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2.暗闇へと続く道

ご覧いただきありがとうございます。

「お父様はクズ石などではないわ……!」

「は? 下級の魔物にみすみす殺された役立たずだろう」


 7年前、お父様はお母様と共に、地方で行われる式典に招かれていた。その帰り道で魔物に急襲され、咄嗟に交戦するも相討ちとなって命を落としたという。乗っていた御者も助からなかった。事の経緯を伝えてくれたのは国王陛下の使者だ。その式典は格式高いもので、王も使者を立てて参列させていた。

 使者の馬車は、お父様たちが乗った馬車からやや距離がある後方を走っており、一部始終を目撃したのだそうだ。もちろんお父様たちを援護しようとしたものの、距離が離れていたことが災いし、間に合わなかったという。


「序列第三位のルビーを持っていたのに、下級の魔物ごときに遅れを取るなんておかしいわ。きっと本当はルビーではないのにごまかしていたのよ」

「もっと下位の宝石だったんじゃないか。赤い石なんて他にもたくさんある。判定する神官を買収したんだよ」


 原石や開花前の段階では、天恵の種類がはっきりと判別できない。成長するに従ってある程度の予測が立てられるようにはなるけれど、最終的な判定は天恵が完全な形になってから行われる。


「あー疲れちゃった。もう戻りましょう」

「そうだな、呼ばれた時にいないとラライヤお嬢様がまた怒り出すぞ」

「大丈夫よ、その時はこの万年種のせいにすればいいんだから」


 クスクスと笑いながら、使用人たちが去っていく。

 残された私は、溢れそうになる涙を唾と共に飲み込み、汚れた庭の掃除にかかった。茶色く染まり、異臭を放つ花壇のレンガを拭いていると、幸せだった頃の昔の光景が脳裏に溢れた。


 温厚で笑顔を絶やさないお父様。美しく優しいお母様。朗らかな使用人たち。

 お父様と親交があった王弟ルディック殿下も、度々侯爵邸に足を運んでいた。公では王族と臣下でも、プライベートでは対等な親友。お父様と二人、夜まで政治や情勢について語り合っていた。ルディック殿下の奥方であるセイラ妃殿下は裁縫がとても上手く、常に裁縫セットを携帯していた。それに料理も趣味だったため、お母様と一緒にお菓子を作っていたこともある。


 そして……ルディック殿下とセイラ妃のご子息、アルバート王子殿下。先王陛下から目をかけられていたルディック殿下は臣籍に下っていなかったため、アルバート様も王子の身分と殿下の称号を有する。

 私より一つだけ年上で、ルディック殿下譲りの燃えるような赤髪にセイラ妃譲りの黄金色の瞳をお持ちだった。殿下なんてよそよそしく呼ばないでと言われ、私的な場所では畏れ多くもアルバート様と呼ばせてもらっていた。


 アルバート様……。


 彼のことを思い出すと、今でも胸がシクシクと痛む。

 ご両親にくっついて侯爵邸を訪れ、私とよく遊んで下さった。

 私の目は深い森の目だと言って下さった方。

 自分の種が一生芽吹くことはないと知り、邸の奥で密かに泣いていた私を見つけ出し、励ましてくださった。


『芽が出なくたってミレイユは今までと同じミレイユじゃないか! 君を悪く言う奴がいたら僕が許さない。君は僕が守ってみせるよ』


 その言葉にどれだけ励まされたことか。

 でも、私の両親が亡くなったのと時を同じくして……ルディック殿下方もお命を落とされてしまった。一家で外出された際、馬車の車軸が外れて崖から転落してしまったらしい。事故の瞬間を目撃した者がいたそうだ。ご遺体は見付かっていないものの、崖の下には深く流れの速い川があることから生存は絶望的となり、死亡処理がされた。


 黄金の離宮を新築し、甘い賞賛を述べて追笑する奸臣を重用し、頻繁に厚酒肥肉の宴を開く当代の国王陛下よりも、よほど民から慕われ敬われていたルディック殿下。先王陛下の逝去に続けて起こった王弟の早すぎる死は、フレイル国に大きな損失をもたらした。

 王を諌められる者がいなくなり、有能な官僚や誇り高い貴族は片端から左遷・降爵の憂き目に遭い、まとめて地方や僻地に追いやられた。都に残っている貴族といえば、ただ陛下を絶賛し一つ覚えのように肯定する暗愚ばかり。

 敬虔な神の使途であるべき神官すらも、金を積み王に取り入ってその職位を買った者が大半を占めている。清廉で実力のあった神官は、地方の小神殿に飛ばされてしまった。


 もはや国の運営も財政も外交も破綻寸前だ。正直、地方に追われた貴族たちが国を見捨てて亡命や独立をしていないことは奇跡だと思う。これ以上こんな状態が続けば、外国だって侵略など不穏な行動を起こすだろう。天恵の加護を受ける国、というステータスがあるから、今はまだ慎重に様子見をしているだけで。


