四話~警部補冬野麻美~鬼の瑞樹~④~
それからしばらくして、深雪さんは予告宣言どおり、今までの自分の全てのキャリアを捨て、父の良き妻として、そしてまた、あたしの良き母親として傷の癒えた父と娘のあたしを健気に支えてくれていた。
「……なぁ信楽…おまえはやっぱり警視庁に戻れ……俺は前妻一人満足に守れなかった駄目な男だ……そんな俺と一緒になって今までのおまえの輝かしい経歴にキズをつけることなど俺には出来ない……」
もうすっかり傷も癒え、退院を明日に控えたある日の夕暮れ時、東署再建に向けて奔走してくれたその帰り道、自分の病室を訪れたあたしと深雪さんに父は、静かに彼女の警視庁復帰を促した。
「冬野さん……あたしの気持ちに変わりはありませんよ……あたしも今頃になってやっと…あたしを突き放した父親の意図がわかったんです……人を信じる心に鍵をかけ…自暴自棄になってたあたしを冬野さんの部下にしてくれた意図が……そしてあたしが警察学校の教官として教場に立ち貴方の娘さんに会ったときに気づいたんです……あたしはただ…自分の弱さに負けてただけだって…あたしのキャリアなんて丈一朗さんと麻美ちゃんに会わなかったら元々なかったような物……それに何よりあたしの父も貴方と同じです……このまま警視庁に戻ったとしたら烈火の如く怒ると思いますあたしはそんな大恩ある貴方に取り返しのつかない過ちを犯してしまった……お願いです!あたしの残りの半生!貴方達親子の傍に置いて頂けないでしょうか?!」
最初は控え目に話していた深雪さんだったけど、最後はもう、感極まったのだろう。
彼女は病室のベッドに半身起こした状態の父の前、病室の床に額がこすれるくらいに頭を下げ号泣していた。
「父さん…あたしなら平気だよ……もし父さんが母さんの時の事気にしてるんだったらそれも平気だよ!今はただ…深雪さんの本気の愛を受け止めてあげて……警察学校時代…深雪さんだけだった……あたし達教生の事本気で心配してくれて熱のこもった実地訓練……今あたしが警察官としてここにいられるのも 全部…全て深雪さんのおかげだと思ってる……こんな無敵に素敵な女性があたしの母親なんてなって喜ばない娘がどこにいんのよぉ!」
父が明確な応えを出すまで、彼女はおそらくいつまででも頭を下げ続けただろう。
そんな彼女の健気さがあたしの感情を刺激したのか、あたしはそういうと、頭を下げ続ける深雪さんを抱き起こして、病室のベッドの父を軽く睨んだ。
「いやはや…まいっなこりゃあ……娘にまで後押しされちまったらよぉ鬼の丈一朗もお手上げだぁ……信楽…おまえの気持ち酌んでやれなくてすまなかったな……これからぁ娘共々家族としてよろしく頼む!」
やはり父は、純情で純粋で、少年がそのまま年齢だけ重ねたような、そんな人だ。
今回だって娘のあたしの一睨みで応えを出した辺りは実際どうかとも思いはするが、こんな性格の父だからこそ、老若男女問わず多方面の人から好かれるのだろう。
されど、そんな昭和のど真ん中を駆け抜けた人を父親にもつあたしと深雪さんは、最高に幸せ者な娘なのではなかろうか。
そんなふうに思えてならない。
それから数日後、父の退院日に合わせて、両家顔合わせからの結納と話しは進み、後は披露宴を残すのみとなった父と深雪さんだったのだけど、浅草商店街での事件も完全解決に至った訳ではないことから、事件完全解決を目処に披露宴のはこびとなるはずだったのだけど、事件はまだ、終わってはいなかった。
あの時あたしが逮捕した鮫島以下四名は慎二さんからの圧力もあってか一貫して罪を認めたのだけど、この件で管理官の地位を追われ、階級も父と同じ警視から、交番勤務の巡査長に降格となった谷崎圭吾だけが、自分に科せられた処分は不当だと訴えだしたことで、この事件はまた、再び暗礁に乗り上げていた。
そしてまた、あたし達の周りでもこの頃を境に、不可解な事案が頻繁に起こるようになっており、また、あたし達親子と家族の契りを結んだはずの深雪さんに奇行が見受けられるようになったのも、この頃だったような気がする。
「……母さん!こんな時にどこ行ってたの?最近の母さん変よ……まるで自分の過去を消そうとしてるみたいだけど…家族の契りを結んだあたしと父にも話せない事でも?」
