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9.叔父たちの最期

ご覧いただきありがとうございます。

 

「ラライヤ嬢、それはあなたとあなたの家族の問題だろう。恨みをぶつけるならば、侯爵家から勘当されるような行いを繰り返した父親に対して怒ればいい。ミレイユを巻き込むな。責任転嫁も甚だしい」


 厳しい口調で言ったアルバート様に重ねるように、ルディック殿下……いや、もう陛下か……が私に語りかけた。


「ミレイユ・ブレイトス侯爵令嬢。ブレイトス侯爵家は魔王に与した当主を輩出したという面で、大きな泥を被ってしまった。しかし、同じくブレイトス家の娘である君がその魔王を倒す一役を買い、三百年ぶりの薔薇乙女にも選ばれた。それをもって、泥は(そそ)がれたものとする。……ただし、後の処理などが色々と残っている状況で君に継承させることは難しいから、ブレイトス家は一度王家の預かりとさせて欲しい。これは私の判断だ。君にはとても申し訳ないが……」


 鼻の奥がツンとした。怒りや悲しみではなく、感謝で。ルディック陛下は、自分が盾になって私を庇おうとしてくれている。


 私は10歳半ばで両親を亡くしてから、ずっと叔父たちの配下に置かれ、奴隷のような扱いを受けて来た。当然、侯爵家当主になるための、あるいは婿を取って侯爵夫人になるための教育も実務も、ほぼ何も習得できていない。礼儀作法なども勉強途中だったし、覚えかけていた貴族名鑑や土地の情報なども変わってしまっているだろう。貴族の子女は専用の学園への入学を強く推奨されているものの、強制ではない。当主の判断によっては自宅学習も許容されており、当たり前だけれど叔父が私を学園に通わせてくれるはずがなかった。


 一応、清掃という言い訳を用意して書庫に入り、叔父たちの目を盗んで埃をかぶっている書物を読み、基本的な法律や伝記、教養などは自習していたけれど、そんな付け焼き刃たかが知れている。そもそも、魔王の監視下にあったならば私の動きはきっと筒抜けだっただろう。でも叔父たちが何も言わなかったのだから、その程度無駄な努力だと陰で嘲笑っていたか、泳がせておいて時機を見計らって厳罰を与えてやろうと思っていたのかもしれない。……あるいは、何の脅威にもならないと思った魔王がそもそも伝えていなかったのか。


 真相がどうであれ、今の私がこの混迷状態にある侯爵家を背負う当主となっても、まともな判断や仕事なんかできるはずがない。お飾りの人形として言われた場所にサインするくらいが関の山だし、周囲の皆に余計な負担がかかるだけだ。本当に侯爵家のことを思うならば、無理に私が継ぐよりも王家の手に委ねるべきなんだろうと思う。


「きっと事後処理の中では、今の君が知るにはあまりに辛いことがたくさん出てくるだろう。だから、諸々の整理と君の身辺状況が落ち着くまで王家が管理させて欲しい。……多少時間はかかってしまうかもしれないが、時が来れば正当な後継者である君か、あるいは君の夫もしくは子に権利を戻すことを想定している。侯爵家を取り潰すわけではないから、先代の娘である君の身分は侯爵家の娘のままだ」


 天恵を失った叔父とラライヤは、侯爵家の相続権は剥奪される。親等を考えれば、他に権利を持つのは私だけ。

 この場合、私が当主になるか、婿入りした私の夫に継いでもらうか、私が他家に嫁した場合は私の子が相続することになる。この国の法律では、嫁いだ娘の子にも母親の実家の相続権が発生するから、私が絶対に侯爵家に残らなければいけないわけではない。そういう規定は割と緩やかだ。ただ、私が当主にならない場合は一時的に侯爵位が空くから、その時は王家から当主代行としてしかるべき管理者が派遣される。


 私を真っ直ぐに見つめるルディック陛下が、真摯な眼差しで続ける。


「侯爵家のことは決して悪いようにしないと約束しよう。だから、今まで一人で背負ってきた重荷をこちらに渡してくれていい。君は本当によく頑張った。これからは自分の幸せを考えていいんだ」

「……殿……陛下のご恩情に感謝申し上げます。貴族の爵位は国王から臣下へと授けられるもの。理由が生じた際は王家にお返しする、あるいは管理を委ねることは当然であり、法にも則った処置でございます」


 私はお父様とお母様から習った作法を思い出しながら礼をした。ラライヤがぎゃんぎゃんと騒ぐ。


「何言ってるのよ、侯爵家の次代は私の子が継ぐの! アンタやアンタの子なんかに渡さない――きゃああ!?」


 耳障りな声を断ち切り、突如として大地が振動した。地面にぽっかりと大きな円形の穴が開く。音すら吸い込んでしまうような深い闇の中から、うねうねと不気味に蠢く蔓のようなものが大量に生え出ると、天恵を失った者たちを次々と絡め取った。


