8.新しい御世の始まり
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一瞬の沈黙の後、凄まじい絶叫が爆発した。
『ッグアアアァァァ!?』
黒い光が揺らぐ。
いける!
私とアルバート様が、ルディック殿下とセイラ妃が、ザークラン伯爵とマリアたちが、この場にいる全ての同志たちが、最後の全力を天恵に注いだ。星くずのような煌めきと薔薇の花弁が舞う。
レッドダイヤモンドのごとき刃が美しく輝き、黒光の防壁を貫通すると、勢いを保ったまま魔王の肢体を一刀のもとに両断した。
『ギイィヤアアアアァァァァ!』
耳障りな断末魔を上げ、魔王の体がぶわりと瓦解した。そのまま形を留めぬ霧状となって天に吸い込まれていく。拮抗状態が崩れた私たちは、たたらを踏んでよろめきながらもその光景を眺めた。アルバート様は素早く片手を空けて私を支えてくれている。
ややあって、魔王は完全に空の果てに消えていった。
「……や……った、のか?」
「魔王が消えた!」
「勝ったぞ!」
地方の貴族たちが歓声を上げる。私は魔王がいた場所を見た。
今までは目を凝らして見晴るかすことしかなかった、聖なる杖が転がっている。絶体絶命の時に突然降って来た、黄金の稲妻の正体だ。
塔をふり仰ぐと、杖をはめ込んでいた先端が壊れている。
「……」
きっと、四方八方に飛んでいた魔王の攻撃が当たって崩れ、杖が落ちてきたのだろう。
でも……何となくだけれど、今までこの国を造り導いて来た、数多の先人たちの魂が助けてくれたのではないかという気がした。
ちらりと周囲を見回すと、取り押さえられている王と叔父一家、都の貴族と神官たちはどうにか生きているようだった。全員ボロボロだけど……。あの魔王の攻撃の中、よく命があったものだと思うけれど、転がされて地面に伏せている格好になっていたのが幸いしたのだろう。
と、互いに肩を叩いて喜び合っていた地方貴族たちが、讃えるように私たちの方を見て、何故か一様に目を丸くする。どうしたのだろう?
アルバート様はお元気そうだし……もしかして私の格好がはしたないのだろうかと思い、自分の体に視線を落とし、唖然とした。
私はいつの間にか、光り輝く真紅の花びらでできたドレスを身に纏っていたのだ。胸の薔薇は大輪の花を咲かせている。
「な、これは……ア、アルバート様、これは一体!?」
「急激に覚醒した力を一気に放出したからだろうね。気分が落ち着けば花びらは消えると思うよ」
どこか眩しそうに私を見たアルバート様が教えてくれる。薔薇を纏う私に、ザークラン伯爵たちが敬意を払うように礼をした。
「アルバート、よくやった。セイラ、ミレイユ、そして皆、ありがとう。心から礼を言う。……さて、国王陛下。あなたを守っていた魔王は討たれた。死後は天にある光の獄に入れられ、永久に聖なる輝きに焼かれ続けることになるだろう。邪悪な魔王に誇りも魂も売り渡したあなたには、その命を失うという形で玉座から降りていただく」
ルディック殿下が剣を持ち、ツカツカと王に近付いた。王の懐から聖玉が転がり出てくると、音もなく宙に浮き上がり、泡が弾けるような音を立てて消滅した。叔父とカザール殿下の聖玉も同様だ。叔母とラライヤの聖花も肌から剥がれて宙に浮かび、同じく消え去る。ちらりと見えたラライヤの本来の聖花は、小花のような形をしていた。
「て、天恵が!」
叔父が悲鳴を上げる。これには地方貴族たちも微かにざわついていた。
罪を犯し神から拒絶された者は、聖玉が砕けるか、あるいは聖花が枯れる。しかしその場合であっても、玉の欠片や散った花びらの残骸は残る。死後はそれを持って魂の修行場に行き、犯した罪の重さに応じた程度と期間の罰を受け、償いを終えれば、神の許しが得られ天恵の残骸が復活するのだ。そうすれば、蘇った天恵を持って神の楽園の門を潜ることができる。
