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第十五話 出陣

 あれは、まるで天から光が零れ落ちてくるような、幻想的で美しい光景だったと、桜は思っている。

「ひとときも目を伏せるでないぞ!」と、朝惟が太刀を振り上げた瞬間、虚空からサクラの花びらが降ってきた。朝惟は、それを「奇術」と呼んだ。幼かった桜にとって、それはまさに不可思議な出来事で、どうやって何もないところから、サクラの花びらを降らせたのか、その方法を教えてくれとせがんでも、朝惟は、

「それは秘密にございます。お教えしてしまうと、拙者は二度と姫さまを楽しませることが出来なくなってしまう。お許しあれ」

 と言って教えてくれなかった。岩のような朝惟の顔は、すでに朧気(おぼろげ)になっているものの、そのとき妙に悔しかったのを覚えている。

 そして、同じ日に、桜は運命の人に出会った。炭小屋の隅で女の子みたいに泣きべそをかく、幼い日の春だ。その春に、いつか奇術を見せてあげる、と話した。その日から桜は、母の縫ってくれた小さな布袋に、サクラの花びらを集め、奇術の謎を解き明かそうと苦心した。もしも、その謎が解き明かせたならば、あの日以来、一度も会うことが出来なくなってしまった、春に再び(まみ)えることが出来るのではないか、幼いころの桜はそんなことを考えていた。それが、決して叶わぬ恋だと知るよりも、ずっと前のことだ。

 そうして、九年。今、桜に奇術を見せてくれた朝惟は、内裏に反旗を翻している。七条の荘園に火をつけて、その武力を以って、都を占拠するべく蜂起したのだ。

 それには、予兆がなかったわけではない……。諸国の民衆や乞食たち、貴族が卑賤と罵る人々からの不平不満は、すでに大きく膨らんでおり、朝惟はその最後の切り札として、左遷先の奥羽より帰還した。しかし、羅城門には彼を待っているはずの群衆の歓声はなく、都の郊外にある森のそのまた奥に、ひっそりと墓標を連ねていた。寂しげな墓標の列に、羅城門の惨劇と文屋岑延たちの無念が目に浮かぶが、朝惟はあえて怒りを押し殺して、その足で内裏の紫宸殿に向かい、今上陛下に謁見を申し出た。無論、それは今一度政道を正すべく、訴えを起こすためだった。そのための威圧として、三千人の兵を率い、遠路はるばる上洛したのだ。

 その軍勢の威圧が功を奏したのか、すぐさま謁見は叶った。だが、陛下との直接謁見を希望した朝惟の前に現れたのは、宿敵とも呼べる右大臣と、東宮の春だった。それでも、朝惟は訴える。

「都を離れて、遠い奥羽の地で、この九年間様々なものを見聞きいたしました。この国の有様、民たちが抱える苦しみは、富の集まる都にいては何一つ分かりはいたしません。東宮殿下に置かれましては、陛下を補佐し、今一度天下の苦しみに目を向けて下さいませ」

 朝惟は、この国がひどく寂れて、貧しくなっていること、民たちは、豪族の小競り合いに巻き込まれたり、飢饉などで飢えて死んでいくこと、その有様は、九年前よりも益々ひどくなっている、そして、今の政を改めなければ、この国は遠からず滅びてしまうと、切々と説いた。

 右大臣は終始苛つき、春は無言のまま無表情で、朝惟の言に耳を傾けた。そして、朝惟が意見奏上を終えるや否や、右大臣は(つばき)を飛ばしながら、

「そのようなこと、武家風情の貴様に言われるまでもないっ! 我らは陛下をお()すけし、日夜政務を執り行っているのだ」

 と、まったく持って取り合わない。それどころか、三千人の兵を率い上洛した朝惟を「謀反人」「大罪人」と呼び掃き捨てた。しかし、そうでもしなければ、謁見さえも叶わなかったではないか、と朝惟は思ったが、口にはせずに、至って冷静な顔を装いながら「拙者めのことを、大罪人と呼ぶのであれば」と前置いて、羅城門での出来事について、問い質した。

「東宮殿下が兵部省の者を率いて、都にたむろする乞食を皆殺しにしたなどと、何の証拠があるのやら。貴殿は、その乞食どもの墓とやらを暴いで確認したのか? 証拠もなしに、そのようなことを申すなど、それこそ、東宮殿下に対して、無礼であろうっ!! 身の程を知れ、清浦どのっ!」

「証拠と仰せならば、拙者を都に呼び戻した、文屋さまが羅城門に居られぬことこそ、何よりの証拠」

「フンっ! おおかた、卑しい乞食どもなればどこかで野垂れ死んだに相違あるまい。それを証拠と申したところで、笑い話にもならぬわ。ええいっ、東宮殿下はお忙しいのだ、下がれっ! 三千人の野蛮な兵を連れて、即刻奥羽へ舞い戻るがよいわっ!」

 食い下がる朝惟を一蹴するかのように言い放つと、右大臣は春を引き連れて早々に謁見を打ち切った。御簾が降ろされ、二人が姿を消すと、紫宸殿に取り残された朝惟は、歯噛みしながら床を拳で殴りつけ、御簾の向こうを睨み付けた。

