プロローグ
そこは薄暗く、狭苦しい映画館の中だった。
サスペンス調のBGMが大音量で響き渡り、目の前の巨大なスクリーンには近日公開が予定されているらしい映画の予告が流れている。舞台は日本で、一人の少年が都市伝説として囁かれる『死神』の存在を追うという内容だった。主演はどこかで見たような顔だったが、どうにも思い出せない。
がらんとした館内。これで何度目か、周囲を見渡すもやはり観客の姿は見当たらなかった。足元を申し訳程度に照らすライトはやけによそよそしくて、やたら演出過剰なBGMがかえって空々しく思えてくる。
「お一ついかがです、玉坂さん」
すっと差しだされたのは、Lサイズのカップに入ったポップコーン。
差出人は隣に座る金髪の少女だった。名前は『ネネ』というらしい。
中肉中背な自分より頭一つ分小さい。膨らみのついた半袖シャツに、赤いリボン。その上にフリルのついた黒のワンピースを重ねている。
ピアノの発表会で子供がちょっと着飾ってみました、という印象に近かった。大人びた格好はしているものの、結い上げたサイドテールが子供らしい活発な雰囲気を残している。黒いワンピースの上にこぼれたポップコーンのくずもそれに拍車をかけていた。
どうです? とネネはガラス玉のような黒い瞳で悪戯っぽく尋ねてくる。
「いや、遠慮しとくよ」
バターの香りに鼻腔がくすぐられるも、おれは頭を振った。
「山盛りのポップコーンよりも、聞きたいことが山ほどあるからね」
「えー? でもでもさっき、ネネが懇切丁寧に説明したばかりじゃないですか」
「懇切丁寧に、ね。お願いだからそろそろ本当のことを話してもらえると嬉しいんだけど」
「あ、ネネを子供扱いしてませんか?」
彼女は唇を尖らせる。そういうところが子供だと思われるのがわかっていないらしい。
とは言うものの、しかし。
突飛でおかしな話ではあるし、きっと人に話したところで信じてはもらえないだろうけれど――おれはここがどこかも、どうやってここに来たのかも覚えていなかった。
目が覚めたらここにいた。気づけば映画館のど真ん中の座席、目の前には視界を埋めるほどの巨大スクリーン、隣には金髪の少女ときたものだ。さてはこれは夢だろうか、とまずは疑ったけれど、夢にしてはどうも生々しすぎる。頬をつねりたい衝動にかられたもののこれがもし現実だったらと考えて、恥ずかしくなってやめた。
つまるところ、鍵を握るのは有力な情報を持っているだろうこのポップコーン少女のみ。なんだけれど、言ってる事がどうにも要領を得ない。自らを『アレ』と名乗り、ここへ連れてきたのは自分だ、と得意げにのたまう始末だった。
もちろん冗談だろうとは思うけれど、今置かれている自分の状況を鑑みると否定はできないのが現状だった。残念なことに。
おれは諦め半分に、もう一度彼女に問うことにした。
「なぁネネ。頼むから本当のことを言ってくれ。おれがどうしてここにいるのか、君は本当に何者なのかをさ」
しかし懇願も虚しく、彼女は悪びれもせずポップコーンを頬張るだけだった。
「だから、ネネはネネですって。さっきも言ったじゃないですか。ネネはネネで、そして」
ふいに言葉が切れ、彼女は苦虫を潰したような表情になる。おもむろに口元に手をやったかと思えば、口から丸いものをつまみ出した。
「まったく、弾けきらないポップコーンほど不快なものってないですよね。サクサクふわふわってする中にこんなハズレがあると思うとビクビクしながら食べなきゃいけないじゃないですか」
ぶつぶつと独り言じみたことを言いながら、ネネはカップの中をガサゴソとかき回し始めた。やがて脂まみれになった左手を引っこ抜くと、広げた手の平にはさっきと同じような不発に終えたポップコーンがごろごろと。
まさかそこら辺に投げ捨てるのでは、と一瞬訝しんで注意しようとしたが、違った。
投げ捨てるどころか、ネネはカップを膝の上に置き、開いた左手に覆い被せるようにして右手を重ね合わせたのだ。ちょうど横向きにチューリップのつぼみを作るように。
一体今度は何をするつもりだ、と呆れ半分、好奇心半分でおれは彼女の行動を見守った。ネネはその小さな両手にぐ、と力を入れ、目を見開き、怖いくらいに黒い瞳を爛々とさせる。
直後に変化があった。
「えっ?」
――じわ、と。
ネネの合わせた両手から、赤い光が漏れた。
内側から輝いてるというより、右手と左手の接着部分が赤熱しているといったほうが近い。赤々と燃える炭のように。
間抜けな声を上げたまま呆然と固まっていると、そのうちにネネの手の中から『ぽんっ』という何かが弾けたような音が聞こえた。やがてそれは降り始めた雨のように連続し、勢いを増し、にわか雨みたいに渇いた音が急激に折り重なっていく。
そして音は、すぐに鳴り止んだ。
いつの間にかおれは呼吸を忘れ、魅入っていた。あんぐりと口を開けたまま。彼女はこちらを得意げにちらりと窺い、小馬鹿にするようにフフンと鼻を鳴らす。それからもったいぶるようにしてゆっくりと、その右手の蓋をとった。
瞬間、ふわりと広がる香ばしい匂い。
果たして彼女の左手の中には、見事に膨らみ弾けたポップコーンの小山があった。
その一粒を彼女は右手でつまみ、ひょいと口の中に投げ入れて。
「ネネはネネですよ。そしてネネはこの通り、『死神』でもあります」
そう言った。
死神。彼女の口からその単語が出たのは二度目だが、一度目に比べ二度目は嫌でも説得力があった。ついに耐えられなくなって、おれは自分の頬をつねってみる。痛……くはない。だけどまるっきり夢だとは思えないくらいリアルな感じだった。
そしてここにきて、半信半疑どころかまったく信じていなかったネネの言動が、恐ろしいくらいに自分の中で現実味を帯びてきた。嫌な汗が背中を伝う。
「なら、最初に説明していた事っていうのは」
「ああほらほらっ、始まりますよ玉坂さん!」
興奮気味の声に遮られ、おれは彼女の人さし指がさす前方――スクリーンの方へと目を向けられる。
そこには黒い画面に、白いチョークで書かれたような細い文字が浮かんでいた。
ハッピーナイトリターンズ
どうやらタイトルのようで、その由来には大方見当がついた。
玉坂幸夜。それがおれの名前で、このタイトルは『幸夜』という自分の名前が由来になっているのだと思った。ネネの説明が正しいのだとするならば。
つまり、これはただの映画じゃない。
これから始まるのは、死神の彼女が作り出したおれ自身の――『走馬燈』だった。
ネネのイラスト貼りつけました。
ライトノベル作法研究所というサイトの企画にてイラストレイターさんのめもこ様から頂いたものになります。
……あ、でも、実は作中のネネはツインテールじゃなくてサイドテールだったりします(笑)