「あ、あれは……地底の奈落(タルタロス)の蔓では」

「神に見捨てられた者を引きずりこむという、伝説の……」


 悪い子にしていると奈落から蔓がくるよ、といえば、大抵の子どもは大人しくなると言われている地獄への誘いだ。先ほど討たれた王……もう先王だけれど……の魂も、この穴の奥底にある奈落に落とされただろう。


 再び天から声が降り注いだ。


 ――魔に魂を売った醜き背神者たちよ。天の裁きを受けよ。


「きゃああああ! 私は何も悪くないわ、どうして、どうしてよぉ! 助けてえぇぇアルバート様、そんなグズよりラライヤの方がいいでしょぉ、ねぇぇ!?」

「ミレイユ、助けてくれ! 私が悪かった、もうお前を粗略に扱ったりしない! やっぱりお前を愛してるよ、これからは大事にするから神に取りなしてくれぇ! 薔薇乙女ならできるだろう!?」

「くそくそくそぉぉっっ! 地底の奈落(タルタロス)など嫌だああぁぁ! 私だってあの魔王に騙されただけなんだ!」

「やめて、やめて! 行きたくない、嫌よー!」


 ラライヤ、カザール殿下、叔父と叔母が半狂乱で絶叫している。同じく蔓に巻き付かれた都の貴族と神官たちも、嫌だと悲鳴を上げていた。でも、今になって縋り付かれたって私にもどうしようもない。既に正式な裁定が下されてしまっているのだから。というかカザール殿下、やっぱり愛してるよって……ナニイッテルノ?


 さらに蔓は外にも伸びていき、ブレイトス家の使用人たちを捕まえて戻って来た。侍女長に家令、メアリーやポールをはじめ、私を散々に痛め付けた者たちだ。


「私たちの天恵が消えちゃったのよ!」

「お嬢様、お助け下さい!」

「ほんの出来心だったんです、ミレイユお嬢様!」


 他にも、王に与していたがこの場にはいなかった人々が次々と連れて来られる。


「た、助けてくれ!」

「私の花が消えたわ!」

「金ならいくらでも出す、何とかしてくれぇ!」


 口うるさく騒ぐ彼らを、蔓は容赦なく穴の中に引きずり込んでいった。天恵を持っている人々は、各自の聖玉と聖花が輝いて蔓を退けている。


「ちくしょおおおぉぉぉ! どうして、どうしていつもアイツばっかりいい思いをするんだ! 父上も母上も、使用人も皆アイツばかりチヤホヤしやがって……俺は何で次男に生まれたんだ……アイツのスペアなんて……いやだ……俺は……俺、なのに……」


 そう怨嗟を吐きながら、最後に吸い込まれたのは叔父だった。もがいた手が穴から飛び出して虚空をさ迷い、一瞬後に暗闇の中に引きずられていった。周囲を徘徊していた蔓がシュルルルと床を滑って穴の中に戻っていき、暗闇が閉じる。何事もなかったように、元通りの土肌が現れた。数瞬だけ沈黙が流れる。


「……都と周辺の様子の確認を。今の蔓が皆に見えていたのであれば、騒ぎになっているかもしれない。蔓は既に去ったこと、天恵を持っている者は大丈夫だということをよく周知せよ。混乱や怪我人が生じていれば対処するのだ」

「はっ」


 いち早く気を取り直したルディック陛下の指示に、幾人かの貴族と神官が飛び出していく。地方に追われる前は民にも広く慕われていた、人望篤い者たちだ。

 王座の交代と同時にあのような蔓が現れれば、事情を知らない者たちは新たな御世を不安に思うかもしれない。でも、広間を出ていった者たちの説明に加え、先ほど聞こえた神々の声、天恵を持っている者は誰も襲われなかったこと、それに陛下のサファイアが以前にも増して美しく輝いている様などを公開すれば、きっと懸念は払しょくされるんじゃないかと思う。


「ミレイユ」


 アルバート様が私の方に向き直った。


「僕と父上は、これから事後処理と各方面の対応に向かう。君のことは母上が采配して下さるし、マリアにも必要な指示を出してあるから、何も心配しなくて大丈夫だよ。あとは、君も僕たちも死亡扱いになっているから、戸籍の復活手続きとか、色々なこともしないといけないしね。バカバカしい冥婚ももちろん白紙にするよ」


 そもそも、書類上では故人となっているルディック陛下が王になることも、現時点では不可能だと思う。でも今回に限っては、次代の王になることについて神の許しと承認を得ており、その証である宝器を賜り、空が晴れ神が声を降ろすという形での祝福が起こったので、天命であるとして特別にこの場での即位が可能になった。