 三千人の兵による威圧も、右大臣は重く考えていないのだろうか? それとも、朝惟を甘く見ているのか? そんなことはもはや、どうでも良かった。朝惟の訴えは、何年もの間、岑延や民たちが訴え続けてきたこと。再三の陳情も、これが最後だ。

 陛下は政には興味も示さないことをいいことに、右大臣は政を意のままにする。そして、東宮は操り人形になり果ててしまっている。朝惟は、謁見を通して、この国が抱える病巣は、利己に走る右大臣と、操り人形の東宮にあると確信した。もはや、武士としての忠義のために、逡巡(しゅんじゅん)することなど許されない……。何度も何度も、沢山の人々が苦しみを訴えたにもかかわらず、九年以上もの間耳も貸さない者たちに、この国を、民の命を渡すわけにはいかない。胸の奥で言い知れぬ怒りが湧き起こる。

 罪もなき百人近くの命を奪ったこの二人には、責めを負ってもらう必要がある。そして、この国の王であるにもかかわらず、民を顧みない帝も、同罪である。

 謀反を起こす決意を固めた朝惟は、都の外に陣を張り待たせていた、石丸たち将に武装蜂起を告げた。

「これは朝廷に対する謀反。しかし、天命を得て、我らはこの国と、この国に生きる者たちを救うべく、造反するのだ! 後世に悪名を残したとしても、後世のない世を残す訳には行かぬ。皆の者、武器を取れっ! 狙うは、私利を肥やす奸臣(かんしん)の右大臣、右大臣の手先に成り下がった東宮殿下、そして王の資格なき陛下のお命!」

 奥羽を出立した時すでに、朝惟には謀反の腹積もりがあったことを知らない、石丸も蜂起することに反対はしなかった。だが、謀反に失敗すれば、ただでは済まされない。その覚悟はあるのかと、朝惟が問いかけると、石丸はその少年ぽさの残る顔に、自信に満ちた笑顔を浮かべ、

「元より、お館さまに従うつもりで、奥羽よりお供したのです。覚悟など、とうに出来ております」

 と、答えた。若者の屈託のない笑顔と言葉は、朝惟を強く勇気付けた。

 すぐさま、朝惟は洛中の同志と謀り、謁見の翌日には志を同じくする観国(みくに)親王と西寺(さいじ)岳蓮(がくれん)法師を陣に迎え、彼の名の下に、親交を深めた各地の武士に、加勢の檄文(げきぶん)を飛ばした。

 観国親王は、今上陛下の甥に当たる人物であり、まだ十歳の少年ではあったが、聡明で慈悲深い人物であった。一方、西寺の住職主座(じゅうしょくすざ)の岳蓮法師は、「洛中の同志の一人」であり、日ごろから民のことを憂いていた。

 岳蓮の勧めもあって、朝惟は西寺を本拠地と定めて、その翌日に七条の荘園に火を放った。まさに、戦の口火を切ったのである。たとえ、都を炎で包んだとしても、この国と民を救うという、朝惟の固い決意の表われでもあった……。


 右近衛府に、桜たちが駆け込むと、庁舎の前庭にはすでに、三百名余りの右近衛の武官たちが整列していた。急ぎ、桜たちは五巫司の列の最後尾に加わる。五巫司の少女たちばかりでなく、舎人の男たちも皆、武具を纏い物々しい雰囲気にあった。三百人の緊張した空気が、ぴりぴりと桜たちの肌を刺す。

「よし、これで右近衛は全員そろったな」

 桜たちの姿を見止めた右近は、近衛兵の顔を一通り見渡すと軽く頷いた。

「事態は切迫しておるが故、手短に話す。皆の者、よく聞け。七条の荘園に火を放った反乱軍の総大将は、清浦朝惟。やつは、観国親王殿下を擁立し、恐れ多くも帝に対して反旗を翻した。すでに、都の七条以下は、反乱軍の制圧下にあり、兵部省の武官をはじめとする者たちが、これに応戦しているが、その勢いを抑えることはできていない」

 と、右近が状況説明をすると、整列する舎人の一人が手を挙げる。

「右近さまっ!! お尋ねしたきことがあります!」

「何だ、申せっ」

 右近の許しが出ると、舎人は敬礼を返した。

「清浦朝惟を監視していた者はいないのでございましょうか? やつは、かつて右大臣さまの怒りを買った人物。もしも、誰ぞ監視していたならば、こうもやすやすと都に火を放たれることなどなかったはずにございます」

「今は、宮中の事前策を批判したところで仕方がないが、貴様の言うことはもっともだ。どうやら、朝惟に通じている内通者が、都には潜んでいるらしい。その一人が、西寺の岳蓮法師であることは、すでに分かっている。清浦朝惟は西寺を本拠としているそうだ」

 と、右近が舎人の質問に答える。すると、今度は別の舎人が手を挙げた。

「しからば、私もお訊ねしたきことがありますっ!! 敵の軍勢は如何ほどにございましょう? 千人とも二千人とも聞き及びます。しかし、敵の正確な規模が分からねば、我々も戦うに戦えません」

