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第十七話 火の手 (中編)

 驚いたのは、武者たちばかりではない。桔梗と葵も驚愕し、そして思わず桜たち三人の名を叫んだ。敵を目の前にして武装を解くなど、正気の他とは思えない。桔梗たちは思わず目を瞑った。

 しかし、桜たちが何の前触れもなく、武具を投げ捨てたために、一瞬だけだが、武者たちにうろたえと隙が生じる。その刹那、三人は「やあっ!」と掛け声よろしく、一気に武者たち目掛けて、走り出した。桜たちは息もぴったりに、武者たちの懐に駆け込むと、地面を強く蹴り上げて飛び上がった。瞬きする間もなく、三人の膝が各々、武者たちの顎にめり込む。

「ぐえっ!」

 と、声がしたかと思うと、屈強な武者たちは瞬くうちに、ばたばたとその場にひっくり返り、泡を吹いて気を失った。まさに、疾風(はやて)のごとく。

「痛たたたっ」

 地面に着地すると同時に、茜が武者を打った膝小僧をさする。

「さすがに、訓練のようにはいかないか……」

 と、椿も膝の痛みに顔をしかめた。ただ一人、桜だけは痛みなど、ものともしないで、袴に付いた土埃を叩き落としながら、伸びた武者たちの面を見た。桜よりは幾分か年嵩の若武者である。おそらくは、朝惟が奥羽から引き連れてきた兵の一人なのだろう。

「この薙刀、茜が使ってるやつより、上等な代物ね」

 と、椿が膝の痛みから立ち直ったのか、少しばかり恐る恐る武者に近づき、彼らの手からこぼれた薙刀を拾い上げた。六条にまで伸びてきた炎を映しこむ刀身は、まだ血のりの着いておらず、真新しい輝きを放っていた。

「本当だ。あたしのよりいいやつだ」

 椿から薙刀を受け取った茜は、まだ多少膝の痛みをこらえながら、腕を振って薙刀の感触を試してみる。ひゅんひゅんと、小気味よく風を切る音がするものの、振り回している本人は、心なしか扱い辛そうだ。

「ちょっと柄が長くて、重いな……、ねえ、桜、この人たちの武具、どうする? 捨てちゃう?」

「そうね。でも、捨てる場所もないから、このままにしておこう。それよりも、この人たちがめを覚ます前に、ここを離れた方がいいわ。正太郎くんみたいに、逃げ遅れている子が他にもいるかもしれないし」

 桜がそう言うと、茜は頷いて薙刀を武者のそばにそっと戻した。その音にも、目を覚ます気配はない。

 三人の武者は今頃、夢の中だろうか。火がその身を焼くまえに、目を覚ましてくれればいいのだけど、と桜は思う。そして、振り返り自ら投げ捨てた弓矢を拾い上げ、

「葵、桔梗、行こう」

 と、二人に声をかけたが、二人は口をあんぐりと開き、呆然として桜たちのことを見つめていた。

「どうしたの? 二人とも」

 椿が弓を担ぎながら、怪訝な顔をする。すると、ようやくわれに返った葵が、上擦った声で、

「すごいのね、あんたたち……」

 と驚きを込めて言った。以前、桜たちが朱雀大路で、曽根少納言の息子たちを徒手格闘で伸したことを、桔梗たちは知らないのだ。

「べつに、すごくなんかないわよ。敵を殺す勇気がないから、飛び掛っただけ。徒手なら、相手を無闇に傷つけないで済むじゃない」

「済むじゃないって、簡単に言うけど、わたしたちには出来ないよ。ねぇ、葵」

 桜の答えに、憮然としながら桔梗が言う。振られた葵は、無言で頷いた。無論、桔梗たちも五巫司として、徒手の訓練は積んでいるのだが、それでもいきなり武具を捨てて、飛び掛るなんて真似は出来ない、と言うのだ。

「でも、この先も同じ手が通用するとは限らない。椿、茜、葵、それから……桔梗。みんな覚悟してね」

 桜は深刻な顔をする。自分たちは、近衛に属する五巫司。それは即ち官軍であり、朝惟率いる反乱軍にとっては、問答無用で「敵」なのだ。事態が収拾するまで、桜たちは十中八九この先も、反乱軍の兵に出くわすだろう。偶々、戦闘に慣れない若武者が相手だったからよかったようなものの、場数を踏んでいるであろう、手足れのつわものであったなら、同じよう膝蹴りで相手を伸すことなど出来ないかもしれない。

