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麦城の語り  作者: yoshi-0213-1023-1106-0326


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2/3

炎と孤独、そして桃園の誓い

麦城は、英雄の最期だけでなく、

人として過ごした時間も、確かに覚えている。

遠い昔、このわしがまだ若かった頃、わしの城下では毎日のようにそれは賑やかな市が立ち、人々は笑いながら、楽しげに食べ物を交換していた。


そして活気に満ちていた。


その記憶が、今、目の前にある関羽将軍と疲れた果てた兵達の光景と重なり、わしは深い悲しみを感じた。人間は、時に飽食し、時に飢える。いつの時代も本当に変わらぬものだ。


夜明け前、敵軍からついに最初の矢が放たれた。


雨のように降り注ぐ矢は、わしの石垣に音を立てて突き刺さり、時には兵の盾を叩く。


火のついた矢が木材に燃え移り、煙が空に立ち昇る。わしは、かつての戦の記憶が甦るのを感じた。あの時と同じ、焦げ付くような痛みだ。


「負けるな! ここは我らが故郷なり!」


一人の兵が叫んだ。彼の故郷は、ここではないはずだ。


そんなことはわしでもわかる。


それでも、彼はわしを、この廃れた城を「故郷」と呼んで戦おうとしている。


わしは、その言葉に、胸の奥が熱くなるのを感じた。人間は、ときに愚かであり、ときに愛おしい。


暗くなり、この日は一旦攻撃が止んだ。もちろん誰もがただ一旦止んだだけだとわかっていた。


その束の間の静寂が訪れた夜、関羽将軍は一人、月明かりの下に立っていた。兵たちが眠りについた後、彼はただ黙って夜空を見上げていた。


その横顔は、戦神のそれではなく、何かを深く想う一人の男の顔だった。時折、故郷の村を思い出したのか、かすかに口元が動く。


わしは、彼が故郷に残してきた家族のことを考えているのだろうと、漠然と感じた。


石の身であるわしには、彼の心の内までは見通せない。だが、その背中が、この城の壁よりも雄弁に、孤独と決意を語っているように思えた。

 

翌日も、その翌日も、戦いは続いた。


敵軍はまるで波のように幾重にも押し寄せ、矢は止むことなく降り注ぎ、火は城壁をなめ尽くした。


わしの石肌は傷つき、積まれた石は崩れ落ち、かつて誇らしかった石垣には、血と汗の匂いが染みついていった。


痛かった、将軍たちも苦しんでいるが、わしも痛かった。兵の数は日を追うごとに減り、皆の顔には疲労と飢えの色が濃く浮かんでいた。


そんな中でも、将軍の威厳は決して揺らがなかった。


わずかな粥を自ら兵に分け与え、傷ついた者を自らの手で介抱した。


彼の威厳は、地位や武力から来るものではなく、その心の内から湧き出るものだと、わしは初めて知った。

 

将軍は、兵たちに語りかけた。


「我らは、命ある限り、この地で生き抜く。生きて故郷に帰るのだ。お前たちがいる限り、わしは決して屈せぬ」


その言葉は、わしの石壁に染み込むように響き、兵たちの瞳に再び闘志の炎を灯した。


わしも、この時ばかりは力になりたいと心から願った。だが、ただ朽ちかけの城に過ぎない自分を、無力だと嘆くことしかできなかった。

 やがて、絶望的な日々の象徴が目の前に現れた。

 

わしの石垣のひび割れから、かろうじて芽吹いていた小さな花があった。それは、攻城戦が始まる前、一人の兵士が「まだ生きている花があるぞ」と笑みを浮かべた、あの花だ。


だが、その日の総攻撃で、敵兵の鉄の靴に踏みつけられ、無残に散っていった。


わしは、その花が踏みにじられる瞬間を、まるでわしの心臓がえぐられるかのように感じた。


戦とは、命を削るものだ。人間だけでなく、名もなき花や草までも、無慈悲に踏み荒らすものなのだ。


非情だ。


過去の城主たちの戦いを思い出し、わしは心の底から深く嘆いた。


夜、敵の攻撃が止んだ静かな時間。


関羽将軍は、関平と二人、わしの石垣にもたれて座り、語り合っていた。


「父上、父上の武勇伝、汜水関で華雄を討った時、皆が酒がまだ温かいうちに、とお聞きした話…」


関平が懐かしそうに言うと、関羽将軍は、


「ははは!そんなこともあった、懐かしいのぅ!あの時、袁紹の幕舎では誰もが恐れおののいておったが、わしには全員がただの小僧にしか見えなかったわ」と豪快に笑った。


その笑い声は、かつてわしが耳にしたどの武将よりも、晴れやかで偽りのないものだった。


「初めて父上にお会いした日を覚えていますか?」


関平がそう尋ねると、関羽はわずかに目を細めた。


「ああ、忘れるものか。お前はまだ若かった。そしてわしをじっと見つめておったな。わしが養子に迎えようとした時、お前は…」


「はい、もちろん迷いはありませんでした。父上の威厳と、そして温かさに、私は生涯この方にお仕えしたいと…」

 

わしは、二人の会話から、彼らが血の繋がりはなくとも、実の親子以上の深い絆で結ばれていることを推察した。


人間のすることはよく分からぬが、家族というものは、ただ血だけで繋がるものではないのかもしれぬ。

 

周倉と王甫も、将軍の傍らから離れることはなかった。

 

王甫は、崩れかけた城壁を眺め、その顔には深い苦渋が浮かんでいた。


彼は将軍に何度か「このままでは…」と口を開こうとしたが、その度に口を閉ざした。


わしには、その逡巡の理由が分かった。彼もまた、将軍の無念を、そしてこの戦の終わりが近いことを感じていたのだろう。それでも、彼は忠義を尽くすため、最後まで静かに将軍の隣に立っていた。


周倉は、荒々しい見かけによらず、将軍を案じていた。


夜が更け、冷え込む頃には、将軍の肩にそっと布をかける。


将軍が「周倉、わしはまだ寒くはない」と笑って言えば、周倉は「将軍がご無事であれば、それがしは寒さを感じぬゆえ」と答えた。


それは、冗談めいたやり取りではあったが、互いの間に流れる深い信頼を、わしは感じ取ることができた。

 

そんな時、関羽将軍は、ふと独り言を呟いた。


「…兄者、張飛よ。あの桃園での、死ぬのは同じ日にと誓った。だが、それも叶わぬかもしれぬな…」

 

その言葉は、風に乗り、静かにわしの石壁に吸い込まれていった。


英雄の、武人としての悲痛な呟き。その孤独な背中を、わしはただ見つめることしかできなかった。


だが、その独り言を聞いていたのは、わしだけではなかった。


「父上…」

 

関平が、将軍にそっと声をかけた。


将軍は驚いたように振り返ったが、関平のまっすぐな瞳を見て、悲しげに微笑んだ。


「…お前も聞いたか。気にするな、ただの老兵の繰り言よ…」


関平は何も言わなかった。ただ、将軍の隣に静かに寄り添い、二人の間に流れる静かな時間が、わしの胸を締め付けた。


人間のすることだから、よく分からぬが、深い絆とは、言葉を必要としないものなのかもしれぬ。

石は流れず、

人だけが、去っていく。


麦城は、まだ崩れない。

だが、覚悟は、すでに始まっている。

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