7.花が戻り、魔王が吠える
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私たちの様子を見ていたルディック殿下は、会話が途切れたタイミングを見計らって叔父に双眸を向けた。
「さて、侯爵。不当に略奪していたミレイユの力を返してもらおうか。――アルバート」
「はい、父上」
紺の瞳と金の瞳が交わり、応じたアルバート様が、私の手のひらから自身の手をそっと引き抜いた。そして、しっかりと繋ぎ直す。
「おいで、ミレイユ。君の聖花を取り戻すんだ」
私の聖花……。
優しく手を引かれて叔父の前に進み出ると、無様に転がったまま私を見上げた叔父は、裏返った声で叫んだ。
「や、やめろ! ……おっお前の聖花は10年以上もラライヤに流れていた! きっと既にラライヤに馴染んでいるはずだ! いまさら取り戻したところで拒絶反応を起こし、お前の魂の方が引き裂かれるかもしれんぞ! い、今ならまだ許してやる、私に這いつくばって謝罪すれば今後の扱いはマシなものにしてやるぞ、どうだ!?」
……どうしてそういうことになるのか、さっぱり分からない。めちゃくちゃな言い分に付いていけないでいると、アルバート様がすげなく一蹴した。
「何を支離滅裂なことを言いだすんだ。天恵は神が与えた本人が有してこそ真価を発揮するもの。何十年越しだろうが拒絶反応など起こるはずがない。そして、言うに事欠いてミレイユに謝れだと? 浅慮だと思っていたが、まさかここまでとは」
「アル、相手にするな。時間の無駄だ」
ルディック殿下が声をかけた。公の場では呼ばないはずの息子の愛称をポロリと出すあたり、余りの主張に呆れ果てて思わず素が漏れてしまったようだ。
私は叔父を見つめた。ラライヤと同じ色彩の銀髪と青眼。お父様も同じ色の目をしていた。どれだけ認めがたくとも、二人は兄弟なのだ。もしかしたら叔父が踏み止まり、死後に神の楽園でお父様と再会する未来もあったのかもしれないけれど、もはや幻となった可能性を考えても詮無いことだ。
「叔父様。私の聖花を返して下さい」
私が薔薇乙女だなんて、すぐには信じ切れない。三百年もの間、薔薇を持って生まれる娘は出ていなかったから。正直に言えば、少しだけ尻込みしている。でも、神が私をお選び下さったなら、それが私の運命だというのなら――決して逃げたりなどしない。
だって、私はもう一人じゃない。ルディック殿下が、セイラ妃が、そしてアルバート様方が戻って来て下さった。ザークラン伯爵にマリアたちだっている。
アルバート様は、今もこうして手を重ねて下さっている。繋いだ手のひらから伝わる温もりが、怖気付いた私の背を押してくれた。
「私がいただいた力ならば、それは私のものです。返していただきます。その上で、しかるべき裁きと報いを受けなさい」
私が言い切ると、叔父はぎりりと唇を噛んでこちらを睨み上げた。
「お前など……きっととっくに心が曇っている! 長年悲惨な目に遭わされ、私たちを恨んできただろう。聖花を取り戻したとて、怨嗟にまみれた負の心で正しく使えるものか!」
私は一瞬、言葉に詰まった。叔父、叔母、そしてラライヤとカザール殿下のことは……恨んでいる。とてもとても。それはきっと、清廉とは程遠い感情だ。
「黙れ」
でも、答えたのは私ではなくアルバート様だった。
「ミレイユは嫌悪する相手を傷付けたりしなかった。己の誇りを胸に耐え続けた。……ミレイユ、僕は幽世から、断片的にでも君のことを見ていた。だから分かるよ。君はどれだけ酷い扱いをされても自分を見失わずに凛と立ち続けた。君の心は汚れていない。負に染まってなんかいない。きちんと聖花を使いこなせる」
アルバート様の手の熱が私を勇気づけてくれる。
うん……うん、そうだ。私は叔父たちを恨みはしたけれど、だからといって彼らに向かって刃物を振り回したりとか、自分より弱い者に八つ当たりしたりとか、誰かを傷付けたりとか、そういう天に恥じるような行いはしていない。だから堂々としていればいい。
アルバート様が空いている方の手をかざす。掌中に透き通った宝石が現れた。聖玉だ。
「それがお前の聖玉か? ふ、ふん、水晶ではないか! 平民が授かるごくありふれた石だ! はははミレイユ、お前の騎士様は王族のくせにとんだクズ石の持ち主だったようだぞ――ミレイユ? 聞いているのか?」
叔父の戯言を聞き流してアルバート様の聖玉を凝視していた私は、恐る恐る問いかけた。
「アルバート様、こちらはもしや……ダイヤモンドではありませんか?」
お父様がお母様に贈ったダイヤのネックレスと輝きがそっくりな気がした。天恵においては、薔薇が女王ならば、ダイヤモンドは王だ。
