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第十二話 その優しさを

 都に夕闇が迫る。西の空が血の色を思わせるほど真っ赤に染まり、時折、(からす)の群れが不気味な鳴き声をあげ、ついに末法(まっぽう)のときが訪れたのだと、托鉢(たくはつ)の僧侶が声を上げる。朱雀大路を行き交う人々は、その異様な空を見上げずにはいられなかった。

 夕日が山並みに体の半分を隠す時刻になって、大路に地鳴りを思わせるほどの足音が響き渡る。見れば、大内裏の方から屈強な武者の一団が走り抜けてくる。皆、縅鎧(おどしよろい)を纏い、太刀、薙刀、弓矢といった武装に身を固めている。

 往来の人々は何事であろうかと、顔を見合わせて囁きあった。すると、やや遅れて武者の一団の後を追うように、騎馬が五騎ほど駆けて来る。人々は、撥ねられてはかなわないと、広く開けて騎馬に道を譲った。しかし彼らは、その先頭を率いる、一際派手な馬具を着けられた白馬を見逃さなかった。白馬に跨る武者もまた、目を引く真紅の緋縅(ひおどし)の鎧を身に着けているが、半首(はつぶり)(面)を被っており、その顔をはっきりと拝することは出来ない。ただ、緋縅の武者が一団を率いる長であるということだけは、はっきりとしていた。

 武者の一団は、都の人々の視線を釘付けにしながら、鬼のような形相で一心不乱に羅城門へと向かう。今度は、羅城門の前にたむろする乞食たちが、驚きの眼を向ける番だった。羅城門にたどり着いた武者たちは、朱塗りの巨門の前に、武具を構えて整列する。

「何事でございましょう?」

 と、乞食たちを代表するように、武者たちの前に歩み出たのは、乞食たちのまとめ役を担う文屋岑延だった。すると、列の中央を割り、一騎の騎馬が(いなな)きとともに、岑延に近づいてくる。

「元民部卿の貴様が、ここに集まる乞食どものまとめ役と聞く、相違ないかっ!?」

 漆黒の縅鎧を纏う馬上の武者は、髭面の男だ。岑延はその顔に見覚えがあった。内裏の軍事を司る、兵部省(ひょうぶのしょう)の卿に違いない。そうすると、ここに現れたこの武者の一団は、皆兵部省の武官たちなのだろうか? 岑延はぐるりと一団の顔を見渡した。どの武者も、武官らしく固い表情のまま、岑延たち乞食を睨みつけている。ふと、その一団の中、五騎の騎馬武者に一人だけ見慣れない、緋縅の武者がいることに、岑延は気付いた。はて、あのような派手な縅を身に着ける者が、兵部にいただろうか……。

「なにを黙っておるっ、相違ないかと尋ねておるのだ! 答えよっ!!」

 岑延が思案をめぐらせていると、苛立ちを露にして、兵部卿は声を荒げた。

「相違ございません……、兵部卿(ひょうぶきょう)さま」

 民部卿が、階位がひとつ下の兵部卿に頭を下げると言うのは、屈辱的なことではあったが、今は官位を剥奪され身分までなくした身としては、我慢するほかないと岑延は一欠片の自尊心を押し殺し、兵部卿に頭を下げた。

「ならば、ここに壬生大納言さまを殺めた者を連れてまいれっ! ここに下手人がいることは分かっているぞっ!」

 兵部卿が岑延に命じる。いつの間にか、武者たちの前には、百人近い乞食たちが群れをなすように集まってくる。その中には、件の与七もいる。それを知っていながら、岑延は頭を振った。