 これからの説明を簡単にしてくれたアルバート様は、一度言葉を切ってから再度唇を開く。


「……だから、本当はそういった処理が済んでいない今言うのはおかしいんだけど……ごめん、どうしても待ちきれない。正式な申し入れは後日行うとして、ここでも言わせて欲しい」


 そして、ダイヤモンドの剣を掲げ、私の前に置いて跪く。白い輝きが雪をまぶしたようにきらきらとしている。


「ミレイユ・ブレイトス侯爵令嬢。私、アルバート・フレイルは、この場においてあなたに婚姻を申し込む。神に授かりし我が聖玉に賭けて、あなたを生涯幸福にすることを誓う」


 え……。


 頭が真っ白になり、私は両手で口元を押さえた。

 今、何て言ったの?


 揺らいだ視界の隅で、ルディック陛下とセイラ妃がこちらを注視している。


 こんいん?

 わたしがあるばーとさまとこんいんするの?

 私が、アルバート様と、婚姻……。


 心の中で繰り返した途端、ぎゅうぎゅうの満杯になった宝箱が弾け、中に詰め込んだものが勢いよく飛び出すかのように――幼い頃の大切な思い出が胸の中にあふれ返った。


 共に手を繋ぎ、侯爵邸の裏にある森をかけたこと。

 泥だらけになるまで遊び回って、それぞれの父親にこってり絞られたこと。

 殊勝に俯いてお説教を聞きながら、こっそりと舌を出し合って『また遊ぼうね』と唇だけ動かして笑い合ったこと。

 それに気付いたお父様たちにもっと怒られて、でも二人とも瞳の奥は優しく微笑んでいたこと。

 邸でクッキーを焼いていたセイラ妃とお母様が、お説教は終わりにしましょうと呼びに来てくれて、皆で丸テーブルを囲んで美味しいお茶とお菓子に舌鼓を打ったこと。


 そんなことを繰り返すうちに胸の奥で少しずつ育てていた、淡い初恋の種。カザール殿下の婚約者となり、アルバート様の事故死の報を受けて以来、それは私の聖花と共に芽を出すことなく死んでいった。でも、確かに残る記憶の灯火は、その後の辛く苦しい環境の中で凍えそうになっていた私をいつも瀬戸際で温め、励まし続けてくれた。

 そして、一度は潰えたその種が薔薇と一緒に息を吹き返し、今まさに咲き誇ろうとしている。


「……で、ですが、まともに教育を受けて来なかった私が、この混乱の中で王子妃になっても……」

「貴族の娘、そして王族となるに必要な教養はこれからきちんと伝えていく。君はもう17歳なんじゃない、まだ17歳だ。今からでも遅いことなんかない、大丈夫。それに、10歳まではご両親からきちんと教えを授かっているから、基礎となる幼児教育や初期教育は身に付いているはずだしね。勉学の機会も含め、君が奪われたものはこれから責任を持って返していく。僕も全力で君を支えるよ」


 恐る恐る口にした懸念も力強く払しょくされ、口を押えた両手の間から嗚咽交じりの声が漏れる。


「ぅ……ぁ……」


 ああ、やっぱり私はアルバート様が好きなんだ。

 ずっとずっと好きだった。


 でも私は、こんなに満ち足りていていいのだろうか?

 芽無し、死に種といつも罵られていた私が?

 都合のいい夢を見ているだけなのではない?

 これは現実? 本当に叔父たちはいなくなって、私は……解放された?


 ああ、私は……私は今まで辛かった。生きているのが嫌になるくらい苦しくて痛くてたまらなかった。毎日が嫌で嫌で、逃げ出したくて、どうしようもなくて。でも泣くこともできなかった。泣いたらあいつらに笑われるから。あいつらが嬉しそうな顔をして、もっと酷いことをしてくるから。だからずっと我慢してきたの。


 ――でも……ねえ、私幸せになっていいの? 幸せになれるの? ……幸せになりたい。なる!


 ぽろぽろと大粒の涙があふれて頬を伝い落ちる。決壊した濁流のように押し寄せる安堵と歓喜に思考が押し流され、ぐちゃぐちゃになる中で――唯一しっかりと立ち続けていた柱があった。

 それはアルバート様への想いだ。凛と開花したその思慕は、荒れた海のような感情の中でも見失うことはない。


「…………ます」


 喉から絞り出した声は余りに小さすぎた。息を整えて、もう一度。お腹に力を入れてはっきりと、皆に聞こえるように。


「アルバート・フレイル王子殿下。私、ミレイユ・ブレイトスは、我が聖花と共にあなたの申し入れをお聞きしました。あなたとの婚姻を、お受けいたします!」

ありがとうございました。



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