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学校に着き、教室に入るとみんなの視線が僕に集まった。昨日の今日だから仕方がないと思いつつも自分の席に着く。後ろの席を見ると、夢野さんはまだ来ていなかった。そっと胸をなでおろす。
隣の席を見ると川島くんが、きれいな姿勢で席に着いていた。窓からは朝の陽射しが入り込んでいた。その春の陽射しが僕たちの席に降り注いでいる。しかし、そんな日差しを浴びている川島くんの顔は、やはり昨日と同じ青白かった。春の陽射しは川島くんの頬を暖かく染めることもできないでいた。川島くん自身からは、すべてを拒絶しているかのような空気を醸し出していた。
僕は恐る恐る川島くんに声をかけてみる。
「大丈夫?川島くん」
川島くんがこちらを振り返る。僕を見つめる瞳は、何ものも映ってはいなかった。そこには魂がないように見えた。本当にそれは空虚な瞳だった。僕はその目を見て怖くなった。いつもの川島くんは、無口だが芯のしっかりした人だった。その目も、口にはしないが夢や希望にあふれた高校生の目をしていた。それが今はどうだ。こんなにも空っぽになってしまった。一体、何がどうなってこんなことになったのだろうか。僕には見当もつかなかった。目は口ほどにものを言うというようなことを聞いたことがあるが、それならば今の川島くんは、空っぽということになっていしまう。僕はどうしても信じられなかった。
僕はしばらくその瞳を見つめながら絶句していた。どれくらい時間が過ぎただろうか、それは一瞬のことだったに違いないが、とても長く感じられた。
「あぁ、大丈夫」
川島くんが絞り出すような声で答えてくれるまで、僕は目をそらせずにいた。その声を聞き我に返った僕は、ほかに言葉が出なかったので、そのまま席に着いた。しかし僕の心の中は、恐怖と心配と疑念でわけのわからない状態となっていた。
そんな中、誰かが席に近づいてくる音がした。音の主は夢野さんだった。澄ました表情で自分の席に座る。その途端周りががやがやと騒がしくなる。しかし、当の本人は知っていか知らずか何事もないように授業の準備をし始めている。どうやら僕に対して関心がなくなったのか、何も言ってはこない。そこにホッとする僕だった。
川島くんの件といい、夢野さんの件といい、僕を悩ます種が多すぎるような気もするが、気のせいだろうか。そして悩みの種がもう一つ…
「おっはっよう~いつき~」
龍臣の登場だ。朝からハイテンションである。いいやつなんだけど、朝からこのテンションにはついていけないところがある。
「朝から元気だね、龍臣は」
「もう元気モリモリよ~それより川島は昨日にも増して顔色悪いなぁ。大丈夫か?」
そう言って龍臣は川島くんの顔を覗き込む。すると、龍臣は彼の顔を見てぎょっとした。龍臣も気づいたのだろう、あの空虚な瞳に。
「お前…まさか…」
龍臣の顔が一瞬で、さっきのチャラい感じだったのがまじめな顔つきになる。まじめな龍臣などあまり見たことがないので、僕は少し驚いた。そんな龍臣は、何かを考えるような仕草のまま無言で自分の席に戻っていった。僕は驚きつつも龍臣を目で追うが、難しい顔で何かを考えているようだった。そんな姿を今まで見たことがなかったので心配になった。一体何が彼をそうしたのだろうか。僕は再び川島君のほうを見るが、そこには朝と同じ青白い顔で前を見つめている姿があるだけだった……
先生が教室に入ってきた。授業が始まる。
先生が何かを一生懸命話しているが、今の僕にはあまり耳に入ってこなかった。龍臣のほうを見ると、先ほどと同じ難しい顔をして考え込んでいるし、川島くんは顔色が悪いし、何が何だか僕は分からないでいた。そのわからなさが僕を不安にさせる。
「川島、次のところを読んでくれ」
先生か川島くんをあてた。他のことを考えていた僕はその声で我に返り、川島くんのほうを見つめる。大丈夫なのだろうかと心配する。
「…はい…」
川島くんはゆっくりと立ち上がった。しかし、完全に立ち上がる前にその体はぐらりと揺れ、倒れるまではいかなかったが、そのまましゃがみこんでしまった。女子たちからは悲鳴が上がり、男子たちはどうしたのかと半立ちになって川島くんのほうを見つめている。
「大丈夫、川島くん!」
「大丈夫か、川島」
僕は急いで川島くんに駆け寄った。先生も心配そうに駆け寄ってくる。僕は、川島くんの背中をさすりながら、何度も大丈夫?と声をかけた。するとか細い声で大丈夫だと答えてくれたが全然大丈夫そうに見えなかった。
「先生。川島くんを保健室に連れて行ってもいいですか?」
「あぁ、いいぞ」
僕は先生に許可を得て、川島くんを保健室に連れて行こうとした。川島くんは立ち上がるのもつらそうだった。僕は川島くんの腕を首に回し、肩を貸した。そうして立ち上がり、教室を出た。後ろからは心配する女子たちの声が聞こえてきた。そんな僕たちの後ろ姿を夢野さんは無表情で見つめていた。そして龍臣はやっぱりなとつぶやいたのだった。そのつぶやきは僕たちには聞こえなかったのだが…
保健室へ行くため廊下を歩いていると、川島くんがうわごとのようにつぶやいた。
「夢が…悪夢が…」
「え、なに?」
僕は聞き返すが、それっきり川島くんは気が失ったかのように一言も発することはなかった。