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なんだかんだ人情には厚いダウナー系死神の話

作者: 七夜瑠奈
掲載日:2026/05/06

どんよりとした灰色の空の下。夏の訪れもそう遠くない時期だというのに冷たく降りしきる雨の中で少年と子猫は出会った。

「どうしたの?迷子?」

ずぶ濡れの小さな身体でみーみー鳴く子猫の近くにははぐれてしまったのか母親の姿は見当たらない。雨ざらしの草むらで蹲る子猫に少年はしゃがみ込んで傘を差し出すが、今してやれることはそれくらい。そしていつまでもそうしていられるわけではない。

都合よく人が通らないだろうか――いや、河川敷のこの道は晴れていればまだ望みがある程度。

あるいはせめて雨が弱まれば――その望みは到底叶いそうにない空模様。

(どうしよう、家には連れて帰れないし、かといってこのままじゃ……)

「どうした少年、風邪引くぞ」

突然背後で声がして振り返る。いつからそこにいたのか、声の主は青黒いマントを纏う男。二十歳くらいの青年に見えるがその顔色は生気を感じないほどに青白く、深いクマに縁取られた光のない濁った目で少年を見下ろしていた。不気味にすら感じるその風貌に少年は咄嗟に通学カバンにつけた防犯ブザーに手を伸ばす。

「不審者とかじゃないから。それは勘弁してもらえるかな」

「その格好でそれは無理があると思いますよ」

自覚はあるのか青年はわざとらしく肩をすくめて見せる。それがかえって胡散臭いというのはわかってやっているのだろうか。警戒を強める少年に青年はまた問いかける。

「それで、こんなところでどうしたの?落とし物?」

「……子猫がいるんです。迷子かもしれなくて」

「どれどれ…本当だ、かわいいねえ」

青年が覗き込んでも子猫は気にしていないのかそんな気力もないのか変わらず蹲ったまま弱々しく鳴いていた。

「このままにはしておけないけど、うち動物飼えないし……でも何かしてあげないと後で後悔するんじゃないかって……」

子猫を見つめる青年の目は何か目に写らないものを見透かそうとしているようで、無言では堪えられなくなる。やがて少年の方に目を移すと嘘のようににっこり微笑んだ。

「どうする?放ってはおけないけど、このままじゃ君も帰れないでしょ?」

「そうなんです。でも僕どうしたらいいか……」

「連れて行ってあげられなくてもできることはあるんじゃない?目を離すのが心配ならオレがついてるし」

戸惑う少年に優しく諭すように続ける。

「いい事教えてあげようか。オレは後悔ってやつが嫌いでね、特にやらなかったことへの後悔は思ってる以上に重い。後から何もしなかったことを悔いるくらいならせめて何か行動した事実だけでも残しておいたらいいんじゃないかな」

これまた怪しい自覚はあるのか、少年の心の内を見透かすように「オレを信用できるかという問題はあるけど」と付け加える。人を見た目で判断すべきでないのはわかっているが、実際不信感しかないのだから仕方ない。

何しろこの男が現れてからというもの、背筋が凍りつきそうに冷たい。何者かに腕を引かれるような、不気味な感覚がしてならない。

「……家から何か使えそうなもの探してきます。その間だけ任せてもいいですか」

「よし、任されよう。行ってこい少年」

拒絶することは簡単だが、そうしたところで何かが変わるわけではないこともまた事実。このまま無意味に時を過ごしていても仕方ない。拭いきれない不安を振り払うように少年は雨の中へ駆け出した。




「お、戻ったか少年」

「……その『少年』っていうのやめてくれませんか」

少年がタオルや毛布を詰めたダンボールを持って戻ってくると青年は約束通りそこで待っていた。置いていった傘の下の子猫も変わらず弱ってはいるものの無事なようで切れた息を大きく吐き出す。率直にホッとした。最悪の事態も想定していた。怪しさ満点の男でも信じてよかった。子猫を雨の当たらない高架下に運び、ずぶ濡れの身体を拭いて毛布に包んでやる。初めは少々嫌がる様子も見せたが、次第に落ち着いたのを見て、少年は傍らで見守っていた青年に向き直る。

「あの…、疑ってすみませんでした」

「ああ、気にしないで。我ながらオレを信用しろっていう方が無理があると思うしね」

青年は慣れっこだとばかりにへらっと笑ってみせる。そんな表情は見た目通り気のいい兄ちゃんといった印象なのだが――沈黙を挟むと途端にまた異様な雰囲気が襲いかかる。自分なりにその雰囲気を噛み砕くために、気まずい沈黙を打ち破るために少年は思い切って尋ねてみた。

