三話~警部補冬野麻美~鬼の瑞樹~③~
「お前等!何の真似だ!私に銃を向けるとは?」
彼、谷崎圭吾管理官はそういうと、捜査官達の行動に狼狽えた。
「人望が無いって哀れなものよね……それにあたし達は貴方の指示で来た訳じゃないしね……あんたの奇行を察知して冬野さんと娘さんの麻美さんから連絡もらったのよ!跡は貴方次第ね……とわ言え貴方の選べる選択肢は二つしかないけど……このままおとなしくあたし達に投降するか?それともこのままあたし達の放つ熱い鉛玉のシャワーを浴びるかのね……」
狼狽える彼をよそに、無機質な声音でそう言ったのは、あたしの父の跡を継ぎ、現在の警視庁組織犯罪対策部捜査四課の課長を勤める信楽深雪さんだった。
「……信楽…お前だってあの人の捜査方針にはずいぶんと苦労させられたクチじゃないのか?何の魂胆からあの親子のイヌに成り下がった?」
この男、本当にバカじゃなかろうか。
この信楽深雪という女性は、常々バディを組む事を好まなかった父が、ほぼ信用の欠片も持ち合わせない四課の中で、唯一誰よりも信用をおいていた女性である事も、自分自身が誰よりも父に迷惑をかけていた事も忘れて、彼はただひたすらにあたしの父の愚痴を彼女にこぼすだけで、それを聞く彼女の顔にも、露骨に苦痛の色が伺い知れた刹那だった。
「……あたしゃ警察官になってこの方…あんたほど恩知らずって言葉の似合う男!見たことが無いねぇ!谷崎圭吾管理官!所轄のハコ詰めになるのは貴方の方だ!この浅草東警察署は!あたしと冬野さん!そして…冬野さんの娘さんの麻美さんの三人でゼロから立て直す!」
彼女、信楽深雪さんがそういって、セーフティロックを外し撃鉄を起こした拳銃の引き金にそっと指を添え、それを引こうとした刹那だった。
一人の男性が、彼女と谷崎さんの間に割って入り、深雪さんの拳銃を離れた弾丸は至近距離から、その間に割って入った男性、つまりはあたしの父、冬野丈一郎の身体を撃ち抜き、あたし達親子が現状の窮地を知り、商店街に戻った数分間の出来事で、あたしは全く思考回路が追いつかずただひたすらに、涙に歪む自分の視界にやがて命尽きよう父の姿を映すのがやっとだった。
「……ふ…冬野さん?なんで?どうして……?」
拳銃を放り出して、父に駆け寄る深雪さん。
開襟シャツを真っ赤な血に染めて、膝から崩れ落ちるように倒れる父、哀しくて仕方ないはずなのに、本当は泣いて縋りつきたいのに、父が一番信用していた人間に撃たれたという現実が受け入れられず、ただ、ただ命尽き逝く父の姿を見守るだけで、あたしの足は盤石の如く動かなかった。
『……これが…数時間前に父さんの言ってた……俺の屍を乗り越えろって事?』
深雪さんの迅速な対応から、呼ばれた救急隊員によってストレッチャーに乗せられ、酸素吸入の処置が施され、警察病院に搬送される父を見送りながら、呪文のようにそうつぶやくと、父に付き添い救急車に乗り込む深雪さんに深く頭を下げ、未だに不当逮捕を喚く鮫島達と、東署の署長である、谷崎圭吾さんの前に進み出て、彼等の目を真正面から見据えて声高らかに宣言した。
「鮫島小次郎以下四名!営利業務妨害及び!恐喝罪により逮捕します!それから!谷崎圭吾管理官!貴方には警察庁より連絡があるまでご自宅にて謹慎していただきます!」
そして、一時間後。現場に残った東署刑事課の面々とあたしは、事後処理と現場の後片づけにあたっていた。
「麻美…ここはもういいから警察病院に行って……」
あたしだって本当は、本音を言えば深雪さんと一緒に警察病院に付き添いたかったし、父の傍に居てやりたかった。
けれど、頑固一徹で、捜査の鬼とまで言われた父が、これくらいの事で自分の傍に縋りついていたんじゃあ、あの人の事だ、実の娘で女のあたしだって構わず鉄拳制裁をくらうのはわかっていた。
だからあたしはあえて父の病院には付き添わなかったのだ。
「里緖さん…心配してくれてありがとう……けど…あたしは病院には行かない!今あたしがあの人の傍に行けば…あの人は烈火の如く怒るわ……冬野丈一朗というあたしの父親はそういう人なの!」
あたしの心情を心配して、そう声をかけてくれたのは、ほぼあたしと同時期に捜査一課から深雪さん率いる捜査四課に転属した一ノ瀬里緖という女性だった。
