第59話 イザヤの民と開戦の狼煙
『ある晴れた日のこと、唐突に“それ”は現れた。』
とある少年の日記に記されたこの日の文章の冒頭部分である。
この日、イザヤに住む少年は朝から大忙しだった。この町で店商売を営む両親を手伝って、商品の入荷や材料の在庫確認など、将来親の家業を継ぐにあたって毎日こなしている日課を今日も行っていた。
でも、今朝は何かいつもと違う。材料は入荷されてこないし、親は朝から荷物を纏めていた。
「親父、今日は店やんねーの?」
今日は定休日ではないはず。子供でも何年もこの店を手伝っていればそれくらいは分かる。それに、荷物を慌てて纏めているなんてまるで店を放棄して逃げるようではないか。
子供ながらそんな恰好悪いことはできないと考える。それに、彼は自分の両親がそんな人間だと思いたくなかった。
だが、両親は神妙な面持ちで少年の前に立つ。そして、ゆっくりと膝をついて言った。
「ああ。今日は定休日だ。お前は昨日の発表を聞いていないのか?」
「発表?あぁ....そういえば昨日広場で何か言ってた気がするな....」
「昨日、この国の王子様と大聖女様がいらした」
「王子様!大聖女様?!」
目を輝かせる少年。この国の王子様と言えば騎士団にもいたことのある有名な方だ。強さ・凛々しさ・格好良さ、どれを取っても少年たちの心を擽るような話しか出てこない。
それに、大聖女様と言えばその美しさは凄いものらしい。実際に少年は見たことないのでそんな感想しか出てこないが、それはそれは綺麗なのだろう。
「凄い!なんでそんな方々がこの町に?!」
「落ち着け。いいか、よく聞け....これからこの町を出る。だから逃げられる様に荷物を纏めて、部屋にあるものを極力しまっておくんだ」
「なんでそんなことするんだよ?それに、親父はこの店を捨てる気か?!」
「違う。いいから言う通りにするんだ。これから周りは更に忙しくなる。だから早く荷物を纏めるんだ。頼む、これは殿下と大聖女様の指示なんだ」
王子様と大聖女様がこの町から逃げる様に指示を出したってこと?それに、周りが忙しくなるってことはこの町全体にその指示が出ているということだ。
王子様と大聖女様のその指示の意図は分からないけど、その2人がそうしろって言うなら従わないわけにはいかない。
「....分かった。準備してくる」
少年は渋々といったように部屋に向けて走っていく。
そこから数時間後、町の住人が避難を開始して半分くらいの人間が町の外へとはけた頃に唐突に”それ”は現れた。
少年はこの日、父親の言っていた理由を理解した。
天にまで昇るほどの巨大な渦。水流の渦は空にまで届き、町の外からですらその光景を確認できた。
立ち昇る水流の渦は止まることを知らず、周囲の天候すら操るように威圧的な魔力を放つ。
周囲の空は暗雲が立ち込め、そして溜まりまくった魔力が唐突に弾ける。
「グ....ゥォオオオオオオオオ!!!!」
弾けた水流の渦から現れた巨大な竜が、天高く雄叫びを上げた。
それがこの町の守り神たる海竜であることは少年にも分かったが、その禍々しすぎる魔力は少年のみならずこの町の住人すべてを震え上がらせた。
暗雲の立ち込める海から、赤黒い魔力を帯びた竜がこちらを睨んでいた。
この日のことを、少年は死ぬまで忘れないだろう。
***
目の前で雄叫びを上げる海流を見て、ティグルはぶるりと背筋を震わせた。
商船の長として数多の海賊や盗賊なんかと戦った経験がある。今までも強かった奴は沢山いたが、その中でも群を抜いて目の前の化け物はヤバイ。伝説上の竜なら強いのは分かっていたが、普通の人間がアレを目の前に戦えるとは思えないほどとんでもない魔力を放っている。
(おいおい....何だあのバケモンは....!!)
