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第十九話 西寺へ

 いつもならば、都の空に星が瞬けば、静謐(せいひつ)な夜が訪れるはずだった。しかし、今は争乱が都を埋め尽くしている。戦場の前線となったのは、都の中心を抜ける、朱雀大路。朝惟の反乱軍は、朱雀大路の道幅いっぱいに、掻楯(かいたて)を並べ、大路を占拠して進軍を始めた。これに対して、ほとんどの宮中武官は、朱雀大路でこれを迎え撃つものの、実戦経験が乏しい彼らは終始圧され気味で、すでに七条以下を反乱軍の手に許してしまう。

 その一方で、戦場は右京左京の各区画へも波及していた。反乱軍の武者たちが、主戦場から迂回して、内裏を目指そうとするのは、至極当然のことで、七条から炎が燃え広がる右京は、ことさら多くの兵が集まった。桜たちが出遭った武者たちも、そういった者たちの一人に過ぎなかった。

「近衛の小娘どもが、そっちへ逃げたぞっ!!」

「追えっ、逃がすなっ!」

 背後から、怒号が追尾する。五条大路の手前に、桔梗の亡骸を残し、朱雀門へ向かう桜たちは、新手に追い立てられていた。もう何人の敵を殺しただろう。碁盤の目をした小路をジグザグに抜けても、追っ手は角を曲がるたびに現れ、桜たちの行く手を塞ぎ、行く手をさえぎられるたびに、桜たちは泥だらけ、血だらけになりながら戦った。五人目までは、殺めた敵の数を数えていた桜も、それ以上は数を数えるたびに空しくなってきて、やめてしまった。

 すでに、桔梗を失い、朱雀門へ引き返し始めて一刻が過ぎた。そうして、四条を横切り三条へと入ったその時、とうとう桜たちは、狭い小路で前後を塞がれて、立ち往生する羽目となった。

「万事休す? こんなところにまで、敵が迫ってるなんて……!」

 肩で息する椿がぼやいた。

「どうするの? はさまれちゃったよ」

 茜が、道の前後からじりじりと迫り来る武者を交互に見て言う。

「こんなところで、死ぬわけにはいかない。桔梗のためにも!」

 薙刀を構え、目を吊り上げて敵を睨む葵は、今にも武者に飛び掛りそうな勢いだ。

「相手は、八人。そのうちで、弓矢を持ってるのは、わたしたちの行く手を塞ぐ、前方の兵たちだけ。あっちを突き崩して、逃げよう。もう少しで、朱雀門だよっ」

 桜は手早く言うと、矢筒から矢を取り出して、弓に番えた。冷静な判断か、それとも的確な判断か、それを議論する余地は、残されてはいない。椿たちは、桜の指示に頷き合わせ、各々の敵を見定める。前方を塞ぐ敵は丁度四人。

「行くよっ! 先手必勝っ」

 桜の掛け声とともに、薙刀を持つ茜と葵が敵目掛けて駆け出した。やや遅れて、桜と椿が弓矢を射る。二本の矢は、茜たちの傍を追い越して、二人の兵の足と腕に命中した。その隙を見逃すことなく、茜と葵が先制といわんばかりに、薙刀を上段から振り下ろす。

 一方、先制をとられたと感じた後方の武者がひとり、桜と椿目掛けて、迷いなく太刀を振り上げ飛び掛ってきた。桜と椿は次の矢を取り出しながら、踵を返し、武者の腹に蹴りを入れる。思わず、武者はよろめくが、キッときつく口を結ぶと、太刀を横薙ぎに払った。長い刃の先が、桜の二の腕を軽く引っかく。

「きゃっ!」

 桜の悲鳴とともに、左の二の腕に熱が走る。しかし、それに動じる余裕はない。桜は番えた二本目の矢を、狙いを定めることなく射た。至近距離で放たれた矢は、武者の喉もとを貫く。

「ぐえっ」と、奇妙な声を上げて、武者はその場に斃れた。その光景に恐れをなしたのか、残りの三人はたじろぎ、桜たちと間合いを取った。

 すぐさま、桜は次の矢を番えなおし、前方に向き直る。すでに、先ほど矢を命中させた武者二人は、茜と葵が斬り伏せていた。行く手を塞ぐのは、あと二人。桜と椿は更に矢を射かけざま、走り出す。

 狙いを絞りきれていない矢は、二本とも武者を掠めて通りの向こうに姿を消した。しかし、矢をかわす為、武者に一瞬の間隙が生まれる。茜と葵は桜たちが走り出したのを見て、薙刀の束で各々武者の体を打ち据えた。武者たちが、ふらつく。

