3-(1)
その夜のこと…
そこは真っ暗な空間だった。
風などの音は一切なく、生き物の気配も全くと言っていいほど感じない。そこはまるで墨汁で一面を染めたような深い黒だけが、この空間を形成しているようだった。
闇、やみ、ヤミしかない……
そんな空間に、僕はひとりでいた。
この闇しかない空間の中でも、僕の姿ははっきりと浮かび上がっている。それはまるで僕自身から光を発しているようだった。
そんな僕は、何かに追われている最中だった。ときどき後ろを振り返りながら、全力で走っている。
僕の顔は恐怖でゆがみ、荒い呼吸を繰り返している。その呼吸音と足音だけが空間に響いている。そして振り返っては、自分を追ってきている何かを確認しようとするが、その姿を確認することはできない。
見えない何かに追われる恐怖が、僕を包み込んでいく。
しばらく走っていたが、僕は急に立ち止まった。体を前かがみにし、上下に肩を揺らしながら荒い呼吸を繰り返す。ハァハァという呼吸音だけが空間に響いているが、それもすぐに吸い込まれていき、再び静寂が訪れる。
しかし、その静寂を僕の声が打ち破る。
「一体誰なんだよ、追いかけてくるのは。もうやめてくれ」
僕は後ろを振り返って、そう叫ぶが返事は帰ってこない。僕の悲痛な叫びも容赦なく空間に吸い込まれていく。
僕自身も返事が返ってくるとは思っていない。しかし、叫ばずにはいられないほど恐怖を感じていた。気が付いたら真っ暗な空間にいて、突然見えない何かが後ろにいるのを感じたのだ。誰だって恐怖を感じずにはいられないだろう。
僕はしばらく後ろを見つめていたが、何の変化もないことが分かると、あきらめた様子で再び目線を前に戻した。
そのとき、ふと誰かに見つめられている感覚を覚えた。その感覚は僕の立つ足元から感じるではないか。寄って僕の目線は、自然と足元にむけられる。しかし、何の変化もない。僕は気のせいかと思い首をかしげる。そして、視線を戻そうとした瞬間、地面がゆがんだかのように見えた。
「な、何だ……」
僕は目をこすり、再び足元の地面に目を向ける。
すると、地面がぱっくりと割れ、二つの大きな赤い眼が現れ、こちらを見ているではないか。
「う、うわぁ~」
僕は驚き、腰を抜かし地面に座り込む。
その瞬間、地面にはたくさんの裂け目ができ、無数の眼が現れ始めた。そして、その裂け目は地面のみならず横や天井にもでき、多くの赤い眼が現れる。すると、いっせいに僕を見始めたではないか。
多くの眼に見つめられ僕はどうすることもできないでいた。僕はこの恐怖の中で、どうすればいいか必死に考えたが、頭は回らない。
何か身を守るものをとあたりを見渡すが、もちろん何もない。何か武器がほしいと願ったが、その願いがかなえられるわけもない。
そして、たくさんの眼は、僕を変わらず見つめ続けている。少し変わったところといえば、眼の数が先ほどより多くなったということだろうか。
言いようのない恐怖が僕を包み込んでいく。
僕は、その眼を見ないようにうつむきながらつぶやく。
「何か武器があれば…バットでもいい、何でもいいから助けて…」
そうつぶやいたときであった。