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第十一話 葬列

 譲葉の父親である、壬生大納言が雨に煙る夜道で殺害されているのが発見されたのは、譲葉が桜を訪ねる少し前のことだった。私用で出かけた大納言が、帰宅しないことを不審に思った、壬生家の下男が朝一番で検非違使の詰め所に駆け込み、捜索を頼んだ矢先、森を通る街道で壬生大納言とその従者の遺体が発見された。

 邸宅に戻った譲葉は、寝殿の母屋に横たわる変わり果ててしまった父の姿に、嗚咽とともに涙を流した。かけがえのない父親を失ったと言う事実は、この世の終わりにも勝るほどの悲しみとなり、譲葉の胸を締め付けた。突然降りかかった悲劇を、何と理解すれば良いのか、戸惑う気持ちもあり、またこれが現のことでなければ良いのにと願うのだが、苦悶の顔で絶命した父の亡骸が目の前から消えることはない。

「誰が、一体誰が、お父さまをこのような目にあわせたというのですか?」

 譲葉は、父の無残な死に顔から目を逸らすことなく、兄に問いかけた。父亡き後、大納言の地位と壬生家を継ぐのは、三つ年上の譲葉の兄である。兄は男ゆえに、涙こそ流しては居なかったが、譲葉の肩に添えるその手は、小さく怒りに震えていた。

「分からぬ。今、検非違使どもが下手人(犯人)を探している。宮中では、亡き左大臣の息がかかった者による、政治的な暗殺ではないかと噂している。まるで、父上の死を悼むどころか、疑心暗鬼に駆られているだけだ」

 死装束を纏った父をじっと見据えながら、兄はことのほか低い声で言う。それは、さも父の死を悼むこともしない宮中の官吏たちを腹立たしいと、言いたげであった。

「せめて、父上がもっと沢山のお供を連れて行けば、こうならなかったのかと思うと、それが悔しい」

「お兄さまは……もしや、その下手人に復讐などお考えなのではありませんか?」

「まさか……そのようなことは考えておらぬ。父上は、大納言の権力に胡坐(あぐら)をかくだけの愚かなお人。殺されても仕方がない」

 と、兄は譲葉の問いかけに答えたものの、それが本心でないことを譲葉は気付いていた。確かに、壬生大納言は権力を傘にして、横暴を働くような人物。そのくせに、右大臣には従順に振舞う。兄も譲葉もそういう父のことを少なからず、軽蔑していた。しかし、二人の父としては悪い人ではなかった。むしろ、子煩悩な良き父である。才気溢れる兄に、期待をかけていたし、譲葉を東宮の春に嫁がせようと考えたのも、右大臣との結びつきのためだけではなく、娘の幸せを父なりに考えてのことであった。

 そんな父のために、兄は復讐を考えている。譲葉は、兄の横顔を見ながら不安に思った。兄の顔が修羅に歪む瞬間を見たくはない。父を殺した相手は譲葉にとっても憎いが、その憎しみに兄が囚われてしまうことが怖い。それが、心優しい譲葉の素直な思いだった。

「心配するな、譲葉よ。今はまだ、下手人の正体も分かっておらぬし、なにより父上を安らかに眠らせたい……」

 妹の不安そうな顔に気が付いたのか、譲葉の兄は静かに言った。

「そうですね……わたしはお母さまの様子を伺ってまいります。一番気落ちされているのは、お母さまでしょうから」

「うむ。そうしてくれるか、譲葉。女のお前のほうが、母上を慰めて差し上げられるだろう。私は、もう少しここで父上を悼みたい」

 と、うつむき加減に言う兄に、譲葉は頷き、頬に伝う涙のあとを袖でぬぐうと、腰を上げた。父が死に、母が悲しみのあまりただ泣き崩れている今、兄と自分が気丈にならなければならない。悲観にくれるのはその後でもいいのだ。

「譲葉」

 母屋を後にしようとした譲葉を兄が引き止める。

「何ですか、お兄さま」

「こんなときに言うべきではないけれど、喪が明けたら、必ず東宮殿下との婚儀、盛大に行おう。それが、お前と殿下の婚姻を望んだ、父上の願いだろう。その方が、父上も喜ぶはずだ」

 兄は振り向くことなく譲葉に言ったが、譲葉は何の返事も返すことなく、静かに母屋を出て行った。兄に何と答えれば良いのか、譲葉には分からなかったのだ。本当は兄の言うとおり、譲葉と春の婚儀を楽しみにしていた父のためにも、喪が明けたならすぐにでも、東宮と婚儀を挙げるべきなのだろう。しかし、それは桜を裏切ることになる。出会って交わした言葉も少ない桜に、妙な義理立てする必要はないように思えるが、譲葉は素直に兄の言に従うことは出来ないと思っていた。