 駆け抜け、茜たちを追い越した桜と椿は、小太刀を構えそのまま、武者の体に突進した。小太刀の鋭い刃が、紐組みの縅鎧を突き破る。肉を絶つ鈍い感触とともに、桜と椿は武者を押し倒した。

「椿、茜、葵、走って!」

 桜は、倒れた武者が絶命したか否かを確認するまもなく、立ち上がり、小太刀を引き抜き、遮る者の居なくなった前方に向かって走り出した。椿たちも、それに続く。

「くそっ、待てっ!! 小娘どもっ!」

 残された後方の武者たちが、怒号を上げて、追いかけてくる。しかし、それを確認する暇も、相手にするだけの矢も残されていない。もう一度敵に囲まれたら、本当に万事休すかもしれないと、桜は不安を募らせた。

「桜、大丈夫? その腕の傷……」

 隣を走る茜が、視線で桜の二の腕を指して言う。今更ながらに、鋭い痛みが伝わってくるが、桜は努めて笑顔を作ると、

「大丈夫。みんなだって、怪我してるんだもん。これくらい平気よ」

 と、強がって見せた。現に四人とも、体のあちこちをすりむき、もはや全身が痛みに覆われていた。それでも、走らなければ、追っ手に切り殺されるのは自分たちだ。その恐怖は、少女たちの心に重くのしかかり、体の痛み以上に、彼女たちを苦しめていた。

「見て、朱雀門っ!!」

 椿が、あっと声を上げ指差す先に、家屋と家屋の屋根が重なる隙間から、目指す朱雀門の(いらか)が見える。いつの間にか、追いかける足音は聞こえなくなっていた。武者たちは、前線の本隊から突出するのを恐れたのか、それとも、桜たちの他に相手を見つけたのか、どうやら追いかけっこを止めたらしい。二条を越えた辺りで、桜たちはようやく一息つくことが出来た。それから、足早に朱雀門へと急ぐ。

 朱雀門の前には、多くの民衆が詰め掛けていた。右京から焼け出されたものばかりでなく、左京に住む者も、戦渦から逃れてきたのだろう。

 子を持つ母親は、我が子をひしと抱きしめ、子どもたちは皆不安げに眉を垂らす。老人たちは、夜空を見上げ、両手をすり合わせて、天に祈りを捧げる。また、威勢のいい男衆は、朱雀門を出入りする官吏を捕まえては、「事情を説明しろ」と詰め寄るのだが、官吏たちは一様に「今はそれどころではない」と、駆けていく。無理もないことで、突然の蜂起に対して、大内裏も大慌てなのだ。この場所に都が築かれて、三百年あまり、都が戦渦に見舞われたことなど一度もない。しかも、唐土(もろこし)(中国のこと)の都を模して作られた王城とはいえ、戦争を想定してあるかの国の都とは違い、ただの都市である平安の都は、ただっ広いだけで、攻城への防備力は皆無に等しい。その辺り、朝惟たち反乱軍は実によく心得ていた。都を、まるで巨大な鳥かごに例えるように、諸国からの援軍で取り囲み、そして、九条から順にじっくりと内裏へと攻め上っていく。そうして、最後に内裏を大軍勢で包囲するのだ。別の言い方をすれば、朝惟は、完膚なきまでに、都を叩き、そして都の頂点に君臨する者たちに、天誅を下すつもりだった。

 そういう朱雀門の光景を見れば、桜たちの心に、否が応でも不安が過ぎる。本当に、わたしたちの力で、都を民を内裏をお護りすることが出来るのだろうか、と。

「おねえちゃんっ!」

 朱雀門の前で、他の五巫司の仲間を探す桜たちは、突然呼び止められた。すると、民衆の群の中から、小さな姿が、ひょいと飛び出し、真っ直ぐにこちらへ走ってくる。

「正太郎くんっ」

 桜は、少年の名を呼んだ。あの、七条で逃げ遅れ、母を捜して泣きじゃくっていた少年だ。

「よかった、無事だったのね……、お母さんは?」

 と、言いかけて、桜は少年のあとを追いかけて現れた、ふくよかな女性に気付いた。

「あんたたちこそ、無事だったんだね!」

 正太郎の母は、桜たちの返り血を浴び、泥まみれになった姿に一瞬息を呑んだが、すぐに笑顔を浮かべて、息子の命の恩人だと、桜たちを労った。

「あの、みなさん、大内裏には入れてもらえないんですか?」

 椿が桜の横から、疑問を口にする。正太郎の母は、ちらりと土壁の方を見る。その壁の向こうには、大内裏の敷地が広がっている。

「そうなんだよ。貴族以外は大内裏には入れられないって言われてね。だから、あたしら平民はこうして、朱雀門の前で、いつここにもお侍たちが襲ってくるかと、びくびくしてるんだよ」

