真実の世界
わかっていたことだった。
「言っただろう?この世界が終わると、クラウンも消えるって」
知らぬ間に、サイが目の前に立っていた。自分はいつの間に座り込んでいたんだろう、とぼんやり少年は思った。
「わかった上でキミは[クラウンに会いたい]とボクに願ったんだ」
「………る……ぃ」
「ん?」
「五月蝿い!!」
少年は叫んだ。
「わかっていた、わかっていたさ!だからどうしろっていうんだ?嘆くなと?悲しむなと?たった一人の友達がいなくなったのは世界が終わってしまったから、だから仕方ないと?それを全部受け入れろと、あんたは俺にそう言うのか!?」
とても無理な話だ。サイは聞くまでもなくわかっていた。
サイは少年に言葉を返すこともなく、ただずっと考えていた。この少年が幸せになれる方法を。
何故、サイは少年の幸せに拘るのだろうか。
それは、彼が犯した過ちのためだ。
全ては彼が王と出会ってから。
あの日の過ちを、ボクは忘れないーー忘れてはいけない。
ループが終わり、そこは空白となった。
「この世界ーーもはや空白と成り果てたここを[ブランク]と呼ぼうーーブランクは元々、とある世界のとある人物の記憶を切り取って、ループとなった。切り取ったのはボクだ」
だとすれば、誰の記憶かは想像がつく。
「ここは、王の記憶か」
「ご名答。けれど、ここに王はいないよ」
「何故?」
当然の疑問に、サイは肩を竦めて苦笑いした。
「世界を作ったのがボクだったからさ」
意味がわからない。
少年はサイに目線で先を促す。
「世界を切り取り、隔離する。それは王の望みさ。けれど王はそれを自分ではできなかった」
「だからあんたに頼んだ。それはわかるよ。俺が知りたいのは、少し考えればわかるようなことじゃない」
「そうだね……キミは様々な[何故]を知る必要がある。そして、その権利がある。……話すよ、全部。長い話になるから、ゆっくり聞いてほしい」
サイが語り出す。
ループも虚空もブランクも存在しなかった頃の世界を。
サイは絵を描くのが好きな普通の少年だった。
ただ、その世界では絵は子供の遊びとされ、ある程度の年齢以上の者が絵を描くのは軽蔑された。
サイはお構い無しに描いていた。絵を描くことが好きなだけ。それの何が悪いのだろう。
周りに流されず、絵を描き続けたサイは一人になった。
もう一人、ひとりぼっちの少年がいた。
彼の名をサイは知らない。サイは彼を[王]としか呼んだことがないから。
彼は鬼子と呼ばれた。彼の両親は平和主義で温厚なことで有名だったが、息子の彼は野心家で、世界を手中に収めるだの、全てにおいて自分が一番だのと闘争心が強く、人を虐げようとする人間だった。
そんな人物だということはサイも知っていた。彼はある意味有名だったから。しかし、自分には関わりはないだろうと思っていたから、あまり気に止めなかった。
しかし、サイは彼に出会った。そして彼を王と呼んだ。
「あの子、また絵なんて描いて……」
「15になるのに、まだ子供の遊びなんか……」
近所からひそひそとそんなことを言われていた。やめさせようと思っているんですけどね、と言う母が哀れだったが、その程度の感情で少年が絵描きをやめることはなかった。
誰にも認められないという寂しさはあった。けれどもサイは絵を描いていれば幸せだった。
あの日までは。
サイの15歳の誕生日。サイは旅行に出かけた家族に置いてきぼりにされ、家にいてもつまらない、と外で絵を描くことにした。
家の戸締まりを確認し、サイは広場でスケッチブックを広げた。周囲から向けられる奇異の目を気にすることなく、いつも通り、絵を描いて、日が沈む頃に家に帰った。
鍵を開けて、家に入る。誰もいない居間を抜けて、自分の部屋に行った。
サイは、自分の部屋の惨状に言葉を失った。
何者かがやってきたのは一目瞭然、というくらいに部屋は荒らされていた。それはいい。問題は、サイがこれまで描いた絵が、一つ残らず滅茶苦茶にされていたことだ。あるものはばらばらに引き裂かれ、あるものは表面に刃物で傷つけられ、またあるものは黒いインクに浸され、見る影もなくなっていた。
ーーなんで……?
