第72話 隠れ聖女と留学生
翌日、私は朝からランニングをしていた。
セレナ様は今日予定があるらしく、朝の訓練は出来ないとのことで私1人でトレーニングに勤しんでいる。今日は少し違ったルートを進んでみようと学園から離れ、城下町の商店街の方へと向かっていた。
まだ日が昇り始めたばかりということもあり人は少なく、見かけるのは散歩中の老人や店の準備を始めている人達、後は夜通し飲んでいた冒険者などしかいなかった。
いつもは賑やかな王都の町も、こうして静かな雰囲気に包まれるとその様子を変える。
(なんだか新鮮な気持ちですね)
いつもは人が多く絶対に走れないルートなのだが、たまにはこういうルートでのトレーニングもいいかもしれないと思っていた時、路地裏で知っている顔を見つけた。
「おーい!ライラの嬢ちゃん!」
声をかけてきたのは王都の冒険者ギルドのギルマスであるメルト。どうやら朝からポーションの仕入れなど事務的な確認をしていたらしい。ギルドの裏にある巨大な倉庫の前でメルトが手を振っていた。
どうしようかとも思ったが、イザヤの町でテプラからメルト宛に電語を預かっていたので、丁度いいと思い近づいていく。
「おはようございます。メルトさん」
「おう、おはよう。なんだ、朝から走ってるなんて珍しいじゃねぇか」
「たまには王都の町中を走ってみるのもいいかと思いまして。メルトさんこそ、こんな時間からお仕事ですか?」
「まぁな。昨日の夜から飲んだくれの阿呆共が沢山いてな。夜通しギルドにいたから引継ぎ準備してたんだよ。後は押し付けて俺は帰る」
「無理はしないでくださいね?元S級冒険者といってももう引退した身なんですから....」
「ガッハッハ!老体を労わってくれるなら俺と仕事変わってくれや!ま、わしは長年やってるから慣れとるがな」
豪快に笑うテプラだが、その瞳の奥には明らかな疲れの色が見える。あと1時間もすれば他の職員が出勤してくるだろうし、テプラさんに対しては「お疲れ様です」としか出てこなかった。
「そういえば、テプラさんから『よろしくと伝えてくれ』と」
「そうか。アイツ元気にやってるのか。久しく会ってないが、今度会いに行ってみるか」
「では、私はこの後のトレーニングがあるので」
「気をつけていけよ。それと、またアリアとしてその内依頼でも受けに来い」
ペコリとした後そのまま町中へと駆けていく。この後寮に帰ってシャワーを浴び、その後朝食を食べてから今日も学校だ。
時間はかなりあるとはいえ、あまり悠長にもしてられない。どうせなら少し早く登校して、図書館で勇者に関する文献を調べてしまおうと思っていたからだ。
しばらく走り、町中の公園に辿り着く。ここで折り返して、後は学園に向けて戻るだけ....そう思っていたところ、公園の中で周囲をきょろきょろと見回している人を見つけた。穏やかな公園の中は朝ということもあり人がおらず、その人はどうやら困っているようだった。
どうしようかとも思ったが、流石に見て見ぬふりは出来ないだろうとその人物に近づいていく。
「あの....何かお困りですか?」
そう問いかけると彼が振り向いた。少しぼさっとした茶髪の青年で、年齢は同じくらいだろうか?背は私よりも高く、赤色の瞳が私を見つめていた。
だが私が気になったのは彼の容姿よりもその服。綺麗に整えられているその服は見たことが無いデザインで、シンプルながら多少の装飾がその服に高級感を与えていた。まるで貴族が着るような服だが、仮に貴族だったとしてこんな時間に公園になどいるだろうか?護衛もつけずに?