「官吏があの慌てようじゃ、仕方ないか……」

 と、茜が小声で囁く。朱雀門の方では、青い顔した武官たちが、行ったり来たりを繰り返していたそんな官吏たちの慌てぶりを見れば、誰でも「こんなことで、都を守れるのか?」と、不安に思って当然である。しかし、だからと言って、封鎖された都に逃げ口はもはや存在しない。

「あの、おばさま。わたしたちと同じような格好をした女の子たちを見かけませんでしたか?」

 桜が、自分の水干を指差して尋ねた。正太郎の母は、頬に手を当てて思い出すように、

「あんたたちみたいって、近衛の女の子かい? そう言えば、少し前だったかしら、何人かしばらく朱雀門の前に居たんだけど、苛立った男衆に絡まれて、逃げるように大内裏へ入って行ったねぇ」

 と、答えた。

「ありがとうございます。せめて、みなさんを大内裏の広場に入れてもらえないか、具申して来ます。だから、もう少しだけ、ここで待っていて下さい」

「無理しなくてもいいんだよ……。あんたたちはもう、こんなに怪我をして、泥だらけになってるじゃないか」

「お気遣い、感謝します。でも、わたしたちは近衛だから、都を守る大事なお役目を預かっているんです。無理なんかじゃありません」

 桜は凛としてそう言うと、正太郎の母に頭を下げて、朱雀門に群れる民衆の雑踏へと向かった。振り返れば、正太郎が大きくこちらに手を振っている。桜は、出来るだけ笑顔を作り、手を振り返した。

 民衆は、桜たちが五巫司と分かると、一気に詰め寄ってくる。その勢いは、武器を振りかざす敵とは、また違った迫力があり、あっという間に、桜たちはもみくちゃにされる。

「おいっ! 官吏の連中はどうなってるんだ!?」

「都は大丈夫なのか?」

 男たちは口々に、桜たちに問いかけた。しかし、いちいちそれに答えるわけには行かない。桜たちは、群集を掻き分けながら、まるで大波に逆らうように、朱雀門をくぐった。一度大内裏に入ってしまえば、どこか静けさが、漂っていることに気付く。それもそのはず、ほとんどの武官が反乱軍と戦うために出払っている。大内裏に残っているのは、戦う術を知らない文官と、大内裏に逃げ込むことを許された貴族の一族くらいなのだ。

「あのっ! 五巫司の仲間が何処へいったか知りませんか?」

 桜が、門前で民衆と押し問答している門兵に尋ねると、門兵はやや面倒そうに「あっちだ、右近衛府っ」と答えた。

 門兵の言ったとおり、右近衛府の庁舎前には、桜たちと同じ、五巫司の少女たちが待っていた。そのうちの一人が、桜たちのことに気付き、手招きをする。

「桜っ、こっちこっち!」

「ねえ、他の子たちは、どうしたの?」

 桜は駆け寄りながら尋ねた。今庁舎前に居るのは、桜たちを除いて五名ばかり。皆、桜たちと同じように、白い水干を血と泥で汚し、中には怪我をしている者もいた。

「それが……」

 と、桜を手招きした少女は、暗い顔を見せる。それだけで、何があったのか十分察しがついた。

「生き残ったのは、わたしたちだけ。他のみんなは、死んだわ」

 そう答えが返ってくることは、分かっていたのに、桜は悲しい気持ちにとらわれた。ここを出発したとき、二十人いたはずの五巫司が、たった数刻のあいだに、九人になってしまったという事実が、桜の細い肩に重くのしかかる。

