配分の街
配分の街
朝の街は、やけに整っていた
歩道の縁には清掃ロボの吸い跡がまっすぐ残り、横断歩道の白線は塗り直したばかりみたいに明るい
交差点の監視カメラが一定のリズムで首を振り、上空のドローンが低い音で巡回している
壁面広告が切り替わる
笑顔の家族と、頬や首筋に細い光を走らせた子どもたち
――生まれたその日から、未来を最適化
アカネはその文句を見上げて、笑いそうになるのを飲み込んだ
最適化、配分、効率
大人が好きな言葉はいつも似ている
街を歩く人の多くは、当たり前みたいに光をまとっている
手の甲に一本だけ線が走る人もいれば、耳の後ろに点が灯る人もいる
首筋に鎖みたいな模様が浮かぶ人もいて、本人はそれを隠そうともしない
能力調整の痕跡
生まれた直後に、親が子どもの将来を思って能力の配分を決めて施す
本人が買うものでも、後から選ぶものでもない
だからこそ、光は体に残り続ける
昔は競技大会が盛り上がった時代もあったらしい
でも今は、同じスタートラインに立てない
差が見えるほど開いてしまえば、競う意味が薄れていく
代わりに増えたのは、街の苛立ちと、小さな犯罪だ
配送が狙われる
荷物が奪われる
殴られる
市の警備だけでは手が回らない
だから私営警察が必要になる
アカネは古い建物の階段を二段飛ばしで上がった
二階の小さな事務所
ドア横のプレートは擦れていて、長い名前の途中だけが残っている
全部読む人は少ないし、中の人間も普段は口にしない
ドアノブを回すと、蝶番が小さく鳴いた
「おはようございます、社長
今日は遅れてないよね」
深い青のフードをかぶったまま、アカネは室内に滑り込む
赤い髪がフードの縁からこぼれていて、動くたびに毛先が跳ねた
大きめのパーカーは前を開けたまま
中は黒い短いトップスで、動くたびに腹の線がちらっと見える
短い黒のショートパンツに編み上げのブーツ
格好だけ見ると軽いのに、目だけは妙に鋭くて、口元だけが軽い
机の前にいる男が桜田だ
まず、ガタイがいい
椅子に座っていても肩幅が目立ち、胸板がシャツを押し返している
首が太く、前腕がしっかりしていて、指が大きい
スーツはちゃんとしているのに、服装というより鎧に近い
狭い事務所の空気が、その体格のぶんだけ密になる
ただし声は荒くない
無駄に怒鳴らない
必要な言葉だけを短く落とす
桜田はタブレットから視線を上げ、アカネを一秒だけ見た
「遅れてないなら疑問形にするな
自分で確認してから入れ」
「社長、そういうところ容赦ないよね
でも安心した、今日も通常運転だ」
「安心するな
気を抜くと怪我をする」
「了解
気を抜かない」
アカネが片足を軽く上げる
ショートパンツの裾の下、太ももの外側に薄い線がいくつか覗いて、一瞬だけ青く灯った
発光ラインは脚にしかない
走るために用意された光だと分かってしまう
その瞬間、ストローを吸う音が静かに混ざった
「アカネ、髪が跳ねてる
外、風が強かった?」
カウンターの向こうにいたリーリャは、眠そうに見える目をしたままこちらを見た
ぼさっとした金髪が肩に散っていて、跳ねた毛先がいくつか光を拾う
白い大きめのパーカーTシャツで、胸元の紐の先に小さな星が揺れている
丈が長くて、下の短いデニムがほとんど隠れる
足元は水色のスリッパで、床を擦らないように静かに歩く
頬からこめかみにかけて淡い発光ラインが一本だけ走っている
照明の角度で見えたり消えたりする程度の光だ
「風のせいにしたいけど、たぶん私の動きが雑だった
朝は足が先に行っちゃうんだよね」
「先に行くのはいいけど、先に転ばないでね
拾うの面倒だから」
「拾われる前提で言うのやめて」
リーリャは紙パックを持ち替える
落とさないように、角を丁寧に支える
感覚が薄いぶん、手つきだけは慎重だった
「それ、また同じ味?」
「うん、同じ
変えるの面倒だから」
「好きで選んでるわけじゃないんだ」
「好き嫌いで選ぶほど、食に気力ないし」
「朝ごはんは食べた?」
「食べたけど少しだけ
何を食べても、だいたい同じ感じがするんだよね
だから食事って気持ちが続かない」
「同じって、味が分からないってこと?」
「味じゃない
噛んだ時の感じ
違いが薄いから、何を食べても同じになりやすい」
アカネはそこで、言葉を探すみたいに一瞬だけ黙る
自分の味覚と嗅覚が鈍いのは、生まれた直後に親が決めた能力配分の結果だ
俊敏性は手に入った