「そのような者、ここにはおりませぬ。もしも、いたとして、兵部卿さまはその者をいかがなさるおつもりなのですか?」

「乞食の分際で、問うてくるとは、無礼者め! 貴様は、大納言さまを殺めた下手人を連れてまいれば良いのだっ!! さもなくば……」

 と言って、兵部卿は腰に帯びた太刀を引き抜いた。夕日に照らされた刃は、赤く光り、まるで妖気でも帯びているかのようだ。

「まず手始めに貴様を、斬り殺してくれるっ!」

 兵部卿の言葉に、俄かに怯えた悲鳴が起こる。しかし、卿は気にも留めず、馬上から冷たい刃を岑延の首筋にあてがった。

「三つ数えるまで待ってやろう。文屋の首がつながっている間に、出て参れ、下手人!」

「出てこずともよいっ! 老いぼれの首ひとつでかたが付くならば、わしの首などくれてやるわっ」

 算を乱す乞食たちを一喝するように、岑延は叫んだ。その声に、逃げ出そうとしていた者や悲鳴を上げる者たちが一斉に静まり返る。

「いい度胸だ、元民部卿どの……ひとーつ!」

 兵部卿はことさらに「元」を強調しながら言うと、乞食たちを睨みつけながら数を数え始めた。

「ふたーつ!」

 だが、誰も名乗りを上げない。上げない代わりに、与七のことを兵部卿に突き出す真似もしない。ただ、固唾を呑んで、状況が変わることを天に祈るのみ。

「みっつ!」の声とともに、兵部卿は太刀を振り上げた。つい十日ほどまえ、桜という少女に救われた命だが、あそこで曽根少納言の息子とやらに斬り殺されなかったのは、今日という日のために、神仏が生かしてくれたのだと、瞳を閉じた岑延は思った。

 ところが、兵部卿の太刀が、岑延の首を斬り裂く前に、乞食の群れの中から声が上がった。振り降ろされた太刀は、寸でのところでぴたりと止まる。

「お待ちくだされ、兵部卿さまっ!! わしが、この与七こそが、お捜しの下手人にございますっ!!」

 群れを掻き分けて、巨躯の男が兵部卿の前に姿を現した。岑延が振り返るまでもなく、声だけで与七だと分かる。

「文屋さまは、わしのしたことは何にも存じ上げておられません。すべて、わしが一人でやった事ゆえ、何卒文屋さまをお(ゆる)しくださいっ」

 与七は懐から、壬生大納言の命を奪った、短刀を取り出し、自らの足も遠くと、その場に土下座した。すると、兵部卿の傍に控えていた、武官の一人が小走りに与七に駆け寄って、その短刀を拾い上げて兵部卿に手渡す。

「身分不相応な凶器よな」

 と、小さく言って、兵部卿は受け取った短刀を鞘から引き抜いた。鞘に引っ掛かりがあるのは、刀身が手入れされておらず、錆び付いているからに他ならない。そして、その錆は壬生大納言につけられた刺し傷にも付着していた。それは、与七が壬生大納言を殺害した張本人であるということの証拠だった。

 兵部卿は馬の首を返すと、「ご検分ください」と、短刀を緋縅の武者に差し出す。緋縅の武者は何も答えずに静かに、短刀を取り上げると半首の奥の瞳を細め、じっとさび付いた刃を見つめた。

「無礼を承知で、申したいことがありますっ!!」

 与七が検分の隙を見て、土に額をこすりつけながら言う。

「どうか、このやせ細った皆の顔をご覧下さい。皆、食う物もなく、ひもじい思いをしております。昨日も七人、飢え死にいたしました。それでも、わしらがここに居座っているのは、天子さまに、いや都に住む皆様に、知ってもらいたかったからです! 一歩この都を出れば、諸国のあちこちで飢えや病に苦しみ、沢山の人たちが明日を生きることなく、死んでおります。わしが壬生大納言さまを殺めたのは、追い詰められた者がいかなる行いに出るのか、それをあなた方に知っていただきたかったからに、他なりません! 今一度、ここにいるものだけでなく、この国の総ての貧しい者たちのことを考え直してくださいませ!」

 最期の懇願、悲鳴、それとも中傷。どの言葉も当てはまらない。眼窩もくぼみ、頬も削げ落ち痩せた者たちを背景にした、与七の叫びを黙して聞いていた緋縅の武者が、おもむろに馬を寄せる。そして、馬上よりこの巨漢を見下ろし、

「では、どうすればいい?」

 と、こもった声で尋ねた。思わぬ問いかけに、与七は呆然としてしまう。

「は? それは……わしは無学ゆえに難しいことは良く分かりませぬ。しかし、賢くも貴族の方々ならば、我ら貧しき者を救う知恵がおありの筈です」

「そなたは、言いたいだけのことを言って、何も方策はないと申すのか? 自分たちが助かるために、問題はすべて為政者に押し付けて『後はお前たちで、何とかしろ』と言うのは、容易いことよな」