「ねえ、桔梗は? 桜の組にいたよね?」

 誰かが、桜に問いかけた。桜は首を横に振って、答えに代える。ますます、九人は沈み込んだ雰囲気に包まれた。

「もういやっ、わたし、こんなことのために五巫司になったんじゃないっ」

 少女の一人が、泣き叫ぶように吐露する。すると、別の少女が項垂れたまま、

「あたしだって、同じよ。でも、あたしたちのお役目は、戦うことなんだから、仕方ないじゃない。一人でも多くの敵を殺して、陛下をお護りするのよ!」

 と、かすれた声で言う。

「そんなに簡単に、殺すなんていわないでよっ わたし、はじめて人を斬った。あんなこと、人間のすることじゃないっ!」

「あたしだって、人を殺したりなんかしたくないっ! でも、それがあたしたちのお役目でしょっ!?」

「じゃあ、あと何人殺せばいいの? わたしたちはあと何人仲間を失えばいいの?」

「知らないわよっ! 何人だって殺すの。あたしたちの最後の一人が死ぬまで、ずっと、ずっとっ!!」

 ひどく神経質な言葉のやり取りは、あまりに悲痛な叫びだった。

「喧嘩しないで、二人ともっ!」

 桜は、見かねて二人の間に割って入った。

「つらいのは、よく分かる。わたしも、さっきから手の震えが止まらないの。桔梗が死んだときから、ずっと。でも、ここで言い合いしていても、反乱軍が謀反を諦めるわけじゃない。わたしたちは、失ったみんなのためにも、戦わなきゃいけないの……」

 諭すように桜が言うと、皆力なくうつむいた。すすり泣く声まで聞こえ始める。それだけ、経験もしたことのない恐怖、友人を失う辛さ、哀しさを味わい、心身ともに疲れきっているのだ。だが、事態はますます悪化の一途を辿っている。

「みんな、もう少しだけがんばろう」

 桜は、皆を勇気付けるように、努めて穏やかに言った。と、その時、朱雀門の方がひときわ騒がしくなる。皆顔を上げて、朱雀門の方に視線をやると、民衆を掻き分けて、右近が数名の手勢を従えて大内裏に入ってくるのが見えた。右近も、桜たちに気付き、小走りに駆け寄ってくる。

「どうしたんだ、お前たち。ほかの者たちは?」

 右近は、九人の顔に一通り目をやると、桜に尋ねた。桜は「死にました」と短く答え、自分の吐き出した言葉が、ひどく無機質だと思った。それでも、感情を抑えなければ、五巫司の育ての親である右近に、そんな報告を告げることなど出来なかった。

「そうか……無事なのは、そなたたちだけか」

 目を伏せ、眉間しわを寄せた右近は、空を仰いだ。まるで、可愛い我が子の死を悼むような顔つきであった。

「右近さま……。わたしたちは、これからどうすればいいのですか? 皆死ぬまで、戦うしかないのですか? どうか、お教えくださいっ」

 少女たちの死を悼む右近に、桜が矢継ぎ早に尋ねる。

「出陣の前に、言ったではないか。難しく考えることはないと。桜、そなたが思うようにやれば良い。例えそれが、五巫司の本懐でないとしても」

「それは……どういうことですか?」

 桜は、右近の言葉に訝った。しかし、右近はそれに答えることなく続ける。

「よいか、これから先、何が起きてもおかしくはない。反乱軍は、五条まで迫っている。やつらが、ここへ押しかけてくるのも、もう時間の問題だ。それを、押し留めるためには、この反乱の根を絶たなければならない」

「反乱の根」

「そうだ……。それが何を意味しているのか、そなたにも分かるであろう。右近衛の舎人は、右大臣さまのご命令により、宮中警護の任に戻ることとなった。しかし、五巫司の指揮はそなたに任せてあるはずだ。よく、考え、そなたの思うように動けばよい。例え、そなたたちがお役目を投げ出して逃げたとしても、誰もそなたたちを責めたりできようものか。一生を終わらせるには、そなたたちはまだ若すぎる」

 そう言い残し、右近は自らと手勢の傷を手当てするために、近衛府の庁舎へと足を踏み出した。

「お待ちください、右近さま!」

 と、右近の後姿を追って、振り向きざまに桜が右近を呼び止める。

「では、ここにいる八人の五巫司を、宮中警護の任にお加えくださいっ」

「八人って、ちょっと! 桜はどうするのよっ」

 椿が驚きの顔を浮かべて、桜の腕を掴んだ。桜は何故か、椿の顔を見ようともせずに、じっと右近の反応を待つ。

「それで、桜。そなたは如何にする? 独りで反乱軍と戦うというのか?」

 右近が代わって桜に問う。

「わたしは……わたしは西寺の朝惟さまに会いに行きます。あの方の口から直接、謀反の理由をお聞きしたいのですっ」

「桜っ、あんた自分が何を言っているか分かってるの? 清浦朝惟に会いに行くってことは、敵中を突破して、敵の本拠地に乗り込むってことよ! それがどれだけ無謀なことか、分かるでしょ? むざむざ死にに行くようなものじゃないっ」

