表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/28

第六話 賭弓の儀

 どうして五巫司になったのかと、問われれば、その理由をはっきりと答えることが、出来ない。桜が、五巫司に就きたいと言ったとき、香子は猛反対した。近衛の者は、いざとなれば天皇陛下の楯とならなければならない。即ち、近衛として働くと言うことは、命を賭けるということと、なんら変わりはないのだ。そんな危険のある職務に、愛娘を就かせたくないと言うのは、母心として当然だった。

 母の思いは痛いほど分かる。実子でもない上に、乞食の娘だった自分を救い、十年間近くも育ててくれたのは香子だ。だが、それでも五巫司になのたいと言う意思を曲げることができなかった桜は、何度も説得を試みて、数ヶ月の後ようやく母が折れた。

 なぜ、そうまでして、五巫司になったのか。それを思えば、いつも桜は春のことを思い出した。暗い炭小屋で出会い、九年の間再び(まみ)えることのなかった、あの泣き虫で優しい少年のことを。

「じゃあ、もしも将来、ぼくたちがひとりぼっちになったら、寂しいと感じたら、そのときは一緒に暮らそう。そうしたら、ずっと一緒にいられる。そうしたら、一人ぼっちじゃなくなるから、きっと寂しくないよ」

「うん、約束だよ」

 指切りして交わした幼い日の約束。あれから、幾度も季節は巡った。自分が十五の娘になったように、春も初冠(ういこうぶり)(成人の儀式)を迎えた。そして、桜は……けして孤独とは言えない。母、香子はいつも温かく見守ってくれるし、少々騒々しいのは玉に瑕だが、椿や茜という友人も手に入れた。一方の春は、如何にあるか。いずれ帝になる東宮と言う立場の彼が、あの日と変わらず、孤独であるかどうかも分からない。何故なら、桜はあの日以来、一度も春と再開を果たしていないのだから。

 まして、言ってみれば他愛もない子ども時代の約束事を、今も覚えていてくれると言う確証はどこにもない。しかし、桜はずっと忘れないでいる。春との約束があったから、「乞食の子」といじめられても、幼い日を乗り越えて、明るい自分のままでいられたのだ。それだけは、確かなことだった。

 だから、伝えたい。自分は、九年の月日を越えて、今孤独だと感じることは少なくなってしまったけれど、あの日からずっと募り続けた想いを、春に伝えることが出来たなら、どんなに素晴らしいことだろうと桜は思う。

 もしかすると、五巫司になりたいと思ったのは、不遜なことかもしれないが、あの日以来近づくことの出来なくなってしまった宮中と言う場所で働けば、いつか春に会うことが出来るのではないか、という淡い期待があったのかもしれない……。


 晴天の春空に、白い鳥が飛ぶ。翌日の賭弓は滞りなく行われた。桜は内心、自分の賭弓出場が取り消しになるのではないかと思っていた。なにせ、ごろつきのような輩とは言え、少納言の息子たちを蹴飛ばしたのだ。もしも、彼らが父親に告げ口すれば、まず間違いなく賭弓になど出ることは出来なかったはずだ。しかし、彼らは少女に伸されてしまったという恥ずかしさからか、告げ口しなかったようだ。ほっとしたのもつかの間、今度は言い知れぬ緊張感に胸が裂けそうになる。

 紫宸殿の右隣、校書(こうしょ)殿の東廂に設けられた弓場殿には、左右近衛府、兵衛府の総ての舎人たちが集まっていた。無論、これから始まる賭弓に挑むためである。

 賭弓は、その文字が示すとおり、勝敗を賭けて弓の腕を競う行事である。丁度、校書殿の手前にある安福(あんぷく)殿に置かれた、的をめがけて左府と右府に分かれた、各衛府の面々が弓を射る。射手となるのは、各近衛府から十名、各兵衛府から七名、合計三十四名の弓自慢たちである。勝敗は、射手を入れ替えながら十番勝負を行い、如何に的の中心を射たかで決する。勝者側には品物が賜られ、「還饗(かえりあるじ)」と言って、大将自らが勝利に貢献した者を自邸でもてなすのが、慣わしだった。

