本道の終わりにある神社へ入っていく。

 天須(あます)神社という、僕のよく知る古い神社だった。

 ひょろっとした松や杉の、細く長い木々がぽつぽつと境内を囲み、その奥にひっそりと、古色蒼然とした社殿がひっそりと構えている。見た瞬間に懐かしさを覚えた。

 苔むした地面が、ところどころ割れた敷石が、注連縄だけが妙に真新しい鳥居が、すっかり寂れてしまった手水舎が、月の形にくり抜かれた燈籠が、睨みを利かせる二匹の狛犬が――そのすべてが懐かしくて、同時に苦い記憶も蘇る。僕にとって想い出の場所だった。

 風花は木々や狛犬たちをするするとすり抜けるように駆け抜けて、裏に回る。そこには思った通り、遊具があった。ウンテイや滑り台、鉄棒やブランコも設置されている。けれど風花はそれには目もくれずに辺りをキョロキョロと見回していた。

 普段は腕白な笑みを浮かべる彼女の顔は明らかに焦燥に狩られている。そこへ追い打ちをかけるように、彼女の背後で鈍い金属音が鳴った。

 カン、カン、と。

「ッ」

 びくりと風花は身体を震わせた。

 彼女が振り返るとそこに、ウンテイの下には一人の少年が立っていた。白いポロシャツにジーパンという簡素な格好で、さらりとした黒髪で、涼しげな表情をした男の子だった。

「何を探してるの、小西さん」

 カン、カン、と彼はその手に持つ班長棒でウンテイを叩く。

「……ボクの勝手だよ。キミには関係のないことだろう、瀬賀くん」

 風花が苦々しげに言った。そうだ、瀬賀だ。彼はたしか、瀬賀森一(せがしんいち)という名前だった。頭が良くて、スポーツもできて、おまけに美少年ときているから学校で一番女子に人気がある男子だったと記憶している。

 瀬賀はクスクスと笑った。

「関係はあるよ。僕は君のすべてを知りたいんだもの。好きな色は? 嫌いな食べものは? 苦手な教科は? お母さんはどんな人? どうしてそんな喋り方なの? なんで女の子の服を着ないの? とか色々ね。それに」

 彼は班長棒を気だるげに真上に伸ばし、そのまま悠然と歩く。班長棒が、ウンテイについたいくつもある鉄の棒を舐めるように叩いていく。

 カカカカカカカカン……と。

 ゆっくりと、威嚇するように。なぶるように。

「どうして小西さんは、僕を好きにならないの?」

 無表情に、本当に不思議そうな顔で彼は首を傾げた。

「僕は頭だっていいし、運動もできるし、顔もまぁ格好いいほうだと思うし、それにほら、この通り班長だってやってる。女の子たちはみんな僕のことが好きなのに、君だけ好きにならないのはおかしいでしょ?」

 風花は思わずといった調子で後ずさった。本能的に瀬賀が危険な人物だと感じたのだろうが、無理もない。スクリーン越しに見ている僕でさえこの小学生にはゾッとするものがあったのだから。

