第十話 『ハッピーエンド』
病室の窓からは、夕日に照らされた伊鳴山がそびえているのが見えた。
部屋の白い壁に囲まれながら、清潔そうな白いベッドの上で特にやることもなく、親が持ってきてくれた文庫本をパラパラとめくったところで読む気も起こらない。穏やかな日常、病衣を着せられ点滴に打たれながらおれはただただぼぅっとしていた。
あの後、強盗は無事に逮捕されたようだった。一件落着、と言いたいところだけれど、コンビニの防犯カメラはばっちりとおれと風花の行動を撮っていたようで、地元の新聞やニュースで少し騒がれるはめになった。警察からも後で賞状を渡されるらしい。勘弁して欲しかった。
「……はぁ」
ため息と共に、持っていた文庫本をベッドの上に投げ出す。が、勢いをつけすぎて床に落ちてしまった。そのタイミングで、病室のドアがノックされた。
はい、とおれは返事をする。
とは言ってもドアは最初から開けっ放しになっているのだ。わざわざノックする必要もなさそうだけれど、よほど律儀な人間なのか。
「やぁ幸夜。元気にしてたかい?」
「なんだ、誰かと思った」
爽やかに病室に入ってきたのは、風花だった。
おれは一瞥して床に落ちた文庫本を拾おうとして、
「ん?」
そこで手が止まった。何か強烈な違和感を覚えてもう一度彼女のほうを見る。
そこにいたのは、たしかに風花だった。ただし白いワンピースを着た。
彼女は視線に気づき、くるりと一回転してみせる。長い黒髪とワンピースがふわりと広がった。そのまま裾をちょんと両手でつまみ上げ、わざとらしくお辞儀までしてくる始末だ。
風花は自分でもそれがおかしかったらしく、照れくさそうに笑った。
「あはは、どう? 似合ってるかな」
「……ああ、うん」
おれは呆然と生返事。
「はは、ありがとう。一度家に帰って着替えてきた甲斐があったというものだよ」
ちょっと恥ずかしかったけれどね、と彼女は悪戯っぽくウィンクする。よく見ればうっすらと化粧もしているらしく、女の子特有のいい匂いが鼻腔をくすぐってくる。
口調こそ変わらないけれど、ボーイッシュで通してきた風花が女の子になっていた。おれはその変化に戸惑いつつも、思い当たる節があって納得する。
あの事件の日、彼女は自分のトラウマに立ち向かっていた。ずっと昔の誘拐犯と強盗の姿を重ねて自分の中にある恐怖と向き合った。これがチャンスだ、とも言っていたっけ。もしかしたら本当は、ずっとこういう格好をしたかったのかもしれない。
風花はそんなおれの考えを読みとったのか、クスリと笑う。
「妙に納得した顔だね、幸夜。でもキミの考えていることとはちょっと違うよ。たしかにボクはトラウマを乗り越えたけれど、それだけじゃない」
「どういうこと?」
「ふふ。強いて言えば、誰かさんと対等な関係になれたから、かな。もうその人の前で自分に嘘をつかなくても、強がらなくても、ちゃんと見てくれるだろうからね」
「風花……」
彼女が微笑みかけてくる。それが酷くくすぐったかった。
「風花。実はおれも、君に打ち明けたいことが――」
「あ、そうだった!」
ぱん、と風花が手を叩く。少し興奮した様子だった。
「そういえばあの日、不思議な体験をしたんだよ」
「……体験って、どんな?」
「急に頭が痛くなって、その後で既視感を覚えたっていうかね。とにかく不思議な体験だったなぁ」
「えっ」
おれは思わず間の抜けた声を上げてしまう。
「それ、おれもだ。頭が痛くなって、デジャヴがあって、変な映像も頭の中で流れたりして。でも、風花にも同じことが起きてたっていうのはどういうことなんだろう?」
んー、と彼女は探偵よろしく顎に手をやりしばらく考えた末、面倒になったのだろう、あっけらかんと言った。
「まぁ、世の中にはまだまだ不思議なことが眠っている、ってことで今はいいじゃない。それより幸夜、さっき何か言いかけなかったかい?」
「……いや、いいよ。それはやっぱり後で話すから」
そっか、と風花は特に気にする素振りを見せず、窓に向かって外の景色を眺めた。窓の縁に手をついて、遠くにそびえる伊鳴山を見ているようだった。
それから振り返って、彼女は思いついたように言う。
「ね、幸夜。あのお城の公園を覚えているかい? ほら、よくボクらが過ごしていた」
「覚えてるけど、それがどうかしたの」
「久しぶりに今度行ってみたいなって思ってね。初心に返って何か楽しい遊びをしようよ」
「楽しい遊びってね。たとえばどんな?」
「それは幸夜が考えてよ。キミは発想力が豊かなんだからさ」
なんだそれ、とおれはため息をついた。この感じだとまだまだ彼女には振り回されるハメになりそうだ。
す、と風花は笑って手を握り、拳を突きだしてくる。
「頼んだよ、ボクの相棒」
「はいはい。お任せあれお姫様」
やれやれとおれもまた拳を作り、彼女に突きだしてみせる。
窓から差しこむ夕陽が病室を照らす中、こつん、と二つの拳がぶつかった。
◆
スクリーンには、夕暮れの病室で楽しげに話し合う二人の姿が映っていた。
薄暗い映画館の真ん中の座席、ネネはポップコーンを頬張りながらうっとりとする。
「はー、文句なしのハッピーエンドですねぇ」
床につかない足をご機嫌にぷらぷらとさせながら、ポップコーンをひょいひょいと口に運んではぽろぽろとスカートの上にこぼしていく。
「青春アクションにしてはちょっと地味でしたけど、なかなか面白かったです。まさか玉坂さんがあんな形で反撃に出るとは思いませんでしたし。欲を言えば強盗さんのキャラをもうちょっと立てたほうがいいでしょうね」
悪役はとても大事ですから、と独り言のようにネネは感想を口にする。もちろん周りの席には誰もいない。ずっと一人でいると独り言を言うようになるのは人も死神も一緒らしかった。
それにしても、と彼女は呟く。
「玉坂さんはさておき、小西さんまで契約してくれたのはラッキーでした」
あの時コンビニで肩を負傷して倒れた玉坂は、本来であれば殺されていた。その映像をスクリーンで小西に見せたところ、彼女はすぐに契約を求めたのだ。
だからあのハッピーエンドは、二人の払った魂の代償から成り立っている。それがよりこの作品を輝かせている、とネネは考えていた。
残り少なくなったLサイズのカップの中に手を入れると、また不発のポップコーンを二つほど見つけた。ネネはぶすっとした不機嫌な顔でそれをとりだし、右手の中に収める。
ぎゅ、と力をこめるとたちまち指と指の間が赤熱し、ぽん、ぽんっ、と甲高い音が映画館に鳴り響く。ネネが右手を開けると、白くふっくらとしたポップコーンが二粒乗っていた。
そしてスクリーンに映る病室の二人を見つめ、彼女はそっと呟く。
「ごちそう様でした。今後も悔いのない人生を」
微笑んで、ネネは二粒のポップコーンを頬張るのだった。
これにて一章は終了です。
次回は少し時間を置いて第二章を再開したいと思います。
次のジャンルは恋愛もの。どんな恋愛が書けるのか今から楽しみです。