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第十三話 朝惟の帰還

 奥羽連峰から続く山道を西へ、戦装束の軍団が列を成して通る。がちゃがちゃと、鎧をこすり合わせながら大地を踏み鳴らす音に驚いた、野鳥や動物たちは皆、尻尾を巻いて逃げ出した。それだけの気迫とでも言うべき威容を、彼らは携えていた。

 その先頭を率いるのは、騎馬に跨る一団である。彼らは、甲冑こそ身に着けていないが、武官束帯の身なりから武士であることが分かる。そう、清浦朝惟である。

 九年前、桜に出会った頃は、どこか若さゆえに血気盛んでぎらついていた瞳に落ち着きが宿り、壮年らしい頼りある顔つきになっていた。それと同時に、烏帽子から覗く頭髪には、白いものが混じっている。ただ歳を取った、と言うだけではない。長い間、右大臣の圧力によって、北の大地に閉じ込められていた朝惟が、自分を見つめなおした成果でもある。

 元民部卿の文屋岑延が、奥羽に駐留する朝惟に(ふみ)を送ったのは、随分前になる。山河の緑が色づく去年の秋には、文を預かった民部卿の元下官の男から、その文を受け取っていた。しかし、奥羽の冬は厳しく、岑延の文に応えるためには、雪解けを待つほかなかった。そして、ようやく奥羽山脈にかかる雪が川となったのを見計らい、準備を整えた朝惟は自らの兵を率いて、都に向け出立した。

 朝惟は、奥羽に閉じ込められている間に、豪族の小競り合いを和睦と言う形で鎮圧し、その勢力を配下に収め、また、近隣の武士たちとの親交を深めつつ、兵を集めて鍛え上げていた。北の大地で研鑽(けんさん)を積んだ兵たちは、将から徒兵(かち)(歩兵)にいたるまで、屈強にして義に厚い。そんな彼らを引きつれ、遠路はるばる都を目指すには理由があった。

「お館さま、また文屋卿からの文を読んでいるのですか?」

 と、馬の背で笑うのは、まだ少年の名残が残る顔立ちの石丸(いしまる)と言う若者だった。出立してからもう、五度目。朝惟は度々懐より文を取り出しては、それを熱心に読む。もう、文面など総て暗記できているのではないか、と石丸は思う。

「なに、今一度、自分の行いに迷いがないか、確かめたまでのこと」

 そう言って、朝惟は深刻な顔をして、まるで石丸には見せたくないと言わんばかりに、素早く文をたたみ、懐へとしまいこんだ。そして、雲ひとつない淡い春色の青空を仰いだ。その空をひとつ越えたところには、懐かしい都がある。

「迷いがあるのですか……?」

 朝惟の口ぶりに不安を感じた石丸は、眉を訝しくひそめた。

「迷いがあると言えば、お前は信じるか? 本音を言えば、これほどの兵を率いて都に上るなど、九年前は想像もしていなかった。これから自らが行おうとすることが、都に住む者たちにとって、どれほどの意味を持っているのか、それを考えれば迷いもする」

 振り向けば、兵の列は遠く山の峰まで続いている。その正確な数を朝惟は把握していないが、ゆうに三千人は超える。これだけの兵を都に率いてゆけば、右大臣を刺激することは間違いないと、歳若い石丸にも分かる。

「しかし、お館さまが迷われていては、兵の士気にも関わります」

「なんだ、石丸よ。いっぱしの口をきくではないかっ! 我らは、なにも戦をするために都へ行くわけではない。文屋さまの文に応えるために都へ上るのだ。兵に士気はなくとも、数があればいい。右大臣めが、この兵を見て泡を食って平伏す姿が見られればな」

 朝惟は、そう言うと迷いを吹き飛ばすかのように高らかに笑った。それを聞いた石丸も、併せて笑う。しかし、朝惟の内心は笑ってなどいなかった。

 右大臣に威容を見せ付けるためだけと言うには、朝惟の兵は皆、士気が下がるどころか、意気揚々としている。それは、北の地で育った兵たちが初めて見る都に胸を躍らせているわけでも、古くから朝惟に使えてきた兵たちが望郷に嬉々としているわけでもない。