「あの……変なことを聞いていいですか?…僕、死ぬんですか?」

青年は一瞬きょとんとした表情を見せたがすぐに不敵な笑みとともに「どうして?」と首を傾げる。

「あなたを見てると何か良くない事が起きそうな、そんな予感がするんです。まるで……本当に死神がいたらこんな感じなのかなって……」

「そう、なるほどねえ……」

少年が変なことを言ったかもしれない、と戸惑うのに対して青年はまるでその答えを予期していたかのようだった。否定も肯定もしないその様はそれだけで空想を現実のものにするには充分だったが、青年はその笑みを崩さずに告げる。

そう、オレは死神。君の死を請け負う者だ、と。

「死が迫っている人間ほど死神を強く認識できるらしい。具体的なことは言えないけど、君の様子だと……まあ長くはないと思ってもらっていいかな」

非情な通告に少年は狼狽えるでもなくただ諦めたように「運命って残酷ですね」と零し、それから少し間を置いて静かに話し始めた。

少年がまだ小さい頃に母親を亡くしていること。それが原因で塞ぎ込んでしまって学校に馴染めなかったこと。中学校に進んでからというもの上級生の不良グループに絡まれるようになり、ストレスの捌け口にされていること。父親とは上手くいってないわけではないが、それ故に心配をかけたくなくて相談もできずにいること。

「僕自身が可哀想でいようとしてたとこもあったのかもしれません。そうすれば誰かに守ってもらえるって。でもそうじゃないんだって、僕が変わらなくちゃいけないんだって……。気づくのが遅すぎたみたいです」

ほんの十数年だがその小さな背中で背負ってきた半生を少年はそう語った。

「この子のために何か食べ物も買いたかったんですけど、ちょうど今日奴らにお金取られちゃって」

「今時そういう奴らいるんだ…」

「僕も信じられないですよ。でも、嫌だなんて言ったらまたボコボコにされるだろうから……弱いし抵抗もしないから、いいカモなんだと思います」

まだ幼さの残る顔の割にくたびれた学生服や、その顔をはじめ目に入る範囲にまで見える暴力の跡に納得がいって、それまで淡々と話を聞いていた青年の表情が翳る。

「僕はそんな弱い人間だから……それでも誰かのために何かできたらいいなって、そう思ったんです。……死神さん、僕は死ぬまでに誰かの役に立てるんでしょうか。こんな人生でも、生きてる意味があったって思いたいんです」

「さあね。オレにできるのは君がどう生きてどう死ぬのかを見届けることだけ。そこに意味だとか価値だとかを見出すのは君自身だよ」

ある意味死神らしい答えと言えるだろう。死を扱う者であるが故の一線を引いた答えに少年がまた俯きかけたところで「ただし」と続ける。

「君にはもう少し時間がある。それを活かすも殺すも君次第だけど、後悔だけは残さないようにね。そりゃあ全く何も残すなっていうのは無理だろうけど、今の君は相当な後悔を残すことになるだろうから」

夕暮れを告げる音楽が辺りに響く。雨模様の空に奪われていた時間の感覚を急激に取り戻す。今の時期ならば一八時になるだろうか。

「もうそんな時間なんだ……。この子も大丈夫そうだし、今日はもう帰ります。えっと……ありがとうございました」

「うん?礼を言われるようなことしたかな」

「その……あなたのおかげでこの子を助けられるのかなって。それに、僕も話を聞いてもらえて少し楽になった気がします」

「……まあ悪い気はしないかな。気をつけて帰るんだよ」

少年は改めて感謝の言葉と共に深くお辞儀して家路についた。その表情にはほんの少し晴れ間が覗いたように見えた。

「……あんなにいい子なのにねえ」

走り去る少年の背中を見送りながら小さく呟く。慈悲なんてものは持ち合わせていないが、憐憫くらいならないこともない。

彼の運命は定まった。しかし最期の時を前に彼の言う生きた意味を見つけられるのか、それとも何も変えられずにその時を迎えるのか。前者であることを望んで接触したつもりだが、それが叶うとも限らない。人間なんてそんなものだ。故に祈るような言葉を残す。

「せめて残りの時間が悔いのないものにならんことを」

雨に濡れたとは思えないほど軽やかにマントを翻し、死神は雨の中に紛れるように姿を消した。




前日とはうってかわって抜けるような青空の下を少年が駆け抜ける。

あの後も心配でなかったわけではない。無事一晩過ごせただろうか、あるいはもっと気の利く人に出会えただろうか、そんなことを考えていたらいつもはあんなに重い玄関のドアが軽く感じられた。

(いた!)