 何故なら、春の瞳は自分を見ていても、どこか目の前にいる譲葉を見てはいない。そんな気がしてならないのだ。桜は「そんなことはない」と言い切ったが、その不安と焦燥感は春に会うたびに感じていた。しかし譲葉は、どんなときにも大納言の娘としてではなく、婚約者として優しく接してくれる春のことを好いている。それゆえに、父や壬生家のためにと言う理由で婚儀を済ませるのではなく、真に春の視線を自分に向かせた上で夫婦になりたいと思っている。だから、桜に「勝負だ」と言ったのだ。もしも、春の心が桜にあるのなら、自分は潔く身を引くつもりだった。

 自分は、自分のために動くべきなのか、それとも父のために動くべきなのか。一方は、桜と言う少女を裏切り、一方は父を裏切ることになる。そのどちらの選択肢も、譲葉にとっては同じくらい選びたくはなかった。せめて、父が殺されると言う悲劇が起こらなかったならば……。譲葉は対屋に居る母の元へと向かう廂を歩きながら、そんなことばかり反芻していた。


 疑心暗鬼に陥っていた宮中の高級官吏たちは、譲葉の兄が言ったとおり、誰一人として壬生大納言の死を悼む者はなく、犯人探しに躍起になっていた。盗賊の仕業か、それとも政治的暗殺か。宮中では憶測と疑念が右へ左へと飛び交う始末。そのため、壬生家に弔問に現れる者はほとんどなく、つつがなく葬儀は執り行われた。大納言という高官の葬儀にしては、あまりにも寂しく物悲しい。

 そして、翌日。左京一条三坊にある、壬生家から長い葬列が、代々の墳墓がある鳥辺野(とりべの)へ向かって続く。その葬列を、都の人々に混じり、往来の隅で桜は見送った。

 桜が壬生大納言の死を知ったのは、譲葉が帰った後に見舞いに現れた、椿の口からだった。

「壬生大納言さまが、何者かに襲われたそうよ!」

 と、血相を抱えて言う椿は、何処か他人事のようだった。椿は壬生大納言と会ったこともなければ、顔も知らない。それは桜も同じことだが、桜は大納言の娘である譲葉を知っている。そして、椿が来るよりも先に彼女は現れて、恋敵だと言うのに桜を気遣ってくれた。

 そんな譲葉の身に悲劇が起きた。今度は自分が、辛い思いをしているに違いない譲葉のために、声を掛けなければいけないのではないか、と桜は思い、いても立っても居られなくなった。布団を押しのけて起き上がるものの、風邪と熱の所為で、体の節々は痛むし、肺の奥から咳が出て喉が焼け付きそうになる。ともすれば、立っているのもやっとで、目の前がぐらついてしまう。

「そんな体で壬生さまのお屋敷に行って、どうするの、桜っ!」

 椿に窘められて、桜は止む無く布団へと舞い戻ったものの、椿が去った後も譲葉のことが気になって仕方がなかった。その夜は、一睡も出来ず、ただじっと月明かりの下で、譲葉が届けてくれたサクラの布袋をみつめていた。

 元来健康だけが取り得だと思っている桜は、明け方誰よりも早くとこを出ると、風邪が治って居ることを確認し、香子たちに見つからないうちに素早く小袖に着替えて、屋敷を抜け出した。右京の三条五坊にある屋敷から、壬生家の邸宅までそれほど遠い距離ではないが、朝のまだ冷たい空気に晒されていると、

「わたしが、譲葉さまのところへ行って、一体何が出来るというのだろう」

 と気付かされる。口の上手いほうではない桜にとって、悲しみに暮れているであろう譲葉に気の利いた言葉をかけることは出来そうにもない。きっと突然の葬儀で右往左往している、壬生家の邸宅にお邪魔したところで、本当に邪魔なだけで、何も出来ない。

 そんな迷いを胸に、一条と三条の間を行ったり来たりしているうちに、壬生大納言の葬儀は終わり、しめやかな葬列が、邸宅を出る時刻となってしまった。

 都の人々は皆、両手を合わせ、葬列を見送る。その誰もが、壬生大納言の死を悲しんでいると言った風ではない。それは、壬生大納言がそれほど人望に厚い人物ではなかったと言うことの表れなのだと、桜は感じながら、葬列の中に、譲葉の姿を見つけた。