 本当は、飛び掛る前、足が震えていた。心臓が飛び出しそうなくらい激しく鼓動を打った。相手の殺意ある刃が恐ろしいと思った。だけど、五巫司として怯めないと言う一念が、迷いを必死で振り払おうとする。遊びや喧嘩ではなく、戦なんだ。そして、自分たちは目の前で泡を吹いて気を失った、若武者たちと同じで、場慣れしていない新兵なのだと、膝に僅か残る痛みが、桜にそれを教えた。


 右大臣は、清涼殿(せいりょうでん)(天皇陛下の寝所)へと向かう渡殿を踏み鳴らしながら、苛立ちをあらわにした。渡殿から見える宵の空が、一部だけ真っ赤に染まっている。それは夕日の名残りではなく、右京の七条から六条にかけて大きく燃え上がっている炎の色だ。しかも、内裏を吹き抜ける生暖かく乾燥した風向きは、真っ直ぐにこの内裏を目指している。それが、苛立ちに更なる拍車をかけた。

「おのれ、清浦めっ!」

 と、苦々しく口に出しても、憎らしい相手に伝わるわけではない。謀反を起こそうとしたのは、なにも朝惟がはじめてではない。右大臣という地位に上り詰めたころから、命を狙う者や、蹴落とそうとする者は後を絶えなかった。だが、右大臣はそのすべてを権力の名の下に捻り潰してきた。

 総ては、自らの地位と名誉のため。それこそが、右大臣というこの、獰猛な獣じみた(かお)をした男の、原動力だった。自分に媚び(へつら)う者には、それ相応の富を与え、はむかう者には容赦はしない。

 九年前にも、同じようにしておけばよかった、と後悔しても、もう遅い。朝惟は、中宮苓子の遠縁に当たる上に、その気骨を慕う者も少なくなく、多くの者が助命を願ってきた。そこで、余計な仏心を出したのが良くなかった。あの時、文屋岑延のように官位を剥奪し、都から追放しておけばよかったのだ。そうすれば、七条が炎に包まれることはなかった。

「右大臣さま!」

 清涼殿から、参議が駆けてくる。参議は、右大臣の前で足を止めると、

「陛下は、すでに吉野へ避難すべく、式乾門(しきけんもん)より、お出になられましてございます」

 と言って、内裏の裏口の方を指差した。

「護衛はつけたのか?」

「無論。右近めは渋りましたが、右近衛の一隊を陛下の護衛につけました。陛下は、明け方には吉野へとお着きになられましょう」

「うむ、よくやった。して、各地より清浦の元に集まっておる、武家の馬鹿どもの切りくずしは、如何になっておる?」

「それも、われら参議の間で、すでに始めております。あとは……後宮の中宮さまや女御(にょうご)さまがた、それになにより我々の身の安全をお守りせねばならぬのですが、なにぶん、人手が足りておらぬ故……」

「それならば、右でも左でも良い、近衛のものどもを内裏警護に戻せばよい。前線は、他の武官に当たらせろ」

「はっ! では早速、右近衛を呼び戻しまする!」

 参議はそう言うと、右大臣に一礼をして、そそくさと紫宸殿の方へと姿を消した。

「清浦め、武家の分際で、都に戦を持ち込むとは……忌々しいやつめ!」

 一人になると、右大臣は、朝惟が岳蓮法師の力を借りて本拠とする西寺の方角を睨み付けた。そうだ、憎たらしいのは、朝惟ばかりではない。寂れ行く西寺再建を拒んだことを恨んで、朝惟に(くみ)する岳蓮と、陛下の甥でありながら、朝惟に擁立され図に乗る観国親王の二人も、同じだ。今、目の前にこの三人がいたならばこの手で、斬り殺してくれるものを。憎らしいやつの首を刎ねるのは、さぞ気持ちのよいことだろう。そう思うと、何故だか自然に、頬に締りがなくなる。

「何が、そんなに楽しいのですか? お祖父さま」

 突然背後から声をかけられた。右大臣は、思わず驚きで声を上げそうになる。振り向けば、そこにはいつの間にか、春が立っていた。そんな春の顔はどこか青白く、薄暗い宵の闇に浮かんでいた。生気のない顔をして、気配もなく、足音ひとつ立てない様は、まるで亡霊かなにかのようではないか、と右大臣は思う。しかし、それを面に出したりはしない。

