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1.私の種は芽吹かない

ご覧いただきありがとうございます。


「残念ながら、お嬢様の聖花が咲くことはないでしょう」


 重々しく告げた神官の声と泣き崩れる両親の嗚咽は、10年経った今でも耳に残っている。



 ◆◆◆



「ちょっとミレイユ! もっと早く歩きなさいよ、このグズ!」



 雨上がりの晴れ間が覗く街に、従妹の甲高い怒鳴り声が響く。


「はい、お嬢様」


 大きな荷物を抱えた私は、蚊の鳴くような声で返事をした。ずっしりとした重さがのしかかる菓子や茶葉の大袋。装飾品にドレスを詰めた箱。一人で持つには余りにも多すぎるそれを両腕に積み上げ、よろよろしながら濡れた街道を歩く。貴族の御用達が多く並ぶ第一地区だから、周囲には着飾った人々や立派な馬車が行きかっていた。


「まあ、ミレイユ様だわ。ブレイトス家の()(だね)よ」

「あだ花にすらなれない()()しじゃないか」

「名高き侯爵家の出来損ない」


 ひそひそと聞こえる嘲笑が心を引き裂くように突き刺さるものの、今は早く従妹に――ラライヤに追いつかなければならない。目の前が見えない程の量の荷物を支える腕は今にも千切れそうだけれど、私は必死で足を進めた。

 ひび割れた爪にあかぎれだらけの指、擦り切れたダボダボのお仕着せ。うなじで適当にまとめた薄金色の髪は、何年もまともな手入れをしていないためぱさついている。


 美しい桃色のドレスを纏い、従者が差し掛ける日傘の下にいるラライヤは、絹糸のような銀髪に青色の大きな瞳を細め、綺麗に整えた爪を退屈そうに眺めている。ドレスの胸元から覗く肌には、くっきりとした薔薇の紋様が刻まれていた。


 もう少し、と思った時、雨の名残が残る地面で足が滑った。視界がひっくり返り、一瞬後に湿った地面の匂いが鼻先を掠める。抱えていた荷がドサドサと雪崩を起こし、馬車道にまでばらまかれる。運悪く走って来た馬車が、それらをぐしゃりとひき潰した。


「きゃああああ!」


 ラライヤの悲鳴が空に突き抜ける。その視線は、もちろん私ではなく荷物の方に向いていた。


「あ、あなた様はブレイトス侯爵家の……大変申し訳ございません!」


 馬車を操っていた御者と、中から降りて来た身なりの良い貴族が青ざめている。彼らをぎろりと睨んだラライヤだが、日傘を差しかけていた従者がすかさず耳打ちする。


「お嬢様、あの紋章はジュラーク伯爵家の馬車かと。当代伯爵は『翡翠』でございます。むろん『薔薇』のお嬢様には及ぶべくもないとはいえ、決して低い序列ではありません。国王陛下の覚えもめでたいと聞きますし、ここはお嬢様の度量の深さをお見せになられた方が」


 それを聞いたラライヤは、素早く満開の笑顔を作った。見る者を虜にするような愛らしい表情を浮かべる。


「いいえ、お気になさらないで。こちらの召し使いの粗相による事故ですものね。そちらこそお怪我はなくて?」

「ああ、薔薇姫様は何とお優しい」


 伯爵家の者が感激の色を帯び、顔を見守る人々から感嘆のため息が漏れた。


「おお、さすがはラライヤ様。何と寛大な」

「いつもながら愛くるしい笑顔だ」

「さすがは三百年ぶりの『薔薇』のお方」


 惜しみない賛辞と尊崇の目は、全て従妹に向けられていた。



 ◆◆◆



「このバカ! 何てことしてくれたのよ!」


 都でも王城に近い一等地にある、ブレイトス侯爵邸の裏庭。眦をつり上げたラライヤが、扇で幾度も私の頬を打つ。唇が切れ、飛び跳ねた血の玉が宙を舞った。周囲に従う使用人たちも、一様に冷たい目をして私を睨んでいる。


