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アークエイジ-能力調整の世界での代償-  作者: 犬山三郎丸


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変わらない日常

第3章 買い物籠の重さ(アカネ単独)


 事務所に戻ったとき、街はもう「いつも通り」の顔をしていた。路地に落ちた白い照射も、救急の担架も、散っていく足音も、少し距離を取れば広告の粒子に紛れて見えなくなる。見えなくなるだけで、こちらの中から消えるわけではないから、アカネは鍵を掛けたあとも肩の内側に残る力みをうまくほどけずにいた。


 桜田はいつも通り落ち着いていた。大柄な体が狭い室内に収まりきらないのに、動きは静かで、机の上を乱さない。タブレットを開いて、外で起きたことを内側の言葉に並べ替える作業へ、迷いなく入っていく。


「搬送先はここだ。警備局の担当はこの番号。あと、現場の映像な」


 リーリャはカウンターの向こうでノートPCを開いた。紙パックを机の端に置いて、指先だけで必要なフォルダを作っていく。眠そうに見える目のまま、動作だけは速い。


 桜田はリーリャの画面を覗き込みすぎない距離で言った。


「向こうに渡すのは“コピー”だけにする。元のデータはうちから出さない。あとで『映像をいじられた』とか言われても困るから、渡した瞬間の状態が分かるようにしておきたい」


 アカネは甘い飲み物を一口飲んだ。味の輪郭はぼやけたままでも、体が落ち着く感じだけは分かる。頭の中のざわつきが少し遅れて静かになる。


 リーリャが頷き、言い方を噛み砕いた。


「元のデータはこのPCに保管して、外に出すのは複製だけにする。複製には“指紋みたいな番号”を付ける。渡した後に誰かが編集したら、その番号が変わるから、変わった時点で『それは私たちが渡したものじゃない』って言える」


「それを二つ作っておけ」

 桜田が続ける。

「一つだけだと、相手が“壊れた”って言って逃げる。二つあれば同じだと証明できる」


「分かった。二重に付ける。あと、向こうに渡すのは読み取り専用にして、上書きできない形にする」

 リーリャは淡々と言って、操作を進めた。


 桜田はそれで十分だと判断したのか、短く頷いてタブレットを閉じた。


「救急、間に合ってよかったね」

 アカネが言うと、桜田は視線を外さないまま返した。

「間に合ったかどうかは報告待ちだ。ただ、現場で越えなかった線がある。追い詰めていたら、もっと荒れた」


 リーリャが小さく言う。


「回収係は逃げた。見張りも散った。動きが揃ってたから、次も同じ形で出る可能性が高い」


 その言葉が、路地の空気をまた引き戻す。合図ひとつで変わる視線、散り方の揃いすぎた群れ、足元から消えていく証拠。明るい街の表面が、薄い膜みたいに感じられる。


 桜田は立ち上がって冷蔵庫の扉を開け、白い光の中身を一秒で見切った。水と、使いかけの栄養ゼリーが二つ。ほかはほとんど空だ。


「……買い出しが要るな」


 唐突に聞こえるのに、昨夜からの流れにぴったりつながっていた。現場が終わったから日常へ戻るのではなく、次の現場で判断を鈍らせないために日常を整える。桜田の切り替えはいつも理由がある。


「行ってくるよ。二人は今ここ離れない方がいいでしょ」

 アカネが言うと、桜田は迷いなく頷いた。


「俺は連絡を回す。リーリャはログ整理を続ける。必要な物は送る。店は南区の大通り側にしろ。裏には寄るな。急ぐ必要もない。人の流れに合わせて戻れ」


 アカネの端末が震えて、買い物リストが届いた。主食、缶詰、栄養ゼリー、飲料、簡単な常備薬。贅沢なものはない。生活の最低限が並んでいる。


 リーリャが画面から目を離さないまま言った。


「帰り、入口のカメラは見ておく。変なのが付いたら分かるようにする。追いかけたりはしない」


「ありがたい。無理はしないで」

「無理してない。見るだけ」


 桜田が最後に念を押す。


「何かあっても追い回すな。止めるなら、崩さない止め方でいい」


「了解。今日は走らないで戻る」


 アカネはフードを被り直し、扉を閉めて外へ出た。



---


 南区の大通りは、明るさの種類が違った。上空を走る配送ドローンが広告ホログラムの粒子に光を落とし、路面が細かく瞬く。交差点の支柱には顔認証ゲートのカメラが並び、通行人の頭上にARの注意が一瞬だけ重なる。表示はすぐ消えるのに、見られている感覚だけが背中に残る。


