第6話 港湾都市リュミエールの門
丘を下る道は、緑の海原を縫う一本の糸のように延びていた。
草原に散る白い小花が風に揺れ、遠くでは羊に似た四足の群れが草を食んでいる。青空の下、全てが緩やかな調和に包まれているようだったが、俺の視線は常にその先にあった。
——海。
そして、その海を抱くように広がる巨大な都市。
「見えてきたな」
「……あれが、リュミエール」
イリスが立ち止まり、視線を前方へと投げる。
草原の終わり、斜面が急に傾きを増すと、視界は一気に開けた。
そこには「現実離れした現実」が広がっていた。
海は三日月のように湾を描き、その懐に都市は抱かれていた。
海面には無数の船影が浮かび、帆布を膨らませた木造船が潮風を切り裂き、煙突から蒸気を吐く鉄の蒸気船がゆっくりと入港していく。
さらに空を見上げれば、巨大な飛空艇が天空の桟橋に向けて降下していた。雲を裂く影が海面に伸び、その影を追うようにカモメの群れが乱舞している。
都市は、海と山の狭間にまるで宝石を埋め込んだかのように築かれていた。
港湾区には石造りの埠頭が幾重にも延び、荷を積み降ろす人々の喧騒がここまで響いてくるかのようだ。坂道を上れば、石畳に沿って旧市街の屋根がびっしりと並び、赤茶色の瓦が陽光を受けて鮮やかに輝いている。さらにその奥、山脈の麓には白煙を上げる工場群や、結晶炉の塔が堂々と立ち並び、新市街の存在を誇示していた。
「……スゲェ。街そのものが、生き物みたいだ」
俺は思わずつぶやいていた。
「その通りだ」イリスが頷く。
「リュミエールはただの港町ではない。空と海と陸、三つの道が交わる交差点。だからこそ、人も物も文化も、すべてがここに流れ込み、そして再び世界へと流れ出していく」
確かにその言葉どおり、都市は大河のようだった。
多様な流れを飲み込み、渦を巻き、そして決して止まることのない奔流のように。
俺たちは丘を降りる。
やがて道は土から石畳へと変わり、視界には行き交う人々の姿が増え始めた。
獣の耳を持つ獣人の商人が背負子に香辛料を山ほど積んで歩き、長命そうなエルフの女性が大きな水瓶を魔法で浮かべて運んでいる。
屈強なドワーフの鍛冶屋は背中に槌を背負い、道端では半魚人の少年が桶いっぱいの貝を売っていた。
「……マジで、種族のオンパレードだな。オールスター感ある」
「ここでは珍しいことではない。人間こそ多数派だが、異種族が肩を並べるのがリュミエールの日常だ」
やがて、街の玄関口が迫ってきた。
都市を囲む石壁は、間近で見れば圧倒的だった。
高さは十数メートルはあるだろう。堅牢な灰色の壁には結晶を埋め込んだ防御装置が輝き、要所ごとに砲塔が備えられている。海の要衝を守るにふさわしい威容だった。
その壁に穿たれた巨大なアーチ門こそが、街の入口。
列をなして門をくぐろうとする人々の群れが、まるで大河の支流のように流れていた。商人、旅人、傭兵、芸人……多種多様な人間模様がそこにあった。
「入るには関所の審査が必要だ」イリスが説明する。
「税の支払い、身元の確認、危険物の持ち込み制限。港湾都市ゆえに厳しいが、それもまた秩序を保つためだ」
「なるほど……」
一方で俺は、それよりも門をくぐった先に待つ光景を想像して胸が高鳴っていた。
門の内側からは、すでに活気ある声が聞こえてくる。
商人の呼び声、獣の鳴き声、鍛冶の槌音、そして人々の笑い声。
そのすべてが混ざり合い、都市全体が一つの交響曲を奏でているかのようだった。
俺たちの番が来る。
門兵は鋼の鎧に身を包み、鋭い眼差しで俺を見上から下まで検分した。
一瞬、冷や汗が背中を伝う。
だが隣に立つイリスが、静かにその視線を受け止める。彼女の纏う気配に気圧されたのか、兵士は短く頷くだけで道を開いた。
「……通れた」
「当たり前だ。私がいるのだからな」
そうして、俺とイリスはリュミエール港湾都市へ足を踏み入れた。
光と影、海と山、あらゆる文化と欲望が渦巻く大都市。
その石畳に靴音を刻んだ瞬間、俺は思った。
——ここから、本当に“異世界生活”が始まるのだ、と。