青年はしばらく私のことを見つめていたが、ふと我に返ったようで質問に答え始めた。
「あ....ああ。ごめん、まさか人に会えると思ってなくて。道に迷っちゃったみたいで」
「どこに行きたいんですか?」
「ドラグニア王立学園って所なんだけど」
「それなら反対方向ですね。ここから南側に真っすぐの場所にありますよ。私もそこに帰る所なので、一緒に行きましょうか?」
「いや、大丈夫。人を待たせてるんだ。ここから南側だね。ありがとう」
「どういたしまして。ところで、何故学園に?」
「少し調べたいことがあってね。君も学園生ならまた学園で会えるかもね」
「そうですね。それでは私はこれで」
そう言って立ち去ろうとした時、パシッと腕を掴まれた。振り返ると青年がまだ聞きたいことがあると言いたげな眼をしてこちらを見ている。
「待って!君の名前を教えて欲しい」
「名前ですか?」
「うん。また今度お礼させてよ」
別にそんなのいいのにな....と思ったが、せっかくお礼してくれると言うのだ。断るのも失礼だろう。
「私の名前はライラです」
「ライラ....うん、いい名前だ。また会えるといいね」
「はい。学園でお待ちしています」
そう言い残し、今度は本当に私は公園から去って行った。向かうは学園の貴族寮。これからシャワーを浴びて登校の準備をしなければと思い行きと同じスピードで走る。
(そういえば、あの方の名前聞くの忘れちゃったな....)
そんなことを思ったが、お礼をしてくれる相手をこちらからわざわざ探すのも違うだろうと考えて頭を振る。どこかの貴族のようだが、正直私は彼のことを見たことが無い。私も社交界にはあまり出ない方だが、それでも面識が無いということはどこかの地方貴族だろうか?
帰りのランニングでは先ほどの茶髪の彼のことが気になったが、今はただ帰ることだけを考えようと真っすぐ王都の町を走った。
***
朝、学園に登校するとロッカーの前できゃあきゃあと黄色い声が上がっていた。この学園でそんな声を出される人物は限られている。目を向けると案の定レオンハルト殿下がそこにいた。
(今日もうるさくらい人気ですね....)
そんなことを考えていると人だかりの中の人物と目が合う。私が見ている視線の先には1人しかいないわけで、案の定殿下とばっちり目が合ってしまった。
それに気づいた瞬間私はバッと目を逸らす。その間約コンマ001秒。絶対このまま目が合い続ければ面倒なことになるとふんだ私は殿下の横を知らないふりで通り過ぎようとした。その瞬間....
「おい待て」
ガシッと肩を掴まれ動けなくなってしまう。やだなぁ....面倒くさいなぁ....そう思いながらも振り返ると人だかりを無理やり掻き分けて出てきた殿下だった。
「あら殿下。おはようございます」
「挨拶も結構だが、今俺のことをスルーしようとしなかったか?」
「殿下は朝から囲まれて大変そうでしたから。面白....コホン、私が絡みに行くのも違うかと思いまして」
「SOSのサインを出してたんだがな」
「なら『朝から群がるのを止めてくれ』って言ったらどうですか?それか早々に婚約者を作るとか」
殿下がこうして令嬢に囲まれる原因は明らかに婚約者の席が空席だからだろう。そこに誰かが座れば、失脚やスキャンダルが無い限り変わることは少ない。婚約者が出来れば周囲に纏わりついてくる女性も減るでしょうに....
私の提案を聞いて以外そうな反応をする殿下。だが、すぐにいつものようにフッと笑う。
「ならお前がなってくれるか、ライラ」
「嫌です。お断りします」
誰が王族の婚約者になどなるか!私は冒険者として自由気ままに生きるんだ!
もちろんそんなこと言えるはずもなく、とりあえず急いでいるふりをしてさっさと立ち去ろうとした。だがその時、殿下が後ろから話しかけてくる。
「それは残念だ。そういえば言い忘れていたが、セレナは今日放課後動けないからな」
「そうなんですか?てっきり忙しいのは朝だけかと....」
その時「しまった!!」と思うがもう遅い。このまま立ち去っていれば殿下の横を陣取ることはなく、ただ友人が挨拶をして別れただけだと思わせられたのに、殿下の話に乗ってしまった時点でこの場において”殿下の話し相手”というポジションに入れられた。
つまり、殿下を見ようとする人たちの目には私の姿も認識対象になるわけで....