 人の流れは多い。多いから安全という単純な話ではないが、裏通りの濃い空気を思えば、ここはまだ普通の速度で歩ける場所だ。アカネは歩幅を落とし、人の流れに紛れた。


 途中、壁面の広告の隙間に、別の光が重なるのが見えた。街の公式広告とは違う、安い投影。文字が短く、刺すように並ぶ。


 ――調整の闇を晒せ

 ――証拠を掴め

 ――選ばれなかった側の声を集めろ


 反調整派の投影だと一目で分かる。昨日の「救え」より、ずっと前に出た言い方だった。大通りの人通りを避けずに出しているあたり、怯えより勢いが勝っている。


 投影の前には、立ち止まらずに通り過ぎるべきだと思ったのに、視界の端で“配っている”人間が見えた。紙ではなく、薄いステッカーを指先で渡している。割引コードみたいな見た目で、受け取る側は軽く頷いて笑う。表向きはただの販促に見えるのに、渡す側の目が笑っていない。


 アカネは視線を正面に戻し、歩く速度を変えずに店へ向かった。



---


 量販店の入口には「安全のため簡易スキャンを行います」という表示が出ていた。自動ドアが開くたび、ゲート横で浮かぶ小型ドローンが薄い光を伸ばし、入ってくる客の体表と手荷物をなぞる。痛くも痒くもないはずなのに、疑われている感じだけが残る仕組みだ。


 入口の脇には注意書きが並んでいた。


 棚の一部には盗難防止ロックがかかっています。

 同一商品の大量購入はお控えください。

 電子ドラッグの所持・使用が疑われる場合は通報します。


 配給ではない。店に物はある。だからこそ、店が「消える前提」で守りを厚くしているのが分かる。


 アカネは買い物籠を取り、端末で桜田のリストを開いた。上から順に埋めていけば迷わない。こういうときに迷うと余計な時間だけ増えて、目立つ。


 最初は主食だった。


 棚に着いてすぐ分かったのは、安い棚ほど鍵が増えていることだった。乾麺、食パン、保存食、安価なプロテインバーの列に透明なカバーがかかっている。カバーには小さな電子ロックが付いていて、客が勝手に開けられない。


 値札は電子ペーパーで、数字が細かく点滅している。価格が更新されるたび薄く光る仕組みだ。点滅が多い棚ほど、売り場の余裕がない。


 アカネは食パンを二袋取り、籠に入れた。次に乾麺を一束。缶詰は指定数だけ。ツナ、豆、スープ。見た目や味は気にしない。必要なのは腹が止まることだ。


 同じ列に並ぶ栄養ゼリーにも透明カバーが付いていた。客が自由に取れない棚が増えたということは、盗まれる商品が増えたということだ。アカネはカバーの端にある開閉ボタンを押し、解錠された瞬間に必要数だけ抜き取って籠へ入れた。籠が少し重くなる。


 重さそのものは気にならない。ただ、その重さが「最低限」だけでできているのが静かに刺さる。余計なものが一つもない。


 次に飲料コーナーへ向かった。


 棚には色とりどりの紙パックが並び、選べる未来の顔をしている。けれど、リーリャがいつも選ぶのは決まっている。好きだからではなく、変えるのが面倒だから。何を食べても同じような感じがするから。


 アカネはその“いつもの色”を二つ取って籠に入れた。ついでに水も買う。糖分の飲み物ばかりだと、桜田が何も言わなくても眉をひそめるのが分かる。


 リストの最後は常備薬だった。絆創膏、消毒、簡易鎮痛剤。事件に遭うためじゃない。事件のあとを増やさないためのものだ。薬の棚はガラスケースになっていて、ここにも鍵が付いている。呼び出しボタンが小さく光り、押されるたびに点滅していた。


 アカネはボタンを押し、待っているふりをしながら周囲を見る。ぼんやり突っ立っていると逆に目立つ。


 乾麺の棚の前で、人の動きが固まっているのが見えた。少年が一人、透明カバーの前で手を止めている。十代の前半くらいで袖が少し長い。価格表示と棚を交互に見て、指先がカバーの隙間を探っている。買うか、諦めるか、その間で動けなくなった顔だ。