 この試合は、天皇陛下自らが、弓場殿でご覧になられる。

「ほら、麹塵袍(きくじんのほう)を纏っていらっしゃるのが、陛下よ」

 そっと小声で、椿が言う。椿たち出場者でない者たちも、弓場殿で自らが属する衛府の射手を応援をする。天皇陛下の御前で皆、緊張の色を隠しきれないでいたが、五巫司の少女たちは違う。年頃の少女らしく、普段あまりお目にかかる機会のない皇族や、顔立ちの優れた射手のことを噂しあっていた。

 丁度、校書殿の廂が日陰になる場所には、皇族が賭弓を観覧するための席が設けられている。その一番手前の席には、深い緑色の袍(上着)を羽織った初老の男性が座り、射手の矢が的に刺さる度に、歓声を上げていた。

「なんだか、想像していたご尊容とは、ちょっと違うね」

 小声でささやくように茜が言うと、椿もそれに同意して頷いた。たしかに、高貴の輝きは見えるが、一国の王と呼ぶには、どこか頼りなく思えてしまう。

「だめよ、二人とも。そんなことを言っては。忠義の心を忘れたの?」

 桜が、少しだけ渋い顔をして、二人を窘めた。五巫司として、陛下にお仕えする身として、二人の言動を黙っているわけには行かない。しかし、椿は悪びれる様子もなく、少しだけ笑うと「それとこれとは別」だと言う。その辺りも、年頃の娘らしいと言うところだろうか。別に、二人に忠誠心がないわけではないが、陛下の尊顔を初めて拝して、二人は少しだけ興奮の色を隠せないだけなのだ。

「そんなことよりも、桜。陛下の後ろに居られるのが、東宮殿下でしょ?」

 茜が、桜の小脇をつつきながら言う。楽しげに賭弓を観覧する天皇陛下の少し後ろに、まるで控えるように座るのは、東宮……即ち春だ。茜に言われるまでもなく、桜は春に気付いていた。身を包む緊張感の正体は、春が間近にいるからに他ならない。

 九年。その歳月の間に、桜が思い描いたよりも、精悍な雰囲気、東宮然とした凛々しい顔、しなやかで気品のある仕草を身につけ、成長した春の姿からは、かつて炭小屋でべそをかいていた少年とは見違えるほどだった。五巫司の列は、皇族の席より少し離れてはいるが、じっと春のことを見つめていると、目があってしまいそうな気がする。すると、何故か頬が熱くなってくるのだ。

 思い人はすぐそこにいて、話したいことは沢山あるのに、今は春に近づくことさえ出来ない。それが、もどかしさと混ざり合い始めた頃、

「次、十番! 右近衛五巫司、桜! 前へ」

 と、右近の良く通る呼び声がかかる。はっと我に返った桜は「はい!」と返事を返した。ついに、桜の出番が回ってきたのだ。

「頑張ってね、桜!」

「東宮さまに、かっこいいとこ見せるのよ!」

 椿と茜がぐっと拳を握り、桜に声援を送る。二人に頷き返し、桜は列をかき分け、射場に歩み出た。現れた最後の射手が、少女であることを知った、参列の皇族が俄かにいろめきたつ。

「この者は、若輩で女子(おなご)なれども、その弓の才は右近衛きっての者にございまする」

 右近が桜を紹介する。桜は、皇族に向かって深くお辞儀をすると、きりりと顔を引き締めて、的に向かった。蛇の目をした的には、すでに九つの矢が刺さっている。一番的の近くを射ているのは、左近衛の的の方である。もしも、ここで桜がより、的の中心を射抜いたならば、勝者は右近衛に決まる。