昨日と同じ高架下に子猫はいた。作った寝床からは自力で出てきたらしい。昂ぶる気持ちのままに駆け寄ろうとして踏みとどまる。相手は人馴れしているとは限らない野良の子猫だ。驚かせないように、慎重にかつ敵意がないことをアピールして、ふと冷静に自分を客観視してあの死神の振る舞いを思い出して――連なるようにその言葉を思い出す。

(僕、本当にもうすぐ死ぬのかな……)

死が突然でそれ故に誰にでも平等に訪れるものであることは母親の時によくわかっていたつもりだった。しかし、自分のこととなるとまるで実感が湧いてこない。これまでの恵まれない人生や苦痛から解放されると考えなかったといえば嘘になる。しかし、やはり死を意識した時に湧き上がるのは恐怖。死が齎すのは救済ではなく終焉だということなのだろう。

ふと気づくと子猫の方から少年に近づいて足元をクンクン嗅ぎまわっていた。意外と平気なのでは、と伸ばした手は丁重にお断りされてしまったが、かといって逃げ出す様子はない。

(そのうち触らせてもらえるようになるかなあ)

本当に何気なくそう思った。

「未来」というほど大袈裟な話ではないが、それでも少年にとっては訪れるかわからない「そのうち」の話。

もう少し時間がある、と死神は言っていた。彼には死が迫っている自覚はないのかと言われるかもしれないが、まだ無意識に先のことを考えられる。そうあれる間はまだ前を向いていていいのではないか。わざわざ苦しもうとしてきた結果が今の自分の姿なのだから。そう思った途端すっと靄が晴れたような気がした。居場所のない教室だとかいつ訪れるかわからない不良達の襲撃だとかそんな不安は変わらないが、前を向かせてくれた子猫がいる。この子のためにも残りの時間を大事にしよう。少年は子猫に挨拶して、学校へと歩き出した。

それから少年は登下校で通りかかるたびに子猫を探すようになった。たまに姿を見ないこともあったが、すっかりこの辺りに居着いているようで次第に少年が訪れるであろう頃に子猫の方から姿を見せるようになった。見かけたからといって何をするわけでもない。強いて言うなら心の内を整理するように語りかけるくらい。子猫の方もそんな少年に少しずつ心を許していったようでいつしか触れられることにも抵抗がなくなったようだった。


しかし、そんな日々の終わりは突然訪れた。


その日の放課後、いつも通り河川敷の道を通って帰宅する途中だった。普段なら人通りすらまばらだと言うのに今日は少々騒がしい。騒ぎの主はどうやら進行方向、歩みを進める毎に喧騒が聞き覚えのある声として認識できるようになっていく。そして見えてきた人影は、派手に着崩しているものの少年と同じ学生服の集団。いつも絡んでくる不良達だった。草むらの中にいる何者かに向けて威嚇したり石を投げたりしている。彼らが自分以外にもその暴力性を向けていることに怒りを感じつつもどこかで矛先が自分でないことに安堵していて情けなくなる。

学校からはそれなりに離れているからここまで来れば安心だと思っていたがまだ奴らの行動範囲だったのか。それともターゲットを逃がさないために調べられていたのだろうか。嫌な想像が過ぎるのを頭の奥に押しやってこの状況をどうすべきか考える。正面突破だけは無しだ。どんな流れ弾が飛んでくるかわからない。とすれば別の道を探すか時間をおいて彼らが去るのを待つか、いずれにせよこの場は一旦引き返す他ない。そう思って進路を変えようとして――血の気が引いた。

(どうしてあの人達があの子を――)

茂みから飛び出してきたのは傷ついた子猫。その顔、毛色は今更見間違いようがない。あの日助けた子猫で間違いなかった。

運命というのは何故こうも残酷なのだろうか。

介入しない選択肢はなくなった。他の何者かだったら見捨てていたというわけではないが、あの子猫は少年にとって生きる希望であり、自分がいなくなった後の未来を託す存在。同じ因縁に晒されることになればそれらまで踏み躙られる気がして。

