人形
少年はクラウンと旅をしているうちに15歳を迎えた。
彼はまだこの世界でピエロ人形に会っていない。クラウンは人形を持っていなかった。
これまで、繰り返される世界の中であの人形に会わなかったことはない。けれど、現れないのだから、どうしようもない。
しかし、違和感を拭えない。
「ああ、彼はそろそろ気がついてきたかな」
黒い世界。虚空で唯一異なる色を放つ映像に謎の少年の声がぽつりとこぼした。
「ボクたちの存在と……目的、とまではいかないけど、思考傾向に」
映像が発する明かりに朧気に少年の顔を照らした。
画面の向こうの少年によく似ていた。
「何読んでるの?」
クラウンが少年の手にある本を見て訊ねた。
「ああ、これ?……辞書だよ」
「辞書?勉強してるの?」
軽く苦笑いする。
「まあ……そんなところかな。この世界を知るために」
「世界を?」
少年は痛み以外にも自分しか知らないことがあるのを、辞書を読んで把握した。
例えば[王国]。
この世界には王政という考え方がない。誰か一人を立てることは不幸にしか繋がらないと考えられているのだ。だから、一人の王が国を治めるという思想はこの世界から抹消された。
基本的に、平等のもとで築かれるのが幸せだと、この世界を操る[何者か]は理解しているようだ。
基本的には。
そこに当てはまらないのが少年という存在だ。世界の唯一にして絶対的な矛盾。
リエラの話を思い返すと、どうやら少年は他の世界からやってきたらしい。この思想とは矛盾するどこか別の世界から。
つまり少年の存在はこの世界にとってはバグで、異物で、本来なら不要、いや、あってはならないものとさえ言える。
それがどうしてこの世界に存在し続けているのか、少年にはわからない。きっとその何者かの思惑なのだろう。
少年がクラウンと旅を続けるうちに気づいたことだ。
全て、誰かの思惑通り。それで何か気に食わないなどと言うような少年ではなかった。
少数の幸せより大多数の幸せの方が普遍的正義論から考えて、正しいと言える。そう思っているのも確かだ。
けれど、クラウンの言葉に心打たれた自分も確かにいた。
だから旅をして、また世界が繰り返される前に答えを出そうと思う。
結論はほぼ、出ていたが。
小さいな。
少年がそう思ったのは、街を見たからだ。
およそ7年。彼は元いた街にそれだけの時間で帰ってきた。
クラウンは少年の複雑な表情に苦く微笑みながら、広場へ向かった。
そこには深緑色のローブに身を包んだ人物がいた。フードをすっぽり被っていて、顔は見えない。ローブで体型もわからないが、細身なのは確かだ。
「こんにちは、お二方」
「……サイ?」
クラウンが声に反応し、近づいた。
「やあ、誰かと思えば、クラウンじゃないか」
サイと呼ばれたローブの人物は、どうやら声変わり前の少年のようだ。声が少し高い。
「クラウン、知り合い?」
「ああ、申し遅れたね。ボクはサイ。クラウンの育ての親みたいなもんさ」
育ての親……少しその言葉は似合わない気がした。それにしては年が変わらない気がするし、声も些か若すぎる。
「胡散臭くて申し訳ない。日の光に弱い体質でね。どうしてもこのフードは外せないんだ。無礼を詫びるよ」
サイは頭を下げた。
「いえいえ、そんなことは。俺は全然気にしないので」
「そうかい?そう言ってくれると助かるな。よろしく」
差し出された手を握る。……冷たい。
3人は広場の片隅に座って話した。
クラウンは楽しげに旅の話をした。サイは微笑ましくクラウンを見、時折頷きながら話を聞いた。
「そうか、キミがクラウンの友達になってくれたんだね。ありがとう」
「い、いえ……」
「ボクはクラウンの親みたいなもんだから、ずっと心配だったんだよ。クラウンの目は他と違う。だから、遠ざけられるんじゃないかって」
サイはごくごく自然に言った。少年も自然過ぎて聞き流すところだった。
けれど、引っ掛かりに気づいた。自然過ぎる不自然な言葉があったのだ。
「心配……?」
少年が引っ掛かりをそのまま口にする。
すると、サイはフードから見える口元を緩ませて、優しい声色で言った。
「やっぱり、気づいたね」
「……あんたは」
サイはフードを取らず、恭しく礼をした。
「お初にお目にかかります。ボクはサイ。[創りし者]です」
「創りし者……?」
サイは少年のおうむ返しに、クラウンの肩をとんとんと叩いた。クラウンは、少年に手を差し出し、言った。
「目、返して」
「え?」
「目、目……僕の、目……」
青い目。
少年ははっと思い当たった。信じられない思いでクラウンとサイを交互に見る。
「そうだよ。クラウンがあの人形さ」
「クラウンはね、ボクにとっちゃ、本当に自分の子供みたいな存在なんだ。まあ、実際生みの親と言っても過言じゃない」
「生みの親……?」
「いやいや、そこで真面目な疑問を抱かないでくれ。言っただろう?クラウンは人形だって」
少年の頭にはなかなかその意味が浸透しない。
クラウンが、人形……?