「……麻美は強いね……そして…麻美は冬野前課長の一番の理解者なんだねって当たり前かぁ親子だもんね……」
最終的な事後処理が終わった頃、彼女、一ノ瀬里緖は何か物憂げな様相でそう言うとまた、ここまで乗って来たであろう自前の大型バイクにまたがると、フルフェイスのヘルメットをかぶりバイクのエンジンを始動させた。
警察車両として、特別なチューンナップが施されているであろう彼女のバイクからくり出される低い排気音が、まるで間近でドラムロールを聴いているかのように、あたしのすきっ腹に重く響いた。
「あぁあもう!お腹すいたぁ!」
里緖さんのバイクが走り去った後、突然あたしが奇声にもにた言葉を発するものだから、残っていた東署署員始め、商店街の面々がクスクスと笑い出した頃、再びまた、達将さんの屋台から焼き鳥を焼く良い臭いが漂い、いよいよあたしの腹の虫が限界ですと言わんばかりに、盛大に鳴るのだった。
「やっぱ血は争えねぇってとこですかねぇ……おぅ瑞樹ぃこいつをちっと何か気の利いた入れもんに入れてよぉお嬢さんに持たせてやんなぁ?」
達将さんはそう言うと、瑞樹ちゃんが屋台の奥から探し出して来た無地で木目調の重箱に、焼き鳥数一〇本と、下の段には山盛りの白ご飯を詰めた物をあたしに渡してくれた。
「……達将さん…これって……」
あたしは達将さんから渡された重箱を見て言葉をなくした。
何故ならそれは、まだ幼かったあたしが父の帰りを心待ちにしていた、母親を亡くして間もない頃よく父親が自分も腹ペコだろうに、重箱の中身にはほとんど手をつけず狭い社宅に持ち帰っていた物だったのだ。
「……嫌な事…思い出させちまいましたかねぇ……さっきのゴタゴタで何とかまともに物が詰めれるモンがありませんでねぇ……」
彼もまた、あたしの父親と同じく無口で不器用で武骨な生粋の露天商だ。そんな彼の不器用で武骨な優しさが、その時のあたしの涙腺を崩壊させていた。
あたしは瑞樹ちゃん達も居る前だったけど、流れる涙を止める事が出来ず、何の衒いも無くただただ、声を上げて泣いていた。
そしてあたしは、一旦今一人で暮らす独身寮に戻り、シャワーを浴びて今日の汗を流すと、軽く身なりを整えて警察病院に向かっていた。
先ほど達将さんが詰めてくれた重箱を持って。
そして、警察病院に入り父親の病室が近くになるにつれ、あたしも徐々に緊張してきたのだが、父の病室前まで来たあたしは息を整えて深呼吸してから、部屋のドアをノックして自分の名前と階級を伝え部屋の中からの反応を待った。
「……へぇんなぁ……麻美だろ?」
警察病院最上階にある特別室が父親、冬野丈一朗に割り振られた部屋だった。
あたしが部屋に入ると、すでにそこには先客がいた。
「……深雪さん…なんで貴女が父の病室に?」
あたしもまだまだ子供だなとは思ったのだが、この時になって初めて、父を撃った深雪さんが父の病室に居る事と、彼女に対する怒りの感情がよみがえりそうになったのだが、あたしは努めて冷静に彼女に問いかけた。
「……貴女にお詫びがしたくてね……貴女のお父さんに無理言って待たせてもらってたの……貴女のお父さんを撃ってしまった事人としても…ましてや警察官としては絶対あってはなら無い事だしお詫びのしようすもないんだけど……せめての罪ほろぼしに貴女達親子のお世話…させてもらえない?こんな時にこんな事言うのもなんだけどあたし今の全てのキャリアを捨ててでも貴女のお父さんの傍に居たいの……」
深雪さんからの父に対する突然のプロポーズともとれる発言が飛び出したのは、正直あたしも最初は驚いたけど、あたしだってそこまで子供じゃない。
それに何より、そういう深雪さんの瞳からは父に対する真っ直ぐな思いが決してぶれる事の無い思いがひしひしと感じられたから。
「……深雪さん…じゃない…じゃあこれからは深雪さんの事…お母さんって呼ばなきゃですね……父一人子一人で今日まで来たあたし達なんで多々ご迷惑おかけするとは思いますがよろしくお願いします!」
彼女のその真摯な態度にあたしの小さな迷いは欠片も無く消え去っていた。
このお話、もうしばらく続きますm(__)m