登録からの♪
5月14日。
斑目コウの二十歳としての初日は、輝かしい希望ではなく、胃をキリキリと締め付けるような重圧と共に始まった。
バフを授かった全ての国民は、十日以内に政府指定の医療機関で「能力鑑定」を受け、その詳細を登録する義務がある。コウは既に予約を済ませていた。
「(……目立たないように、とにかく静かに。登録さえ終われば、あとはひっそりと就活に励むだけなんだ……。スイスやハワイへの移住費を貯めるために、まずは平穏な実績を……)」
コウは、愛用のAndroidを震える指で操作し、病院の受付を済ませた。左右の手の甲に刻まれた「ジッパー」のような亀裂を隠すため、季節外れの黒い手袋をはめている。
だが、その下ではロゼとシルバが、お出かけを喜ぶ子供のように、時折ピクリと脈打っているのが伝わってきた。
「次の方、斑目コウさん。採血室へどうぞー」
無機質な看護師の声に、コウは心臓を跳ねさせた
採血室に入ると、そこにはベテラン風で年配美魔女な看護師が待っていた。
「はい、斑目さん。左腕を出してくださいね。緊張しなくて大丈夫ですよ」
「あ、あの……よろしくお願いします。もし、その……少しぐろかったら、本当にすみません。僕の意思じゃないんです」
「? 何をおっしゃってるんですか。はい、リラックスして、親指閉まって、グーにしてください」
看護師がコウの腕をアルコール綿で拭こうとした、その瞬間。
コウの右手の甲――銀色のジッパーが、彼の制御を完全に離れてガバッと開いた。
『あらあら。……そんな鈍い針でマスターを傷つけるなんて。……わたくしが許しませんわ。覚悟おしなさいな!』
慈愛に満ちた、しかし底冷えのするシルバの声が室内に響き渡る。
一瞬の出来事だった。
シルバは銀光を放つ触手をムチのようにしならせると、看護師の手から注射器を奪い取り、逆にコウ自身の腕へと正確に突き刺したのだ。
「ぎゃああああああああああああ!! 手が、手の中に銀色の蛇!? 触手!? がいルるるるぅぅぅ!!」
看護師の絶叫が防音扉を突き抜け、病院中に響き渡る。
シルバは事も無げに最短ルートで採血を完了させると、奪った注射器を丁寧にトレイに戻し、満足げにジッパーの中に消えていった。
「ち、違うんです! これ、僕の意思じゃなくて! シルバ、ダメだって言っただろ! ……すみません、本当にすみません!」
結局、ショックで腰を抜かした看護師に代わり、別の屈強な男性看護師が呼ばれた。彼は防護盾でも持っているかのようにコウから距離を取り、震える手で事務手続きをやり直す羽目になった。
コウは鑑定を始める前から、病院中のスタッフから「事案レベルのヤバい奴」というレッテルを貼られてしまった。
続いて行われたのは、高度魔導鑑定器による詳細分析だ。
初老の検査官は、防護ガラスの向こう側で、眼鏡の奥の目を険しくしながらモニターを追っていた。
「……斑目くん。君のこのバフ、正直に言おう。採血の結果、数値上は他者の神経系を瞬時に安定させ、細胞の自己再生能力を急速に活性化させる『極めて高純度かつ希少な支援型バフ』として一貫している」
「そ、そうですよね!? やっぱり、支援職として優秀なんですよね!? ホワイトな企業に就職できますよね!?」
コウは身を乗り出した。だが、検査官の顔は晴れない。
鑑定画面には、周囲が絶叫した【神経感度増幅】の文字。そして一般未公開のログには、さらに過激な「真実」が羅列されていた。
【※対象者の味覚・嗅覚を含む五感の閾値を劇的に向上させ、摂取物の栄養吸収効率を最大化する。副次効果として『禁断の蜜液・アンブロシア』に匹敵する多幸感を中枢神経に直接付与する】
