マジックミュージック1
敷かれた布団以外のスペースは、全て音楽機器で占領されていた。
布団の上に座っている少女はヘッドホンをしていない。音楽は全て空気に垂れ流しになっている。五月蠅くない、けれど音符以外入り込む余地の無い部屋で、少女は笑顔で首を振る。
やがて曲が終わり、次の曲へ移る。その数秒の沈黙に、スピーカーから流れてくるものとは別の音がした。
ぴーんぽーん
チャイム。すなわち来客である。
少女は首を傾げ、玄関扉を開ける。このときのぞき穴を使わなかったことは、最大の失敗だった。
玄関の向こうにいたのは、
「こんにちは〜!! 退屈な日常にちょっとした刺激をプラス! お気軽手軽な魔法使いの要りませんかあ〜?」
とんがり帽子に黒いマント。全体的にだぼっとしたシルエットだが、わざとそうしているのは明白だった。
見知らぬ笑顔の、魔法使いコスプレ男性だった。
***
「そういうことはネットでお呟きくださいな」
にこやかに扉を閉めようとするが、とっさに出した魔法使いの足がそれを拒んだ。
「いやいやいやいやいやいや!! 俺にはわかる、わかるったらわかる。あんたには魔法使いが必要だ。ぜひお話しだけでも」
「けっこうですわ!! お帰りくださいませ―!」
少女が全身で扉を閉めようとするが、靴がそれを許さない。力で言えば男性で成人している魔法使いの方が上なのだが、力ずくで扉をこじ開けようとはしてこなかった。
「帰ってと言ったら帰ってください―!」
ドアノブを引っこ抜かんばかりに魔術師は待ったをかける。
「見て、ほら見て!! この足。そんなに力いっぱい引っ張ったら抜くにも抜けないなあ―……なんて」
にりにりと食い込むドアが食い込み、ブーメランのようになっている靴。少女はうんと頷いて。
「ならば足をバチンしますわ」
「バチンてなに!? 悪い予感しかしないんだけど!!」
「ん〜〜!」
「いやだから待って話しを聞いてお願いだから!!」
また力を入れ始めた少女に魔法使いは叫び続ける。
それは結局、少女が力尽きるまで続いた。
***
パタンと扉がしまる。もちろん魔法使いの足はバチンされておらず、靴は変形してしまったが足そのものは変形していない。
「え〜……とりあえずお招きありがとう」
玄関からあがることを許されていない魔法使いはまずそう言った。
わははは。笑うしかない。
「両手をパーにして、上げてください」
右手に包丁、左手に雪平鍋を構えた少女が言う。
魔法使いは言われた通りにする。
「俺の名前は魔法使い。この格好から見てわかる通り、魔法使いさ」
「ポケットに入っているものがあるのでしたらゆっくり出して、床に置いてください」
魔法使いは言われた通りにする。
チャリンチャリンと、少女が見たことないコインが数枚床に落ちた。次に携帯を取り出し、これはゆっくり床に置く。それだけで手はまた上げられた。
「俺の役目は人助け。困っている人の元に駆けつけて魔法を使って解決するんだ。普通魔法使いが来ることはないからね、ラッキーと思ったほうがいいよ、あんた」
「では、あなたの名前とここに来た理由をお話しください」
「今話したよね!?」
***
「信用できませんわ。わたくし、魔法使いに会ったというヒトを見たことありませんの」
「そりゃあそうかもしんないけどさ……って、あんたどっかのご令嬢?」
話し方で判断した魔法使いが訊くと、まさかと言った少女が首を横に振った。
それを聞いてやっぱりと魔法使いが思う。少女の服装は、どうみてもパジャマだ。顔立ちだけ見ればお嬢様と言えなくもないが、周りが違いすぎる。
古い居住区、安物の衣服。魔法使いの足元に転がっている靴も高そうに見えない。これがシンデレラだというのならわからなくもないが、物語の肝である意地悪な継母はまだ登場してないので違うのだろう。
「じゃあ、あんたのその話し方は素か?」
人差し指を少女に向ける。少女は器用に(依然包丁を掴んだまま)腕を組んだ。
「素ではありませんわ。これは今まで聴いていた曲の影響にすぎません」
なにやら苦い顔をしている魔法使い。少女はため息のあと、面倒くさそうに言った。
「私、曲によって性格が変わってしまうのです。この“女王”も、そのせいですわ」
なるほど、と魔法使いは首を振る。少女の後ろ、閉じられた障子の向こうから微かに音楽が漏れていた。
「ちなみに、女王になる曲って?」