 ルディック殿下がいて下されば。

 清廉な心を持つ忠臣たちが、無力な民衆たちが、どれだけ嘆いたことだろうか。私だってそうだ。


 お父様、お母様。ルディック殿下、セイラ妃……アルバート様。あなた方が恋しくてたまらない。

 汚れない心を持ったまま死を迎えた者は、天にある神の楽園(エリュシオン)に招かれるという。お父様方もきっとそちらにいるのだろう。

 私も早くあなた方のところに行きたい。


 今まで幾度も自死を考えた。けれど、私までいなくなってしまえば、我が家は完全に叔父一家の手中に落ちてしまう。それだけは嫌だった。

 どうにか資金を貯めて逃亡することも考えたものの、王の後ろ盾がある叔父一家から逃げおおせられる確率は低い。

 加えて、私を永遠に飼い殺しの生殺しにしたいらしい叔父にも脅された。もし逃げ出したり自害したりなどすれば、平民や下級貴族の子どもを無理矢理にでも連れて来て私の代わりに働かせ、私と同じような目に遭わせると。だから、下手に逃亡することもできない。


 それでも――動きを封じられた状態だけれど、私の心までは押さえ込めない。


 私はミレイユ・ブレイトス。初代陛下の御世より連綿と王家にお仕えして来た、栄えある侯爵家の正統なる嫡子。


 この家に継がれる想いは、この身に流れる血は、お父様とお母様と過ごした聖域は、決して汚させない。叔父たちに屈してなるものか。その一心で、この7年を耐え続けて来た。


 ともすれば砕けてしまいそうな心に喝を入れ、裏庭の掃除を終える。邸に入る前に冷たい井戸水で全身を洗い、擦り切れた薄布で拭いて新しいお仕着せを纏う。もちろん他の侍女のお下がりで、あちこち汚れたものだ。泥などで体や服が汚されることは日常茶飯事だから、井戸の近くに布と着替えを隠しておく習慣がついてしまった。

 邸に戻ると、侍女長から怒鳴られた。


「やっと戻ったのね、何をグズグズしていたのよ、このノロマ! 殿下と侯爵様がお待ちだから早く食堂にお行きなさい。全く、もう少し遅ければ私が呼びに行かされるところだったわ。冗談じゃないわよ」


 叔父が私を呼んでいる? 殿下まで? むくむくと湧き上がる嫌な予感に胸を打たれながら、私は早足で食堂に向かった。


「おお出来損ない、ようやく来たか。お前に名誉な話がある」


 食堂の上座に腰かけたカザール殿下が、にやにやと相好を崩して言う。隣に座ったラライヤは、甘えるように殿下にしなだれかかっていた。二人の下座には叔父と叔母が着席している。叔父がいる部屋に入った途端、常にうっすらと感じている怖気が一気に強まった。私はテーブルの下手に控える位置で立ち止まり、頭を下げた。


「王太子殿下、お呼びと聞き馳せ参じました。ご用をお申し付け下さいませ」


 すぐさま叔父と叔母が金切り声を上げる。


「おい、何だその態度は!? 無礼だぞ!」

「まずはお待たせしたことを殿下に謝罪なさい!」


 叔母の投げたティーカップが頭に直撃し、中身がかかる。間の悪いことにお代わりをしたばかりだったらしく、熱い紅茶が顔面を伝って流れ落ちた。


「はっは、いいではないか。私は今機嫌がいいのだ。許してやろう」

「きゃっ、カザール様ったら素敵ぃ!」


 鷹揚に頷くカザール殿下と、頰を両手で挟んできゃあっと黄色い声を上げているラライヤ。そのまま二人で見つめ合い、あははうふふと笑いながらイチャつき始める。何がそんなにおかしいのか、全くもって分からない。


「……っと、そうだった。ミレイユ・ブレイトス。私は貴様との婚約を破棄し、三百年ぶりに現れた薔薇乙女ラライヤ・ブレイトス侯爵令嬢と再婚約する。また、貴様には新たに似合いの相手を用意してやったため、その者と婚約するように。これらのことは父上、いや国王陛下の許可もいただいている勅命である!」

「えぇ〜! ラライヤ、カザール様の奥さんになれるのぉ!? やったぁー!」


 大口を開けて爆笑するラライヤは、とても高位貴族の令嬢とは思えない。

 そもそも、昔から贅沢三昧で傲岸不遜、品性下劣であったという叔父は、若い頃に先々代侯爵たるおじい様から絶縁されていた。しかし私のお父様亡き後、叔父を気に入っている王の命で侯爵家への復籍を許され、押しかけるような形で当主を継いだのだ。つまり、侯爵家の者としての精神や振る舞いなど元から欠片も持っていなかった人だ。