「半日かけた買い物が台無しよ! 今日は気に入るものがたくさん買えたのに!」


 おしゃれとティータイムに加えて散策が趣味の従妹は、業者を邸に呼ぶのではなく、自ら装飾品や茶菓を買い付けに行く。そういうところは妙なこだわりがあるらしい。


「申し訳ございません、お嬢様」


 顔を腫らした私は、この場で唯一許されている回答を舌に乗せる。顔だけではない。この邸にいる全員から殴られ唾を吐かれている私の体は、どこもかしこも青黒く内出血している。


「ああもう、気持ちの悪い目ね、濁った藻のようだわ! さっさと隠しなさいよ!」

「はい、お嬢様」


 伸びた前髪で目を隠す。生前の両親が褒めてくれた、きめ細かい輝きを放つ金髪は、くすんで枝毛だらけだ。


『君の眼は深い森のような色だね。すごく綺麗だよ』


 かつて笑顔でそう言ってくれた少年の、まだ声変りをしていない幼い声が胸を掠めた。


「これじゃあ仕置きが足りないわ! アンタは馬鹿でドジで鈍間だから、体で覚えないと分からないんだもの! ……メアリー、ポール!」

「はい、お嬢様」

「承知いたしました、お嬢様」


 侍女のメアリーが、大きなバケツいっぱいに入れた汚水を私の頭上でひっくり返す。排水溝のような悪臭と共に、全身がびっしょりと濡れそぼった。


「きゃははぁぁ、くっさ~い!」


 ラライヤと使用人たちが一斉にげらげらと嗤う。


「……っ……」


 薄汚れた茶色い水が、べっとりとはりついた前髪をつたって体を流れていく。私は唇を噛んで耐えた。

 泣くものか。ここで泣いてなるものか。

 どれだけこの身が汚れても、私の魂は矜持を保っている。こんな奴らに心まで屈しはしない。


 使用人のポールが長い鞭を持ち、私のずぶ濡れの体を打った。パァン、パァンと裂けるような鋭い音が弾け、手が足が、胸が頬が、体中が真っ赤になっていく。


「ラライヤ!」


 全ての侮蔑と嘲笑が私に向けられる異様な状況の中、金髪碧眼の麗しい青年が足早にやって来た。従姉の名を呼びながら両手を広げる。途端に、ラライヤはぱぁっと双眸を見開いてその腕の中に飛び込んだ。


「ふえぇん、カザール様ぁ!」


 私を取り囲んでいた使用人たちが、慌てて後方に下がって居住まいをただした。侍女長が一歩進み出る。


「これは王太子殿下、ようこそお越し下さいました」


 だが、青年――この国の王太子カザール・フレイル殿下は、腕の中のラライヤだけに視線を注いでいる。


「話は侯爵から聞いたよ。何て可哀想なラライヤ」


 零れ落ちそうに大きなラライヤの青眼が潤み、溜まった涙の光できらきらと煌めく。それはまるで、水面に星が瞬いているかのようだった。


「ラライヤのお菓子とドレスがぁ! うぅ、せっかく買ったのにぃ」

「ああ泣いてはいけないよ。せっかくの綺麗な顔が涙で曇ってしまう」


 そして殿下は、冷たく蔑む眼差しを私に据えた。優しくラライヤを解放すると、大股で私に歩み寄って拳を握り、頰を殴りつける。ガツンという重い音と共に火花が散り、私は後ろ向きに吹き飛んだ。


「おのれミレイユ・ブレイトス! 出来損ないの万年種(まんねんだね)の分際で、私のラライヤを泣かせるとは!」


 殴られた頰がジンジンと痛む。口の中が切れたのか、たらりと血が伝っていた。


「殿下、尊い御身が汚れます。どうぞこちらを」


 ポールが恭しく差し出した鞭をひったくり、殿下はバシンバシンと私を打った。激しい殴打に耐えられずに体を丸めてうずくまると、厚い靴底でドスッと頭を蹴り飛ばされた。何度も何度も。