「弓、構えっ!!」

 右近の声を合図に、重大な使命を帯びた矢を弓に番え、桜は弦を引いた。きりきりと、弦が音を立てる。全身に、皆の固唾(かたず)を呑む視線を感じた。

 その視線の中に、春はいるのだろうか? 春は、わたしのことに気付いているのだろうか? 的を絞りながら、桜の脳裏にそんなことがよぎる。春がわたしのことに気付いているなら、ここで弓の腕を見せなければならない。せめて、九年の間に、自分も成長したと言うことを伝えたい……。

 いよいよ、矢羽を離そうとしたその刹那。

「恐れ多くも、陛下にご奏上申し上げまするっ!!」

 突然のことだった。近衛の列を掻き分けて、男が一人乱入してきたのだ。衣冠からして、近衛や兵衛の者ではなく、下位の貴族であることは誰にも察しがついた。

「無礼者めっ、陛下の御前であるぞ、控えよ!」

 声を荒げたのは、今上陛下の傍に就いていた右大臣であった。右近のことを「鬼のよう」と言った椿にかかれば、さしずめ右大臣は「獣のよう」と形容されそうな容貌をしている。その声もまるで、獣が吼えるかのようだ。しかし、その怒声を浴びても、男は下がることなく、陛下の御前で地面に額をこすりつけるように、土下座した。

「賭弓の最中、お邪魔いたしますること、平にご容赦を! わたくし大蔵少録、大江是見(おおのえのこれみ)と申しまする。何卒、わが奏上をお聞きくださいますよう、お願いいたしまする」

 男が名を名乗ると、今上陛下はそっと右大臣に耳打ちでもするかのように、何かを言う。

「陛下が仰せだ。何事か、話してみよ」

 右大臣がさも仕方がない、と言いたげに陛下の言葉を伝える。再び、男は地面に額をこすりつけると、

「はっ、ありがたき幸せ! では、ご奏上申し上げまする。今、この世は混沌としておりまする。神仏にも癒せぬ病が流行り、村人が絶えた廃墟が何百、何千と生まれ、今なお多くの民が、こうしている間にも、天寿を全うすることなく、命を失っております。更には、おりしの飢饉のため、里では穀物が実らず、税を納めるどころか、明日の糧さえも得られぬ有様」

 と、声を上擦らせた。

「貴様っ!! 陛下の御世を批判するとは、何事かっ!」

 右大臣が陛下に代わり、政道批判とも取れる言葉を述べる賭弓の闖入者(ちんにゅうしゃ)を憎々しげに睨みつけた。男は慌てて首を左右に振る。

「滅相もございません! わたくしめは、陛下の御世を批判したいわけではありません!」

「では、陛下に奏上することは何もあるまい。下がれ、下郎っ!!」

「いえ、下がるわけには参りません。古来より、良薬口に苦しと申します。わたくしの申し上げたことは、諫言なれど、嘘偽りのない現実にございます。今日も、羅城門には浮浪者や乞食が集まり、陳情を訴えておりまする。賢くも、徳と慈悲を持ち合わせられた陛下におかれましては、何卒、何卒、苦しんでいる民の言葉にだけ耳を傾け、右大臣めの讒言(ざんげん)などに耳を貸さず、国と民をいたわってくださいませ!」

 懇願し言うべきか、男はすがりつくように言った。普段、皇族の者に面会する機会などほとんどない下級の貴族にとって、皇族や主だった参議が一堂に会する、この賭弓の機会を陳情の好機と、決死の思いで乗り込んできたのだろう。

 しかし、彼の吐いた言葉は、身分の限りを越えた(いさ)めの言葉であり、また右大臣に対する告発だった。それを聞いて、右大臣が黙っているはずもない。

「右近、左近っ!! 何をしておる、この狼藉者をひっとらえろっ!!」

 顔を真っ赤にして怒る右大臣が、声を上げる。突然の闖入者に呆然としていた、右近は表情を硬くすると「その男をひっとらえろ」と、近衛の者に命じた。

 すぐさま、四、五人の屈強な近衛の舎人が進み出て、土下座する男の両脇を掴む。すると、男は懇願の顔に憎しみの色を浮かべると、叫び声をあげながら舎人たちの手を振り解いた。