 そんな叔父と相性が合った叔母と、娘であるラライヤの教養については推して知るべし、である。


「でもでもぉ、コイツ……こほん、ミレイユお従姉様にお似合いの相手って誰ですかぁ?」

「70歳過ぎの好事家(こうずか)ではありませんかな?」

「豪商の8番目の愛人あたりでは?」


 期待に満ちたラライヤの問いかけに答えるように、叔父と叔母が我先に予想を述べる。カザール殿下はふふんと鼻を鳴らし、行儀悪く椅子にもたれかかった。


「聞いて驚くがいい、あのいけ好かないアルバートだ」


「……え……?」


 この時ばかりは、叔父一家と私の声が一つに重なった。


「恐れながら殿下、アルバート様とはあのアルバート殿下でございますかな? 王弟殿下のご子息の……しかし、あの方は7年前に亡くなっているはず」

「うむ、その通りだ。つまり冥婚(めいこん)ということだな」

「まあ、冥婚ですって?」


 軽く目を見開く叔母の様子を見たラライヤが、カザールに抱きついた。小首を傾げ、可愛らしい上目遣いで尋ねる。


「カザール様ぁ、めいこんって何ですかぁ?」

「はっはっは、ラライヤは可愛いなぁ。冥婚というのはね、生者が死者を伴侶にして結婚するのだよ。生者は婚姻相手である死者に殉じて自害する。死後の世界で共に暮らすんだ」


 死者には戸籍がないのに婚姻できるのかという問題に関しては、冥婚では特例で手続きが可能なようになっている。でも、これは大昔の習慣であって、現在では全くといっていいほど行われていない。


「わぁ〜、カザール様物知りぃ! ……でもぉ、ってことはミレイユお従姉様は自殺するってことですかぁ?」

「そうなるな」

「……ふ〜ん」


 甘えるようにカザールの胸に顔を埋めたラライヤが、チラと私を見た。青い瞳が冷徹な光を放っている。


 ――そんなのつまらない。

 ――死んじゃったらもうコイツで遊べないじゃない。


 そんな心の声が聞こえた気がした。

 同時に、食堂の壁際に控えていた使用人たちも、一斉に焦った顔になる。


「グズがいなくなったら鬱憤のはけ口がなくなるわ」

「出来損ないが死ぬなら、これから誰がラライヤお嬢様の相手をするんだ」

「嫁いだ後もここに来させてこき使うと思っていたのに」


 被雇用者としてあるまじき言葉を、室内に聞こえるように堂々と囁く。この時点で、彼らのレベルがいかに低いものであるかが窺い知れる。

 だが、使用人たちの私への態度は、叔父だけでなくカザール殿下すら容認し、肯定しているものだ。それどころか、カザール殿下が率先して使用人の先頭に立ち、私に暴言暴力を振るっている。だから、どこからも注意や制止など入るはずがない。殿下がもったいぶった調子で場を見回した。


「静かにしろ。まぁ聞け。本来は殉死という形でアルバートの所に送ってやるが、コレはまだ17歳だ。いくら役立たずとはいえ、命を散らすには些か早いだろう。そこで、父上と私は特別に情けを与えてやることにした。アルバートと婚姻したミレイユは、形式上は死んだものとして処理し、実際はこの侯爵邸で特別に生かしておいてやるのだ」


 私は言葉も出なかった。

 それは慈悲でも温情でもない。最悪中の最悪だ。

 形式上は亡くなるということは、戸籍や人権、尊厳などは全て剥奪され、法に守られることもなく、奴隷どころか家畜未満の存在に落とされるということ。文字通りの生き地獄だ。これまでも散々に非人道的な扱いを受けて来たが、その比ではなくなるだろう。


 叔父一家にもその意味が分かったのだろう、見る間に顔を輝かせる。使用人たちは一斉に拍手をした。


「やったぁ、カザール様、最高~! かっこよすぎますぅ!」

「なるほど、そういうことでしたか! いやはや、さすがは陛下と殿下でございます! やはり私たちごときとは頭の出来が違っておられる」

「ええ、ええ、まさに稀代の名君でいらっしゃるわ!」

「はっはっは! そうだとも、私は偉いのだ。サファイアを持っていたルディック叔父上ですら、父上には頭を下げていた。王というのは絶対だ。王太子たる私はいずれその王になる。だから私は偉いのだ。聖玉がエメラルドだからなんだ、私はこの国で最も貴い存在になるのだ! 聖花序列一位のラライヤを妻にしてな。この私が万民の上に立つのだ!」


 鼻高々のカザール殿下が叔父と叔母の方に目を向けて顔を逸らした瞬間、万歳をして無邪気に微笑んでいたラライヤは、その愛くるしい容貌を醜悪なものに変貌させた。薄く唇をまくり上げ、こっそりと私に向かって冷笑する。


 逃がさないと、醜く歪んだその顔が告げていた。

 お前は一生自分の奴隷なのだと。

 生涯を自分に踏み潰され、その足元で這いつくばって生きていくのだと。


 私は睨み返そうとするも、余りのことに心が挫けかけてしまった。僅かに視線を下げた際に漏らしてしまった恐怖と怯え。それを目敏く察知したらしいラライヤが、勝ち誇った眼差しになる。


「アルバートとの婚儀は10日後、聖典の儀の前に行う。我が国の守護神への感謝と敬意を捧げる重要な儀式だ。この死に種が万が一にもおかしな気を起こさぬよう、当日までしっかりと見張っておけ」

「はい!」


 殿下の言葉に、意気揚々と使用人たちが頷く。私の肩に手をかけた絶望が、真っ暗な闇を開けて嗤っている。吸い込まれてしまえばもう戻ることができない、底なしの奈落へ続く入り口だった。

ありがとうございました。

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