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アークエイジ-能力調整の世界での代償-  作者: 犬山三郎丸


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光の影

第2章 光の影

朝の事務所は静かなはずなのに、光だけが落ち着かなかった。壁の薄型モニターに治安速報が流れ続け、地図の上で赤い点が増えたり薄れたりしている。街の監視網が拾った発生ログをAIが自動で分類して、関連しそうなものを勝手に束ねていく。整った表示を見るほど、画面の向こう側で誰かの生活が削れているのが伝わってしまう。


 桜田は机の端にタブレットを置き、指先で画面を滑らせていた。ガタイがいい体格が椅子に収まりきらないのに、動きは必要以上に音を立てない。書類も端末も位置が揃っていて、乱れがない。


「今朝のまとめが出てる。目を通しておけ」


 アカネは椅子に座ったまま画面を覗き込んだ。赤い項目がいくつか並び、ひとつひとつが短い文で切られている。


 食料品の盗難増加。小売・配送ルートの被害拡大。電子ドラッグ関連の救急要請増加。発生地点は南区の外れに寄っている。


「食べ物まで、もう隠さなくなってきたね」


 口に出した瞬間、軽い言い方にしたつもりが残る。端末や金目の物が盗まれるのとは質が違う。腹が鳴る段階まで落ちた人間が増えていると、嫌でも想像できるからだ。


 桜田は淡々と画面を指で示した。


「配給じゃない。店で普通に買える物が狙われてる。買えない層が増えれば、盗む側はそこに寄る」


 カウンターの向こうでストローを吸う音がした。リーリャが紙パックを抱えたままノートPCの画面を開いている。眠そうに見える目のまま、数字と地図だけを追っている。頬からこめかみにかけて淡い発光ラインが一本、照明の角度で薄く見えた。


「食料の被害、増え方がきれいで、ばらばらに荒れてる感じじゃない。電子ドラッグの救急要請と同じ区画で同じ時間帯に跳ねてる。全部が一本の線で繋がるとは言えないけど、波が重なってるのは確か」


「同じ連中が動いてる可能性が高いってこと」


 アカネが言うと、リーリャは小さく首を振る。


「同じ人かどうかはまだ確定できない。でも同じ流れがあるなら、次も同じ場所で起きやすい。そこだけ押さえればいい」


 桜田は地図のレイヤーを切り替えた。治安情報の上に、別の色のマーカーが重なる。集会告知、匿名アカウントの拡散ログ、壁面投影の記録。街の空気まで端末が勝手にまとめてしまう。


「反調整の情報も増えてる。言葉が広がるのは止められないが、弱ってる場所に落ちると火がつきやすい」


 アカネはブーツのつま先で床を軽く叩いた。脚が前に行きたがる癖を、座ったまま押さえ込む。


「火がつく前に止められたら一番いいけど、そううまくいかないのが現場だよね」


「だから今日は状況確認だ。依頼がなくても、穴の深さを測る」


 そのタイミングで、通信端末が鳴った。桜田がすぐに取る。


「こちらだ。ゆっくりでいい、順に話せ」


 向こうの声はノイズ混じりで、言葉が途切れたり重なったりした。それでも要点は拾える。南区の裏通りで電子ドラッグらしい若者が倒れていて、周囲が荒れて救急が入りにくい。通報しても巡回ドローンが上を通るだけで、地上の到着が追いつかない。


 桜田は通話を切り、立ち上がった。急がないが迷わない。


「向かう。アカネは接触するが追い詰めない。リーリャは監視と記録を継続。私は外周で連絡を回して救急と警備の到着を早める。いつもの形で行く」


「了解。今日は止める方を優先する」


「うん。曖昧は残したくないし」


 リーリャは紙パックを持ち替えながら言い、ノートPCを閉じてケーブルをまとめた。食べることより、必要な作業の方が先に来る子だと、こういうところで分かる。



---


 南区へ向かう道は、同じ街でも色が違った。上空を走る配送ドローンの灯りが広告ホログラムの粒子に反射して、路面が薄く瞬く。交差点の支柱には顔認証ゲートのカメラが並び、通行人の頭上にARの注意が一瞬だけ重なる。未払い、軽微な違反、要注意。表示はすぐに消えるが、見られている感覚だけが残る。


