最終話~警部補冬野麻美~鬼の瑞樹~Final~
「……ったく…くえねぇ男だなぁ?あんたとそっちのバカ女の親父ぁよぉ……大半の奴がちっと大金握らせて…龍神会の名前だしゃあ手のひら返したように尻尾振っきやがるのによぉ……」
これが、奴の吐いた最後の暴言だった。
この暴言の直後だった。
奴は、完全に鬼の化身となった瑞樹ちゃんの一撃を喰らい完全に意識を失っており、それを背にして、鬼の化身から十六歳の少女の身体に戻った彼女が、返り血塗れのままあたしの前にその両手を差し出していた。
「麻美さん!お嬢はまだ十六歳になったばかりの未成年だ……あっしが身代わりになります!」
返り血塗れのまま、終始無言であたしの前に両手を差し出し座り込む瑞樹ちゃんの傍ら、矢も盾もたまらない感情に苛まれて、彼、里中弘二さんがあたしにそう進言したときだった。
終始無言だった彼女が、一瞬だけ彼をぎろりと睨んだ後、おおよそ十六歳になったばかりの少女とは思えない腹の底から絞り出すような声音で彼にいった。
「……弘二さん……あたしが何も知らないとでもお思いかい?あんたたち兄弟だったんだねぇ……麻美さんのお父さんの四課の課長時代と…あんたたち兄弟がうちに来た日からの初代龍神一家の解散……ちょうどドンぴしゃなんだよねぇ……一家をつぶされた復讐でもたくらんでたの?けどそんなこたぁ今ぁどうだっていいよ……けどこの場合悪い事したなぁあたしなんだぁ……これ以上麻美さん困らせちゃいけないと思うんだよねあたし……」
最初こそ、表情険しく彼を見ていた彼女だったけど、徐々にその表情は薄れ最後は十六歳の少女そのままの声音に戻った彼女が彼を見て、深く頭を下げ、そしてまた、あたしにも深く頭を下げると、再びあたしの前に両手を差し出すのだった。
「……ったく…お嬢にゃ叶わねぇなぁ……最初ぁ確かに俺等兄弟…冬野さんへの復讐しか考えてなかったですよぉ……けどこりゃまた妙なものでしてねぇ…お嬢や浅香の御大に接するうちに復讐なんてバカげたこと考えるよりゃあ浅香一家の看板に命預けてぇ真人間に戻れと…麻美さんの親父さんぁ俺等に教えてくださったんだと…今ぁ思っております……ですからお嬢!これから一家の二代目になられるお方を傷ものにするわけにはまいりません!」
再び終始無言であたしの前に座り込む彼女。
瑞樹ちゃんに手錠をかけるか否か、みんなの視線を一心に受けて、彼女の逮捕に踏み切れないあたしに、再び弘二さんがそう進言した。
「……弘二さん…今の言葉ぁそっくりあんたたち兄弟にかえすよ……あんたたちぁもう…関東龍神会の人間じゃないんだぁ……あんたたちぁもう…うち等ぁ浅香一家の人間だぁ……子分の面倒一つまともに見れねぇ奴に二代目ぁ任せられねぇ……うちの親父の性分からすりゃあそう言って怒んだろうねぇ……おとなしく控えめに見えて…以外に激情家だったりするからねぇ……あたしの父親…浅香達将って男はさぁ……」
再び彼女の口から発せられたとても若干十六歳の少女とは思えない発言に、逮捕宣告を忘れ、手錠を持ったまま、呆然と立ち尽くすあたしに、彼女はいそいそと走りよってきて、あたしの手から手錠を奪うと自分から左右の手に手錠をかけるのだった。
「……瑞樹ちゃん…すべての真実が明らかになった以上貴女は無罪放免よ……すべてはこの男の企み事……それで問題ありませんよね…冬野丈一朗署長…冬野深雪副署長……」
あたしは静かにそう進言すると、自分の前にいる父親と母親に敬礼をして、二人の目を静かに見据え、彼女の手からはずした手錠を今度は、無理矢理たたき起こした谷崎圭吾元巡査長の手にかけるのだった逮捕宣告とともに。
「谷崎圭吾元巡査長!殺人未遂ならびに殺人教唆の容疑で逮捕します!」
あたしに手錠をかけられ、あたしとともにこの現場に踏み込んでいた、警視庁捜査四課の課長に就任した、一ノ瀬里緖警視率いる一ノ瀬班に奴、谷崎圭吾の身柄を引き渡したときあたしは、未だこの現状に納得できていないのか、物言いたげにあたしを見据える奴の背中にとどめの一言を投げてやった。
「谷崎さん…貴方の我欲に塗れたサツ官人生も今宵限りですね……貴方が己の欲望のために犯してきた罪の数々しっかりと刑務所で反省してくださいね……」
あたしがそう、奴に引導ともとれる一言を投げた直後事態は、急変するのだった。