「いえ、けしてそのようなつもりではありません!」

「口では何とでも言える。そなたは貧しき者のために何をした? そなたは訴えが聞き届けられない腹いせに、壬生大納言を殺すしか出来なかったではないか」

 そう、吐き捨てるように言うと、緋縅の武者は短刀を投げ捨てた。乾いた音とともに、短刀は与七のもとに転がっていき、切っ先を与七の鼻先に突きつけて止まった。

「貴族が賢いから、貴族が何とかしろ、そう言って何も変わらなければ、そなたは次に誰を殺す? 大臣か? それとも帝か?」

「め、滅相もございません。わしはただ……」

 与七は青ざめた顔で頭を振る。

「俺は神仏ではない。そなたたちが、俺たちの命を狙うならば、この国の毒となるのならば、そなたたちをこの世から消し去るのみ。それが、『何とかする』ということだ!」

 半首から覗く瞳が、鈍色に濁る。緋縅の武者は自らの太刀を引き抜ぬき、高くそれを振りかざした。

「乞食どもを、皆殺しにしろっ!!」

 と、緋縅の武者が声を張り上げると、一斉に武器を構えた兵部省の武官たちが、雄たけびを上げる。

「おのれっ!」

 与七は緋縅の武者が投げ捨てた短刀を手に取った。皆殺しなどさせてたまるか、と与七は刃を繰り出すが、武官の太刀はそれよりも早く、与七の首筋を薙ぐ。一瞬の間があって、ごろりと与七の首が落ち、残された体から、血飛沫を噴き上げた。

「与七っ!」

 岑延は、若者の名を叫んだ。しかし、彼からの返事が返ってくることはない。

「兵部卿さま、何卒、何卒、お許しください。壬生大納言さまを殺めた与七と、それを止められなんだ、この文屋岑延にだけ、罪を問うて下され。他のものは、罪などございません。ゆえに、何卒、我が首でご勘弁くださいませっ!!」

「フンっ! 乞食に成り下がった貴様の首と、その薄汚い与七とか言う死体とで、大納言さまを殺めた罪が(あがな)えると思ったら大間違いぞっ!」

 と、兵部卿は言うと、緋縅の武者の前に進み出て、その手の太刀で岑延の腹を突き刺す。岑延はうめき声ひとつあげることなく、その場に崩れ落ちた。

「者ども、かかれっ、皆殺しじゃっ!!」

 兵部卿の掛け声とともに、羅城門が、地獄に変わる。抵抗する術を持たない乞食たちは、武官の手にかかり、次から次へと(たお)れていく。どれだけの時間、悲鳴と肉を絶つ音だけが、羅城門の前を埋め尽くしただろう。

「逃げる者は、弓矢を射掛けろっ!」

 逃げ惑う男は、無数の弓矢で射殺され、うめき声を上げながら死んだ。

「女、子どもとて容赦するなっ!」

 赤子を抱きしめてうずくまる母親は槍で赤子もろともひと突きにされ、悲しみの中で死んだ。

「たてつく者は、斬って捨てろ!」

 武官に食って掛かろうとする若者は与七と同じように首を()ねられ、無念の叫び声をあげて死んだ。

「助けを願っても、誰も来ぬぞっ!!」

 天を仰ぎ、何度も何度も神仏に助けを請う老婦は、無情な薙刀で一刀の元に斬り殺された。

 あまりにも、むごたらしい。もしも、端でその光景を見ていた者がいたとしたら、そう口にしたに違いない。兵部省の武官たちには、情を殺して、命令のままに乞食たちの命を奪っていく。門前は、朱塗りがごとくドロドロの血の海となり、空に夜の帳が降り始める頃には、死体が累々と折り重なった。

「乞食どもの掃討、終わりましてございます」

 血のにおいに顔をしかめながら兵部卿が、白馬に跨る緋縅の武者に報告する。聞くまでもなく、目の前に広がる惨状をみれば、そこに五体満足に立っている乞食など一人もいない。

「鴉どもが集まってきたな……」

 緋縅の武者が、羅城門の屋根を見上げて言った。先ほどまで空を飛んでいたはずの鴉が、血のにおいをかぎつけて、屋根の上に整列している。その、小さな眼は、こちらを伺っているかのようだ。

「後はお前たちに任せる。乞食どもの亡骸は、人目につかぬよう何処かに葬ってやれ」

 と言いつつ、緋縅の武者は自分が太刀を握ったままだと気付いた。その刃には一滴の血も着いていない。彼は、ただ、じっと武官たちが乞食を殺戮していく姿を静観していた。結局自分は何も出来なかったのかと、半首の奥で自らを嘲笑した緋縅の武者は、太刀を鞘に収め、馬の背から下りた。