 震えた声で風花は答えた。

「それも、ボクの勝手じゃないか。人の好きも嫌いもボクの勝手だろう」

「勝手勝手、って。わがままなんだね、小西さんは」

 瀬賀はクルクルと退屈そうに班長棒を回す。生徒の安全を守るその旗すらも、彼が持てば立派な凶器にように思えた。風花は視線を逸らすようにさりげなく周囲に目をやる。

 けれどそれを瀬賀が見逃すはずもなく。

「さっきから何を探してるの。誰かと待ち合わせてるとか?」

 その直後だった。

 折も折、第三者が社殿を回って姿を現したのは。

 その少年は、ヒーローもののお面を被っていた。快晴にも拘わらず、黒くて長い傘を持っていた。真っ青なジーンズジャケットに短パンという格好をしていた。

 瀬賀が口笛を吹く。

「ヒーローのご登場、てね。はは、ってことはこの場合、僕が悪者になるのか」

「幸夜、くん……?」

 目を見開いた風花が、呟く。その名前に瀬賀が反応した。

「こうや? ああもしかして、小西さんがいつもつるんでるあの玉坂幸夜くんか」

「…………」

 けれどお面の少年は答えなかった。じっとしたまま沈黙を守っている。無視をされた瀬賀は班長棒でウンテイを強く叩き、鈍い金属音が神社に響き渡る。

「僕を無視しないでよ。ん、ああもしかして、君の恋人を奪おうとしている僕に腹が立ったから、その仕返しのつもり?」

「ボクたちはそんなんじゃ」

 早口で弁解しようとした風花に、瀬賀は班長棒を向けて制止する。黙ってろ、ということらしい。

 瀬賀はお面の少年に向き直ると、いつもの涼しげな笑みを浮かべた。

「ねえ玉坂くん。一つゲームをしようじゃないか」

 突然の提案に、お面の少年は首を傾げた。瀬賀は挑発するように、班長棒で肩を軽く叩く。

「対戦ゲームだよ。僕と君とで勝負するんだ。僕はこの短い班長棒で、君はその長い傘で戦おうよ。それで、勝ったほうが小西さんをもらうっていうのはどう?」

 へらへらと、瀬賀はそんなことを言ってのける。根本的に彼は何かがズレている。小学生だから考えが足りていない、というレベルじゃない。もっと、何か――

 とそこで、お面の少年に動きがあった。自分と同じくらいの長さの黒い傘を大剣のように携え、腰を低くし、構えをとったのだ。

 風花は信じられないという顔で言葉も出ず、ただ首を振っている。

 瀬賀は歪に笑った。

「そうこなくっちゃ。お姫様をかけて戦うのってなんだか燃えるよ、ね!」

 言い終える前に瀬賀は躍りかかり、躊躇無く全力で班長棒を振り下ろした。

「ッ」

 お面の少年は横に構えた傘で受けとめる。たった一撃で傘は軽くひしゃげ、そこへ瀬賀は畳みかけるように間髪入れず乱打、乱打、乱打。それもわざと身体は狙わず、傘だけを狙って。下手に傷つけて問題になることは避け、武器だけを狙うことで心をへし折ろうとしているのだ。小学生にしてその冷静さが恐ろしかった。

「あは、あはは! あはははははははは!」

 哄笑。瀬賀は笑いながら、ひたすらに班長棒を振り下ろし続けた。

 あっという間だった。

 長大な黒い傘は猫の鍵尻尾のようにあちこちと折れ曲がり、ビリビリに破れ、見るも無惨な姿になるのはそう時間はかからなかった。お面の少年は手が痺れたのだろう、ついには傘を取り落としてしまう。

 汗だくになった瀬賀は、荒い息をと共に渇いた笑い声を吐きだす。

「ハハッ。なんだ、もう終わり? 僕の勝ち? 降参ってことでいいのかな、玉坂くん」

「……」

 けれどお面の少年は、またも無言だった。

 瀬賀はやれやれとばかりに首を竦める。そして手にした班長棒をそっと握りしめた。

「知ってるかい? そういうのを往生際が悪いっていうんだよ」

「幸夜くん!」

 危機を感じとったのか、風花が悲鳴じみた声を上げる。けれど瀬賀はにべもなく、もはや丸腰のお面の少年にゆっくりと近づいていった。涼しげな笑みを浮かべながら。

「……は?」

 しかしその笑みが、突然虚を突かれたような表情に変わった。

 お面の少年が、両手にある物を持っていたからだ。

 右手にはライターを。

 左手には爆竹を。

 ぎこちない動作で、彼は爆竹の導火線にライターで火を灯す。ジジジ、と火花が散ると共にお面の少年は瀬賀の足元へと爆竹を放り投げる。瀬賀はその場で固まりとっさに動けず、火花が導火線を伝うのを呆然と眺めるだけだった。そして我に返った頃には時すでに遅く。

「うわあああ!」

 悲鳴を上げ、瀬賀は身体をねじって目を強く瞑った。

 一秒、二秒、三秒――

「…………あ?」

 しかし、五秒ほど経っても変化は何も起こらなかった。瀬賀は瞑っていた目を片目だけ細めるようにして窺う。そして安堵の息を吐いた。

 爆竹は、湿気ていたのか不発に終わっていたのだ。ガンッ、と瀬賀は班長棒でウンテイを思い切り殴った。

「クソが。この僕に格好悪い真似させやがって!」

「幸夜くん!」

 風花が絶叫が響く。瀬賀が肩を怒らせて再び躍りかかる。

 対してお面の少年は、落ち着き払っていた。この危機的状況の中で極めてシンプルな動作をするだけだった。右手に持ったライターに火を点けて、着ていたジーンズジャケットの内側をゆっくりとめくりあげるだけ。

 びっしりと、大量の爆竹がそこには貼りつけられていた。



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