代わりに、味の情報が薄い
リーリャの言う同じを、アカネはどこかで分かったつもりになりそうになる
「なるほど
私は味の方が鈍いから、その同じは想像でしか分からないや」
「想像で分かった気にならないで
まあいいけど、私は飲める方を選ぶ
こっちの方が確実だから」
リーリャはストローをもう一度吸って、机にノートPCを置いた
画面を開いた瞬間、姿勢が目に見えて前のめりになる
集中のスイッチが入る合図だ
桜田はそのタイミングを逃さず、先に釘を刺す
「リーリャ、必要な範囲だけだ
深く潜るな」
「分かってる
余計なことすると面倒が増える」
桜田がタブレットを軽く叩いた
「雑談はそこまでだ
依頼が来ている」
「仕事の時間ね
今日は何が来た?」
「南区のコンビニ配送が襲われた
二件続けて発生している」
「配送、またか
今回は電子ドラッグじゃなくて?」
「生活用品だ
飲料、乾麺、菓子類
内容だけなら軽いが、配送員が殴られている」
「殴られてるなら軽くないね
犯人は?」
「手口が統一されている
短時間で終える
監視の死角を使う
逃走車両が近くにいる」
リーリャの指が動き始める
キーを叩く音が少し速い
画面の端に小窓が増えていく
防犯カメラ、搬入口、路地の角
ノイズは乗っているが、誤魔化し方が雑で、重ねれば繋がる種類だ
「拾えた
ノイズは薄い
カメラを重ねれば輪郭は出る」
桜田が確認する
「人数は?」
リーリャの返事が少し遅れる
集中している時は、声が届きにくくなる
アカネはそれを知っているから、横から口を挟まない
「三人
二人が手を出して、一人が見張り
見張りが合図して、車が寄る」
モニターの中で影が動く
配送員が押さえつけられ、袋が奪われ、手が上がる
合図
すぐに小型車が滑り込んでいく
「連携が良いね
勢いだけの連中じゃない」
「小隊みたいに動いてる
狙いは小さいのに準備が良すぎる」
桜田はジャケットを手に取った
立ち上がる動きが静かで、無駄がない
「現場へ向かう
アカネは先行していい
ただし単独で突っ込むな
追い詰めるより逃走経路を潰す」
「了解
止める場所は私が作る
社長はいつも通り後ろで」
「了解
連絡と記録は切らさない」
---
南区は、街の整い方が違った
路地が細く、建物の壁が近い
通りを歩く人は早足で、目線を合わせない
広告は少ない代わりに、壁の文字が多い
――調整反対
――配分を返せ
塗り重ねられた文字は、怒りというより疲れに見えた
アカネは路地の角でしゃがみ込んだ
乾いた土の上に靴跡が残っている
タイヤが引きずった泥の線
配送ワゴンから落ちたらしいビニール片
「社長、たぶんこっち
車がこの路地を通った痕がある」
「根拠」
「タイヤの泥がここだけ新しい
それに靴跡の向きが揃ってる
急いで走った足の並び方だよ」
少し遅れて、通信にリーリャの声が混じる
「映像でも一致
角を曲がる瞬間だけ別カメラに映ってた
方向はこっち」
「よし
アカネは前へ
私は一つ後ろの通りで待機する
合図があればすぐ連絡を回す」
「了解
社長は見える位置にいてね
いざって時に声が欲しいから」
「了解」
路地を抜けると小さな公園があった
遊具のペンキは剥げ、砂場は固くなっている
ベンチの下には段ボールが押し込まれ、誰かがここで夜を越した痕跡が残っていた
その奥、コンテナの陰に三人組がいる
黒いパーカー、マスク
奪った袋の口から紙パックの飲み物や乾麺の束が覗いている
見張り役がこちらを見て肩が跳ねた
すぐ口笛
合図
公園の外側から低いエンジン音が近づいてくる
「逃走車両が待機してるね」
リーリャの声が淡々と入る
「車の位置、二十メートル先
合流ポイント作ってる」
桜田は少し離れた通りの角で止まる
スマホを片手に、もう片手でメモを取る
現場を動かすより、現場を崩さないことを優先している
「アカネ、囲まれる形は作るな
刃物が出たら距離を取れ
その瞬間からは警備局に回す」
「了解
だから、私は時間を作る」
アカネは息を一度だけ整えて走った
足が地面を叩く音が軽くなる
加速の瞬間、太ももの発光ラインが青く灯る
脚だけが先に滑り出して、体があとから追いつく
それが彼女の速さだ
逃走車両は小型のバンだった
住宅街へ入ろうとするが、細い道は渋滞している
配送車、自転車、歩行者
互いに譲らず、ぎりぎりで詰まっていた
「そのままだと詰まる
右の路地は工事中で行き止まり
左に寄るはず」