 どこを見渡しても、死体、死体、死体……。男も、女も、老人も、少年も、少女も、赤子も、皆息絶えているはずなのに、絶命の瞬間に見開いた眼が、こちらを見つめる。緋縅の武者は、胸苦しくなった。ともすれば、吐き気さえも込み上げてくる。

「くそっ! なんで、こんなに気分が悪いんだっ」

 そう言って、緋縅の武者は半首の紐を千切り、投げ捨てた。

「おお……やはり東宮殿下であらせられましたか……」

 かすれたような声がした。それは、亡霊の声のよう。驚いた緋縅の武者……春は視線をめぐらせて、声の元を辿る。声の主は、春の足元で口元から血を流し、虫の息で春を見つめていた。

「文屋……」

 春は声の主の名を呼んだ。

「殿下、ご自分の手を御覧なされ」

 岑延は地に伏したまま、春に向かって言う。春は思わず、自分の手を覗き込んだ。

「ぼく……俺の手がどうしたと言うんだ?」

「よく御覧なさい。ご自分の手が、赤黒い血で染まっているでしょう?」

 と、岑延は弱弱しく言うのだが、春の手はおろか、体にも太刀にも岑延の言うような血は着いていない。そもそも、春は一度も太刀を振るってはいないのだ。

「死に際に戯言を。もはや、あの世とこの世の区別もついていないのか、文屋よ」

「戯言だとお思いですか、殿下。あなたの御手は、見た目には血で汚れておらずとも、その心は我らの血で汚れている……お気付きになられませぬか」

 そこまで言って、岑延は口からどろりとした血の塊を吐き出した。それでも、続ける。

「あなたさまは、何が正しくて、何が間違っているのか、ちゃんと分かっておられる。与七が、壬生大納言さまを怒りに任せて殺めてしまったことは、大いなる過ち。しかるに、ここで殿下が百もの乞食の命を奪ったのもまた過ち」

「ならば、どうすればいいっ! どうすれば良かった! 文屋、死ぬ前に教えてくれ」

「死に行く老いぼれが教えることなど、何もありませぬ。ご自身の心に聞きなされ。その優しき心が、汚れきる前に」

「分からぬっ! ぼくは何度も考えたっ! そして得た答え、これこそが最善っ。貴様たちのような、ただ政道を批難して吼えるだけの乞食がいなくなれば、この世は自ずから、前を向くっ」

「それで、真にこの国を、民を滅びから救うことが出来ますか? もしも、そう思うなら、そのお腰の太刀で、この老いぼれに止めをさしなされ!」

 岑延が眼光鋭く、春を睨みつけた。春はその視線にすくむ思いがした。ゆっくりと、腰の太刀に手を伸ばす。かちりとはばきが外れるが、それ以上太刀を引き抜くことが出来ない。

「殿下、いかがなされた。傷ついた老いぼれ一人殺めるなど、造作もないこと……」

「だ、黙れ、文屋っ!! 貴様など放っておいても、鴉どもに(つい)ばまれて、すぐに死ぬ。ぼくが手を下すまでもない」

 そう言った春の声は上擦っていた。すると、岑延の厳しい表情が俄かに和らいだ。

「いや、殿下。あなたさまは、その太刀を抜くことが出来ない。あなたさまは、とてもお優しい方だ……。この文屋岑延、よく分かっておりますぞ。どのように、夜叉の面を被ろうとも、あなたさまの優しさはご自身にも隠し通せない」

「黙れっ、黙れっ! 黙ってくれっ!!」

「殿下……、どうか、その優しさを忘れぬよう。この老いぼれからの、最期の頼みにございます」

 と、岑延は言い残し、そっとその瞳を閉じ、息を引き取った。春は、柄を握り締める手に力が篭り、小刻みに震えているのに感づいた。それが、恐れなのか、それとも怯えなのか、春には分からなかった。

「ぼくに優しさなんか、いらないっ!」

 と叫び、春は渾身の力で太刀を引き抜き、それを両手で握り締めて、岑延を突き刺す。しかし、もう息のない岑延は悲鳴のひとつも上げない。空しく、刃が肉を切り裂く感触だけが、春の手に残った。


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