 ビル壁面の広告はいつも通り明るい。調整済みの子どもが軽やかに跳び、未来が当たり前に手に入るみたいな顔をしている。アカネは見上げない。見上げたところで、現実が軽くなるわけではないからだ。


 裏通りへ入った瞬間、監視の視線が粗くなる。カメラの死角が増える代わりに、人の視線が増える。見ていないようで見張っている視線が、角や窓や影に散っている。


 壁面には落書きではなく投影があった。安物のプロジェクタが吐く光が、汚れたコンクリートに文字を焼き付けている。


 調整は鎖。配分は搾取。未調整を救え。


 下には日時と場所、匿名の署名が添えられていて、何かが近いと分かる。


「こういうの、最近どこでも見るね」


 アカネが小さく言うと、桜田の声が通信越しに返る。


「増えているのは事実だ。関連はまだ結べない。今は情報として持っておけ」


「見えてる。路地の奥で一人倒れてる。周囲に六人くらい。角に見張りが二人いて、動きが揃ってる」


 リーリャの声は淡々としている。感情が薄いわけではなく、情報が先に出るだけだ。


 アカネは足元の逃げ道を頭の中で組み替えた。右の狭い路地、フェンスの切れ目、階段。追い詰めないために、逃げる線を先に作ってから歩幅を落とす。



---


 路地の中心で若い男が倒れていた。肩が小刻みに揺れ、まぶたが半分開いたまま焦点が合っていない。手首には薄い神経パッチの跡が残り、外されたばかりの粘着が白く光っている。足元には使い捨て端末の破片と、細いカートリッジが散っていた。


 周囲には立っているのに見ていない人間がいた。笑っているのに笑っていない人間がいた。指先だけで端末を撫で続け、現実が薄くなった目で壁を見ている人間がいた。電子ドラッグの路地は動きが遅いのに、危険が濃い。


 倒れている男の胸元には発光ラインが見えない。未調整だと分かる。線がないから弱いとは言えないのに、この街では線がないだけで落ちやすい。落ちた先で、こういう穴が口を開ける。


 アカネが一歩出た瞬間、角の見張りが顎を動かした。合図として十分な動きで、周囲の空気が変わる。


「来たぞ。余計なのが入った」


 低い声が飛ぶ。倒れている男の隣にいた男が慌ててカートリッジを蹴り、隠そうとする。次の瞬間、その男は倒れた男の腕を掴んで引きずろうとした。雑な力のかけ方で、頭が路面にぶつかりそうになる。


 アカネは声を落として言った。怒鳴れば火がつくと分かっている。


「動かさないで。今それやると、余計にこじれる」

「うるせえ。こっちは面倒ごとを増やしたくねえんだよ」

「増えるのはもう決まってる。ここで投げたら、あとがもっと面倒になる」


 男がアカネを睨み、懐に手を入れた。刃物かどうかを確認するため、アカネは距離を一歩ぶん広げる。出てきたのは短いスタンバトンで、安物の電極がちらつきながら薄い起動音を鳴らした。


「どけ!」

「どけない。倒れてる人は置いていって。逃げるなら、逃げるだけにして」


 男が踏み込む。アカネは正面に立たず、肩をずらして腕の軌道から外れた。殴り返さず、倒し切らず、怪我を増やさない止め方で勢いを削る。


 踏み替えの瞬間、アカネの太ももの外側の発光ラインが青く灯った。加速は一瞬だけで十分で、相手の視線が追い切れない速度で位置が変わる。


 男のスタンバトンが空を切る。アカネは手首を叩いて握りを外し、バトンを落とさせた。乾いた音が路地に響いた途端、周囲の虚ろな人間が一斉に振り向く。視線が集まるだけで、この路地は危険が増える。