 将の中で最も若い石丸には話していないことだが、朝惟の胸の内には、ある種の覚悟のようなものがあった。その覚悟を与えたのは、岑延からの文であった。文には、彼らしい丁寧な文字で、羅城門に集まる乞食たちの現状、そして憂国の言葉が書き綴られていた。しかし、それだけで、朝惟は突き動かされたわけではない。すでに九年の間、いやもっとその前から、岑延と同じく憂国の念を抱いている。だからと言って、滝口の武士を罷免され、手勢のみで北国に閉じ込められた身としては、良い方策など見つかるわけもなく、このまま吹雪の中でくすぶって終わるのか、と常に自らをも憂いてきたのである。

 そんな朝惟に覚悟を決めさせたのは、壊れかけの文箱に入れられたもう一通の文であった。そこには、建前などなく、岑延の本心が書かれていた。

「あなたさまも良くご存知の通り、もはやこの国の命は尽きかけようとしています。我らはともに、左大臣さまを奉じて、われらが忠義を誓う帝を助け、右大臣の粗暴から守るため立ち上がりました。しかし、本当に右大臣めを宮中から取り除くだけでよいのでしょうか? わたくしは、そう思いません。なぜならば、右大臣が権勢をふるえるのも、帝が暗愚である所為です。われらが助けるべきなのは、暗愚なる王ではなく、弱き民たちではないでしょうか? もしも、わたくしの言うことが間違いだと思われたならば、この手紙は焼き捨てて下さい。そして、この国が亡国となるときを待ちましょう。しかし、清浦さまがわたくしめと同じ思いであるならば、たとえ忠節を裏切ってでも、この国を救うために、乞食に成り果てたこの文屋岑延に代わって、今一度お立ち下さいませ」

 文屋岑延と言う人間は、非常に温和であり、先代の天皇陛下の頃から忠義を尽くした、義理堅い男であった。そんな男から「忠節を裏切れ」と言われるなど、夢にも思っていなかった。朝惟は、そこに九年前の岑延はいないことを悟った。

 朝惟は自分のことを、元来忠義深い人間だとは思っていない。しかし、岑延の言う通り、九年前は「陛下のために」という御旗の元で、右大臣を追い落とすため、政変を図った。その結果は、もはや言うまでもない。しかし、今度は違う。陛下のためではなく、苦しむ民のため、陛下に対する忠義の心を総て捨て去る。それが、何を意味しているのか、重々承知の上で、朝惟は全兵を率いて、奥羽を後にしたのだ。

 それこそが、朝惟の秘めた覚悟だった。無論、その覚悟を棒に振ることになるのなら、それに越したことはない。右大臣が、朝惟の兵をみて腰を抜かし、考えを改めてくれたなら、今懐に仕舞い込んだ岑延からの文はすぐにでも焼却してしまえばいい。

 だが、もしもそうならない場合は、忠節を裏切ってでも、この国を救わなければ、民に残された時間は少しもありはしないだろう。そのことを、自らの権力欲に溺れた右大臣が気付いているとは思えない。そして、自らを高貴な者として、民と区別する右大臣は、下賎な民が総て死に絶えれば、自らの権勢は強まるどころか、なくなってしまうということさえ分かっていない。罪深く、哀れなことだと、朝惟は思う。

 しかし、その罪を背負うのは、右大臣ただ一人ではない……。

「次の山を越えれば、近江(おうみ)に入ります。そうすれば、じきに都が見えてきますね」

 石丸が遠方を指差して言う。石丸は奥羽の小さな(むら)の出で、都など見たこともない。彼の想像の中では、都はきらびやかな場所であり、朝惟が出立した本当の理由を知らないためか、都見物するのを楽しみにしている節があった。

「都か……ついに戻ってきたか」

 聞こえるか聞こえないかの小さな声で朝惟が、石丸の指し示す方を眺めて呟く。不意に、延々と続く街道の先に、土煙が見えた。目を凝らすと、そこにはものすごい勢いでこちらに向かってかけてくる、一頭の馬。その馬の背には、明らかに血相を抱えた男が跨っている。