シラをきられるのは充分理解していたけど、この頃のあたしには、彼女の行動事態が理解できず、彼女の奇行の頻度が増し出した頃、思いきって彼女に問いかけてみた。
「……まったく…相変わらずの感の良さね……けど哀しい物よね?警察官の家族って……人を疑うことしか教えてくれない警察機関……あたしも正直絶望したわ……そんな時だったの…あたしの父親が貴女のお父さんを紹介してくれたのは……奇しくもちょうど冬野さん前の奥さんを亡くされた直後だったみたいで……あたしの転属初日も挨拶もそこそこに事件現場に駆り出されたりしたけどどれもこれも今は良い思い出よ……良い警察官になったわね…麻美ちゃん……別にあたしの過去を消そうとしたわけでも貴女達親子に話せない訳なんて何も無いから…あたしの今までの奇行の全てを話すわね……」
彼女、旧姓信楽、今はあたしの新しい母親てもある、冬野深雪さんが、時折涙ぐみながら自身の今までの奇行の全てを話してくれたのは、あたしの父、冬野丈一朗が新たに署長になり、その功労者として、深雪さんが副署長になり、再び動きだした浅草東警察署の屋上に設けられた喫煙スペースだった。
「……今の現状から鑑みるに貴女達親子に一番危害をもたらしそうな人物と言えば…感の良い貴女ならすぐにわかるわよね……そう…あの男よ……谷崎圭吾…あの男の要領の良さずる賢さにもって生まれたかのような巧みな話術は警視庁随一と言っても過言じゃないわ……そのあたりを思慮しながらあたしなりにあの男の背後関係を調べてたのよ……ごめんね…麻美……こんな時に余計な気をもませちゃって……けど安心して麻美…何があろうと貴女達親子には指一本だって触れさせない!必ずあたしが守る!」
深雪さんはそう言ってあたしの瞳を一際強く見つめて、夜のとばりにその身を踊らせた。
「待って母さん!あたしも行く!母さん独り危険な目に合わせて得た幸せなんてあってないようなものだから……あたしも行く!あたしと父はそんなの望んでなんかいない!」
母親であり、あたしの父と同じくらいに信頼のおける上官でもある冬野深雪警部。
独り危険な綱渡りを試みようとする彼女を、あたしは放ってはおけず、彼女の後に続こうとしたのだけど、あたしは突然背後から何者かに、あたし達警察官が常に携帯している三段式の特殊警棒のような物で延髄を殴打され、不覚にもあたしはその場で意識を失っていた。
それから数分後、あたしが意識を取り戻したのは東署の医務室のベッドの上だった。
「……麻美ぃおめぇ…んな感情昂ぶらせた状態で深雪のアシストができんのかぁ?あの時仮に深雪の後を追って行ってたとしたら…おめぇは間違い無くくたばってただろうなぁ……果たしてそんな事…あいつがどう思うかな?
麻美ぃ頭を冷やしなぁ……あいつへのアシストぁこの署内からだって充分できんだからよぉ……」
薄れていたあたしの意識が徐々に鮮明になった頃、あたしの寝かされていた医務室のベッドサイド、腕組みをした父が、ただでさえ厳めし顔をさらに渋く歪めてあたしに言った。
「……父さん……いや違う!冬野丈一朗署長!私!冬野麻美警部補は感情に流されたまま取り返しのつかない過ちを犯すとこでした!ご指摘!ありがとうございました!」
意識のはっきりと戻った時、あたしは寝かされていたベッドから飛び起きて姿勢を正すと、眼前に座る父親でもあり、上官でもある。冬野丈一朗署長に敬礼をするのだったが、父に喰らった特殊警棒の一撃は、あたしの身体にかなりのダメージを与えていたようで、あたしはまた、そのままベッドに倒れ込んだ。
「……やれやれ…世話のかかる娘だなぁおめぇはよぉ……今はゆっくり休め麻美ぃ……あっと言い忘れてたがなぁ…俺がこの部屋を出た瞬間に動き出そうとしても無駄だからなぁ……達将のオヤジんとこの瑞樹ちゃんがおめぇの見張り約兼看病を申し出てくれたからよぉ……それからぁまぁなんだなぁ俺が撃たれてから今日に至るまでおめぇは本当によく頑張ってくれたからよぉ……このさい骨休めだと思ってよぉ…瑞樹ちゃんとのんびり浅草観光でもしてこいやぁ……東署の事ぁよぉ…俺と深雪に任しときなぁ……」
父はそう言うと、まるで悪戯が成功した少年ののようににんまりと意味深な笑顔で医務室を出て行き、それと行き違いに、瑞樹ちゃんが弘二君裕二君の兄弟と一緒に、この医務室に入ってきた。