「アカネ、追うな。倒れている者が優先だ。救急と警備には連絡済みで、到着まで二分ほど」


 桜田の声がすぐ落ちる。


「分かった。この場を崩さない」


「逃げ道、少しだけずらす」


 リーリャの声が重なった。次の瞬間、路地の入口側の広告看板がふっと消え、安物のスマートロックがメンテ中の表示を出して通路のシャッターが半分だけ降りた。完全には閉めない。閉めればパニックが起きる。人の流れだけを変えるための調整だった。


 男たちは暗くなった方向を嫌って別の路地へ散ろうとする。散り方が揃っているのが気持ち悪い。個人の遊びではなく、動きとして組まれている。


 奥の方では別の男が、散らばったカートリッジと端末破片を拾い集めていた。慣れた手つきで証拠を消す。回収の役割があるなら、見張りや運びの役割もある。


「回収係がいる。見張りと運びと回収が分かれてるから、ここは組織で回ってる」


 リーリャが淡々と言う。淡々としているのに、言葉の中身は重い。


 アカネは倒れている男の前にしゃがみ、周囲の人間に声を通した。善意で動かないのは分かっているので、言い方を選ぶ。


「救急が来る。来る前に暴れたら、ここはもっと荒れて面倒になるから、そこで待って」


 虚ろな目の女がゆっくり頷いた。別の男は笑ったまま壁を見ている。ここでは、面倒を避けたい気持ちだけが行動の理由になる。


 遠くで短いサイレンが鳴り、上空の巡回ドローンが路地の入口に白い光を落とした。続いて地上の車両が角を曲がって入ってくる。救急と警備が入った瞬間、路地の人間は一斉に散った。散り方が揃っているのが、また嫌な確信になる。


 追えば追える。でも追わない。追えば倒れている男を捨てることになるし、追えば路地の群れはもっと暴れる。


 桜田は路地の入口側、踏み込まない位置から声を投げた。現場を動かさず、必要な情報だけを揃える声だ。


「救急対象は一名で、電子ドラッグの可能性が高い。回収係と見張りの合図を確認して、映像は保存してある。こちらは一次対応として状況をまとめた」


 担当の警吏が頷き、救急が担架を運ぶ。倒れていた男が運ばれた瞬間、周囲の空気が少しだけ軽くなった。助かったかどうかはまだ分からないが、ここで越えるべきではない線は越えなかった。



---


 帰り道、アカネは自販機で甘い飲み物を買った。口に含んでも味がくっきりとは来ない。それでも糖が体に落ちていく感じは分かる。だから飲む。考えるために、動くために。


「社長、さっきの路地は完全に組織だった。合図も回収も、動きが揃いすぎてる」


「役割分担が見えた。そこは確定だ」


 桜田の返事は淡々としているが、切り捨てているわけではない。確定したものだけを掴んで、次に繋げるための言い方だ。


「反調整の投影も近かったよね。こういうのが混ざると、面倒な方向に行きそう」


「面倒で済めばいい。声が大きいものは、弱っている場所に集まる。集まったところに火が落ちる」


 リーリャは紙パックを抱えたまま、いつものように言った。


「今日は記録をきれいに残せた。曖昧が減った」

「飲み物、また同じだね」

「同じでいい。変えるのが面倒」

「好きで選んでるわけじゃないんだよね」

「好き嫌いで選んでない。選ぶ作業が面倒」


 桜田が短く頷いた。


「それでいい。お前は曖昧を嫌う。だから仕事が速い」


 街は相変わらず普通の顔をしている。広告は明るく、監視は滑らかで、通行表示は整然としている。けれど、その光の外側で電子ドラッグが流れ、食べ物が盗まれ、声の大きい正しさが火種になる。


 足音は確かに増えていて、しかも静かに増えていた。

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