時が経ち、サイはようやくそう思うことができた。
他の場所は綺麗だ。まるでサイの部屋だけが目的だったかのような。サイが自分の部屋に絵を置いていることを始めから知っていたかのようなーー
はたと気づく。そんなことをできる人間なんて、他にいないじゃないか、と。
けれど、サイは信じたくなかった。
それは、自分を認めてくれないにしろ、周りから守ってくれていた人だったからーー
その日の夜、家族は帰ってきた。サイはすっとその人物の前に立った。
「お帰りなさい」
「ただいま、サイ。どうかした?」
「これ」
サイは表面を傷つけられた絵を突きだした。その人物ははっと息を飲む。
「アナタがやったんですか……?母さん」
母は震えた。
サイのーー息子の虚ろな瞳に。
答えない。それが答えだった。
犯行はこうだ。
実はもう昼間の時点で旅行は終わっていて、母は鍵を使って家に入った。
そしてサイの部屋に行き、絵を全て台無しにした。
簡単だ。家族なのだから、家に入るのに何の後ろめたさもない。
そうしてやすやすと、息子の作品を壊した。
「……サイ」
母が口を開く。しかし、サイは既にそこにはいない。
サイは家を出た。
サイはあてどなくさまよい、結局他に行くところを見つけられずに広場へやってきた。
ほとんど何も持たずにきたので、手が寂しい。ペンはあるが、何かを描く紙がない。
けど、何を描くっていうんだ……?
サイは無表情で泣いていた。どうすればいいのか、わからない。誰もいない広場の中央で、泣きながら佇んでいた。
「そなた、絵を描いているのか?」
サイに声をかける者があった。二人称が[そなた]とは、随分変わった人だ、と顔を上げるとそこには噂の鬼子の少年がいた。
「絵……?」
サイは聞き返した。すると鬼子の少年はサイの足元を指差す。それを追うと、確かにそこには絵が描いてあった。街の絵。幸せに暮らす人々。家族。
サイは自分の手を見た。いつの間にやら木の棒が握られていた。これで地面に風景を描いたらしい。
ああ、やっぱり駄目だ。描くことをやめるなんてできない……
サイは自分の馬鹿さ加減にまた泣いた。
「何故泣く?」
鬼子の少年が問う。サイが口を開く前に、少年は更に続けた。
「素晴らしい才ではないか。何を恥じているのだ」
「えっ……」
サイは胸を衝かれた。
「素晴らしいって……キミは、ボクの絵を素晴らしいって言ったの?」
「それ以外に何がある?妙なことを訊くやつだ」
サイの心に仄かな灯が灯る。
「ボクを、ボクの絵を認めてくれるの?」
「当たり前だ。素晴らしい才ではないか。これを評価しない方がどうかしている」
サイは胸がいっぱいになった。初めて認められたのだ。ーー初めて味わう喜びだった。
「そうだ。そなたに描いてほしいものがある。共に来てくれないか?」
「勿論です!」
サイは何も考えず、即答した。初めて認めてくれた人だ。それなりの恩返しはしたい。
「ボクはサイっていいます。アナタは?」
名前を訊くと、彼はこう答えた。
「改まった我が名はない。ただ、[王]と呼ぶといい」
大それた名前だなぁ、と思いつつも、サイはそれで納得した。世界でたった一人、自分を認めてくれた人なのだから、別にこの人が王でも構わないーーそう思ったのだ。
「ではよろしくお願いします。王」
それが過ちの始まりだった。
「王がボクに描かせたのは、王が語る王の記憶の世界だった。言葉から想像して、ボクはそれを描いた。そしてできたのが、ループだ」
「ちょっと待て」
少年はサイの話を止めた。思考が追いつかなくなった。
「なんであんたが描いた王の記憶世界が、ループとして具現化したんだ?超自然的現象か?」