しかし、天恵が完全に消滅してしまえば、話は別だ。それは神から完全に見限られたということになり、当事者は地底の奈落へと引きずりこまれる。神の慈悲と光が一切届かないそこには些かの安らぎもなく、身の毛もよだつような恐ろしい悪鬼によって魂の修行場とは比べものにならないほどの責め苦を与えられる。加えて、いくら時を過ごそうとも許しが与えられることはない。
発狂もできないようにされた状態で数千年以上に渡って責め抜かれ、魂が磨耗しきれば奈落の最奥に住む澱みの化け物に喰われ、跡形もなく消滅する。
周りを見回せば、王に媚びへつらっていた都の貴族や神官たちの天恵も、やはり一様に消滅していた。散々甘い汁を吸って来た者たちの顔が、絶望に染まっている。
「わ、わしの聖玉が……ひぃ! くく、来るなぁ! 侯爵、何とかしろ侯爵、誰ぞわしを助けよ!」
捕縛された王が、情けなくゴロゴロと地面を転がって逃げようとする。
「ルディック、わしを殺めて誰が次の王になるのだ!? いくら殊勝な抱負を述べたとて、心臓に爆弾を抱えるお前が王位を継げるものか! 公爵家とてもはや王家から血が遠いであろう!?」
「ご案じなさいますな。幽世にて神に近い場所で過ごしたせいか、あるいは私を次の王とお認め下さった神々のお慈悲なのか、心臓の調子はすこぶる良くなりまして。こちらに戻ってから医師の診察を受けたところ、持病はすっかり治ってしまったようです。だからこそ、こうして剣を振り回していられるのですよ」
何と……それはめでたいことだ。ルディック殿下が発作を起こして、苦しそうにしているところを何度か見たことがあるからすごく嬉しい。
「そんな……うぅ、ルディック……ルディックゥゥ、兄を殺さないでくれ。わしらは二人きりの兄弟ではないか、な?」
「兄弟だからこそ――私の手で引導を渡すのです」
ルディック殿下が握る剣の刃が煌めく。
「い、嫌だあぁぁ! 地底の奈落になど行かんぞ! わしは騙された、侯爵と魔王に騙されただけなのだ! 操られておったのだ!」
「陛下、裏切るのですか!?」
一人だけ助かろうとする王に、叔父が唾を飛ばして叫ぶ。ザークラン伯爵が堪りかねたように声を発した。
「どのような形であれ、一国の王であった身。この期に及んでお見苦しい真似をするのはおよし下され! ……確かにあなたの専横が激しくなったのは、時期的に考えても魔王を宿した侯爵閣下と接触してからのこと。その同時期に先王陛下がお亡くなりになられ、辛うじて許容範囲に収まっていたあなたの振る舞いは一気に枠から逸脱し、増長していかれた」
「だから、それは魔王の魔力に洗脳されたせいだ!」
「しかし、邪な魔力に当てられても己の本分を見失わなかった者もおります。そういった者は皆地方に飛ばされましたが」
「それは……わ、わしは侯爵の友人として特に魔王の近くにおったから! 影響を強く受けたのだ!」
「その可能性は考慮いたしました。事実、他国にある魔王の資料を確認したところ、魔力には浴びた者の判断力や思考力、認知機能を弱めたり歪めたりする効果もあるようでした」
正常な判断や論理的・常識的な思考などがし難くなるということらしい。それ見たことかと言わんばかりに、王が顔色を明るくしている。これで言い逃れができると思っているのだろう。でも、皆の表情は冷たいままだった。
「ゆえに私どもは、魔王の力が少しではあれど弱まる満月の晩に謁見を申し込んでおき、あなたと面会いたしました。天恵を発動し、浄化の力を放った状態で、です。魔王に不審に思われぬよう、余り大掛かりな浄化はできませんでしたが、あなたに注がれる魔王の力は常よりは随分と弱まっていたはずです」
地方に追われた貴族たちも、重要な式典への出席権などは剥奪されておらず、王族への拝謁もできたらしい。完全に王城から遮断されたわけではなかったようだ。やるせない表情で白い眉を顰め、ザークラン伯爵は続ける。