「殿下。てっきり、陛下と吉野へ避難なされたのだと思っておりました」

「そんな他人行儀なしゃべり方はよしてください、お祖父さま。あなたとぼくは、祖父と孫ではないですか。そんなことよりも、教えてくださいませ。お祖父さまは、何がそんなに面白いのですか?」

「面白いことなどあるわけがございません、東宮殿下。清浦のやつめ、九年前に、刑に処されなかったことをいいことに、殿下や宮中の者に、刃を向けるとは、不届千万!」

 右大臣は、わざとらしくも憎まれ口を叩くように言った。すると、春は青白い顔に「フッ」と笑みを浮かべた。それは喜びの笑みではなく、どこか嘲笑のようだと右大臣は感じた。

「でも、すべてはお祖父さまの望まれたことではありませんか?」

 そう言って、春が一歩、右大臣の方に歩み寄った。右大臣は反して、たじろぎ後ろに下がった。

「こ、これは妙なことを申されますな、殿下。わたくしめが望むのは、殿下の未来のこと。安定と秩序の守られた、殿下の栄光たる御世が来ることこそ、我が望みにございます。清浦や観国親王などに、大切な殿下の御世を手渡すは、我が望みにはございませぬ」

 右大臣は平然と言ってのけた。すると、春がまた笑う。

「確かにそうだろうな。だけど、それはぼくの御世を守るためではないでしょう。お祖父さまは、他人をおだてて煙に巻く嘘がお上手だ」

 棘のある春の口調に、右大臣は眉をひそめた。

「嘘とは、手厳しい……」

「だってそうだろう? お祖父さまが望んでいらっしゃるのは、ぼくが帝になった後で得られる、今よりももっと強い、絶対なる権勢、名誉、そして巨万の富だ」

「それを望むは、人として生まれたからには必定というもの。しかし、それは裏を返せば、殿下のためでもあるのでございますよ」

「ものは言いよう。一代で、右大臣にまで上り詰めた、あなたらしいお考えです。ところで……、お祖父さまは人を斬ったことがございますか?」

 唐突に春が話題を変えてきた。右大臣は更に訝るように、春の顔を覗いたが、その眉目に色はなく、ただ無表情に問いかけてくるだけだった。

「いいえ、わたくしめは文官にござりますれば……」

 と右大臣が濁すように答えると、春はやおら自らの手のひらを広げて、右大臣の眼前に突きつけた。右大臣は、思わず「ひっ」と悲鳴を上げてのけぞる。何故なら、突きつけられた春の手には、引っ掻いたような傷が無数にあり、そして、血がにじんでいた。それが、一体何を意味しているのか、右大臣には分からなかった。

「あれは、獣を狩るのとはわけが違う。肉を裂く柔らかいような硬いような感触も、刃が骨にコツリと当たった瞬間も、それは、言葉では表せないほどです。ぼくのこの手がその感触を、しっかりと覚えています」

「それは……きもちようございますか?」

 そう春に尋ねてから、右大臣は我ながらおかしなことを訊いてしまったと思った。春は、それを笑ったのか、三度口元をゆがめると、

「ええ、それはもう、胸がえぐられて、吐き気がするほどに!」

 と言い、その手を収めた。そして、右大臣の肩口をすり抜けるようにして、春はとぼとぼと清涼殿のほうへと消えた。右大臣は、そんな春の背中を黙って見送る。

 十日ほど前、東宮として自ら兵部省の兵たちを率い、羅城門へ向かったあの日から、春は寝殿に引きこもることが多くなったと聞く。彼の身に一体何があったのか……。春は、右大臣の愛娘藤子が産んだ、孫息子。しかし、祖父として彼に接したことなど一度もない右大臣には、たった一人の孫息子が常日頃、何を考えているのか、よく分からない。

 分からないが、分かりたいとも思っていない。右大臣はそんなことには興味などない。右大臣にとって、春は孫である以前に、自分の地位を確固たるものとするための、道具に過ぎない。そのために、春にはなんとしても、帝になってもらわなければならない。朝惟ごときに邪魔されて、よもや観国親王が帝の座に就くような事があってはならないのだ。

 そんなことを考えながら、右大臣は踵を返し、参議の陣頭指揮を執るために、紫宸殿の方へと引き返した。


 後涼殿の西廂からでも、七条の荘園に燃え上がる炎は、はっきりと見えた。女官たちは慌てふためき、落ち着きを失っている。廂を横切るように、高覧の下を官吏たちが駆け抜けていく。そんな光景を譲葉は、胸騒ぎと共に見つめていた。