「あれは、斥候に出した早馬ですね」

 石丸も、その姿を認めたのか、朝惟に言う。兵の列がまだ甲州を越えない頃に、放った早馬である。早馬には、文屋岑延への報告と、洛中(らくちゅう)(都の中)にいる同志に当てた文を持たせた。しかし、これほど早くに引き返してくるとは思っても見なかった。

 朝惟は早馬と合流するために、一時行進を止めた。すぐに、早馬は朝惟たちの下に駆けてくる。

「お館さまっ!! い、一大事にございまするっ!!」

 早馬の男はそう言うなり、馬を降りて朝惟の前でお辞儀をした。

「何事か?」と、朝惟が問いかけると、早馬の男は視線を逸らしながら「そ、それが……文屋岑延さまが……」と言いよどむ。

「文屋卿の身に何かあったのかっ!?」

 先に、石丸が声を上げた。早馬の男は、もう一度お辞儀すると、震える声で自らが見た羅城門前の光景を語って聞かせた。

 早馬の男が羅城門に到着したとき、すでに日が落ちており、夜空にはいくつもの星が瞬いていた。さっそく、早馬の男は、岑延を探したのだが、羅城門の前には岑延はおろか、人っ子ひとりおらず、代わりに不気味な鳴き声をあげる鴉の群れが、屋根に何羽も止まっている。朝惟の話では、百人以上の乞食たちがたむろしているはずだった。しかし、その乞食たちさえもいないとは、一体これはどうしたことかと思いながらも、ひとまずは洛中の同志のもとを訪ねることにした早馬の男は、そこで身も凍りつくような話を聞いた。

「二日前、東宮殿下自ら兵部省の兵を率い、羅城門の前で乞食どもを皆殺しにしたと!」

「なんとっ! 殿下が……」

 朝惟は我が耳を疑った。東宮と言えば、中宮藤子が産んだ、今上陛下唯一の男皇子、春のことである。朝惟は、滝口の武士として宮中に仕えていた仕事がら、春を何度も見かけたことがある。もっとも、それは九年も前の話。その頃の春は、気弱を絵に描いたような幼い少年だった。そんな少年がまさか……。朝惟は俄かに信じがたかった。

「何故そのようなことになったのだ!? 詳しく聞かせよ」

「それが、詳しいことは分かりかねるそうなのですが、同志が申されるには、なんでも乞食のひとりが、壬生大納言さまを殺害し、その罪を課すと言う名目で、東宮は罪のあるなしに関わらず、女も子どもも、年寄りさえも容赦なく、乞食どもを連座で一人残らず殺したそうにございます」

「壬生大納言さまを、殺害!? なぜだ、なぜそのような暴挙に出たのだ……、いや、それで、文屋さまはいかがなされておるのだ!?」

「文屋卿も、あえなくお命を落とされたそうにございます。今、羅城門前には乞食どもは一人もおりません」

 早馬の男は、ひどく青白い顔をしながら、辛そうに答えた。その顔を見ていれば、この男が冗談や戯言を言っているのではないことは、明白であった。朝惟は顔をしかめた。石丸は歯噛みして「東宮めっ!!」と空に向かって叫ぶ。

「いかがいたしましょう、お館さま。このまま都に進みますか、それとも奥羽へと引き返されますか?」

 早馬の男が問った。朝惟は髭顎に手を当てながら、

「遅かったか……遅すぎたか。もはや、いつまでも傀儡(かいらい)であるわけでもなし、やはり文屋さまの仰せられたことは、真であった。この国を守るために、敵を見定めるべきときが来たと言うことに相違なし」

 と、呟いた。その呟きの意味は、石丸にも早馬の男にも良く分からなかったが、朝惟の厳しい顔色に、お館さまが口にするであろう命令は、おのずと見えていた。

「このまま、都を目指し、西進するっ!! 全兵に伝えろ……ことの次第によっては、戦になると!」

 朝惟は、腰の太刀を引き抜いて、高らかに宣言した。すると、それを合図に、騎馬から徒兵にいたる、三千名以上に上る大軍から、歓声が沸き起こる。それは、雷鳴を思わせるほど、山の峰々にまで響き渡った。

 朝惟の軍が、都に帰還するのは、その日から五日後のこと。岑延たち乞食が無残に殺された日から、七日後のことであった……。

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