「さすがミレイユ、一目で分かったんだね。10歳で研磨が始まった段階で、もしかしたらという話にはなってたんだけど……まだ分からなかったから、下手に騒ぎにならないように黙っていたんだ。全然違う石かもしれないしね」
ホワイトサファイアとかもダイヤモンドに似ているからそっちかもしれないと思ったし、とアルバート様は苦笑する。
「僕の天恵がダイヤモンドかもしれないということは、父上と母上、先王陛下、前の神官長しか知らないことだった。幽世で研磨が終了して、その予想が正しいと分かったんだ」
これには、叔父と王はもちろん、取り押さえられていた都の貴族たちが一斉に目を剥いた。カザール殿下とラライヤもだ。王が喉を引き攣らせて呻いた。
「ダッ、ダイヤモン……バカな、宝石序列第一位だと!? 王族の中でも滅多に生まれないはず……」
ルディック殿下が誇らしげな表情を浮かべ、王たちにも聞こえるように言い放った。
「宝石と花はどれであれ尊いものだ。序列こそあれど、水晶がクズ石などということは断じてない。上位の天恵を得たからといってそれだけで偉いわけではないし、高序列ではない天恵を授かった者でも研鑽と工夫により如何様にも伸びていくことはできる。……だがそれでも、私は己の幸運に驕らず努力を続けた息子を誇らしく思う」
すると、アルバート様は僅かに顎を上げて斜め上を見た。少しばかり失礼な態度に見えてしまうけれど、これはアルバート様が喜びや照れを隠そうとする時の癖。ルディック殿下に褒められて嬉しかったらしい。
「……ブレイトス侯爵。聖花は本来の持ち主の元で咲き誇るべきだ。そうだろう」
ダイヤモンドが鮮烈な輝きを放つ。白い閃光が伸び、叔父の胸元に飾られているロケットペンダントへと撃ち込まれた。
「あああぁぁあ! やめろおおぉぉ! 助けて下さい神よ、どうかお助けを!」
叔父が叫ぶ。神、とは魔王のことだろう。この期に及んでも、まだ魔の頂点にある存在を頼るのか。ロケットに亀裂が入り、パァンと割れる。砕けた欠片の内側に、魔法陣が刻まれているのが見えた。中からは金と銀の糸も入っていた。私とラライヤの髪だろう。
直後、私の胸元からぷちぷちと小さな音がした。
「ごめんなさいね、少しだけいいかしら」
ルディック殿下と頷き合ったセイラ妃が私に近付くと、くすんだ黒いドレスの胸元を開いて中を確認した。アルバート様は私の肌が周囲の者に見えないよう、さりげなく盾になる位置に移動してくれる。同じく歩み寄って来たマリアたちもそれに倣い、私の周りを囲んでくれた。
私もそろりと視線を落とした。今まで僅かな芽も出ることがなかった、私の種。それが膨らみ、茎が伸び、葉が付き、みるみる内に真っ赤な蕾がなっていく。
「母上、ミレイユの花はどうでしょうか?」
「大丈夫、問題ないわ。順調に成長しているわよ」
「それは良かった」
アルバート様の声に安堵が滲み、ルディック殿下とザークラン伯爵、地方貴族たちも同様の表情を浮かべた。マリアたちが頰を上気させて喜んでいる。
「いやあああぁぁぁ! 私の薔薇! 私の薔薇がああぁぁ! 返せぇ、私の薔薇を返せええぇぇ!」
血走った目で叫んでいるのはラライヤだ。黙れと言わんばかりに剣を突きつけられても、構うことなく喚いている。
それが契機となったように、叔父の体からどす黒い煙が噴き出した。それは尾が三叉に分かれた異形の獣の形を取る。獣を押さえ込むかのように、全身に光の鎖が纏わり付いていた。ルディック殿下の剣の柄にはまっている宝石と同じ、青色の光だ。
「魔王! 逃げる気か!」
あの邪悪な獣が魔王――この状況はまずいと思い、逃亡しようとしているのか。ルディック殿下の声を肯定するように、ぶすりぶすりと黒い霧を吹き出す獣は空へと視線を向け、身を低くして跳躍の姿勢を取った。
「ここで倒さねばまた被害が出る。私が押さえる、とどめを刺せアルバート!」
「はい!」
ルディック殿下が剣を眼前で構えると、柄の宝石がまばゆい光を放った。魔王を拘束する鎖がきつく締まり、獣が首を振って暴れる。セイラ妃もルディック殿下を援護するように背に手を添え、聖花の力を送っている。
逃れようとする魔王と押さえ込むルディック殿下。二つの力がピタリと拮抗し、殿下が動けなくなったところに、アルバート様が聖玉を剣に変えて駆け込んだ。ダイヤモンドの刃を持つ剣を、魔王めがけてかざす。
『ッシャアアァァア!』