リーリャの声が通信に入る
「左に寄った瞬間が一番遅い
そこが止めどころ」
アカネは壁を蹴って低い屋根に乗った
屋根板がきしむ
落ちないことを足裏で確かめながら交差点の真上へ
見下ろした瞬間、バンが案の定左へ寄って減速した
アカネは屋根の端から声を張る
「そこまで
ここから先は逃げ道がないよ」
バンが急ブレーキを踏む
タイヤが鳴る
次の瞬間、助手席のドアが勢いよく開き、男が飛び出してきた
「邪魔すんな!」
「邪魔するのが仕事なんだ
大人しくしてくれると助かる」
男は短い棒を振り上げた
勢い任せの横薙ぎ
狙いは頭
アカネは一歩引き、同時に身体を沈めた
次に踏み込む
棒を振った直後の腕は戻りが遅い
アカネは手のひらで男の手首を叩き、握力の力点だけを外した
棒が落ちる
乾いた音
「っ……!」
「武器を落としたなら終わりにしよう
ここからは無駄に痛いだけだよ」
男が焦って掴みかかってくる
アカネは正面に立たない
肩をずらし、腕を絡めずに流し、足を払う
体勢が崩れた瞬間、背中側へ回り込む
倒すんじゃない
立てなくする
膝裏に軽く蹴りを入れると、男は体重を支えきれず片膝をついた
そのまま肩を押さえ、地面にうつ伏せにする
「抵抗しないで
こっちは怪我を増やしたくない」
だが運転席側のドアがまた開いた
もう一人が降りてくる
手に持っているのは小さな刃物だ
「刃物」
リーリャが淡々と言う
「距離取って
映像は押さえてる」
桜田の声がすぐ続く
距離があるのに、途切れない
「アカネ、距離を取れ
踏み込むな
警備局へ回す
お前は時間を稼げ」
アカネは押さえていた男から手を離し、すぐに後ろへ跳んだ
刃の届く範囲から外れる
「それはやめとこう
ほんとに取り返しがつかなくなる」
「うるせえ!」
刃物の男が突っ込んでくる
直線
アカネは横へ滑るように避け、足元に視線を落とした
バンの影、段差、側溝の縁
ここなら
刃が振り下ろされる瞬間、アカネは相手の腕ではなく足元を蹴った
足首を折る蹴りじゃない
バランスだけをずらす置く蹴りだ
男の体が前へ流れ、勢いが止まらない
「今」
リーリャが短く言う
次の瞬間、バンのスライドドアが内側からロックされ、逃走の合図に使っていたクラクションが鳴らなくなった
車の制御は古くて雑で、リーリャには抵抗にならない
運転席の男が慌ててエンジンを吹かす
でも渋滞の道で動けない
桜田は角を出ないまま、連絡だけを落とさず回す
「警備局へ通報済み
刃物提示あり
映像記録あり
目撃者が多い
アカネ、距離を維持しろ」
「了解
近づかない
逃がさないだけ」
アカネは追い詰めない
焦らせない
刃がある相手に勝つより、刃を使わせない方が安全だ
ほどなく、警備局の車両が角を曲がって入ってきた
状況が切り替わる
犯人たちが制圧され、場が落ち着いたところで、桜田がようやく近づく
一歩ずつ、現場を踏まないように
「負傷者は一名
回収物は未開封で保全
映像は端末に保存済み
こちらが一次対応」
言葉だけで状況を揃えていく
桜田の仕事は、ここからが本番だ
アカネは呼吸を整えながら、地面に伏せた男を見下ろす
「最初からそうしてくれたら、私も走らずに済んだのに」
「走るのはお前の性分だろ」
桜田が淡々と返す
「終わったなら戻れ
現場は触るな
余計な記録が増える」
リーリャが小さく息を吐く
「盗難車じゃない
持ち主がいる
背後に誰かいるかもしれない」
「気になるね
生活用品の強奪にしては準備が良すぎる」
「推測はあとで
いまは確定したものだけ拾う」
桜田の声が淡々と落ちる
前に出ない代わりに、やるべきことを一つも落とさない声だ
アカネは取り戻した袋の口を軽く押さえ、荷物が崩れないように持ち直した
紙パックが中で揺れて、ちゃぷんと小さく鳴る
「……これ、盗品だよね
返すやつ」
「そう
証拠品
返却まで開封しない」
「触ってるじゃん」
「持ち主に返すために持っている
遊びで触るな」
「言い方が刺さるなあ……」
リーリャは紙パックを抱え直す
「飲まないよ
面倒が増えるし」
「面倒が増えるの嫌いだね」
「嫌い
あと、味を変えるのも面倒
だからいつも同じ」
「同じって、いつもの?」
「そう
好きってわけじゃない
変えるのが面倒なだけ」
今日の依頼は解決
でも街の歪みは、どこにも片づいていない
だから明日も、彼らは呼ばれる
日常みたいな事件の、もう少し奥にあるものへ