 譲葉は、桜には気付いていない。まっすぐ前を見つめながら、ゆっくりと歩く。穏やかで大人しい印象の彼女にはとても似合わない、凛とした気丈な顔つき。まるで、ひたすらに父親の死を悲しみたいと言う気持ちを隠しているかのようだった。

 そんな譲葉の姿を見た桜は胸が詰まりそうになった。あくまで、葬列を歩く少女は恋敵であって、椿や茜のような友人ではない。しかし、だからと言って、憎しみのある相手でもない。むしろ、椿たちとは違い、同じ相手を好きになった者同士、より近くに感じる相手なのだ。そんな、敵であり同志でもある少女の身に災難が降りかかった。譲葉が塞いでいる今が却って好機、と呼べるほど桜の性根は曲がってなどいない。

「よもや天子さまのおわす、都の近隣で人殺しなど起きるとは、世も末かねぇ」

 桜の近くにいた男がぼやくように言った。その言葉は、桜に向けられたものではなく、男の独り言だった。しかしそれを耳にした、男の隣で手を合わせる女房らしき女が、

「なんでも、下手人は羅城門にたむろしている、乞食どもだって、専らの噂だよ。ほら、大きな男がひとりいるだろう? ……名前は確か与七とか」

 と、まるで噂話に花でも咲かせたいかのように、軽く陽気な声で言う。彼女にとっては、目の前の葬列など他人事なのだろう。

「お前、そんな話、どこで聞いてきたんだ?」

「どこでって、この前、ウチに物乞いに来た乞食から直接聞いたんだよ。与七って奴が、大納言さまを殺したって言ってたってね」

 得意げに夫に話して聞かせる妻に、男は呆れ顔と溜息を返した。

「まったく、あれほど乞食に恵んでやるものはないと言っているのに、お前という奴は、話し相手なら誰でもいいのか? ……まあ、それはさておき、検非違使にはそれを話したのか?」

「いやだよ、おまえさん。とっくに検非違使なら、それくらいのこと調べが付いてるさね。今頃は、与七っていう乞食を引っ捕らえてる頃じゃないのかい」

 と男の妻は、葬列を尻目に言った。それはあくまで、男の妻の推測に過ぎなかったが、現に、検非違使たちは大納言を殺害した犯人に行き着いていた。

 事件の現場は、当日の雨によって、もみ合った足跡はおろか、大納言や従者の血まで洗い流しており、犯人の足跡を追うことは到底難しく、このままではみすみす、犯人を逃してしまう恐れがあった。しかし、殺されたのは、高級官吏の「大納言さま」とあれば、検非違使たちは面子に掛けて、躍起になって犯人の足跡を捜した。すると、現場から少し離れた森の奥に、墓らしき盛り土を発見。「墓らしき」と言うのは、あまりにみすぼらしく、墓標の代わりなのか木切れが刺してあるだけで、墓と呼ぶのもおこがましいものだったからだ。検非違使たちは事件との関連を疑い、そこに、先日までそのようなものがなかったことを確認してから、墓を(あば)いた。中から出てきたのは、勿論金銀財宝などではなく、二つの遺体だった。ひとつは、背中を袈裟に斬られ手織り、もうひとつは右腕が根元からばっさりと斬り落とされていた。その汚らしい身なりだけで、二人とも乞食の類であることは一目でわかる。

「壬生大納言さま殺害の下手人は、乞食どもである」という確信を得た検非違使は、すぐさま内裏にその旨を報告した。そして、最終的にその報告を受け取ったのが、右大臣と東宮であったことを、男と妻は勿論のこと、桜も知り得ないことだった。

「お公家さまってのも大変だな、命を狙われたりするなんてなぁ。でもまあ、何にせよ、俺たち平民には関係のないことだがな」

 葬列が過ぎていったのを見計らうように、男が口にした。まるで、それを合図に葬列を見送った群衆が、散らばっていく。桜は、都に住む人たちにとって壬生大納言の死は、その程度のものに過ぎないと言う現実を知ったような気がした。

 しかしまた、桜自身も譲葉の父が殺されたと言うことが、後々に自身にとって大きな運命の岐路になると言うことを、このとき想像もしていなかった。今はただ、自分の心にかかる雲を晴らしてくれた恋敵の悲しみを癒してやることさえ出来ない、無力な自分に幾ばくかの苛立ちを感じながら、屋敷への帰途に就くだけであった。

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