あの人形と言っていた。ということは、あのピエロ人形、が、クラウン……?
「キミは気づいているだろう?世界が繰り返される法則に。キミが人形に……クラウンに出会い、15歳を迎えると、この世界はゴールにたどり着き、ループされる。キミの記憶だけをそのままに」
……サイの言う通り、少年はそんなところだろうと当たりをつけていた。
けれど、クラウンが人形だなんて、知らなかった。
「それで……人形を、あんたが作った……?」
「そうだよ。これも予想がついていると思うけど、ボクはこの世界を操る黒幕の一人だ。黒幕といっても、ボクの役目は専らこの世界の絶対的矛盾であるキミを導くこと。もう一人は世界を廻す。彼は自分を[王]と呼んでいるよ。……まあ、これはどうでもいいか」
次々と明かされていく世界の裏側についていけている自分の頭が憎い。何故わかるんだ。何故理解できてしまう。
クラウンは相変わらず、少年に目を要求している。青い目と色のない目が目を返してと訴えてくる。
「……やめろよ」
「目……」
「やめてくれ!」
「返さなくてもいいよ」
サイは叫ぶ少年に静かに告げた。
「それがキミの大切なものだってこともボクは知ってる。悪いのはクラウンを壊した彼女ーーリエラだ」
リエラ、という名に少年の肩がびくん、と反応する。
「まあ、彼女もボクが王に言われて作った人形に過ぎないのだけれど」
「あんたたちは……」
少年は感情を廃した目でサイを見た。
「あんたたちは、そうやって、世界を操って、人形は、役目を終えたら壊して……そうやって、世界を進めてきたのか?」
サイは静かに頭を振った。
「世界は進んでなんていないよ。わかっているだろう?繰り返しているんだ。この世界を進んでいるなんて考えているのは、王くらいなものだよ」
あれ、と少年は思った。
「あんたとその王とやらは、グルなんじゃないのか?」
「グルだよ。でも全く同じことを考えているわけじゃない。だからボクは今ここにいるわけだし」
わけがわからない。
「ふふふ、キミもさすがに他人の考えを全て理解するのは無理だろう。ボクは全てを理解されないように動いているしね」
サイはそっとクラウンの手を下げさせた。
「クラウンの目を返してもらう前に、キミの聞きたいことに答えよう。ボクにはボクの思惑があるから、全てに答えられるかは保証できないけどね」
世界に対する疑問はいくつもあった。
「この世界を作ったのは、あんたたちか?」
「そうだね。王の思惑をボクが形にした」
「なんで俺だけ繰り返されない?」
「世界を変える鍵だから」
「鍵?鍵は、人形じゃなかったのか?」
「クラウンは鍵だよ。世界の扉を開けるための。世界を変えるのはキミにしかできない。良くも悪くもね」
「世界を変えるのがあんたたちの思惑か?」
「一口に言うなら、それで間違ってはいないよ」
「質問を変える。……クラウンはどうなる?」
「逆に質問。それは、また世界が繰り返されたらという意味?それとも、目を返したらという意味?」
「どっちでも同じだ。目を返したら、ループはまた繰り返されるんだろう?」
「まあ、そうだね……聡いと助かる」
サイは肩を竦めた。
「クラウンは消えたりしないよ。次のループでもまたキミに会う。そういう風にボクが作ったからね」
繰り返し、繰り返し……
「一体、いつまで繰り返せばいい!?」
怒り。もはや憎しみに転化しそうなほどの。そして、やるせなさ。
どれも、この世界の辞書にはない言葉。
彼が絶対的矛盾であるからこそ抱く感情。
サイはそれを全て、静かな笑みで受け止めた。
「安心して。次で終わりだよ」
サイの言葉に少年は弾かれたように顔を上げた。
「本当か……?」
「本当だよ」
フードの奥にちらりとサイの瞳が見えた。
サイの目は暖かな炎のような色をしていた。
激しさを持たない静かな炎。
何故だろう。この色を知っているような気がする……
「さて、質問は終わりかな?」
サイの声にふと我に返る。
「ああ。……目、だったな」
少年は首から下げていた小瓶をクラウンの手に乗せた。
「いいのかい?」
サイが問う。
「次で終わるなら、いい」
少年の返答に、サイは悪戯っぽく笑む。
「ボクの言ったことは、嘘かもしれないよ?疑わないの?」
その一言に少年は虚を衝かれる。けれど、サイのフードの奥を覗き、迷いなく告げた。
「……信じる」
サイは目を丸くする。けれどそれ以上は何も聞かず、微笑んだ。
「ありがとう」
青い目が小瓶の中で転がる。
すうっと小瓶の中からクラウンの手の中に吸い込まれ、消えた。
クラウンの体が光り出す。
「さあ、またループだ。いい加減飽きたかな?」
サイの問いかけに少年はきっぱり首を振った。
「いいさ。次で終わるなら」
「そう……じゃあ、また会おう」
光でクラウンとサイの姿が見えなくなる。サイの声だけが少年の耳に届いた。
「願わくは、ボクとキミの望む先が同じであらんことを」