「おのれ、我が願いは民の願いと同じ。それを聞き入れていただけぬとあれば、かくなる上はっ!」

 男はそう吐き捨てると、腰の太刀に手をやった。

「まずいぞっ!」

 叫んだのが誰であったかは分からない。その声を皮切りに、弓場殿に悲鳴とざわめきが一気に広がった。近衛の者たちが、武器を手にするよりも早く、男は太刀を抜く。陛下に危害を加えるつもりだと、誰もが思った。思ったが、振り下ろされる凶刃を止めるには、もう誰も間に合わない。

 皆、目を伏せた。

「ぐあ!!」

 短い呻き声。しかし、それは陛下の悲鳴ではなかった。混乱する人々の隙間をぬぐい、一条の矢が男の右手を射抜いたのだ。男はよろめき、太刀を落とす。辺りが静まり返り、太刀が地面に落ちる乾いた音だけが、響き渡った。皆何が起こったのか事態を把握することが出来なかった。

 矢の飛来した方を見れば、険しい顔の少女がいる。蛇の目の的に狙いを定めていたはずの、賭弓の射手、桜だ。矢は、桜の弓から放たれたのだと分かった瞬間、

「今だ! その男を取り押さえろっ!!」

 と、右近が叫んだ。時が止まったかのように、動きを止めていた近衛の舎人衆が唸り声を上げながら、一斉に男に飛び掛った。

「ええい、離せっ!!」

 男は必死にもがいて見せたが、屈強な舎人衆の何本もの太い腕を振り払うことは到底出来そうにもなかった。しばらくのもみ合いの後、観念したのか「何卒、我が注進お聞き届けくだされ、陛下!」と繰り返し叫びながら、男は引っ捕らえられて行った。

「すごいっ!! 桜っ!」

 闖入者を射抜いた桜の周りには、五巫司の少女たちがどっと群がった。皆、桜の活躍に、喚起の声を上げる。それは、身近に現れた英雄を讃えるかのようで、桜は少しばかり恥ずかしそうに、頬を染めた。

 そんな、桜の姿を横目で見ていた右大臣が、右近を手招きする。右近は、舎人衆が男を連行していくのを見届けてから、右大臣の元に駆け寄った。

「右近。今年の賭弓はこれにて、お開きとする。陛下には、すぐに清涼殿(天皇の住居)へ戻っていただく。あの無礼者の取調べ、抜かるでないぞ」

 心なしか、右大臣は苦虫を噛み潰したような表情だ。

「はっ、かしこまりました」

「して、陛下をお救いしたあの娘、なんと言ったか」

 仲間たちに囲まれる桜のことを顎で指し示して、右近に尋ねる。

「あの娘は、中宮苓子さまの元お読書役、香子どのの娘、桜にございます。近衛きっての弓の使い手と、私は思っています」

「ほほう、苓子さまのお読書役の娘……」

「こちらに呼び立てましょうか? お褒めの言葉の一つもかけてやってくださりませ」

 右近としては、なかなかに鼻が高い。自分が目をかけてやった部下が、陛下の命を狙う男から、陛下の命を救ったのだ。自慢の部下と呼んでもいい。

 しかし、右大臣はひどく顔をしかめると、

「いや、呼ばずともよい。わしは、卑しい娘と口をききたくもない」

 と言った。その言葉の意味を右近は理解できなかった。右近は、椿たちと同様に桜がかつて、香子に拾われたことを知らないのだ。

 右近が当惑している間に、右大臣は踵を返すと今上陛下を伴って、紫宸殿へと上る階段へと向かってしまう。皇族たちも「災難にあった」と口々に言いながらも、誰一人として桜に何の言葉もかけようとはしなかった。皇族が皆、弓場殿から内裏へと引き上げ、近衛の舎人と五巫司の少女たちに囲まれる桜を見て右近は、しばしその少女を不憫(ふびん)に思った。


ご意見・ご感想などございましたら、お寄せください。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