「QUE〇EN」
「ああ……うん。まあ……ね。わからなくも、ないの……かなあ?」
***
敵意が無いことを悟ったのか、少女は包丁を床に置いた。まだ雪平鍋は装備で、魔法使いは玄関からあがることを許されなかったが、腕を下げることは許された。
「簡単に言えば」
魔法使いの言葉に少女は耳を傾ける。
「俺はその性格……と呼べるかわかんないが、少なくとも曲を聞いて性格が変わらないようにすることができる。魔法でな」
少女はなにも言わない。
「魔法使いは人助けをする定めと決まってるんだ。だから迷惑ならすぐにでも魔法は使える。ただ、性格を変えるというのは危険なことだ。今までの足跡を全て消すことに変わりない。極端な例で言えば、性格が無になることもある。戻すことはできないが、新しく作ることは可能だ」
少女はなにも言わない。
「明るい性格にしたいならそう作れる。ただ、これもある意味危険だ。あんたという人間を一人作り替えることに等しいからだ。友人には顔が同じの別人とさえ思うかもしれない」
少女はなにも言わない。
「だから、これはあんたにまかせる。俺が言えることはこれぐらいだ」
「わたくしは」
「うん」
「そもそも魔法なんて信じていませんので決めるもなにもありませんわ」
「俺も長い間魔法使いでいたが、ここまで話しが進まないのははじめてだ」
***
「……もし、わたくしの性格が変わったとしましても」
少女は言って、障子を開けた。途端に大音量の音楽が逃げ出して魔法使いの鼓膜を襲った。だが、それもすぐに収まった。少女が電源を切ったからだ。
「誰も“私”の変化には気付かないでしょうね。私に友達はいませんから」
障子の向こうから少女が戻ってくる。音楽が消え、今の少女が本当の性格だった。
「それに、あなたは完璧に勘違いしています。私はこの特性を迷惑なんて思ってません。多少不便ですが、特性なんてそんなもの」
「特性を全員標準装備みたいに言うな」
「ですからお帰りください。私に魔法は不要です」
魔法使いに許可されたのは、後退だった。だがどうしてだろう。魔法使いは今の少女の言葉が本心だとは思えなかったのだ。
「……さみしくないのか?」
「? おかしなこと言いますね。さみしそうに見えますか?」
「いや」
「なら」
「さみしさを必死に隠しているように見える」
少女は黙った。
***
「俺は魔法使いだ。あんたは信じてないが、魔法使いだ。魔法が使える。普段なら無償で魔法を使うが、あんたに関してはちょっと変えようと思ってる」
「あなたはなにを言って」
少女の言葉は魔法使いが立てた人差し指によって遮られた。
「あんたが友達を一人作るごとに一回。俺は魔法を使う」
「…………」
取引ではない。少女の意見を聞いていない。
提案ではない。少女の承認は必要ない。
これは宣言だ。
少女がなんて言おうが無意味なこと。
「使ってもいい。使わなくてもいい。ストック可能だから、貯めてればいい。必要になったら俺に言えばいい。
そして」
魔法使いはニカッと笑う。
「俺が友達になったから、ストック1だ」
「……あなたは」
「魔法使いだ」
「……魔法使いさんは、馬鹿ですね」
「馬鹿でけっこう。というか、馬鹿も気に入ってるんだ。魔法で直したくないほどにな」
「本当に、馬鹿です。大馬鹿です。ですが、突き放したくなる馬鹿でないことは確かです。
……魔法は、ストックでお願いします」
「ああ、わかった」
「それで……もし魔法が使いたくなったらどうすればいいのですか? あなたの住んでる場所を訪ねればいいのですか?」
「ああ……いや、それなんだが……。実は俺ホームレスでさ」
まいったね、と魔法使いは頬をかく。
「家が決まるまでもう少し待ってもらえると」
「なら」
今度は少女の人差し指が話しを切った。その指先は、下を向いていた。
「ここに住みますか?」
「……………はい?」
「どうせ一人暮らしですし、訪ねてくる人はしません。部屋はありませんが、廊下で寝るので構わないのでしたら私はここを貸しましょう。布団はありますし」
「……いいのか?」
「もちろん。
――ああ、これは魔法を使って命令したほうがいいのでしょうか」
少女が笑う。作り笑いではない、本当の笑顔だった。
魔法使いは首を振る。冗談とわかっていながらも、首を振った。
そして、頭を下げる。
「よろしくお願いします」