 桜は気でも狂ってしまったのか、と言わんばかりに、椿は桜の腕を引っ張って叫んだ。すると、桜は右近から椿の方に視線を映す。その顔は、気が狂ったわけでも、自暴自棄になったわけでもなく、何事か桜なりの考えがあると、椿に感じさせた。

「わたし、ずっと以前に一度だけ、朝惟さまにお会いしたことがあるの。本当は、あの方が謀反を起こしたなんて、今でも信じられない。そのくらい、わたしの知る朝惟さまは、お優しい方だった。だから、朝惟さまに直訴して、その真意を訊き、こんな戦をやめてもらうよう説得したい……桔梗や他の仲間たちのためにも」

 桜はそっと、椿の手を解いた。

「分かってる、無茶で馬鹿な賭けだって分かってる。だからこそ、みんなをわたしの無茶に付き合わせるわけにはいかないの」

「桜……」

 言葉を失った椿は、悲しそうな顔をする。だけど、桜の意思は固く、彼女の目は椿を飛び越えて、真っ直ぐに、朝惟が本拠とする西寺の方に向いていた。

「水臭いっ!」

 と、唐突に声を上げたのは、茜だった。その声の大きさに、桜は少しだけ驚いた。

「あたしと桜は友達なんだよね。その友達を置いていこうなんて、水臭いよ、桜っ! それとも何? あたしは足手まといだって言うの?」

 茜はつかつかと、桜に歩み寄り、ぐっと女の子にしては少しばかり太い眉を吊り上げる。

「ううん、そんなことない。もしも、わたしが心細くて怖くなったら、その薙刀で援けてほしい。お願いね、茜」

 と言って、桜が茜の手を取ると、吊り上げた眉を下げ、茜は微笑んだ。

「仕方ない、わたしも行くわ。無謀な親友をほったらかしになんかしたら、わたしが香子さまに叱られちゃうからね。それに……、茜ばかりにいい格好させたくないし」

 今度は、椿が桜に歩み寄り、その手を取る。そんな椿の笑顔を見るのは、久しぶりのような錯覚を桜は覚えつつも、二人の友人の心遣いに、胸が温かくなるのを覚え、心底感謝した。

「葵は、どうする?」

 椿が、桜の手を握ったまま、振り返って葵を呼んだ。

「わたしも……行く。桔梗の仇が討てるなら!」

 葵は、五条で親友を失った哀しみを振り払うように、強い口調で答える。桜は葵と頷き合わせると、再び右近のほうを向いて、

「よろしいですか? 右近さま」

 と、伺いを立てた。右近は、少女たちの姿を見て、鬼のような顔を僅かに緩ませる。五巫司として厳しい訓練を積む中で、少女たちは友情を育み、同時に自らの意思をしっかりと持っていてくれる、と言うことは、右近にとって嬉しいことだった。

「そなたが自分で考えたことに、わしは口を挟むつもりなど毛頭ない。残りの五人は、わしが預かろう。しかし、くれぐれも命を粗末にするでないぞ」

「ありがとうございますっ!」

 右近の許しを得た桜は、右近に深々と礼をし、大内裏に残されることとなった五人の少女たちの下に駆け寄った。少女たちは皆、眉目に不安を漂わせながら、桜たちのことを見る。桜は、凛とした顔を皆に見せると、少しだけはにかんだ。

「みんな、心配しないで。今は、天国に召された仲間たちのためにも、生き残ることだけ考えて」

 それは、半ば死地と言っても良い場所に向かおうとする人間の言葉ではないように、少女たちは感じ、それと同時に、桜は死ぬつもりなんかじゃないんだと、勇気付けられる。

「絶対、絶対、戻ってきてね。その時には、戦が終わっていることを願うわ」

 少女の一人が、桜に言った。桜は真っ直ぐに、その娘の目を見て頷く。

「わたしたちの矢、全部持って行って」

 と、別の少女が自らの矢筒から矢を取り出して、桜の空になった矢筒に差し入れた。それに倣うように、他の少女たちも、桜の矢筒に矢を入れていく。

「ありがとう……」

 桜は、少女たち一人一人にお礼を述べ、そして椿たちの方に向き直り「椿、茜、葵、行こう。西寺へっ!」と、号令を発した。四人は、右近と少女たちに見送られながら、再び朱雀門をくぐる。その目にはそれぞれの決意が彩られているように、見えた。


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