「さあ?ボクにもわからない」
サイはあっさり答え、肩を竦めてみせた。
「けどね、はっきりわかるのは、王が[素晴らしい才]と評したのは、ボクの絵ではなく、このよくわからない能力のことだ」
少年は絶句する。
「王は、見抜いた上で、あんたを……?」
「多分ね。ボク、王が後生大事に持っている本を読んだことがある。その本にはこうあったよ」
ーー思いの強い者は、それを具現化する。
「ボクはただ、街のいつもの光景を描いただけだ。それをたまたま王が見た時、具現化したと勘違いしたんだ。……その勘違いは勘違いで済まなくなったけど」
「……何故、王はその世界を具現化させようとしたんだ?」
少年の疑問にサイは待ってましたとばかりに身を乗り出して答えた。
「実は話にはまだ続きがある」
サイが王に従って描き出したものは、最後の一筆を置いた瞬間に実体化し、サイと王を取り囲んだ。
サイは戸惑って王を見た。王の顔には動揺は微塵も見られない。
「ありがとう」
王はサイの視線に気づき、微笑んだ。
「これで我が宿願が叶う」
「宿願……?アナタの、願いって……」
「無論、世界を我が手中に収めることだ」
噂は本当だったんだ……疑っていたわけではないが、そう思った。
「世界を自分のものにして、どうするんです?」
「[誰もが幸せな世界]を創る」
王は真顔でそう言った。サイはきょとんとし、数瞬の後、笑った。
「[誰もが幸せな世界]ですか。そんなもの、実現できると思うんですか?」
サイは自分を省みる。王に会うまで誰にも認められなかった自分。母にすら裏切られた自分。
幸せは存在すら危うい。
「できる」
しかし王はサイの物言いに気を悪くした様子もなく、きっぱり言った。
「そなたと我が結託すれば、実現は夢でなくなる」
王の瞳に揺らぎはなかった。その目にサイは、本当かもしれない、と思った。
「本当にそうなるのなら、喜んで協力しましょう」
「ははは、頼もしい」
王がサイに示した[誰もが幸せな世界]を創るにあたっての指針はこうだ。
サイが描き出した世界は王の記憶を切り取ったもので、王が幸せだった日々を元にしている。そこから[不幸せ]の要素を取り除いていく。
本当に幸せな世界かを王が検証し、誰もが幸せな世界が完成したところで、王は本格的に世界の統治に乗り出す。世界から不幸せを取り除く具体的な方法は、サイが世界の絵にある不幸せを塗り潰す、だ。
塗り潰すとそれは消える。この世界は1枚の絵に過ぎないのだから。
検証、と称して世界を何度も繰り返した。繰り返すうちにサイに疑問が芽生えた。
何故王は自分の記憶を新たな世界のベースにしようと思ったのだろうか。しかも、肝心の王は真っ先に塗り潰した。
サイはわからなくなってきていたのだ。この世界が本当に幸せなのか、が。
「王、聞いてもいいですか?」
「なんだ?」
「王は何故、自分の記憶を元にして[誰もが幸せな世界]を創ろうと考えたんですか?」
王はその問いにサイを見つめ、やがて視線を外し、答えた。
「あれが最も幸せな世界に近いと思ったからだ」
「ボクはますますわからなくなった。王はかつてあの街で、世界を手中にだのと言っていたから変人扱いされていた。なのにその時代が幸せだったなんて……ボクにはとても理解できないや」
サイは肩を竦めた。
「……で、俺がこうなった理由は?」
「ボクが疑問を抱いたからだよ」
「疑問……?」
真っ白な世界で、サイは深緑色のフードを取る。
現れたのは、少年と全く同じーーけれど、色違いの顔。
「あんた……」
「素顔で会うのは初めてだね。ボクの片割れくん」
呆然とする少年に一つ微笑みかけて、言った。
「さて、続きを話そう」