「うむ。清浦朝惟が奥羽より率いて参った軍勢は、三千。これに、各地の兵が合流を果たせば、一万にも膨れ上がるであろう!」

「い、一万っ!? 我らの倍以上の戦力じゃないかっ」

 いつになく厳しい右近の表情と、一万の武士が集まるという言葉に、舎人衆も五巫司もざわめき立つ。相手は、戦闘の訓練を受け、実戦経験も豊富な侍たちである。それに引き換え、近衛をはじめとする宮中武官たちは、訓練こそ受けているが、武士と呼ばれる一門がこの世に現れて百年以上、軍務や戦のほとんどを武士に任せきりであったため、実戦経験は比して乏しい。それを、久しく平和呆けと呼ぶこともできるが、すでに朝惟たち反乱軍は、都で暴れているのだ。彼我の戦力差以前に、戦闘に一日の長がある武士一万人の反乱軍という恐怖は、より舎人たちの緊張感を煽る。

「ええい、静まれいっ!!」

 空気を震わせ、都中に轟きそうな右近の怒号が、ざわめきを払う。皆がぴたりと、静かになったのを見計らって、右近は咳払いをすると、

「我らのお役目を忘れたか。我らは、その身を賭して、内裏と陛下をお守りしなければならない。この使命を投げ出して逃げたい者は、即刻都より立ち去るがよい。しかし、逃げ出したものには、終世『臆病者』の烙印が与えられると、心せよっ!」

 と、怯える者たちを一喝する。しかし、誰一人として算を乱して逃げ出すものはいない。彼らには、日ごろより右近に叱咤され鍛え上げられた、つわものであるという自負もあるのだ。右近はそんな舎人衆を見据え、再び軽く頷いて見せた。

「異存なければ、これより、隊の編成を申し渡す」

 そう言うと、右近は次々に舎人たちに、手早く部隊の編成を伝えていく。そして、最後に五巫司の方に向くと、列の最後尾にいた桜を呼び寄せた。桜は小走りに右近の前に進み出る。

「実戦経験のない、そなたらうら若き娘たちに、戦の手伝いをさせることは忍びない。これも、我ら大人の不徳といたすところ……。しかし、そなたらも近衛の一員、その誇りを以って、戦ってほしい。これより、五巫司は本隊より独立し、七条大路以北の守護に就け。全二十名の指示は、桜、そなたに一任するものとする」

「わたしがですか!?」

 桜は耳を疑った。事態が事態とはいえ、五巫司を任されるとは思ってもいなかった。とてつもなく重責に足の震えを感じながら、桜は「無理です」と口にしかけた。しかし、右近はそれを遮るように、

「桜、そなたは自身が思うよりも、立派な近衛の兵になった。わしは、そなたら娘子たちが、近衛の一角を担うことに反対だった。だが、そなたの兵としての成長ぶりは、わしを驚かせた。その弓の腕も、まっすぐな(まなこ)も、五巫司を任せるに値すると思うておる。自信を持て」

 と桜を諭す。

「そなたらに命を捨てろとは言えない。なあに、難しく考えることはないのだ。市井(しせい)は今混乱を極めている。逃げ惑う者も少なくはないだろう。そなたらは、都に住む人たちや家族を護り援けるのだと思えばよい。そのためには、何をすればよいのか考えよ。自ずと答えはあるはずだ……」

 そう言って、右近は桜の肩に大きな手を乗せた。その言は、右近衛大将としての言葉ではなく、右五巫司の育ての親としての親心のように、桜は感じた。

「分かりました。そのご命、拝命いたしますっ!」

 桜は敬礼と友に返事を返す。依然として、重責に押しつぶされそうにはなるが、それにも増して五巫司への右近の期待を感じていた。

「よし、良くぞ言った」

 鬼のよう、と椿に形容された顔に笑みを浮かべ頷くと、右近は再び右近衛兵の方に向き直ると、再び近衛兵それぞれの顔を眺めた。そして、自らの手に握る朱槍を天高く突き上げて、

「右近衛、出陣じゃっ!!」

 高々に号令する。庁舎前が、「おう!」と、一気に歓声に包まれた。そして、歓声が止むと同時に、舎人衆が次々と、右近衛府の庁舎を出て行く。桜に先導された五巫司、二十名の少女たちもその後に続く。右近は皆が出陣する少女たちの背を見つめながら、一抹の不安を隠せなかった。

 朝惟が謀反を起こす前に、それを防ぎ、右大臣を制するだけの力がなかったことが悔やまれる。そして、まるでそのツケを、少女たちに負わせることは、あまりにも心苦しく思ってしまう。

「なんとも歯痒いものよ。真なる敵は、そちらではないと言うに。これでは、死地に部下どもを送り出しているに過ぎないではないか……」

 右近の意味深な呟きは、皆の足音にかき消されて、誰の耳にも届くことはなかった。もうじき、夜の帳が下りる。戦は始まったばかり。右近は槍を担ぐと、自らも隊を率いて、庁舎の前庭を後にした。

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