 清浦朝惟という武士とは面識がない。どのような人物で、何を思って謀反を起こしたのか、その発端が東宮である春の行いにあることさえも、譲葉は知らない。しかし、東宮の婚約者としての譲葉にとって、宮中、ひいては東宮に刃を向ける朝惟は、敵である。もしも、武官たちが朝惟の率いる反乱軍に敗れたとしたら、反乱軍の兵たちは、大挙を圧してこの内裏に乗り込んでくるに違いない。そうなれば、官吏や皇族ばかりでなく、後宮に住まう者たちも、どんなひどい目にあわされるか分からない。だから、女官や官吏が慌てているのも無理はないのだ。

 だが、譲葉の胸騒ぎは、自分の置かれた立場のことではなかった。つい一刻ほど前、「友達」と呼んでくれた少女は、近衛の一員として都を守るために、今まさに、あの炎が燃え上がる戦場(いくさば)の中に、その身を投じているのだ。自分と同い年の少女が、使命を帯びて、戦っていると言うのに、何も出来ず、ただ、後涼殿の廂に佇み、事の成り行きを見守るほか出来ない自分が、どこか歯がゆくそして、情けなく思ってしまう。

「どうか、ご無事で……桜さん!」

 譲葉は胸の前で両手を結び、瞳を閉じて、神仏に祈りを捧げた。大納言の娘として、丁重に育てられた譲葉には、戦う術など持ち合わせてはいない。せめて、桜の安否だけでも気遣いたいと、譲葉は思うのだ。恋敵である自分のことを、友と言ってくれた桜のために……。

「譲葉!」

 祈りを捧げる譲葉の名を誰かが呼んだ。譲葉は、結んでいた手を解き、高覧の下に目をやる。いつの間に現れたのか、一刻前、桜の立っていた場所には、譲葉の兄が立っていた。思えば、父の葬儀以来、大納言職を継ぐために忙しくしていた兄と顔をあわせるのは、久しぶりだ。

「お兄さま、いかがなされたのですか?」

 などと、僅かな笑顔を作って尋ねると、兄は渋い顔をする。

「それは、私の科白(せりふ)だ。お前こそ、こんなところで何をしている。公家衆は皆、都の郊外へ避難するために、支度を整えているぞ」

「それでは、お屋敷のお母さまもにございますか?」

 一条の自宅で、悲しみに暮れ、臥せっている母の顔を思い浮かべながら、譲葉が問いかける。父が他界してすぐに、このような騒ぎになり、母の心情が(おもんばか)られた。

「ああ、家の者たちが、母を連れて、奈良の親類の屋敷へ避難すると、先ほど告げに参った。お前も、一緒に避難しろ」

「お兄さまは? お兄さまはいかがなさるおつもりなのですか!?」

「私は、大納言の代理としてやるべきことがある……」

 と、答えた兄の眉目に、譲葉はただならぬ気配を感じた。それは、父の亡骸にすがって泣いたあの日、兄が見せた表情によく似ていた。

「やるべきこと……」

 譲葉は、兄の言葉を復唱するように呟いた。

「それは、復讐ですか? お父さまを殺めた、憎き相手を斬ることにございますか?」

「いや、違う。右大臣さまは、下手人を捕らえ処刑したと仰っておられた。それが、誰であったかなんて、私には興味はない。私のするべきことは復讐ではなく、天下を揺るがせにする、この騒ぎを起こした者に咎を背負わせることだ。次の大納言としてな」

 そう言うと、兄は腰に提げた腰刀を引っ張って、譲葉に見せた。

「でも、お兄さまは、文官です。戦いなど……!」

「できるさ。これでも、幼きころは剣術を習ったこともある。咎人を斬るくらい、文官の私でも造作もない」

 それは、人を斬ったことのない者が言う科白ではないと、譲葉はひそかに思った。しかし、兄はそんな譲葉の不安に気付くことはなく、兄らしい笑顔を妹に見せると、

「とにかく、お前は早急に内裏を去れ。いいな!」

 と、言い残し、内裏の奥へと走っていってしまった。

「お兄さまっ!!」

 譲葉は走り去る兄の背中を呼び止めたのだが、その声に兄は足を止めることはなかった。譲葉の小さな胸に痛みが走る。胸騒ぎが一つ増えてしまった。兄の眉目に宿ったものが、復讐の炎なのか、そうではないのか、いずれにしても、嫌な予感が譲葉の脳裏を駆け抜けていった……。




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