皮肉にももうすぐ訪れるらしい死の運命と死神の言葉が背中を押す。そうだ、ここでさらに恨みを買うことになったところですぐに自分は死ぬ。それよりも何もせずに自分だけ逃げてしまえばきっと一生後悔することになる。そのどちらを背負うか、一択だ。意を決して走ってくる子猫に腕を広げてみせると一直線に飛び込んできた。そのまま抱えあげて走り出す――よりも前に不良達に呼び止められて足が凍りつく。

「お、新しいおもちゃ発見」

それは地獄の始まりの宣告だった。

珍しいとこで会ったじゃん、家こっちなの?そんなことを馴れ馴れしく話しかけてくる。まともに答えれば後で自分の不利になるだろうし、かといって黙っていれば彼らの機嫌を損ねて痛い目を見るのがオチだ。曖昧に受け流していると、リーダー格の男から本題が切り出される。

「ねえ、その猫ちゃん返してよ。俺らが見つけたんだからさあ」

少年は俯いたまま、しかしきっぱりと首を横に振った。恐怖で喉が詰まって声は出せなかったが、初めて彼らに対して拒否を示した。一瞬面食らったようだったがすぐにリーダー格がすごむ。

「なんだよ、言うこと聞けないのか?」

「この子は……僕にとって大事な子なんです」

必死に言葉を絞り出して訴える少年に石が投げつけられた。先ほどまで子猫に向けていたものだろう。投擲武器があるなんて反則だ――じゃなくて、彼らに都合のいい返答以外はこうして暴力でねじ伏せられるようだ。やはり言葉で訴えたところでどうにかできるわけではない。それでも、少年の決意と覚悟は硬かった。

「お願いです、この子には構わないでやってくれませんか」

そんな言葉が届くとは最初から思っていなかった。それでも万が一、億が一の可能性のために、守りたいと思った存在のために、何より弱い自分を乗り越えるために、言葉を絞り出した。

その答えが強烈な一撃だったとしても。

「正義の味方気取りか?生意気なんだよ」

よろめいたところにすかさず次が叩き込まれ、少年はその場に倒れ込む。緩んだ腕から子猫がすり抜け、少し心配そうに様子を伺った後走り去った。

「あーあ、逃げちゃった」

「もういいだろ。それよりこいつだよ」

「確かに。ちゃーんと礼儀ってのを叩き込んであげないといけないよな」

ああ、やっぱりこうなるのか。わかっていたのに、余計なことした――という気は不思議としなかった。直視したら身体どころか心まで壊れてしまいそうな状況への防御反応なのかもしれない。

「おいおい超キレてるじゃん、やりすぎじゃね?」

「ばーか、これくらい平気だろ。いつも鍛えてやってんだから」

声も出なくなった少年にそんな嘲笑が降りかかる。そうだ、こんなところで、こんなことで死ぬもんか。この場を耐え切って、子猫と一緒に「この子を守るための勇気を持つことができた」と、それで悔いはないと、胸を張って死神に伝えに行く。それくらいの未来までは見たっていいじゃないか。ろくに身体は動かないが、耐えることにだけは慣れている。大丈夫。もうしばらく、彼らの気が済むまで耐えれば――




草むらの中で動かなくなった少年に黄昏時の薄闇に紛れて青黒い影が近づく。深く被ったフードとその下に覗く髑髏の仮面、大鎌を携えたその姿はまさしく死神。影は少年の前で立ち止まると深く一礼をして、鈍い光を放つ鎌を振り下ろした。

「まったく、無茶してくれちゃって…」

その手の中で揺らめく小さな火に語りかけるように影が呟く。その素顔は伺い知れないが、発される声は確かにあの青年のものだった。呆れるような言葉と裏腹にその声色には労いの色が滲んでいた。それに応えるように火はどこか誇らしげに揺らめく。

「よく頑張ったよ。こんな結果にはなってしまったけどね」

不意に子猫の鳴き声が響く。無事に逃げ延びていたようだ。心配そうに二度と動くことはなくなった少年の様子を伺う。

「残念だけど、これが君の恩人の運命だ。君はこの子の分も幸せになるといい」

子猫は青年に気づいておらずその声も届いていないようで、安堵からか一瞬その口元が微かに緩んだ。自分の仕事はここまで。決して後味のいい結末ではないが、あとは遺された者達の問題だ。ああ、あの不良たちには呪いの一つくらい残しても許されるか。


その夜は、冷たい雨が降った。



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