「私は王太子だ! いずれは王となり、この国で最高の存在になるのだ! なのに貴様のような女が我が婚約者など、我が魂を三千回切り裂いても飽き足らぬ恥辱だ!」


 死に種、芽無し、万年種。全て私の蔑称(せんしょう)だ。


 叩きつけられる暴力は、投げつけられる言葉は、殿下ではなく私の心身をこそ一刀両断にした。



 ――ここは宝石と花の国、フレイル国。美しいものを愛する夫婦神が守護する王国だ。


 この国の子は、男子であればその手に聖玉(せいぎょく)と呼ばれる石を握りしめて誕生する。最初は濁った原石であるそれは、持ち主の成長に従って自然と磨かれていき、光沢が宿り、最後は澄み切った宝石となる。

 一方女子であれば、左胸に小さな種の形をした痣を備えて生まれる。自身の成長と共にそれは芽を出し蕾を付け、最終的に花を咲かせ聖花(せいか)と称されるようになる。


 それらは生まれながらにして神から与えられた天恵(てんけい)とされ、種類によって序列が決められる。また、成長していくに従い神の加護が目覚め、悪しき魔物を退ける結界や浄化、治癒などの聖術が使えるようになる。

 序列の低い天恵しか授からない平民の場合、その力は微々たるものだが、高い天恵を持つ高位貴族になれば、都を丸ごと範囲に収める結界や強力な浄化、治癒を行使することもできる。


 カザール殿下は宝石の序列第四位であるエメラルドを手に生まれてきた。ラライヤは、花の第一位たる大輪の薔薇を咲かせた。

 そして、私は――


「14歳にして薔薇を咲かせたラライヤこそ、王族の妃としてふさわしい! 17歳になってなお芽を出さぬ貴様など平民にも劣る!」


 私は、この国の歴史上前例のない、芽吹かぬ種を己が身に刻んで生まれた。

 一般的な種は10歳頃になると発芽の予兆が現れ、やがて芽を出し葉を付け、15歳前後くらいで咲き誇る。宝石の研磨速度も同様だ。しかし私の種は、10歳を迎えても全く芽吹く兆しを見せなかった。案じたお父様とお母様が複数の神官に確認し、その全員から『種から生気が感じられない。信じがたいが、死んでいるようだ。今後芽が出ることもなければ聖花が咲くこともない』と言われた。


 未曽有の事態に嘆いた両親だけれど、私を冷遇することなく愛情を注いで接してくれた。……でも、お父様とお母様はそれからすぐに亡くなってしまった。まだ10歳の、しかも死に種しか持たない私が家を継げるはずもなく、侯爵家はこれを好機と乗り込んで来た叔父一家に乗っ取られた。


「建国以来の歴史を持つブレイトス侯爵家の恥さらしめ!」


 殿下の後ろから付いて来た叔父が、打たれている私を乱暴に指さして責め立てる。叔父の胸には、気に入りなのかいつも下げているロケットペンダントが光っていた。背筋を這い上がる怖気を堪え、私はただ地面を見つめた。叔父一家や王……特に叔父と相対した時は、得体の知れない気持ちの悪さが付き纏う。いや、どこにいても寒気は感じているけれど、叔父の側が一番強い。


「あなたが無能だと分かっていれば、王太子殿下はラライヤの婚約者になったはずだったのよ!」


 叔父の隣にいる叔母も、けばけばしいルージュが引かれた唇を動かして糾弾してきた。

 私より2つ年上であるカザール殿下のと婚約は、私が8歳の頃に結ばれた。少しばかり早いのでは、と迷われていたお父様だけれど、王が勅命を出したために成立したのだという。高い序列の天恵を多く得てきたブレイトス侯爵家の血を取り込みたいという魂胆は明らかだった。その時期はまだ先王陛下がご存命だったけれど、家格も将来性も申し分ない縁組みだったことから、特に反対はしなかったそうだ。


 婚約から2年間、殿下の態度は可もなく不可もなくの義務的なものだったが、私が出来損ないだと分かった途端に一変した。もちろん悪い方に。その後、お父様とお母様が続けて亡くなり、侯爵家が叔父に乗っ取られてからは、殿下からの冷遇はさらに顕著なものとなった。ラライヤが三百年ぶりに薔薇を咲かせ、都中から絶賛されるようになってからは、すっかりそちらに首ったけ。