あたしの背後にいた、仲間だと信じていた捜査四課の刑事達が、一斉にあたしに拳銃を向け、さらには、父親の説得に応じたはずの里中兄弟までもが、あたしに殺意の眼差しを向け、あたし達親子は完全に孤立したかのように見えたのだが、四課の刑事達と里中兄弟の殺意を込めた視線はなぜか、あたしの二人目の母親である冬野深雪に向けられていた。
「……やっと本性あらわしやがったなぁ…この女狐がぁ……参事官に施設から養子にもらわれてきたなんてのもぉ…冬野さんの前の奥さんに感謝してるってのもぉ全部すべて…あんたのでっち上げだぁ……麻美ちゃん…すまなかったな?あんな軽薄な態度とっちまってよぉ……あんたの親父さんはぁ間違いのねぇ名刑事だよぉ……」
事態の急変に静まりかえる事件現場。
加えて、この一連の事件のキーパーソンだと思われた彼、谷崎圭吾さんの口から語られる事の真実。
頭の混乱しかけたあたしの前で彼が、集まった警官隊の銃砲火の露と消えた瞬間だった。
この惨憺たる現状を、無機質な瞳でみていた二人目の母親。冬野深雪の瞳に一瞬だけ残忍な勝ち誇ったような笑みを見た時あたしは、いままでに感じたことのない、そしてまた、一生忘れえぬほどに抑えようの無い怒りの感情に見舞われ、そこに集まった警官隊と刑事達を問答無用で血祭りにあげて、その修羅さながらの様相のまま、親子の契りを交わしたはずの二人目の母親冬野深雪に猛然と襲いかかっていた。
「とうとうバレちゃったわね……あたしの本性が……けど彼も愚かな男よね……このままあたしの言うとおりにしていれば死ぬこともなかっただろうし…巡査長まで落ちた階級だってもう少し我慢すれば戻れたのにね……」
彼女がそう悪態をつき、自分に襲いかからんとする修羅の化身と化したあたしに四課の刑事のみが所持を許されている大型拳銃を発砲しようとした刹那だった。
「……深雪さん…何の魂胆から…あたし達親子に近づいたの?谷崎さんにあんなくだらない三文芝居までさせて?」
あたしはそう言うと、瞬時に詰めた間合いから彼女の懐深く潜り込み、大型拳銃を持っ彼女の右手を、たたき折ろうとしたのだが、彼女もまた、四課の夜叉姫などと呼ばれた女。
あたしが手首を折ろうとした刹那にあたしは、至近距離から、手痛い鉛玉の一撃を喰らうのだった。
「貴女のお父さんにわからせてやりたかったのよ!あたし達警官だって一人の人間よ……ありもしない完全無欠の正義なんて夢見事…提唱する貴女のお父さんにね!」
この時の彼女の暴言で、すべての事情が理解できたあたしは、彼女に受けた弾傷の痛みを凌駕するほどの怒りの感情に見舞われ、気がつけば、彼女の頚椎に渾身の力を込めた手刀をたたき込んでおり、彼女の首の骨が折れる嫌な音共に、口から血煙を吐き絶命する彼女を無機質な瞳で見る、修羅の化身と化したあたしが、そこにいた。
「……お見事です……麻美さん……」
彼女、浅香瑞樹ちゃんはそう言うと里中兄弟と並び、あたしの前に傅き三人揃ってあたしに両手を差し出すのだった。
そして、あたしの身体から修羅の化身が離脱したとき、その廃工場は鼻を突く血の匂いと死臭漂う惨憺たる場所へと変わっており、その場に生き残ったのはあたしとあたしの父親。
そして瑞樹ちゃんを筆頭にした二代目浅香一家の面々だけだった。
「……すまなかったな麻美ぃ……真実を語ってやれなくて…すべては奴の意思だ……純粋すぎるお前には…自分が悪役に徹することで誰が本当の悪なのかを見極めさせたかったのかもな……」
修羅の化身から、素の自分に戻ったあたしは、その返り血塗れのまま実の父親であり、警察組織上の上官でもある冬野丈一朗警視の前、無言で両手を差し出すあたしに彼が、深く頭を下げてくれた。
「……父さん!頭を上げて!今の父さんにはあたしに頭なんか下げるよりも先にやらなきゃいけないことがあるでしょう?目の前にいる大量殺人犯を逮捕するというね!……けどその前に…あたしからも謝らせて……せっかくここまで育ててくれたのに…すべて台無しにして……本当にごめんなさい……」
これですべての思いをみんな、父親に告げたつもりだった。
もう二度と陽の当たる場所には戻れないことも、あたしはそれだけの罪を犯してしまったのだ。
それもこれもすべて、あたし個人の責任。
だからなのかもしれない。
実の父親が手錠をかけなければならないのが実の娘という悲劇。
父の心労を考えると、娘のあたしとしては頭を下げずにはいられなかった。
「…被疑者…冬野麻美……大量殺人の現行犯で逮捕する!」
父は時折こみ上げる物を必死にこらえて、あたしの両手に手錠をかけるのだった。
Fin