「乗ったな?」
「....ナンノコトデショウ」
冷汗をだらだらと流しながら必死に目を逸らす。さっさと解放されて図書館へ向かおうとしていたのに....そう考えるが、殿下はもう逃がすつもりは無さそうだった。
「すまないな。俺はライラと用事がある。行くぞ」
そう後方の女子たちに声をかけ、殿下は自然に私の手を取って歩き出す。一瞬の出来事で理解が追い付いていなかったが、3歩歩いた瞬間にその状況を理解した。
バッと手を放して少し殿下を睨むが、大勢の前で”用事がある”と宣言された以上ここで私が離れれば殿下が恥をかいてしまう。大人しく従うしかないと判断した私は殿下の後を付いて行った。
「巻き込んで悪かったな」
「....迷惑してるならはっきり言ってしまった方がいいと思いますよ。そういえば、今日はシノブたちはいないんですね」
いつもであれば殿下とマハト・ゼレフ・シノブの3人は一セットだったはずだ。登校の際も一緒におり友人兼護衛役だと本人たちが言っていたのを覚えている。だが今日に限っては殿下1人だけだ。なぜだろう?
「ああ。今日はあいつらにもやることがあってな。俺は今から合流しないと行けないんだが足止めをくらってしまった」
「やること?」
「今日は隣国アルドノアから来客が来る。確かライラのクラスに入る予定だったはずだが」
その言葉で、『そういえば昨日そんなこと聞いたな....』と担任のギャレンが言っていたことを思い出す。今日は隣国から留学生が来る日だ。最近は勇者を調べる剣で頭がいっぱいで忘れていた。
「そういえば....そんな話聞きましたね」
「今頃寮に付いているはず。着替えが終われば俺が案内する手筈になっているんだ。だから行かなきゃいけなかったんだが....兄上に呼ばれてな。一度生徒会室に顔を出していたんだ」
寮にいるならそのまま連れてくればよかったのにと思ったが、先に第一王子殿下に呼ばれていたのなら仕方がないだろう。学園に一度来た理由も納得だ。
「なら早く行った方がいいんじゃないですか。私は普通に登校しますので」
「ああ。今後は少し強く言っておこうと思う」
「それがいいと思いますよ。では殿下、お気を付けて」
「ああ。ありがとうな」
そう言い残して殿下が去って行く。だが、すぐにふと止まって私の方へと振り向いた。
「そういえば、ライラ。俺は本気だからな」
殿下の言葉を理解できなかった私は頭にはてなマークが沢山浮かぶ。今の話の前後に本気になる要素などあったかなぁ....?と考えながら、適当に返事をした。
「そうですか。頑張ってください」
殿下は少し笑ってそのまま寮の方へと進んで行った。結局殿下が何を言いたかったのかは理解できなかったが、とりあえず考えても分からないことは考えるだけ無駄だと切り捨てて私は図書館へと向かう。朝の限られた時間ではあまり調べられないだろうが、とりあえず次の手がかりだけでも探そうと足を進めた。
1時間ほど経って、教室の扉が開かれる。この学園はクラス分けが存在するが、全体で授業を受けるのは最初の1科目だけである。それ以降は各々が選択した教科に応じて時間割が決定するため、忙しい日や暇な日が割とあるのだ。
クラスに入って来たのは担任のギャレン・アルドノトス。持ってきたものを教壇に置き、朝のホームルームを始める。
「あーお前らおはよう。今日は昨日言った通り留学生が来ている。期間は1カ月の予定だが仲良くしてやってくれ。それとこの国において賓客だからくれぐれも粗相の無いように。では入ってくれ」
ギャレンが促すと扉が開かれて1人の青年が入って来る。少しぼさっとした茶髪に赤い瞳....ん?どこかで見たような....?
私が少し怪訝な顔で青年を見つめていると、彼も私に気づいたようだった。同じように目を見開いて私を見るが、すぐにふわりと笑って教壇の隣に立つ。
「初めまして。アルドノア王国から来ました第一王子イアン・ベナレス・アルドノアです。今日から留学生として皆さんと共に勉強させてもらうことになります。専攻科目は魔法学です。よろしくお願いいたします」
イアンと名乗ったその青年は優しい微笑みでそう言った。
だが私は見逃さなかった。彼が自己紹介の最後で、明らかに私に向けて視線を送っていることに。視線を逸らしたくてたまらなかったが、ここで逸らせば明らかに意識していることになってしまう。
これからの学園生活....一体どうなるんだろう、私。そうとしか思うことが出来なかった。