 叔父と叔母のさらに後方に控える家令は、笑いを堪えるかのように唇を歪めて私を見下ろしている。


「お父様、お母様ぁ! ラライヤの買い物が台無しになっちゃったのぉ! うえぇぇん!」

「おお我が愛娘よ、こんなに悲しそうな顔をして……不出来な芽無しのせいで何という辛い目に遭ったのか」

「あなたは私たちの宝物よ。さ、こんな汚い裏庭などにいてはいけないわ。邸内で温かいお紅茶と甘いお菓子を用意させましょうね」


 親子の会話を聞き、カザール殿下は私を打つ手を止めた。「ああ、何と美しい家族愛なんだ!」と叫んでいるけれど、どこか美しいのかさっぱりだ。殿下は鞭を放り出してラライヤの側に戻る。


「私のラライヤ、このハンカチで涙を拭いておくれ」

「えへへカザール様、ありがとうございますぅ。あっ、殿下も一緒にお茶を飲みませんかぁ? 美味しいお菓子もあるんですよぉ」

「いいのかい? もちろん喜んで。ラライヤ、君は何て優しい子なんだ」


 甘やかな表情を浮かべた叔父一家と殿下は、笑いながら邸に向かって歩き出す。去り際、叔父が面倒くさそうに言った。


「いくら裏庭とはいえ我が侯爵家の敷地を汚してはならん。花壇にまで汚水がかかっているではないか、綺麗にしておけ!」

「かしこまりました」


 頭を下げた使用人たちが、声を揃えて唱和する。主たちの姿が見えなくなると、当たり前のよう私に雑巾や箒、バケツを投げ付けて来た。


「ほら、あなたが綺麗にしなさいよ!」

「元はと言えばミレイユお嬢様のせいで汚れたんですよぉ〜?」

「そうだ、お前がグズだから悪いんだ!」

「芽無しごときを置いて下さっている侯爵様の慈悲深さに感謝するんだな!」


 降り注ぐ罵声と哄笑に、唇を引き結んで耐える。


 私は前侯爵の娘にして現侯爵の姪、そして形式上ではあれど王太子の婚約者だ。使用人の立場にある者が取っていい態度ではない。はっきり言ってしまえば有り得ないが、この侯爵邸の中に限ってはその有り得ないことがまかり通る。何故ならば、侯爵を継いだ叔父が、私を最下級の使用人以下である奴隷の扱いにしていいと直々に許可を出したから。


 両親が生きていた頃にいた優しい使用人たちは、全員辞めさせられてしまった。皆、最後まで私を庇い、心配してくれていた。


『ミレイユお嬢様、このマリアが何とかしてみせます』


 没落してしまった下級貴族のお家から働きに来てくれた侍女のマリアは、侯爵邸を追い出される時にそう言っていた。私はカザール殿下の婚約者なのだし、マリアの実家とて落ちぶれた端くれとはいえ貴族は貴族。王の側近にお目見えする機会はあるので、身を投げ出してでも私の窮状を直談判すると言ってくれた。


『けれど、カザール殿下は私が芽無しと分かってから、あからさまに冷たい目をなさるようになったわ。叔父様たちに味方するような言い方をするの。国王陛下も同じよ。助けて下さるかしら』

『それでも、外に向けて声を上げれば誰かが拾い上げてくれるかもしれません。王弟殿下が……聡明なルディック殿下がご存命であられたならば、きっとお耳を傾けて下さったはずですのに』


 やれることは全てやってみます、ですから待っていて下さい――そう言っていたマリア。でも、彼女が出て行ってから一度も音沙汰はなかった。きっと外に出たら、バカでグズな私のことなど忘れてしまったのだろう。


「じゃあ、さっさと片付けて夕食の下準備も済ませて下さいよぉ」

「ダラダラしてあたしたちの仕事を増やさないでよね!」

「邸に入る前に井戸で水をかぶって体を洗えよ、臭ぇんだよ!」

「遅れたら飯抜きだからな、クズ石侯爵の娘風情が!」


 現在の使用人たちの最後の言葉に、カッと頭に血が上った。

ありがとうございました。


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