冷や汗がたらりと頬を伝って落ちる。自分の脚が、小刻みに震えているのが分かった。
「怖いか?ティグルよ」
横にいたテプラが話しかけてくる。
今ティグル達の後ろには武装した冒険者や騎士達が立っているが、皆同じくティグルの様に震えていた。歓喜で震える者、恐怖で震える者、その反応は様々だが皆同じくその意思は同じであった。
「ああ。怖いぜ」
「じゃろうな。わしも怖い」
よく見ればテプラも少し震えている。だが、その眼光や発せられる威圧的なオーラは恐怖からくる震えではない事を示していた。
武者震い。似たもの師弟なのだこの2人は。
「なぁジジイ、あんたでもあのレベルの化け物と戦ったことはないのか?」
「どうじゃろうな?竜神様そのものと戦うのは初めてじゃが....最大で討伐級10が限界じゃ。それでもあの怪物には到底及ばんよ」
「いいのか?イザヤの民にとって海竜は守り神なんだろ?」
「あれを見よ。殿下達の話によればこの件には魔族が関わっておる。あの禍々しい魔力はその影響であろうよ。わしらにとっての竜神様はあのような化け物ではないわ」
「そうかよ。だが、今日ばかりはじじいに賛成だ。あれは竜なんかじゃねぇ。正真正銘のバケモンだ」
あんなバケモノを相手にしようとしてたのかと、ライラやレオンハルトの肝の大きさに感心する。普段からどんな奴と戦ってれば、あんなバケモノを相手にしようと思えるのか。
だが、この町に残ってる奴らは全員同じだ。あのバケモノの話を聞いて、これから起こる戦いを理解してなお逃げずに残った野郎共。死線をくぐる仲間として、これほど頼もしい奴らもいないだろう。
「野郎共!!!よく聞けぇ!!!」
テプラの号令で周囲の空気が切り替わる。その音圧が町中を駆け巡り、空間魔法“拡声”にて拡散される。
その声は町中に散らばる面々を鼓舞するように、騎士や冒険者達を奮い立たせた。
「今、目の前に存在するのは魔族によって操られた竜だ!この町の誰もが、あの怪物と戦うことに恐怖していることだろう!!」
イザヤ中の人間が、この町を守る為に立ち上がる。唐突に現れたあの怪物を目の前に、彼らが恐怖するのは当然のことだろう。
「だが恐怖は悪いことではない!我々が人間であるが故の恐怖を恥じることはない!!貴殿達が立ち上がったその事実こそが、この町に語り継がれる英雄譚となるのだ!!」
魂を震わせ、全員にこれが開戦の狼煙であることを伝える。恐怖とは違う背筋を伝う感覚が、その闘志を震え上がらせた。
「怖れるな!!慄くな!!恐怖に支配されそうになったら深呼吸をしろ!声を上げろ!!大切な人を思い出せ!!!恐怖を我が物に、目の前の敵を撃ち滅ぼせ!!」
「行くぜ野郎共ォ!!!俺達の敵はイザヤに侵入する敵のみ!!あのバケモノは別の奴が相手する!この町と人々を、手が届く限り全て守れ!!」
「「「「「ウォォオオオオオオオオオオオオオ!!!!!!!!!」」」」」
町中全てから上がる雄叫び。それは英雄達の始まりの歌のようにも聞こえる。
町の最東端の海より北側エリアにシノブとゼレフ、中央エリアにテプラとティグル、南側エリアにミドルとマハトがそれぞれ騎士や冒険者を連れてイザヤの町に立っている。
世界中に響くかと思われる程のその雄叫びは意識のない海竜にも届き、これが後に『イザヤ海戦』と呼ばれる戦いの開戦の狼煙となった。
***
(何が起こっている....?)
海竜を目覚めさせることには成功した。海竜に特殊な魔力を流し、魂源から支配をかけることにも成功した。ここまでくれば後は容易い。地上に出て、目の前の街を潰してから海竜を魔族領へと連れて行く。海竜の力を持ってすればその程度造作もないことだったはずなのに....
(町中の人間が異様に少ない。それに武装した者ばかりが残っているこの状況....まさか我々がこうして町を潰しに来ることが分かっていた?)
思えば海人族とあの金髪の少女の関係性、それに魔族であるルサールカがこの町に潜入していることもバレていた。
そして今、完全に不意をついたはずのこの町には武装した人間しか残っていない。
この状況はまるで....
(まるで誰かが、この状況を予言していたかのようだ)
もしもこの状況が予め分かっていたのだとしたら目の前の光景も納得ができる。
だが、前準備が出来ていたからなんだ。この戦力差はそう簡単に埋まるようなものではない。相手がどれだけ人数を揃えようと、それ以上の圧倒的な数と突出した強大な力があれば負ける道理はない。
「ルサールカ様」
「フルーレティか。どう思う?目の前の状況を見て」
「そうですな....誰かがこの状況を予知していたようにしか思えませぬ。聞けば今代の大聖女は予言が出来るとか何とか」
「やはり予言者がいたのか....だが、この程度は計画外の範疇ではない。所詮は烏合の衆、何百人集まろうが何千人集まろうが結果は変わらない。フルーレティ、水鱗魔の数はどうだ?」
「はっ。現在その総数3496匹、全て待機させておりまする。私の魔力にて支配済である故、いつでも出撃可能でございます。ただ....」
「ただ?」
「長年支配の魔法を使用してきた私とて、この数を支配するのは初めてですじゃ。水鱗魔の保有魔力は少ないが故、支配することは造作もないことなのですが....総数が多くなればなるほど支配に割く魔力も増え、複雑な命令は出来なくなりまする」
「わかっている。水鱗魔達は所詮人間の気を引くための使い捨てに過ぎん。目の前の人間を無作為に襲わせるよう命令しろ。後は好きに動いて構わない」
「かしこまりました。ではそのように」
そう言い残してフルーレティは消えた。先程まで側近がいた場所を見ることもせず、ルサールカは眼前の町を見た。
戦力差というのはそう簡単に埋まるようなものではない。いくら武装した人間が集おうが、ルサールカの横にいる竜には勝てないのだ。
だがこの状況、どこかで見たような気がする。人間と魔族が戦い、魔族側に海竜がいる構図....何かで聞いたような気がするのだが、ルサールカは思い出せない。
だが思い出せないということは些細な事なのだろうと、ルサールカは考える事を止めた。
『ルサールカ様、水鱗魔の軍勢の出撃準備が整いました。いつでも開戦出来ます』
その言葉を聞いて、ルサールカはニヤリと笑う。さぁ、ここからが本当の戦いのスタートだ。
『許可する。行け、この町を更地にしろ!!!』
ルサールカの指示の下、海岸線から水鱗魔の大群が町に向かって進行していた。
この日、対魔族戦:イザヤ海戦が幕を開けたのだった。