 その少し後ろに、年上の若者が立っていた。棚の死角を作る位置で、視線だけが落ち着いている。店員の目ではない。昨夜の路地で見た“見張り”と似た立ち方だった。


 アカネは距離を詰めすぎないまま足を止め、少年にだけ届くくらいの声量で言った。


「やめときな。ここ、音が鳴ったら一気に面倒になる」


 少年の肩が跳ね、指が引っ込んだ。驚いた目が一瞬だけアカネに向いて、すぐ逸れる。恥ずかしさと怖さと、怒りが混ざった目だった。


 後ろの若者が一歩動きかけたので、アカネは正面を向かずに肩をずらした。衝突を受ける角度を消し、こちらが止められる側だとだけ伝える立ち方に変える。


「今の店、カメラもドローンも多い。鳴った瞬間に逃げ道が消える。君は損するだけだよ」


 若者は睨むような目をしたが、棚の上に浮く巡回ドローンをちらりと見た。目立つのは避けたいらしい。少年の肩を軽く引いて、二人は棚から離れた。


 アカネは追わない。追えば捕まえられる。でも捕まえたところで、少年の腹が満たされるわけじゃない。食べ物が盗難の対象になる街は、捕まえる側の正しさだけでは止まらない。


 そのタイミングで店員が来て、薬のケースを開けた。アカネは必要なものだけを手早く取って礼を言い、籠の中身を確認した。リストは埋まっている。無駄に長居する理由はない。


 会計はセルフレジが並び、客は端末をかざして決済していく。上のカメラが客の動きをなぞり、万引き検知のAIが働いているのが分かる。アカネが籠を置くと、画面に「購入数制限にご協力ください」と表示が出た。お願いの形をしているのに、実際は警告だ。


 支払いを済ませ、袋をまとめたところで、端末が短く震えた。


 リーリャからのメッセージだった。


『店の外で、同じ端末IDが何回か出てる。今は追ってない。位置だけ送る』


 地図にピンが落ちた。店の裏ではなく、表通路の端だ。見張りか、偶然か。まだ確定できないからこそ厄介だった。


 アカネは急がない。急げば目立つし、目立てば相手が動く。袋の持ち手を握り直し、人の流れに合わせて店を出た。遠回りにならない程度に道を選び直し、死角の多い路地には入らない。


 帰り道の壁面に、また反調整派の投影が見えた。今度の文字はさらに具体的だった。


 ――公開の準備は整った

 ――“運ばれる前”に目を覚ませ

 ――証拠を押さえろ


 運ばれる前、という言葉が引っかかった。誰が、何を、とは書いていない。でも、書かないからこそ“知っている人間だけが分かる合図”みたいに見える。店の棚に貼られた署名なしのステッカーが、さっき大通りで配られていたものと似ていたのも気になる。全部が一本でつながるとは言えないが、同じ方向を向いている手触りがあった。



---


 事務所の前まで戻り、鍵を開けて中へ入った瞬間に、ようやく肩の力が少し抜けた。


「おかえり。尾は見えなくなった」

 リーリャが言う。眠そうな顔のまま、視線だけがまっすぐだった。

「さっき送ったID、途中で消えた。逃げ方がきれいで、慣れてる」


「棚に変なステッカーが貼ってあった。割引コードっぽいのに、店の署名がないやつ」

 アカネが袋を机に置きながら言うと、缶詰が小さく鳴った。


 桜田がタブレットから顔を上げる。


「触ってないな」

「触ってない。位置と見た目だけ覚えた」

「それでいい。触らずに残すのは正しい」

 桜田はすぐに結論を出し、リーリャへ目線を向けた。

「店の外のIDと、投影の位置、店内の棚の場所。重ねられるか」


「できる。まず地図に落とす。あと、投影の文言も控える」

 リーリャは言いながら、画面にメモを起こし始めた。


 アカネは冷蔵庫へ食料を移す桜田の背中を見ながら、さっきの投影の言葉を思い出す。公開の準備は整った。運ばれる前に。証拠を押さえろ。反調整派はただ声を上げているだけじゃない。何かを待っている。あるいは、何かの予定を知っている。


「反調整派、前よりずっと動いてる感じがする」

 アカネが言うと、桜田は淡々と返した。


「言葉が行動に寄ってきた時は、裏で準備が進んでいることが多い。今は、拾える違和感を拾っておけ。結論は急がない」


 リーリャが頷く。


「曖昧を減らせば、あとで追える」


 買い物はただの買い物のはずだった。けれど、棚のロック、迷う少年の指先、そして“運ばれる前”という言葉が、同じ日常の中に混ざっていた。日常は戻ったふりをしているだけで、戻ってはいないのだと、アカネは袋の重さで理解してしまった。

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