「だが……」と、検査官は苦虫を噛み潰したような顔で続けた。「いかんせん、ビジュアルが致命的すぎる。政府の自動ラベリングシステムは、形状を優先するからな」
無情にも、病院のロビー全体に設置されたスピーカーが、コウの鑑定結果を冷徹に読み上げた。
『――斑目コウ様。バフ【触手使い】。高効率な支援型バフとして登録。固有スキル:微電流回復ゼリー、神経感度増幅』
「……触手、使い?」
「おい、さっきの悲鳴の主か……? 『神経感度増幅』って、それって完全にアレだろ……」
待合室にいた女性たちが一斉に席を立ち、コウをバイ菌でも見るような目で見つめながら逃げ出していく。
その疎外感に耐えかね、今度はコウの左手の甲がピクリと反応した。
『おーっほっほっほ!! 皆様、わたくしの美しさに見惚れて逃げ出すなんて、照れ屋さんですわね! お礼にわたくしの「雷撃ゼリー」を噴射して差し上げますわ!』
パカッ、と開いた左手の甲から、桃色のロゼが元気よく飛び出し、周囲にキラキラと輝く粘液を撒き散らそうとする。
「ぎゃああああああああ!! 変態の体液から逃げろ!!」
「ロゼ! やめろ! 噴射しちゃダメだからね! ……ああ、もう、皆さん本当にすみません! 本当に、本当にすみません!!」
逃げるように向かった先は、二十歳を迎えバフ登録を終えた者たちの初等研修ルームだ。
そこでは、これからダンジョン実習に向かう新人たちがパーティを組むことになっていた。
教室の入り口で、コウは二人の少女と目が合った。
銀髪をなびかせ、凛とした佇まいの双子姉妹――カレンとルナだ。
先程アナウンスで名前を聞いたばかりだから、コウもはっきりと覚えている。二人ともあまりに綺麗で目立っていたからだ。
だが、二人は先程の騒ぎの主がコウだと気づくと、汚物を見たかのように顔を真っ赤にして絶叫した。
「「……っ、へ、へんたいっ!? なんであんな卑猥な生き物を宿した人間が、研修室にいるのよぉぉ!!」」
カレンは冬の女王のような鋭い美貌を歪ませ、ルナは儚げな瞳に軽蔑を浮かべて震えている。
そこへ、教官がガサツな足取りで入ってきた。
「えー、諸君。二十歳になったからには、バフを使いこなす義務がある。研修用初級ダンジョンへ潜るので、3人1組のパーティを組め」
(出だしで完全に詰んだ……。この空気で、誰が僕なんかと……)
絶望し、床のシミを見つめるコウ。だが、教官はニヤリと笑い、あえて一番激しく拒絶していたあの双子姉妹に視線を向けた。
「おーい、カレン、ルナ。お前ら高火力魔法使いだろ? ちょうどいい支援職がいるぞ。……斑目、お前はこの双子と組め」
その瞬間、研修室の温度が氷点下まで下がったかのような静寂の後。
二つの拒絶が完璧にシンクロして爆発した。
双子「「いやーーーーーーーーーーーーー!!!! 絶対に、万が一にも、死んでも嫌よぉぉぉ!!」」
それに応えるように、コウの両手の甲から、ロゼとシルバがぬるりと顔を出した。
ロゼ・シルバ「「こっちもいやーーーーーーーーーーーーー!! こんな味の分からん小娘ども、わたくしたちの『救済』にはもったいなすぎますわ!!」」
魂からの相互拒絶。
主人のメンタルを完全に置き去りにしたまま、物語は地獄のダンジョン攻略――そして、双子が「アンブロシア」無しでは生きられない体へと堕ちていく、破滅の第一歩へと突き進むのだった。
「……あの、先生……。僕、一人で、ソロでいいですか……? この触手二つで三人扱いとかになりません? ダメですよね、ほんと迷惑かけ……すみません……」
コウの小さな呟きは、誰にも届かなかった。