沸騰した湯が勢いよく噴き溢れるような音を立て、魔王がカッと大口を開けた。ズラリと並んだ牙が剥き出しになる。真っ黒な喉の奥から同じ色をした光が吐き出されて展開し、分厚い防壁となってアルバート様の振り下ろした刃を阻んだ。黒い光とせめぎ合ってギシリと音を立てる。神の宝器で限界まで封じ込められているはずなのに、なおこれだけの力を出せるのか。魔王が神に近い存在だというのは本当なのだろう。
「アルバート様……!」
私の足がガクガクと震える。魔王の攻撃の余波が四方八方に飛び、庭の木々をなぎ倒し、建物に裂傷を入れ、私のドレスの胸元や袖も切り裂かれた。
「お嬢様、危ない!」
マリアが庇うように抱きしめてくれる。ザークラン伯爵を筆頭とする地方貴族、神官たちはアルバート様に加勢しようとしているが、競り合いが激しすぎて側に行くことができないようだ。やむを得ず聖玉を光らせて天恵の力をアルバート様に放ち、後押ししている。ダイヤモンドの刃が黒光の壁に食い込むが、完全には突き破れない。
聖の力と魔の力の激しい衝突により断続的に衝撃波が走り、大気が歪み、空間がぐわんぐわんと揺れているようだった。塔がある建物もその影響を受けて軋みを上げている。
不意に、魔王がしわがれた声を出した。大きな石を転がすような、ごろごろとした声だ。
『小僧、まさかお前がこれほどまでに成長するとは……ちっ、あの時にしっかり始末しておくべきであった』
その言葉と共に、黒い防壁の一部が弾けて刃のように飛び、アルバート様の頰に朱が走った。赤い血飛沫が宙を舞う。
『今ここで死ね』
その瞬間、私の中でぶちんと何かが切れた音がした。それは魔王への怒りだったのかもしれないし、今まで溜めに溜めて来た鬱憤が溢れたのかもしれない。あるいは、血を流すアルバート様を見て目覚めた感情が沸き起こったのだろうか。腹の奥底から燃えるような想いが全身を駆け巡り、体中が熱くなる。
「お嬢様、薔薇の蕾が綻んで……」
マリアが私の胸元を瞠視する。元から開いていた胸元は、今の魔王の攻撃でさらに大きくはだけ、夜会のドレスのように肌が露出していた。でも、今はそんなことを気にしている場合じゃない。地を踏み込み、身を盾にして私を隠そうとしてくれるマリアの腕から飛び出した。
「危ない、そこにいろミレイユ!」
アルバート様が叫ぶけれど、構わずに全力で走り寄る。普通の人であれば近づこうとするだけで弾かれてしまうほどの波動のぶつかり合いの中、私は一位の聖花のおかげか問題なく側に行くことができた。
「アルバート様、私も……」
もう嫌だ。もう失うのは嫌。何もできずに耐えているだけの私は、もう終わる。
大事な者は自分の手で守ってみせる!
「私も加勢いたします!」
あなたと共に立ち向かう。どんな敵だってあなたがいるなら怖くない。もう一人じゃないから。
体を巡る熱が胸に……天恵に集まっていく。視界の下の方で、ドレスの黒と肌色、そして赤いものがパッと広がった気がした。真紅の閃光が身の内で炸裂し、上空へと噴き上がる。
『な……本当に聖花を使いこなしただと?』
魔王が始めて驚愕と動揺を露わにした。光と共に出現した無数の薔薇の花弁が、風に乗ってぶわりと宙を踊った。無秩序に舞い散った花弁は、すぐに私の肢体に収束する。
直後、私はアルバート様の背後から飛びつくようにして両腕を回し、ダイヤモンドの剣の柄を持った。アルバート様の手に自らの手を重ね、力を流し込む。上へ放出されていた力が方向を変え、剣へ注がれた。
瞬間、せめぎ合いの均衡が崩れた。真紅の光を纏うダイヤモンドの刃が厚い防壁を斬り裂いていき、その奥にある魔王に迫る。あと少し――!
だが、魔王本体に近づくほど光の壁は硬くなり、どうしても抜けられない。刃が止まる。それを押し込むように、新たな力が注がれた。
「お嬢様、アルバート殿下!」
マリアたちも聖花の力を放ってくれたのだ。赤いダイヤモンドと化した刃が、さらに黒い壁の中に沈み込む。
……なのに、あと薄皮一枚分だけ魔王に届かない。
味方は全員、全力を傾注している状態だ。もう誰も動けない。
ブスブスと煙を上げながら不吉に揺らぐ魔王が、ニィッと口の両端を引き上げた。どす黒い魔力の波濤が天地左右を問わず全方位に撒き散らされる。辛うじて天恵が防御してくれたが、全身に鳥肌が立った。神の力に擬態することをやめた魔力、その本来の気配の何とおぞましいことか。
『は、ははは。一瞬ヒヤリとしたが……残念、惜しかったなぁ』
黒い光の一部が変形し、鋭利な槍の形を取って私とアルバート様に迫る。
『これで終わりだ!』
その瞬間、天から金色の落雷が降って来た。地上にいる私たちに注意を向けていた魔王は、上への警戒が緩んでいたのだろう。流星のように飛来した稲妻は、魔王の脳天に深々と突き刺さった。
ありがとうございました。