「私どもはそのタイミングで、あなたに諫言を申し上げたのです。あなたが魔王の力により否応無く洗脳されているだけであるなら、王族の心が少しでも残っているのなら。いつもと違う反応を見せるか、せめて瞳の奥底に葛藤の欠片くらいは見えるはず。僅かでもそれが見えていれば、神は最も重い魂の修行場行きでお許し下さったかもしれませぬ。天恵そのものを消滅させることまではなさらなかったかと」
だが、結果は芳しいものではなかったのだろう。王たちの天恵はことごとく消えたのだから。
私の予想を裏付けるように、伯爵は首を横に振った。
「しかし、あなたはいつもと何一つ変わらなかった。反応も、態度も、言葉も、仕草も、奥にある感情も……。側近や立会いとして謁見の間に同席していた侯爵や都の貴族、神官たちも同様です。魔王の力は薄まっていたはずですが、微塵の変化もなかった。その場にいなかった他の者たち……例えばブレイトス侯爵家の使用人の様子なども、同志が遠目に観察しておりましたが、やはり一切変わりがなかった。魔王の影響うんぬんではなく、あなた方の心はもはや根本から腐敗してしまっていたのです。その時点で、私どもも神も完全にあなた方を見限った」
一度は息を吹き返していた王が、たちまち蒼白になっていく。
「ち、違う、ちがあぁう、わしは騙されたのだ、わしは……」
「もうおやめ下さい。これ以上恥の上塗りをしてはなりません。もう、終わりにしましょう」
静かに言ったルディック殿下が、剣を振り上げる。
「ぎゃあああ! やめてくれええぇぇ!」
王の慟哭が響き渡り、一瞬後、その首がボールのように床を跳ねた。
「きゃあああぁぁ!」
「ひいいいぃぃ!」
叔母と叔父が揃って悲鳴を上げる。
「父上えぇぇ!」
カザール殿下が絶叫した。
「我が国を見守る神々よ、照覧あれ。奸臣を侍らせ、国と民を混乱に陥れた暗君は去った。ゆえに我が聖玉を賭してここに誓う。これより私が新たな御世を開き、この国に光と希望を取り戻さんことを!」
ルディック殿下が宣言すると、曇天の空が割れ、分厚い雲を押しのけて青空が覗いた。
――ルディック・フレイル。新たな王に祝福を。
空から声が降り注いだ。これは……まさか神の……!? 男女の美しい声が絶妙に絡まり合い、透き通った玉同士が触れ合うような旋律となって都を駆け巡る。
ルディック殿下が持つ宝器にはまっていた青薔薇の石が砕けて割れる。流血沙汰を起こして玉座を奪ったことで降りかかる罰を、神の剣が代わりに受けてくれたのだ。ルディック殿下のサファイアは無事なので、死後は神の楽園に行くことができる。
「新国王陛下、万歳!」
「万歳!」
皆が一斉に唱和する。私もアルバート様も。ラライヤがギョロリと目を動かし、凄まじい目付きで私を見上げた。
「どうしてよ……どうしてアンタばっかりいい思いをするのよ! いつもいつも!」
豪華なドレスも美しい銀髪もすっかり汚れ、ぐちゃぐちゃの姿になっている。
「小さい頃からずっと言われ続けて来たわ……私だって本当は侯爵家の娘として最高の暮らしができていたはずなのにって。なのに何でよ。アンタと同じ先々代侯爵の孫娘なのに、何でアンタばかり贅沢をして私は下級貴族程度の暮らししかできないのよ!? アンタは私が得るはずだった幸せを全て奪ったのよ、それを取り返しただけよ! 今度は私がアンタの幸せを全て手に入れてやるはずだったのに!」
次々と訳の分からない言い分を並べ立てるラライヤに、私が呆気に取られていると、アルバート様が私たちの間に立った。
ありがとうございました。
本作の中では、エリュシオン→天国、アスポデロス→煉獄、タルタロス→地獄、という位置付けです。
(現実では、アスポデロスは善人でも悪人でもない普通の人が行くところのようですが、煉獄に対応するものが欲しかったので、本作では上記の設定を取っております)